多摩丘陵里山探訪 (MMLミニオフミ 2015.1.10)


☆期日/天気/山行形式: 2015年1月10日 快晴、日帰り、3人パーティ
☆地形図(2万5千分1): 武蔵府中(東京11号-1)
☆まえがき
    昨年の11月末、小山田緑地・大泉寺を訪ねたあと、多摩よこやまの道西ルートから長池公園を経て京王堀之内駅へ抜けましたが途中で日が暮れ、長池公園から京王堀之内駅までは暗闇ウオーキングになってしまいました。
  長年参加している山登りメーリングリストに顛末を報告したところ、その付近に住んでいる「多摩のハイカー」さんから、このあたりには、ボランティアグループが景観を保全している谷戸があり、色々な史跡や社寺もあるからもう一度出なおしてみないか、というコメントを貰いました。

  このML、以前は定期的にオフミをしていたのですが、メンバーの年齢が上がり、病気になる者もあったりして2、3年前から途絶えていました。
今回は新年早々のミニ版オフミを兼ねることとして公開。 多摩のハイカーさんに案内していただくこととなりました。

  もともと、この ML はバリバリの山屋さん達の ML でした.
そのせいか、多摩丘陵の里山歩き、と言うごく地味系の計画に興味が湧く人が少なかったみたいで参加者は川越のしゃいちゃんさんと私と全部で3人だけでした。
普段のメール交換で話が合うメンバー同士が久しぶりに再会したので、あれこれ積もる話をしながら歩き、移動距離 18Km ほど、正味行動時間6時間あまりのロングルートを楽しく踏破しました。

多摩よこ山の道展望所の眺め    (画像をクリックすると拡大してスクロール)
☆行動時間
    宮崎台[8:03+10]=(田園都市線)=[8:06]溝の口[8:27]=(南武線)=[8:35]登戸[8:40]=(小田急線)=[8:47]新百合ヶ丘[8:52]=(小田急多摩線)=[8:58]黒川(9:08)-コンビニ(9:13/15)-汁守神社(9:18/21)-柿生発電所(9:28/30)-川崎水道配水池(9:50/52)-諏訪が岳(9:55/57)-展望所(10:07/21)-国士舘大(10:32)-東光寺(10:43/46)-別所(10:54)-布田道切通(11:10/12)-小野路宿(11:20/32)-萩生田牧場(11:44)-野外テーブル(11:47/12:30)-小町井戸(12:40)-小野路城址(12:44/46)-奈良ばい谷戸展望点(12:56)-まちだ結の里事務所(13:07)-小山田の谷の池(13:13/19)-小山田緑地みはらし広場(13:31/52)-大泉寺バス停(13:59/14:02)-大泉寺(14:07/12)-小山田城址(14:19/29)-梅木窪入口(14:38)-小山田緑地アサザ池(14:51/15:11)-湧水池(15:21/22)-尾根幹コンビニ(15:33)-奈良原公園(15:43/50)-中央公園(16:03/07)-パルテノン多摩/サンリオピューロランド(16:07/17)-(16:21)京王多摩センター駅[17:48]=(京王相模原線)=[17:56]京王稲田堤/稲田堤[18:08]=(南武線)=[18:21]溝の口[18:34]=(田園都市線)=[18:38]宮崎台

☆ルートの概況
   小田急黒川駅9時集合という事になっていたので少し余裕のある時間に到着できるよう早めに家を出たのですが早朝東急線で人身事故が発生したとかでダイヤが乱れ、最寄り駅からの出発がかなり遅れました。
この分では遅刻か、と一旦は覚悟したのですが登戸駅での乗り継ぎで飛び乗りに成功してどうにかリカバー。
ギリギリ定刻に間に合うことができました。

  久しぶりに会った多摩のハイカーさん、川越のしゃいちゃんさんはともに、近頃病気をしたということでしたが、すっかり回復していて、とても元気そうに見えました。
新年の挨拶を交したあと、誰かほかに来る可能性があることを考慮して、もうひとつあとの電車が通過するのを見届けたあと、歩き出しました。

  黒川は川崎市の最も奥まったところです。
もとは田んぼの中に蕎麦屋が一軒あっただけの「ど田舎」でしたが、徐々に発展しているようで駅の近くにコンビニがオープンしていました。
  店に立ち寄ってお昼の材料などを調達したあと、 汁守神社、柿生発電所を経て黒川の谷戸に分け入ってゆく道へ進むと、谷戸の入り口の田の中に門松を積み上げたドンド焼きが立っていました。
子供時代を過ごした北関東の田舎町では、年長の子供がリーダになって門松や正月飾りを集め、町外れの河原に竹の骨組みの三角小屋を建て、その中でひと晩かふた晩泊まったあとの明け方前に燃やし、どんど焼きをしていました。

