多摩湖周辺 狭山富士、谷津仙元富士、荒幡富士 (2015.2.15)


☆期日/天気/山行形式: 2015年2月15日 単独日帰り富士塚巡り
☆地形図(2万5千分1): 所沢(東京10号-1)
☆まえがき
    所沢の西、狭山湖、多摩湖がある丘陵地帯はこれはという山がないためこれまで足を向ける事がなく、空白地帯になっていました。
この冬のテーマとして富士塚巡りを取り上げ、あちこち調べているうち多摩湖付近の三つの富士塚があることが分かりました。
さらに、それらの間に三角点がふたつあることも分かったので三つの富士塚とふたつの三角点を繋ぐ里山歩きを試みました。
幸い、よく晴れた好天に恵まれ、楽しい丘陵ハイクができました。

多摩湖堰堤中段の歩道から見た下の湖    (画像をクリックすると拡大してスクロール)
☆行動時間
   宮崎台[7:35]=渋谷=(副都心線)=池袋=(西武飯能行急行)=西所沢=(西武狭山線)=[9:19]西武球場前(9:30)-山口観音(9:41/47)-山口観音二等三角点(9:51)-玉湖神社(10:00/10)-狭山富士(10:13/15)-くぬぎ橋(10:41)-三等三角点(10:52/54)-廃屋(11:00/05)-谷津仙元富士(11:09/12)-赤い柵(11:13)-浅間神社(11:14/28)-鹿島休憩所(11:54/56)-ダムサイト下り口(11:59/12:03)-北岸水準点園地(12:14)-そば屋(12:27/52)-(12:59)西武球場前駅[13:03]=(\144)=[13:06]下山口駅-柳瀬川の橋(13:16)-突き当り左折(13:18)-山道(13:21)-荒幡富士(13:30/13:42)-山道(13:59)-給水塔の角(14:07)-トトロの森2号地のベンチ(14:14)-鳩森八幡宮(14:18/20)-久米水天宮(14:25/28)-(14:36)水天宮下バス停[14:40+3]=(西武バス)=[14:55]所沢駅[15:00]=(西武線)=小竹向原=(メトロ副都心線)=自由が丘=(東急大井町線)=溝の口=[16:14]宮崎台

☆ルートの概況
   狭山湖、多摩湖がある狭山丘陵は、所沢駅の西僅か5~6Km にあり、奥武蔵や奥秩父の行き帰りに何度となく通過していて、以前から気にかかってはいたのですがこれと言う山がないため、ついぞ足を向けることがなく、空白地帯になっていました。
この冬、低山歩きのテーマとして取り上げた富士塚巡りの一部として多摩湖周辺にある巨大な富士塚三つとふたつの三角点を訪ねる低山ハイキングを行うことにしました。

  神奈川県から見ると所沢のあたりは東京都心部の向こう側で、かなり遠く感じられるのですが最近、メトロ副都心線経由、西武線・東急線の相互乗り入れがはじまり、便利になりました。
東横線渋谷駅から西武池袋線への直通電車を利用したところ意外に楽に短時間で所沢駅まで行け、乗り換え一回で西武球場前駅に到達できてしまいました。

  西武ドームのまん前にある駅は野球シーズンに通過する大群衆に合わせ、沢山の改札口がある大きな駅でしたが厳冬期の日曜日の朝にはろくに人影も見えず閑散としていました。

  駅前の車道の上に架けられた歩道橋を通って山口千手観音堂の参道を進んでゆくと「吾庵山」と印た額を掲げた山門がありました。
山門の先の石段の上には装飾豊かな本殿があり、この日の安全を祈りました。
左横には左のように小さいが美しく装飾された脇殿がありました。
あとで調べてみたら、ぽっくりさんと七福神だったと言うことが分かりました。

  お堂の左横の坂を登ると境内の裏手を通っている55号線に突き当りました。
道路に面した土手の上の林の中に三角点標石があり、その脇には左のように国土地理院の白杭が立っていました。

