梅ヶ瀬渓谷-大福山-坂畑 (2017.3.11)


☆期日/天気/山行形式: 2017年3月11日(曇のち晴) 単独日帰り山行
☆地形図(2万5千分1): 大多喜(大多喜13号-1)、坂畑(大多喜13号-4)
☆まえがき
    2月末に亀山-横尾番所跡-怒田-久留里城ルートを歩いたことで、南房総内陸部へのアプローチ勘が得られました。
短期記憶力の劣化が顕になってきた老いぼれ頭が忘れてしまわないうちに、ひとつ東寄りの養老川谷から大福山に登り、少々長目の林道歩きを経て亀山に出るミニ横断山行を試みることにしました。

  大福山の尾根に上がったところでは時雨模様になって展望はもうひとつでしたが、梅ヶ瀬渓谷では楽しい渓流歩きができました。
大福山の天辺にある白鳥神社から坂畑の奥の亀山湖畔までは長い舗装林道歩きでしたが、前半は尾根伝いで眺めがよく、シーズンオフの平日は車も走っていなかったので、のんびり早春の南国の山並みを見ながら歩きました。

写真の説明    (画像をクリックすると拡大スクロール)
☆行動時間
   宮崎台[6:52]=(東急線・メトロ)=錦糸町[8:10]=(新宿さざなみ1号館山行)=[8:53]五井[9:25]=(小湊鉄道上総中山行)=[10:32]養老渓谷(10:42)-宝衛橋(10:52)-朝生原トンネル(11:14)-林道加茂線入口(11:15)-駐車場(11:21/33)-川のトンネル(11:41)-二五穴(11:58)-せせらぎ階段(12:12)-尾根道分岐(12:28/30)-日高邸跡(12:37/55)-尾根道分岐(13:00)-尾根の背(13:18)-大福山展望所(13:39/41)-白鳥神社入口(13:51)-大福山白鳥神社(13:55/14:00)-舗装車道(14:10)-坂畑林道入口(14:12)-旧道分岐(14:33/35)-破線路分岐(14:40)-檜の模範林(15:06)-湯名沢橋(15:25)-坂畑県道(15:33)-坂畑公民館(15:45/55)-上総亀山駅(16:05/22)-(16:30)亀山藤林大橋バス停[16:43+4]=(カピーナ号千葉行)=[18:10+17]千葉駅[18:44]=(総武線快速久里浜行)=[19:18]錦糸町=(メトロ・東急線)=[20:01]宮崎台

☆ルートの概況
   内房線五井駅で小湊鉄道線に乗り継いで養老渓谷駅に行き、梅ヶ瀬渓谷へアプローチしました。
  少しでも早い時間に行動を開始できるよう、錦糸町で館山行の特急列車に乗り継いで行ったのですが、小湊鉄道の方では最近ダイヤ改正が行われたとかで目当ての乗り継ぎができず、30分近くもの待ち時間となりなりました。

  始めて来たホームでまわりの景色を眺めていたら次発の列車が入線したので空いているのを幸い一番前の座席に座って発車を待っていたら、あとの内房線列車で着いた大勢の老弱男女が乗り込んできて、通路も一杯になるほどの混雑になりました。
  皆、何かをプリントした紙を持っていて、イベントに参加するために来たようでした。
列車が走り出したあと、近くの人達が話しながら見ているプリントを覗いてみたら列車運行ダイヤで、イベントは "乗り鉄" のらしいことが分かりました。
  養老渓谷駅は開けた場所にある小奇麗な駅舎でした。
駅前広場は春の観光シーズンに備えて工事をしていましたが、観光案内所は開いていました。

  今回の山行の下調べで困ったのは、地形図と渓谷ランドマークとの照合ができなかったのと、谷から尾根筋に上がるルートの整備状況が不明だったことでした。

  何故か分かりませんが、市原市役所や、養老渓谷観光案内所のウエブには梅ヶ瀬渓谷ルートの詳細情報が出ていないのです。

梅ヶ瀬渓谷・大福山案内図  (クリックすると拡大)
  観光案内所で左のような梅ヶ瀬渓谷のイラストマップを貰えました。
江戸時代の地図のように北が下になっている逆立ち地図で、少々面食らいましたが渓谷内の主な地物が書き込まれ、日高邸跡の手前から頂稜沿いの大福林道へ上がるルートが一般登山道として整備されていることも確認でき、不安を解消できました。
  (なお、今回山行で記録した GPS 軌跡と、実見した地物から見て、国土地理院2万5千分1地形図、Google Maps とも、日高邸跡のマークが実体より 200m あまり北にずれていたことが分かりました。
Google Maps にマーカ位置の修正を提案したところ、受け入れて貰い、修正が行われました。 2017.4.3)