  谷戸の奥の南向き斜面は川崎市内なのに広大なリンゴ畑がありました。
リンゴ畑の奥手から右手に登ってゆき、ひと登りすると川崎市最高点に設置されている水道配水池のゲートに突き当たりました。

  柵に沿って右手に回りこんで行くと熊笹の鞍部があり、その東の高みに三角点標石が据えてありました。

  国土地理院の地形図に 144.5m と標高が記入されている所は川崎市内の最高点で、山名は書き込まれていませんが諏訪が岳と呼ばれているそうです。
  初めてこのピークに来たのは10年ほど前です。
そのときはむさ苦しい藪尾根の高みでしたが、今では綺麗に整備され、いかにも山の頂らしい、こざっぱりした小広場になっています。
  折り返して西に向かい、配水池の北側の柵の下を進んで行くと右手前方に丹沢と富士山が見えてきました。
進むにつれて視界が広がり、右手に向かって大菩薩、奥多摩、奥武蔵への山並みが見えるようになってきました。
  僅か進んだ所にある高みの展望広場に出ると、180度を超える広大な視界が開け、丹沢から奥武蔵までの山岳展望と対面しました。 中程遠くの雲間には「南」の塩見岳あたりも見えているみたいでした。

多摩よこ山の道展望所から 遠くの雲間には南の塩見?    (画像をクリックすると拡大してスクロール)
 

  展望所の西側に多摩よこ山の道の地図看板が立っていました。
そこを過ぎるとすぐ、国士舘大学のキャンパスにさし掛かります。
ここには体育系の学部が集まっているようで、道の右側に教室や体育館の建物、左側にはグラウンドが連なっています。

  尾根筋が南に湾曲しているところで二股に別れ、その間が南向きの谷戸になっている所まで進むと高い塔の上に立っている千手観音像が見えてきました。
  東光寺境内に下って行く階段の上部からは、観音像と富士山が重なって見え、ちょっとした偉観でした。

  階段を下って本堂の前に回りこんでみたら左のように観音像が本堂を見守っているように見えました。
奇妙に感じるほど高い塔の上に観音像を据えたのは、背後の山の上から富士山と並んで見えるようにするためと言うよりむしろ、下から見上げた時にこのような形に見えるようにするためだったのだ、と分かりました。

  寺の下から僅か進んだ所にある集落が別所でした。
鎌倉街道の広い道路が南北に通り、ひっきりなしに車が往来しています。
  僅か南に進んだ所にある、コンビニの南側の信号で道路を渡り、向かいの谷戸に分け入ってゆく道に入りました。

  この道は布田道と呼ばれ、谷戸の奥にある切り通しの小峠を越せば小野路宿に着きます。
かつて近藤勇や土方歳三が出稽古で小野路に行くときに通った古道だそうです。

  谷戸の詰めを登ってゆくと竹藪が現れ、やがてかなり広い切通しで峠を越えました。


  峠を越えるとすぐに小野路宿の通りに出ました。
昔のままかと思うほど幅の狭い道路の両側に黒塗りの板塀が連なっていて、かつて繁栄していた宿場町の雰囲気が感じられます。

  頻繁に走ってくる車に気をつけながら進んで行くとまもなく、小島資料館の前に着きました。
近藤勇は、ここにあった道場に出稽古をするとともに道場主から漢学を学んだということです。


  小島資料館のすぐ先の三叉交差点の角に小野路宿里山交流館がありました。
かつてここにあった角屋と言う旅籠の建物を改築した施設で、軽食ができる休憩スペースや公衆トイレなどがあり、お八つの食べ物や地物野菜も売っていました。

  交流館の中でひと休みしたあと、敷地のすぐ後ろの台地の上にある小野神社に立ち寄りました。
この神社は足利学校の始祖とされる小野篁所縁の神社ということで、足利から関東平野を縦断して鎌倉方面に繋がっていた古代の交通路の道筋を示唆しています。

  神社の先から丘陵の上に上がり、荻生田牧場の脇から小尾根の背に乗ると静かな林の中に野外ベンチがありました。
ベンチで昼休みをしたあと僅か進んだ所に小野路城址がありました。
ここにあったのは小山田城の支城だったと言われていますが、都内に残されている城跡としてはもっとも古いもののひとつだそうです。

