秋川丘陵 弁天山・網代城山と戸倉城山 (2017.2.1)


☆期日/天気/山行形式: 2017年2月1日(晴) 低山尾根歩きと古城跡探訪 単独行
☆地形図(2万5千分1): 五日市(東京14号-2)
☆まえがき
    前回の山行で秋川丘陵の東半分、秋留橋-二条城-雹留山-山田大橋を歩き、これまで目を向けたことがなかった秋川谷の前山に静かで好ましいハイキングルートがあった事を知りました。

  時間が遅くなったのと疲れてきたのとで中断し、西半分の貴志嶋神社-網代弁天山-城山-高尾神社奥社を歩きそこねて終わりましたが、残り物がどれほど美味しいか、気になっていたので、寒中の運動を兼ねてこの区間を歩きに行きました。

  順調に歩ければ秋川丘陵は昼前に終わり、下山先の五日市駅付近でお昼を食べられるでしょうから午後はバスで戸倉まで移動し、光厳寺から搦手道を通って戸倉城山に登頂してみようと思いました。

穏やかな冬晴れに恵まれ、小さな低山に似合わない充実感のある山歩きができました。

写真の説明    (画像をクリックすると拡大スクロール)
☆行動時間
   宮崎台[7:51]=溝の口=立川[8:49]=(五日市線)=[9:18]武蔵増戸(9:21)-山田大橋(9:34)-弁天橋(9:51/56)-弁天公園入口(10:04/05)-貴志嶋鳥居(10:07)-凱旋山(10:13)-網代弁天山公園(10:19)-貴志嶋神社(10:19/24)-弁天洞窟(10:26/28)-網代弁天山(10:37/49)-城山(11:09/20)-小峰公園分岐(11:22)-道標ピーク[1](11:29)-道標ピーク[2](11:34)-固定ロープの下降(11:36)-固定ロープの登り(11:41)-左折道標ピーク(11:43)-高尾神社奥宮(11:48/52)-送電線鉄塔上の展望点(11:53)-高尾神社(12:00/03)-高尾橋(12:11)-(12:25)武蔵五日市駅-柳屋(田舎汁せいろそば)-(12:55)武蔵五日市駅[13:00]=(#1乗場 西東京バス 藤倉行)=[13:07]戸倉(13:10)-城山テラス(13:16)-光厳寺(13:24/30)-南東尾根(13:42)-肩の平坦部(13:54)-城山(14:09/26)-公衆便所(14:30)-大手道下降点(14:31)-谷道入口(14:39)-神明社(14:50/53)-西戸倉バス停(14:58)-(15:05)戸倉バス停[15:10+2]=(西東京バス)=[15:17]武蔵五日市駅[15:36]=(五日市線)=[15:53]拝島[16:04]=(青梅線)=[16:16]立川[16:24]=(南武線)=溝の口=[17:09]宮崎台

☆ルートの概況

  歩き出しは前回の終点だった五日市線武蔵増戸駅でした。
通勤通学の人達がみな行ってしまったあとのモダンな駅舎は静まりかえっていて、ゴルフ場の送迎バスが1台停まっているだけでした。

  秋川にかかっている山田大橋までは前回通ったばかりの道ゆえルートファインディングの必要はなく、ノンビリ歩きました。
やがて家並みの上にこれから歩こうとしている山並みが見えてきました。

山田大橋の眺め    (画像をクリックすると拡大)

  山田大橋に差し掛かりました。
橋の手前で右折して少し上流側に架かっている旧道の橋を渡ってゆくルートもあって曲がり角に道標が立っていましたが、深い谷に架かっている弁天橋がどんな橋か実見しみたかったので直進しました。

  山田大橋を渡りかけて3分の1ほど進んだ所で右手を見ると秋川の流れは遥か下の方で、谷奥遠くに大岳山が見えました。

  橋を渡りきった所に立っている道標の手前で右折し川に向かって坂を下ってゆくと家並みの手前から左手に入ってゆく道がありました。

  弁天橋は事前のチェックで想定していたのとは違う所でした。

  要所に立っている道標と地形図を頼りに道を拾って行って辿り着いたのは軽自動車ならどうにか通れるかも、と言うくらいの長い橋でした。

弁天橋の眺め    (画像をクリックすると拡大)