  駅の東側へ回り込み、要所に掲示されている分かりやすい道標に従って進んで、梅ヶ瀬渓谷への道に進入しました。

  里見氏所縁の寳林寺への道を左に見送って進むと、緩やかな下り坂になりました。

写真の説明    (クリックすると拡大)

  坂を下りきった所に架かっている宝衛橋を渡る途中右手を見ると、はるか高いところに架かっている渓谷橋が見えました。

  橋を渡って向かい側の台地に上がり、道路にそって長く延びている黒川沼を見ながら進んで右にカーブした所に水道の給水槽がありました。

  山裾にあたって左へカーブして暫く歩いたところに朝生原トンネルがあり、その左手の茶店の駐車場の入口に養老渓谷・梅ヶ瀬渓谷ハイキングコースの案内看板が立っていました。
 

  トンネルを潜った先で道路が分岐しました。
右手に坂を上がってゆく舗装路は大福山の尾根筋へ上がってゆく林道、下り気味に直進してゆくのが梅ヶ瀬渓谷入口駐車場へ通じている林道です。

  分岐の角には「大福山 3.1Km」、「梅ヶ瀬渓谷 2.8Km」 と記した道標が立っています。

  分岐の僅か先で左のような広大な車止め広場の入口に着きました。
紅葉の最盛期などは車で一杯になるのでしょうが、この日は一番奥の方に2台だけ。
駅から小一時間歩いていたので広場の奥の端で小休止しました。

  渓谷の入口はゲートのような大きな切通しになっています。
入口の左側に 「雨天時の急な増水に注意」、「サル、蛇、ハチなどに注意」 などの注意事項を記した立て札が立っていました。

  切通しを通過するとすぐに車道が終わって左のような歩道になりました。
その先の台地では梅が咲いていました。

  左脇の谷川に "水のトンネル" がありました。
柔らかい凝灰岩の板状の尾根が多い南房総には沢山の短い手掘りトンネルがあります。
この水トンネルも、流路を確保するために掘られた手掘りトンネルのひとつのようです。

  水のトンネルを過ぎるとすぐ最初の渡渉点がありました。
このあと日高邸跡に着くまで10数カ所の渡渉点がありましたが、水量が少ないせいで飛び石伝いで容易に渡ることができるものばかりでした。

  谷の断面は通常のV字形でなく、平坦な谷底の左右に殆ど崖のような急な斜面が立ち上がり、U字形と言った方が当たっているような形になっています。

  高い崖の裾を通過する部分には左のように、 "落石注意" と記した看板が立っています。
雨中、雨後に起きやすい崩壊や、厳冬期に凍結したあと気温が上がって融解する時に起きやすい浮石の落下などの警告と思いました。

  南房総では凝灰岩から出てくる微粒子で懸濁した水が流れている谷が多いのですが、この谷は珍しく澄んだ水が流れていました。
河床が平坦なため安定した穏やかな流れになっているせいで、川底にきれいな流紋が見える所がありました。

  人工か自然か分かりませんが沢に突き出している薄っぺらい尾根を貫通している穴がありました。
もとはこの穴を貫通して水が流れていたが、その後に進行した侵食によって河床が下がり、トンネルのみ残されたのではないか、と思いました。

  こちらは明らかに人工のトンネルです。
二五穴と呼ばれ、流路を確保するために掘られたものだだそうですが今は河床が下がったため登山道より高い所にあります。

  右岸の崖が大きく削り込まれて平坦地が広がっている所を通りました。
ガイドマップに "湿原" と書き込まれている所のようでした。
緑の季節に来れば奥壁から滲み出した水で潤い、湿生植物の原になっているのでしょう。

  平らな地層の断面が見えるようになりました。


  地層が平らになったのにあわせて河床にスラブが目立つようになってきました。

写真の説明    (クリックすると拡大)

  僅か傾いたスラブの地層を階段状に流れ下っている所は、せせらぎの階段と呼ばれているナメ滝です。

  水量が徐々に減って流れの幅が1m ほどに狭まり、渡渉点とも言えないほどになりました。

  左岸の台地の上に野外ベンチが置かれている所を過ぎると枝沢に丸太を2本並べ渡した橋が架かっていました。

  橋を渡った先から右手に登ってゆく道があり、入口に大福山へのルートの入口であることを示す道標が立っていました。

  分岐の下を直進して日高邸跡に向かうと、流れが急に細ってほとんど涸れ沢のような状態になりました。

写真の説明    (クリックすると拡大)