  道路脇に降りてわずか西に進んだところで山口湖方面へゆく道が分岐しています。
T字路の筋向かいに渡り、その向こう側を通っている遊歩道に移りました。

  この遊歩道はサイクリングロードも兼ねていて、徒歩のハイカー、ジョギングのランナー、ツーリングの自転車で賑わっています。
僅か進んだところに石鳥居があって玉湖神社の境内に入りました。
以前はかなり大きな神殿があったようですがすでに取り壊され、そのあとに広いコンクリート床が残っているだけですが、その奥の方に大ぶりの祠があります。

  閑静な神社の境内で小休止をしたあと先に進もうと神社の西側へ回ってゆくとすぐ狭山富士の登り口がありました。

  この高みは、多摩湖を掘った土を積み上げて築いた人工の山で、富士講とは関係がないのだそうです。

  笹の間をひと登りで大岩が据えられた頂上に上がると北の方に狭山湖が見えました。
まわりに山林が広がり、まるで自然の山のような雰囲気でした。
  狭山富士の麓の遊歩道に降り、西に向かって進みました。
車道から分離されていますがサイクリングの自転車が多いのでぶつからぬよう注意しながら歩く必要がありました。

  狭山富士から20分足らずでくぬぎ橋に着きました。
「かたくりの湯500m」と記した看板の手前から左に別れている道に入って55号線から分かれました。
車道が並行しているのは相変わらずですが車の交通量はガクンと減り、静かになりました。

  歩道を進んで行き、そろそろ三角点が近くなっている筈と思うようになった所に小園地がありました。
中に東屋が見えたりして気を取られたせいで入口を見落とし、少し先の急なカーブまで進んだところで気がついて引き返しました。

  園地の入口の向かい側から南側の山道に入り、少し藪っぽい所を僅か登ると小さな切り開きがあって左のように国土地理院の白杭と三角点標石がありました。

  まわりは藪に囲まれ展望は得られませんでしたが、チョッピリ藪山の雰囲気が漂う好ましい休憩スポットでした。


  元の道に戻るとすぐ、湖尻をまわりこむ急カーブがあって多摩湖の南岸に移り、東に向かって進むようになりました。

  まもなく車道の向こう側に廃屋が見えるようになってきました。
民家にしては大きな建物なので何かなぁ、とよく見るとどれも廃業したラブホテルです。
塀の中には大量のゴミが投棄され、道路まで溢れだしています。
  今は厳冬期のため道を隔てた遊歩道まで悪臭が漂ってくるようなことはなかったものの、日本にもこんなキタナイところがあったのか!地元の住民、行政は何をやってるのか!と怒鳴りたくなるほどの惨状です。
  目を背けたまま進んで行くうち、谷津仙元富士の入口を見落してしまいました。
  「旅館赤坂」と記した看板が見えたのでタブレットに表示した地図で現在位置を確認したら、危うく通り過ぎそうになっていることが分かりました。

  看板の脇から歩いてきた方に戻る方向に登って着いた天辺の小広場には左のような石碑が据えてありました。
直径5、6m の平地に立つと南の谷の先に視界が得られ、富士山が見えるのはそちらの方角に違いないと思いましたがあいにく雲が懸かっていて前山の影も見えませんでした。

  裏口の方から登ったので表口がどうなっているのか確認しようと西側に降りてみました。
  こちらの方は正規の登山道で道幅も広く、格段歩きやすくなっていました。
すぐに車道脇の小広場に降り立つと道路から入る所にゴミ投棄防止のためと思われる赤塗りの柵が立てられていました。
道路側からは進入禁止のサインに見えますが、柵の後に入った所から山の南側へ回りこんで行く道が延びていました。
分岐のすぐ先に「銀命水」と「金明水」とふたつの水場。 その先には、左のように石の階段と社殿があって、脇に谷津仙元富士講の歴史を記した立て札が立っていました。
つい最近訪ねた江戸川区篠崎浅間神社を本拠としていた食行身禄(じきぎょうみろく)と関係が深い富士塚と言うことが分かりました。

  山口観音裏の三角点からここまでで多摩湖周回路沿いにある三角点・富士塚めぐりはひと通りできたこととなりました。
神社の袂に座り込み、狭山の森を見ながら長目の休憩をしました。