  橋がかかっている谷はとても深い峡谷になっていて中程まで進んだ所から谷の出口の先を横切るように山田大橋が架かっているのが見えました。

  橋を渡った所に「かたらいの道 秋川丘陵コース」と言うタイトルの地図看板が立っていました。

  右手の広場の向こうに寺を見ながら進み、その先で東京都の(母子家庭?)福祉施設の門を過ぎると広い舗装路に出合いました。

  畑の向こう側に城郭のように立派な門構えの大きな屋敷を見た所から少し進むと台地の一番高い所に着きました。

  その先の坂を下ってゆくと旧道の橋に行けるようで、そちらを回ってもここに来られるようでした。

  T字路を左折して山に向かう道の入口の角に "弁天公園 洞窟" と記した看板がありました。
その向かい側の畑の縁には秋川丘陵コースの道標が立っています。

  道なりに歩いてゆくと向こうの山裾に赤塗の鳥居が見えてきました。
近付いてみると大きくはないが立派な作りの鳥居で、その背後から石段が始まっています。

  階の上に社殿がある思って登ってみましたがそのようなものはなく、左手の谷間に入ってゆく山道が延びているだけでした。

  穏やかな山道を進んでゆくと右側の土手の上に 「凱旋山」 と記した立て札が立っていました。

  踏み跡があったので尾根の背に上がり、右手へ僅か進むと凱旋山の頂上でしたが林に囲まれた僅かな平地で、特段のこともありませんでした。

  もとの道に戻り、先に進んでゆくと杉林の中に入り、谷詰めを回り込んで行くようになりました。

  谷奥を廻って小尾根をの端を越して行った先に道標が立っていて弁天山頂上に直行する山道が分岐していました。
弁天山の七合目あたりにある "貴志嶋神社" と言う珍しい名前の神社に立ち寄ってみたいと思っていたので歩いてきた道を直進しました。

  僅か進んだ所で祠か何かの基礎と思われるコンクリート枠の脇を過ぎると弁天公園のイラストマップ看板が立っていて、その先の道幅が広がり、細長い平地になっていました。

  平地の奥の方に貴志嶋神社の社殿が立っていましたが、軒の深い寄棟造りが独特の雰囲気を醸しています。
御祭神は市杵嶋姫命で、隣接して神楽殿があります。

  社殿の100m ほど先の右上の斜面に貴志嶋神社の奥の院とされている洞窟がありました。

洞窟を覗き込んでみると奥が深いようでしたが入口には毘沙門天と大黒天の石像が祀られていました。

  洞窟の先は普通の山道になり、入口に "網代弁天山" と記した道標が立っていました。
右上に斜上し、尾根の背を回ってゆくところでは左手に視界が開け、あきる野の市街が見えました。

    頂上の南側をまわって西肩に上がった所にあるT字路を右折して僅か登ると頂上広場の一角でした。

  大石が並んでいる頂上は僅か331m の山の頂上とは思えない雰囲気があります。
  大石の上に立つと広大な視界が得られ、秋川の対岸に広がっているあきる野の市街や、さきほど渡ってきた山田大橋などが見えました。
 

網代弁天山頂上の展望    (画像をクリックすると拡大)
 

  秋川丘陵随一の展望を楽しみながら休憩したあと肩のT字路に戻り、右折して急な丸太階段を下降しました。
階段を降りてゆく途中で谷向かいの山を見るとその先の方に大岳山が見えました。

  急降下が終わった先に道標が立っていて鋭角に折り返し、左手に向かって山腹を横切って行く道を進みました。

  城山との接続鞍部に立っている道標には城山まで300m と記した腕木が付いていました。

  道標の先からやや急な丸太階段を登りました。
ひと登りして肩のコブに上がると、一旦平らな尾根になりました。
このあたりの緩急の変化は中世山城でよく見られる地形改変の痕跡なのかもしれません。

  短い平坦部の先からやや急に登ると城山頂上の広場に出ました。
三角点標石と網代城のイラスト付き解説板が立っていました。
看板のイラストによれば、ここが網代城本丸の跡で、いま通ってきた網代弁天山には支城があったと言うことでした。

  貴志嶋神社は平時の駐在所として使われた根小屋だったかもしれません。

  城山は少し引っ込んだところにあるのと、まわりを立木に囲まれているのとで、展望はあまり良くありませんでしたが、葉が落ちた林を透かして秋川対岸の市街地が見えました。

  城山頂上広場からわずか西に進んだ所に小峰公園への道標が立っていました。
その右横に少し小振りな新しい道標が立っていて高尾神社奥社へのルートを示していました。

  高尾神社へのルートはホッソリした尾根の背を忠実に辿ってゆくものでした。
城山頂上からふたつ目のコブを越えた先、ふたつのコブを越して280m と書き込まれたコブに登り着くまでの間は地形図に破線も書き込まれていませんが、ホッソリした尾根の背を忠実に辿ってゆくので明瞭でした。