  やがて行く手に日高邸跡と思われる台地が見えてきました。
  日高邸は谷奥の三叉に押し出された土砂が積み上がってできた高みの上にありました。

  奥山の懐に抱かれ、俗世から隔絶された別天地です。
雑念を払って物事の本質を考究するのに最適な環境と思いました。

  下のパノラマ画像は、台地のほぼ中央で撮影した写角180度の画像です。
  新緑や紅葉の季節に来れば素晴らしい眺めが見られるに違いありません。

梅ヶ瀬渓谷奥三叉にあった日高邸跡の 180度パノラマ  
 (画像をクリックすると拡大スクロール)

  日高邸跡で長目の休憩をしたあと分岐点に戻りました。
ここから尾根筋の大福山林道までの高度差は約200m あって前半はかなりの急登です。


  分岐に入るとすぐ小尾根を乗り越えて枝沢を渡り、対岸の急斜面を折れ登りました。

  ひと登りすると傾斜が緩んできて足許も良くなり、暖地性の林に覆われた谷間を見下ろしながらゆっくり登って行けるようになりました。

  やがて小尾根の背に上がると谷の下流側が見えるようになりましたが、まだ高度差の半分くらいまでしか来ていないようでした。

  小尾根上のコブを乗り越えました。

  コブの先はホッソリした穏やかな尾根になった所を進んでゆくと10人余りのパーティと出遭いました。

  この山の一般ルートは養老渓谷よりひとつ手前の大久保駅から登ったあと、こちらへ下降してくることになっているようです。

  緩急を繰り返しながら徐々に登り続けてゆくと徐々に大福山の稜線が近付いてきて、時どき車のエンジン音が聞こえるようになりました。

  最後は左のような丸太階段で、固定ロープに沿ってひと登りすると舗装林道の縁に出ました。

  舗装路に出た所の左脇に写真のような小園地があり、垢抜けた東屋と野外ベンチと日高誠實顕彰碑が並んでいます。
石碑の横に立つと南の方へ視界が広がりました。
足許は今朝から遡ってきた梅ヶ瀬渓谷で、錯綜した地形が広がっています。
先の方には高さはないが奥深い南房総の山並みが重畳しています。

写真の説明    (クリックすると拡大)

  遠くのスカイラインの左手の方に大木が並び立っている山があるのは、多分、清澄山でしょう。
右手の方で高いのは元清澄山に違いありません。
 

  5分ほど東に行くと展望台があるのは分かっていましたが昼近くから急に雲が出てきて空一面を覆ってしまい、悪くすると時雨そうな気配です。
好展望は期待できないので割愛し、東屋の脇でひと休みしたあと、西に向かって林道を進みました。

  歩きだして10分も行かない所に右手の山に登ってゆく道がありました。
入口に "白鳥神社登山口" と記した標識が立っていました。

  坂道をひと登りすると神社参道上部の階の袂に着きました。
右折して90段ほどの急な石段を登ると巨大な狛犬の間に登り着き、広場の向かい側に鎮座している神殿が見えました。

  神殿はこじんまりしたものですが、その左脇には巨大な御神木が立っています。

大福山白鳥神社から北西の眺め  (クリックすると拡大)

  神殿に祀られている日本武尊に山の安全を祈ったあと境内広場を一周しました。
広場の北側の縁では森の木の間から内房の平野が見えました。

  狛犬の間から急な石段を下り、先に延びている尾根道を進みました。
左下に大福山林道が見えている山道でしたが思ったより長く、最後にちょっとしたコブの肩を乗り越えてひと下りするとようやく参道入口の鳥居が見えてきました。

  鳥居の先の石段を下って降り着いた舗装林道の向かい側には、六角形断面が特徴の「房総ふれあいの道」の石標が立っていました。
石柱の上面に
"養老渓谷駅 5.4Km ←|→ 8.0Km 月崎駅"
と言う道案内が刻まれていました。

  左折して養老渓谷駅方に向かい、300m 程進むと右手に分岐して下ってゆく林道がありました。
道標は立っていませんでしたが地形図を参照して坂畑への入口であることを確認し、進入しました。

  右手に回りながら下り気味に進んで行くと右前方に大きな産業廃棄物処理場が見えてきました。
この頃は低山歩きが多くなっているので、自然度の高い山中で突然、大規模な採石場や処分場にぶつかることはよくあるので驚きはしませんでしたが、ここのはとても規模が大きいと思いました。