  ダムサイトに向かって進む道の向かい側にもラブホテルの廃墟が連なり、ゴミだらけの状態が続きましたが1km ほど進んで村山中央病院入口を通過すると廃墟は見えなくなり、まわりが綺麗になってきました。
気分を持ち直して歩いて行くと、左のように歩道の左下に多摩湖の水面がチラチラ見えるようになってきました。

  車道に沿って平坦に進んでゆくのと、左側へゆるい坂を登ってのと、道がふた手に別れました。
特段の考えもなく左へ坂を登って行ったら曲がり角に突き当たり、その手前に小さい園地がありました。
武蔵休憩所と呼ばれているそうで、野外ベンチ、水飲み場、サイクリングコースを描いた看板がありました。

  水飲み場で喉を潤し、短い休憩をしたあとで堰堤の方へ進みましたが、ウッカリしていてこのごろ使い出した  Holux Bluetooth GPS のバッテリが切れていたのに歩き出したあとで気が付き、道端に立ち止まって電池を交換したため、時間をロスしました。
  ダムサイトの縁に着くと対岸の森の上に西武ドームの銀色の屋根が頭を出していました。

  多摩湖(村山貯水池)は中間をしきる堰堤があり、2階建になっています。
堰堤の上面は自動車専用道で、歩道は中段の平坦な所を通っています。
階段を下って歩道を歩いてゆくと右手に下の貯水池の水面が広がってきて、ページ冒頭のような景色を見ることができました。
  北岸にわたって朝方登ってきた山口観音の裏参道入口まで戻った所でこの日の前半の行程を終えました。

   門前町の外れにある食堂でお昼を食べてゆっくり休憩。
午後一番の電車で隣の下山口駅に移動して後半の行程を開始。まず荒幡富士を目指しました。

  昔の道筋がそのまま残っているところへ新しい人家が建てこんできた感じの集落の中を進むルートは一筋縄ではなく、頻繁にタブレットを引っ張りだして地形図を表示。 現在位置と進路を確認しなければなりませんでした。

  何とか迷走を免れて集落を通りぬけると畑の縁に出て、行く手に山林が見えてきました。
山に向かって進んでゆくと人家の塀と畑の間に細い道が通っていましたが入口の脇に「この先危険、通行注意」と記した標識が立っています。
畑側には擬似木の頑丈な柵が立てられ、とても安全そうに見えたので首を傾げながら進入してみました。

荒幡富士北面    (画像をクリックすると拡大)

  畑の縁から山にかかって笹の間を登るとすぐに尾根の上に乗り、幅広く綺麗な土道に入りました。
先の方に小さな子供を連れた父親が歩いているのが見えました。

  綺麗な森を見ながら歩いてゆくと右下の低地に狭山丘陵いきものふれあいの里センターの大きな屋根が見え、やがて数台の車が止まっている広場に出ると正面に立っている大きな富士塚と対面しました。

  「登山口」に石鳥居が立っていてそこを潜った所に猿田彦神社の祠があります。

  「登山道」はとてもよく整備され、鎖の手摺りに沿った石段でジグザグに登ってゆきます。
斜面が急なので、7合目あたりまで上がったところで振り返って麓の方を見ると左のように結構な迫力がある「山麓風景」が見えました。

   さらにひと登りして頂上に上がると直径5、6m の丸い広場があってその中心に石祠が据えてあります。

  祠は富士山に正対していると思いましたが霞が濃くなっていて前山の丹沢も殆ど見えませんでした。

  広場の縁に展望看板が立っていて、左の写真のように丹沢の山並みのほぼ中央に富士山が顔を出している図が描かれています。



  霞に隠れた富士山を撮ったパノラマ写真は下のようで、南の麓に広がるゴルフ場とその先の丘陵地しか写っていませんでしたが大気が澄んだ日に来れば素晴らしい展望と出逢えるに違いありません。
 
荒幡富士頂上の展望 あいにく丹沢や富士山は見えなかった    (画像をクリックすると拡大してスクロール)


  山の背後は所沢で、森の先に市街地のビルが見えていました。

  「山」を降り、山麓にある諏訪神社で、この日の順調な山歩きに対する感謝を捧げたあと久米水天宮に向かいました。

  神社の鳥居の下の道に降りた所から右手に下り、ゴルフ場の境にそって進む予定だったのですが左手の尾根上の道を進めば水天宮に行けると記した道標が三つ角に立っていたのでそちらをトライしてみました。
僅か進んだ所で小学校の敷地の柵に突き当たり、左手にまわって校舎の後に出ました。
芝生の斜面の上で見晴らしがよく、「ドレミの丘公園」と刻んだ石標が立っていました。