  いくつかあるコブを越えてゆく所では尾根の方向が左右に変わりますが、必ず左のような新しい道標が立っていて迷うようなことはありません。

  もうひとつ少し古いようですが左のような白地に黒い文字と赤い矢印を描いた道標も立っています。

  尾根の背を忠実に辿ってゆくルートは尾根の凸凹と屈曲なりに小刻みな上下と方向転換を繰り返してゆくことになります。

  尾根末端近くにある 280m 峰の手前の鞍部への下りはそれまでの穏やかなルートから一転して急降下となり 50m 超の固定ロープがあります。

  長い急降下を下りきるとただちに急な登り返しになり、丸太階段に10m あまりの固定ロープが付いています。

  尾根に登り返して僅か左手に進んだ所に高尾神社奥社の祠がありました。

  人の背丈ほどの祠の中を覗くと "大口真神御符" と記した御札が収められています。
祠のすぐ西側に修験道先達顕彰碑がふたつ並び立っています。


写真の説明    (クリックすると拡大)

  祠から少し西に進んだ所で右手が開け、すぐ下に立っている大きな送電線鉄塔まで山林が刈り払われています。
五日市の市街と奥多摩の山並みを見渡せる尾根の背に野外ベンチが設けられていました。

  その先は奥社参道と送電線巡視路と重なり、要所が黒色樹脂のステップ材と固定ロープで歩きやすくしてあります。


  ひと下りで高尾神社里宮の横手に降り着きました。
こじんまりした社殿が村を見下ろす見晴らしの良い高みに据えられました。

  本殿には迦具土神と牛頭天王が祀られ、大口真神は脇社に祀られていました。

写真の説明    (クリックすると拡大)

  神社の下の広場から坂を下って行くと秋川河畔近くの梅林の蕾が膨らんでいました。

  高尾橋を渡って坂を登った所で道端の駐車場から眺めら秋川の向こうに今朝から歩いてきた山並みが見えました。

  間もなく武蔵五日市駅に着きました。
大きくモダンな建物で駅前の広場も広く綺麗ですが、食事ができそうな所があまり見えません。

  西の方の町中には何軒か店がありそうなのでそちらに行きかけたところ、広場の向かい側に 「そば処 柳屋」 と記した幟が立っているのに気が付きました。


  引っ込んでいてやや入りにくい感じもありましたが、入口の脇に貼ってあるメニューの写真が美味しそうだったので入って見ました。

  こじんまり落ち着いた店で注文したのは、左の写真のような田舎汁せいろでした。

  お昼時はおにぎり付きということでしたが半分胃袋の老人には多すぎるのでそばだけ食べました。
腰のしっかりした蕎麦と、やや甘口のこってりした汁との組み合わせが絶妙で、美味しいお昼ができました。

  13時丁度に駅前を出る倉沢行バスに乗って戸倉へ移動しました。

  バスを降りて道の向かい側を見ると戸倉城山の尖った姿が目に入りました。

昔、奥多摩に通っていた時期には毎年何度も行き来していた所です。
一昨年も三頭山に2往復しているのですが関心がないものは見えても目に入らない道理で、この目立って尖った山に全く気がつきませんでした。

  山に向かって坂を登ってゆくと十字路の先の方に三島神社の石鳥居が見えてきました。

玄関の上に "アートセンター五日市" と書いた看板がかかっている洒落た建物の前で左折しました。

  要所に立っている道標を見ながら進んで行くと "戸倉しろやまテラス" がありました。
元小学校の校舎を利用した公共施設で、集会・宿泊・食事ができるようでした。

  しろやまテラスの先に大きな給水槽がありました。

  水槽の袂から左上に坂を登って行ったあと右手に回り込むと光厳寺の山門前の広場に出ました。

  光厳寺は大木のシロヤマザクラで有名です。
見に行ってみたら太枝を何本も切り落とされた痛々しい姿になっていました。

  年老いて衰えた樹勢を補うためにこのような姿になってしまったのでしょうが、どのように花が咲くのか花期を見計らってまた訪ねてみたいと思いました。


  こじんまり奇麗で落ち着いた境内を見たあと山門の左手に立っている道標の脇から城山頂上に向かいました。

  まず山の東面から南面に向かって山腹を横断して行きました。

  シッカリ踏み固められて歩きやすい道を進んでゆくと尾根の背が見えてきました。

  最後は硬い岩の溝を登って尾根の背に上がりましたが、降り積もった落ち葉で滑りやすく、要注意でした。

  登り上げた所は盆堀川谷から登ってきた尾根の小鞍部で、立木に左の写真のような手作りの標識が掛けてありました。

  戸倉城山の搦手道と思われるこの尾根道は、はじめ至って穏やかでしたが途中からかなりの急登に変わったあと寺の背後から登ってきた尾根の背に乗りました。

  尾根合流点のコブの上で左折し、少し平らに進むとその先から岩っぽい登りが始まりました。

  進むに連れて傾斜が強まりましたが岩を削ったり、岩塊を並べたりした階段が断続するようになり、問題なく登高を続けることができました。
ただ、石段の上に落ち葉が積もっていて足の置き場には注意が必要でした。