  長いフェンスに沿って歩いて行くとゲートの前にガードマンのおじさんが出ていたので坂畑への道を確認し、フェンスが尽きたところにあった二股を右に入りました。

  分岐のすぐ先にあった切通しの先から右手に分岐している土道がありました。
地形図には横尾の方へ通じている破線が描かれています。
切通しの脇の高みに上ってみたら左のような古い標柱が立っていて、「きよすみへ三里半」と刻んだ文字が読み取れました。
前回の山行で通った横尾番所跡からここを通って清澄山の方へ行く江戸時代の参詣道の痕跡です。

  坂畑林道は緩やかに尾根の背を伝わってゆく舗装路は所々で左右に視界が開け、まわりの景色を眺めながら楽しく歩けました。
  左の谷向いの尾根筋は横尾と思われ、テレビ共聴アンテナらしい柱が立っていたりします。


  舗装された良い道の林道なのに車が走ってこないのでのんびり歩けたのはありがたいことでした。

  昼時は天気が変で、白鳥神社境内では雨粒がポツリと落ちてきたりしましたが、時間が経つにつれて雲が消え青空が広がってきました。

  南国のモコモコした感じの山林に、傾きかかった陽が当たり、穏やかな雰囲気になりました。

横尾を見ながら坂畑林道を下る  
 (画像をクリックすると拡大)

  道端に猪が餌を漁った跡がありました。
モグラでも探したのか、ガードレールと山の間の地面がほじくり返されています。

  林道の距離標識ポストにジュース缶をいくつも吊り下げた、ちょっとお洒落なオブジェが立っていました。
「ジュース缶を投げ捨てるな!」という警告を兼ねた遊び心の産物か、と思いました。

  左手がぱっと開けた所に出ました。
Google Street View で、林道のあらましの様子を頭に入れてきたのですが、これほど開けた場所があるとは思っていませんでした。

  高い崖の下で雨季には落石に注意が必要でしょうが厳冬期も過ぎで土壌の凍結もなくなった時期ですからもう大丈夫でしょう。

  檜の模範林の脇を曲がり下って亀山湖最奥部に架けられた湯名沢橋を渡りました。

  左下に亀山湖の末端部を見下ろしながら進んでゆくと、県道 亀山-滝原・蔵玉線に出合いました。

  右折して坂を登り、左手へ回り込んでゆくと保育園がありました。


  幼稚園の先から家並みに入るとすぐの所に坂畑小学校と中学校が並んでいました。
石造りの門柱の奥に立派な作りの校舎が立っていて、ここが子供達を大事にする土地であることを示していました。


  学校の前を通り過ぎるとすぐに消防車庫と公民館とが向かい合っている十字路に着きました。
前回山行では、この角から北に向かって横尾番所跡を目指しました。

  大福山からここまで、スローペースながら長い時間歩き続けていたので前回山支度を整えたときと同じ消防貯水槽脇のコンクリート台に腰を下ろし、スパッツを脱いだり、飲み食いをしたりしながら足腰を休ませました。

  夕日が当たって黄色が一層鮮やかに輝いている菜の花畑の横を通ってトンネルに入り、山の裏側に抜けた所にある熊野神社の袂で左折して僅か坂を下ると上総亀山駅でした。

  小じんまりした駅舎の待合室は奇麗に掃除され、壁には幾つかの鉄道マニア向け掲示が貼ってあります。

  千葉行のバスが来るまでの待ち時間をここで費やすこととし、チョコレートや干し柿を食べたり、イオン水を飲んだりしました。

  そろそろ時間になったのでバス停の方へ移動する途中、駅前通りのお店に立ち寄って「何か土産になるようなものはありますか?」ときいて見たら「なんにもないけど、・・・・・の酒ならあるよ」 と言う返事でした。

  我が家に酒に用がある者はいないので何も買わずに外に出て坂を下るとバス停で、前に見たときと同じ2艘の手こぎボートを並べた花壇で飾ってありました。

  亀山藤林大橋から千葉駅前まで1時間半足らずのバスドライブでしたが心配していた足の痙攣も起こらず、快適なバス旅をしました。

  そのあとの千葉-錦糸町ルートは既にルーチーンになっていて、何も問題なく家に帰り着きました。

<ルートの概況>




  ヤマレコの山行報告



  GPX ダウンロード





  詳細なルートマップ
 
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☆おわりに

   前回山行で得られた土地勘を利用して南房総のミニ横断山行を試みました。
清流の梅ヶ瀬渓谷から、大福山頂上に鎮座する白鳥神社に登り、長くて静かな坂畑林道の尾根道歩きを楽しみました。
  亀山、養老渓谷周辺の土地勘が明確になったことにより、三石山や麻綿原あたりが格段身近になりました。