  本丸跡のすぐ下には小野小町が目を洗って眼病を直した伝説が残っている小町池と言う湧水がありました。
 

  山の中をグルーッと回って行くと奈良ばい(杯)谷戸の上部に出ました。
きれいな谷の先の空を丹沢主脈の山並みが横切っていてその向こうに富士山が顔を出しています。

  この谷戸は町田のボランティアグループが保全管理をしていて、この日も大勢が来て田畑や山林の手入れをしていました。

  美しい谷戸から出たところは竜沢の道路で、僅か下手で向かい側に渡ると小山田緑地の東入口でした。
  小山田緑地は東京都直轄の公園として整備が進められていて、ここ10年の間、訪れる度に拡張され綺麗になっています。
入口のすぐ先にある谷窪には3つ連なりの池があってまわりが丁寧に整備され、とても綺麗になっていました。

  池の奥手の左手から小尾根を登って尾根の背にあがるとその裏側が運動広場になっています。
今は冬の最中で、閑散としていましたが広場の縁をまわって西側の高みに上がるとまわりがパッと開け、手前の丘陵と住宅街が、その先に丹沢の山並み、さらにその奥に八合目あたりから上を見せている富士山が見られました。

小山田緑地公園みはらし広場の展望    (画像をクリックすると拡大してスクロール)
 

  みはらし広場は広い芝生で、所々に野外ベンチがあります。
手近なところあるのにザックを下ろし、展望を楽しみながら休憩しました。


  山の裏側へ下りるとすぐ大泉寺参道入口に降り着きました。

  西に100m あまり進んだ鶴見川の縁に大泉寺バス停があって野津田経由鶴川方面へのバス路線が運行されています。
昭和の半ばに建てられたと思われる待合小屋があって、内壁一面に近在の店の広告が描かれ、懐かしい雰囲気が漂っています。

  大泉寺の参道に戻って寺に向かい、山門、楼門を潜って石段を上がると大きなコンクリート製の本堂の前に出ます。

  案内役の多摩のハイカーさんが住職の許可を得てくれ、小山田城址の山に登れることになりました。
本堂右脇から山道に入ると竹藪の中の石段道になりましたが、長い道程を歩いてきたあとの年寄りにはかなり辛い登りでした。

  尾根の背に乗ると歩道の脇に沢山の羅漢像が並んでいて異様な雰囲気が漂っています。
本丸跡も左のようにグルリ羅漢像に囲まれ、山城の跡というよりむしろ仏の住まいになっていました。

  山を下って参道の出口を左折。
小山田公園の入口の手前から左手の谷戸に入ってゆく道を進むと梅木窪分園があります。
10分足らずに所にあるアサザ池の園地に東屋があったのでこの日最後の休憩をしました。

  アサザ池は左のように観察デッキが設けられていました。
近年クレソンが侵入て蔓延し、その駆除に苦労しているということでした。

  梅木窪の詰めには湧水があります。
近くを通っている水道管から漏れ出しているのではないかと言われるほど流量が豊かで、もとはこれを利用した養魚場が経営されていたそうです。

  湧水池の奥の斜面を登るとゴルフ場と畑の間の道にでました。

  丘陵上の道を歩き、小さな集落の脇を通りすぎると尾根幹道路が通っている尾根筋に沿った道に出ました。

  コンビニの脇から KDDI の建物の裏を通って跨道橋を渡ると多摩ニュータウンの最奥部で、奈良原公園の遊歩道になりました。
  南西から北東の方向に、両側を桜並木で区切られた芝生が一直線に延びていて中程まで進んだ所で振り返ると今歩いてきた方向に富士山が見えました。
  広大な公園をこんな風に設計した都市整備公団のプランナーはきっと山が好きな人だったに違いありません。

  朝の9時から歩き出して午後4時半近くまで。
途中の休憩時間を差し引いた正味6時間あまり、距離で18km 超。長途を歩いてかなり疲れましたが多摩ニュータウンの「公園通り」を歩いたあと、多摩パンテオンやサンリオピューロランドも見物しました。

☆ルートの詳細



  GPS スライドショー
       (地図右上隅のアイコンをクリック)


  Flickr の元画像スライドショー




    ルートマップ
         (GPX はヤマレコから)
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☆おわりに

   久しぶりのオフミでしたが、山登りメーリングリストの古い仲間と3人連れで多摩丘陵の里山ハイクを行い、沢山の史跡と景勝地を訪ねたあと多摩センター駅ビルのそば居酒屋で軽く飲み食いしてめでたく終了しました。
  いつもは単独山行ばかりでパーティでの山行は年に2、3度程度という珍しいものだったのですが、ほかの誰かに従いて歩くのは10年以上もの間、絶えてなかったことでした。
パーティのメンバーとして歩くのことには単独行とは異質の楽しさがあったことに気が付きました。
多摩のハイカーさんによれば、まだ色々な面白いルートの設定ができるそうです。
また機会を得て連れてって貰えるのが楽しみです。