西上州縦断落穂拾い(庚申山、雨降山、父不見山 2015.4.27-29)


☆期日/山行形式: 2015年4月27日-29日 市中ホテル、旅館利用2泊3日 単独山巡り
☆まえがき
    半世紀を越える長きにわたって山歩きをしてきましたがそろそろ店仕舞いかという時期になってみると、少年時代を過ごした町のまわりの山が気に懸かります。
群馬県西南部の鏑川と神流川の水源になっている山域で、一般的には西上州と呼ばれている山域の東側の半分ほどにあたるのですが、いくらは知られた山は御荷鉾山くらいで、そのほかはごく地味な藪山・里山ばかりです。
その中で、雨降山と父不見山とは、曲がりなりにも名前が付いている山なのにいまだに登りそこねたままになっていました。
  わざわざそれだけを目指して登りに行こう、という気持ちになれない程度の地味系の山である上にアプローチが不便なことが登り損ねたままになっていた原因でした。

  今回、あらためて地形図を見ているうち、両方の間を流れている神流川の谷奥の町 万場の泊まりを 「継ぎ手」 にしてふたつの山越えを繋げれば、群馬の鬼石から秩父の小鹿野へ抜ける西上州縦断ルートが設定できることに気がつきました。

  この春は桜が咲いたあと、4月半ば過ぎまで曇りがちで雨の多い空模様が続いたのですが、そのあとは手のひらを返したような好天続きとなり、初夏を思わせるような晴れ日が続くようになりました。

  近頃稀な好天周期を活用し、大型連休で人が出てくる前に、この落穂拾い行うことにしました。
また初日には、足慣らしを兼ねた里山歩きとして、群馬百名山中で標高が最も低い庚申山に登ってみました。

庚申山 桜の丘付近から西条州、奥武蔵の展望    (画像をクリックすると拡大)




  全体ルートマップ

☆4月27日(晴): 庚申山
<2万5千分1地形図>
    藤岡(宇都宮15号-4)
<行動時間>
    宮崎台[10:36]=渋谷[11:14]=(湘南新宿ライン快速)=[13:04]高崎[13:34]=(八高線)=[13:48]群馬藤岡駅(13:55)-庚申山入口(14:32)-関孝和墓所(14:36/40)-みかぼ未来館(14:42)-ふじふれあい館(14:50/59)-ひょうたん池分岐(15:13)-石祠(15:19)-庚申山山頂(15:22/42)-車道交差点(15:47)-西上州展望所(15:58/16:00)-体育館分岐(16:02)-藤棚東屋(16:08)-体育館前(16:20)-中央広場(16:22)-ふじの咲く丘(16:27)-ふじふれあい館(16:30)-(16:40)みかぼみらい館第3駐車場バス停[16:49]=(めぐるん市内循環線)=[17:05]群馬藤岡[17:26]=(八高線)=[17:41]高崎/駅前ホテル

<ルートの概況>
    前回登った横隈山の帰りに乗ったバスが藤岡郊外に差し掛かったときに少し目立つ丘陵の裾を通りました。
家に帰ったあとで調べてみたらこの丘陵の上には公園が整備され、最奥部には群馬百名山の最低峰となる庚申山(184m)があることが分かりました。
雨降山に登る日の前に高崎に泊まる必要があったので、その前の日にこの里山で足慣らしを行うことにしました。

  半日で登れる小さな里山ゆえ午後から登っても夕方までには降りて来られます。 朝ゆっくり家を出て、渋谷から高崎へ向かいました。
  高崎駅に着くとホームのコインロッカーにザックをデポし、ブリックパックのジュースとデジカメだけを持って八高線ホームに行き、藤岡駅へ向かいました。
庚申山は駅から3Km 程のところにあるので町を見ながら歩いて行きました。
  藤岡は子供の頃住んでいた郡部の中心の町だったのですが、交通の便が格段良い高崎にばかり行っていたため、馴染みの薄い町です。
町の家並は繁盛している感じはないものの、荒廃は感じられず、街路のハナミズキ並木が綺麗でした。
  タブレットの地図と GPS 座標を照合しながら適当に道を選んで行くと家並みの先に山が見えてきました。
このあたりか、と見当をつけた所で角を曲がり、坂を登ってゆくと左脇に墓地がありました。
塀に「算聖 関孝和の墓地」と記した看板が架けられていたので、小さな門扉を明けて中に入ると立派な墓石が立っていて、その脇にはニュートン、ライプニッツに比せられる偉大な数学者の顕彰碑がありました。

  ゼロ戦の設計者として名高い堀越二郎も藤岡の出身です。
この街には理系人間の遺伝子が伝わっているのかもしれません。

  墓地から元の道に戻ってバイパス道のトンネルの上を渡るとすぐ、みかぼみらい館の駐車場の端に出ました。
いくらか車が来て人が出ているので何かなぁ?と思いながら進んで行ったら「藤岡 藤まつり」と記した掲示が出ていて、露店が並んでいました。

  階段の上の広場に面して藤のふれあい館があったので玄関先の受付で園内の地図をもらい庚申山への道を訊ねたところ、道筋のあらましが分かる地図をコピーしてくれ、入口を教えてくれました。