  尾根の左側に回り込むと足の下に盆堀川谷を見下ろす高度感のある所に出ました。
鉄パイプを組み合わせた手摺が立ててなかったら通過するのにかなりビビったでしょう。

右手の露岩を登り上げると平らな細岩尾根の背に乗り、左下に盆堀川谷、右下に秋川谷が一望できました。

  同時に両側の谷を見下ろせる細尾根は、僅か330m ほどの低山には珍しく、短時間ながら爽快感が得られました。

  平らな岩尾根を僅か進むと頂上広場の一角に着きました。
手前に地面から高く突き出した三角点標石、真ん中に野外ベンチがあり、奥の方に地図看板が立っています。

  北から東に掛けて視界が開け、近くの五日市から東京方面の広大な展望が得られました。

  ページ冒頭のパノラマ写真は左の山名標柱の先の崖縁で撮ったものです。
右端は登ってきた搦手道の上部。
左端は出城・大手道方面への道の入口です。

写真の説明    (クリックすると拡大)
  空気の澄んだ冬晴れでしたが、午後になって靄がかかり、都心の方は定かに見えなくなっていました。
目を凝らすと西新宿のビル群も見えているような気配もありました。

  秋川丘陵歩きのついでに立ち寄ったおまけ山行くらいのつもりで登った山でしたが、搦手道上部の急峻な岩尾根登りでしごかれたあと、頂上の広大な展望に巡り会え、大いに満足して頂上の休憩をしました。

  広場の奥手に立っている看板には、ここにあった戸倉城は、甲斐の武田と対峙していた北条側の前線基地となる山城チエン: 滝山城-網代城-戸倉城-檜原城のひとつだったと記してあります。

  頂上広場の西側から始まる下山路に入ると一段下の小平地に公衆便所がありました。
急峻な搦手道からはとても予想できない立派な作りのトイレでした。

  トイレの後ろの鞍部に道標が立っていて直進すれば出城跡を越えて荷田子、臼杵山に行け、右折すれば大手道を下ると記した腕木が取り付けてありました。

  右折して下降した大手道はシッカリ踏み固められた歩きやすいルートでした。
支尾根から城の水の手があった谷に入り、沢溝に沿って下りました。

  やや急な丸太階段を降ると間もなく麓の集落の奥手にある神明社の鳥居の横に降り着きました。

  鳥居の先に進み、人家の横を通り過ぎようとする所に「西戸倉バス停へ50m」 と記した道標が立っていました。

  檜原街道に出た所で右手を見るとすぐ近くに西戸倉バス停のポストが立っていましたが、次のバスまで少し時間があったのでクールダウンを兼ねて戸倉バス停まで歩くことにしました。

  東に向かって400m ほど歩くとガソリンスタンドがあり、その手前で旧道と新道が分岐しています。
新道を横断してガソリンスタンド縁を通り、旧道を 100m ほど進んだ所に戸倉バス停ポストが立っていて待合小屋がありました。

  クールダウンウオークをしたお陰で待ち時間が短くなり、少し待っただけでバスがきました。
道路の向かい側を見るといま降りてきた城山がとても格好よく見えました。

  午前と午後のダブルヘッダーのせいで少々疲れましたが帰りの電車の中で足の筋肉の痙攣に苦しむほどにはならずに済み、程よく早い時間に家に帰ることができました。

<ルートの詳細>




  ヤマレコの山行報告





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☆おわりに

    昼前に歩いた網代弁天山から高尾神社への尾根と、午後に光厳寺から登った戸倉城山と、手近な所にルート情報を見つけるのが難しいごくマイナーな少低山でしたが、丁寧に整備されたルートが変化に富んでいて楽しく歩けました。
とりわけ、光厳寺から戸倉城山への搦手道は、上部が急な岩尾根になっていて、小さな低山に似合わない高度感と爽快感が得られました。
好天に恵まれ、随所で好展望が得られる山と巡り会え、楽しい山歩きができました。