  小学校の先で右折して坂を下ってゆくとゴルフ場の縁を通ってきた道とT字に出合いました。
地形図に書き込んできた予定ルートでは左折して進み、寺の先の角を右折することになっていたのですが正面からまっすぐ山に上がってゆく人道が見えます。

  さてどっちに行こうか?、とウロウロしていたらゴルフ場の境を通ってきた地元の散歩夫婦がためらうこともなく山道に入ってゆきました。

  これならば問題なかろうと思ったので後を追ってゆくとすぐに山を越え、寺の上手の道路に出ました。

  あらためて地形図上で現在位置をチェックした上で向かい側の丘の上にある給水場に向かう道の入口を確認し、坂道を登ってゆくと給水場の手前の角を右折するよう指示する道標が立っていました。

  そちらへ進んでゆくと道の左側に「鳩峯公園」と記したプレートがあり、さらにその先には左のようなトトロの森2号地と記した看板が立っていて野外ベンチも設けられていました。


  道が森の中に入るとすぐ鳩峯八幡宮の社殿がありました。
神殿の前から長い参道を下って村道に出たのですが水天宮がありません。
またタブレットを引っ張りだして地図と現在位置とを照合してみたらすぐ目の前の道を入ってゆけ水天宮と言うことが分かりました。

  結局、八幡宮の参道と平行に歩いてきた方向戻り、神社のすぐ下まで行った所で水天宮の神殿と対面しました。
安徳天皇を祀る安産・繁栄の神で、毎年1月5日に大祭が行われ、多くの参詣客でにぎわうそうです。
この日も小さい子供を連れた家族が参拝していました。

  午後の後半部は里道のルートファインディングが難しかったのと疲れが出てきたせいで注意散漫にもなっていたので少々迷い歩くようなパターンとなりましたが曲りなりに無事に終了することができました。
    坂の下の水天宮下バス停に行く途中、大きな寺が見えたので覗きに行ってみたら、真言宗豊山派佛眼寺と刻んだ標柱が立っていました。
創建年代等は不詳ながら、延暦21年(802)の建立とも伝えられる古刹だそうで、神仏混交時代には水天宮とも繋がっていたようです。

  寺見のお蔭でバス停に着くとすぐに所沢行きバスがきて長く待たずにすみました。
さらに具合が良かったのはメトロ経由横浜中華街行き直通電車に乗れたことでした。
自由が丘まで乗り換えなし50分!
思いがけないほど楽に早く家に帰り着くこととなりました。

☆ルートの詳細




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   元画像スライドショー


  ヤマレコの山行記録



  Google Earth(kml)


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☆おわりに

   好天に恵まれ、初めての狭山丘陵を楽しく歩きました。
自宅近くで日頃馴染んでいる多摩丘陵に比べて山林が広く残っているおかげでひと味ちがう里山でした。
富士信仰とは全く関係がなく観光スポットして築造された狭山富士、富士講のコア・グループともいうべき食行身禄(じきぎょうみろく)の系譜を伝え、今なお祭礼を行っている谷津仙元富士、明治時代の神社統合をきっかけに、地元住民の結束の象徴として築かれた荒幡富士、それぞれに異なる素性の富士塚でしたが東京の市街地にある富士塚とは比べ物にならないほど大型で、立派なものばかりでした。

  なお、この山行では、昨年末から使い始めた Holux Bluetooth GPS に加えて、1月末に更新した NEXUS7(2013) も持参し、内蔵 GPS と背面カメラの性能のチェックも行いました。
カメラの方は発色が不自然な上にノイズが多いので、コンデジの代用として使用するには力不足だなぁ、という結論になりましたが GPS の方は安定性、精度ともに優秀な事が分かりました。
バックアップ機器として Holux あるいは  Canmore のような小型 GPS ロガーを併用すれば、よほど厳しい山行でない限り、専用ハンディー GPS を持ち出す必要はなくなったような気がします。