江戸川区 富士塚巡り[1] (2015.2.6)


☆期日/天気/山行形式: 2015年2月6日 日帰り街歩き
☆地形図(2万5千分1): 船橋(東京2号-2)、東京首部(東京2号-4)
☆まえがき
    かつて、だれでもが手軽に富士山に登れない時代に、江戸の町中や周辺に沢山の富士塚が築かれました。手近な川崎・横浜西部に散在しているのをはじめとして、これまでに幾つかの富士塚を訪ねていますが、厳冬期の高山に登れなくなった年寄り山屋が運動不足を解消するためのテーマとして面白いかも、と思いついて、あらためて調べてみたところビックリ!
東京都区内と、近郊と、あわせて200座程もの富士塚があり、チョッとやソットでは回りきれない事が分かりました。

東京23区では江戸川区がトップで18基を擁していますがこのあたりは、長年首都圏に住んでいるのに馴染みがない地域です。
とりあえず、江戸川沿いの3座と旧中川沿いの3座。 あわせて6座の富士塚を巡りながら見知らぬ街を訪ねてみようと思いました。

  今回訪ねた富士塚はどれも丁寧に保存され、かつて盛んだった富士講の篤信の跡を留めているのが印象的でしした。
とりわけ、上篠崎浅間神社の富士塚は、富士講信仰中興の祖 食行 身禄(じきぎょう みろく) の本拠に築かれたもので、それに相応しい立派なものでした。

  また、東小岩の江戸川の堤防の下にある善養寺に立ち寄ったことで思いがけない収穫が得られました。
この寺の境内には、2011年9月21日に国の天然記念物の指定を受けた影向の松があります。
樹齢600年以上、繁茂面積日本一といわれる 「広大な松」 の姿に驚きました。

☆行動時間
   都営新宿線瑞江駅(11:53)-篠崎富士(12:05/10)-(12:32)篠崎駅[13:10]=(京成バス小岩行)=[13:16]浅間神社バス停-篠崎淺間神社 富士塚(13:22/30)-善養寺 影向の松(14:02/11)-小岩神社 小岩富士(14:33/41)-(14:53)小岩駅[15:16]=(JR中央・総武線)=[15:21]平井駅-安養寺 富士塚(15:34/38)-灯明寺(15:45/50)-平井諏訪神社 平井富士(15:52/56)-蔵前橋通り(16:11)-逆井富士/白鬚神社(16:22/27)-(16:34/35)中川新橋[16:36]=(都営バス錦糸町行)=[16:43]水神森/亀戸駅
☆ルートの概況



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  ヤマレコのレポート





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☆おわりに

   二番目に訪れた上篠崎 浅間神社の富士塚は天保11年(1840)に建立されたもので、富士講中興の祖富士塚は食行身禄(じきぎょう みろく 伊藤伊兵衛)所縁の富士塚です。
伊藤伊兵衛は伊勢出身の商人として成功したがのちに熱心な富士講弥勒派の行者となり、六三歳(丑の六月十七日)のとき、富士山吉田口七合五勺の烏帽子岩で入定したということです。
神社としてとても規模が大きかったようで、今は大きな幼稚園がふたつも納まっていますが、それでもなお、長く広い石畳の参道と、その両側にゆったりしたスペースが残っています。

  影向の松がある善養寺は星住山地蔵院(せいじゅうざんじぞういん)と号し室町時代後期の記録が残っている古刹です。
天明3年(1783年)に起こった浅間山の大噴火では、犠牲になった人馬のおびただしい数の遺体が利根川から江戸川へと流れ下って善養寺近くの中州などに漂着し、舟の通行にも支障をきたすほどであったのをこの寺の無縁墓地に葬った。十三回忌にあたる寛政7年(1795年)に境内に横死者の供養碑を建立し、永く菩提を弔ったとのことです。
この供養碑は昭和48年(1973年)に、東京都指定有形文化財となりました。