  自然林の中の幅広い遊歩道を歩いてゆくと新緑の森の中から色々な鳥の声が聞こえてきました。
樹木に視界を閉ざされ、庚申山がどちらにあるのかは分かりませんでしたが、所々に 「駅からハイキング」 の幟が立ち、コースマークも見えるのでそれらに従った進みました。

  ひょうたん池への分岐を見送るとまもなく石祠の前を通りました。
 

  庚申山頂上は木立に囲まれた大きな広場で、手前側に三階建の展望台が立っていました。
展望台に登ってみましたがまわりの木が高くて限られた視界しか得られませんでした。

  今歩いてきた尾根の先に僅かに藤岡の市街が覗いていましたがその先は霞の中に溶け込んでいました。
空気が澄んだ日に来れば平野の向こうに赤城や日光方面の山が見えるに違いありません。

庚申山頂上展望台の眺め    (画像をクリックすると拡大)

  広場の展望台の向かい側に藤棚があり、その角に近い所に高さ3m 近くもある大きな庚申塔が立っていました。

  広場の向かい側のコーナーには縦横5m ほどの石垣で囲まれた四角い地面がありました。
かつては小さな社殿があったようです。


(クリックすると拡大)

  この石垣の脇から坂を下ると舗装車道と交差。
向かいの坂を登ってゆくと右手が開けてきて西上州から奥武蔵の山並みが見えてきました。

  最近登った横隈山、高山御嶽から子王山、その先には今度登る雨降山の形が綺麗です。

  高台の縁の遊歩道を進んでゆくと人家がありました。
家の脇を通り抜ければすぐ公園に戻れそうに見えたのですが大きな犬が見張っていて進入できず、もとの道に戻りました。

  民家の先で再び園地の中に戻りました。
入口の広場ではツツジの垣根が満開でした。

  大きな東屋や長大な藤棚を見ながら森のなかの遊歩道を進み、左手へ下ってゆくと体育館の脇で谷間に降り着きました。


    道路を渡った所に公園管理棟があり、その先の坂を登ってゆくと開けた芝生の丘に上がりました。

  足許にはさくら草の花壇があり、その先に先刻通った体育館が見えます。

  芝生の丘のすぐ先がふじのふれあい館でした。
夕方が近づいて露店はみな店を仕舞ったあとで閑散となっていました。

  西に向かって坂を下って行くとトンネル西側のバイパス道の交差点に出ました。

  交差点を横断して100m 程進んだ所にあるみかぼみらい館第3駐車場の入口に市内循環バスのポストが立っていました。

  市内循環バスは右回りと、左回りと、それぞれ毎時1本運行されています。
あちこちに寄り道しながら進んでゆくので時間はかかりますが、町中にある色々な物が見られので、コスト・パフォーマンス比の高い観光ツアーになります。

  藤岡駅に戻ったあと、予定していた電車で高崎に戻り、翌日の雨降山越えに備えて早く休みました。

<ルートの詳細>



  ヤマレコの山行報告


 
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☆あとがき

    庚申山は地元市民に親しまれている里山公園の奥にあるささやかな高みでしたが、頂上を越えて戻ってくる途中では、西上州から奥武蔵の山並みを一望できる素晴らしい展望スポットがあり、楽しい足慣らしができました。

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☆4月28日(晴): 雨降山
<2万5千分1地形図>
    万場(長野4号-1)、鬼石(宇都宮16号-3)
<まえがき>
      西上州縦断山行の二日目には、北麓の三波川谷から雨降山に登り、南麓の神流川谷へ下降する山越えを行いました。

大昔、御荷鉾・石神峠の方から藪尾根伝いをしてきて、あとひと登りすれば雨降山の頂上というブナン沢峠に到達したのですが、天気が悪かったか何かで嫌気が差して中断。 神流川谷に降りてしまったのが  この山に登りそこねたままになった原因でした。

  今回実際に歩いてみて感じたのは、雨降山はサンショは小粒でもピリリと辛い、とも喩えられる面白い山、ということでした。

  三波川上流部の御荷鉾不動から石神峠への登高、東峰からスーパー林道登山口を経て元坂原へ下る下降、ともに年寄りにとっては十分すぎる位の手応えがありました。
無南沢峠から直登する尾根は藪もなく楽しく登れる好ましいバリエーションでした。
主峰から東峰への尾根筋は意外に険阻で手応えがありました。
東峰は天辺を電波塔に占領されているものの、北の方へ広大な視界が得られました。
さらに現在でも、ここは信仰登山の山として現役で定期的な登拝が行われていことを知りました。


<行動時間>
    高崎[7:54]=(八高線)=[8:08]群馬藤岡駅[8:25]=(日本中央バス奥多野線)=[8:50]鬼石郵便局[9:30-5]=(藤岡デマンドバスさんばがわ号)=[9:43]上妹ヶ谷登山口(9:52)-妹ヶ谷不動(9:59/10:01)-スーパー林道1.2Km道標(10:15)-水場(10:20/25)-スーパー林道0.7Km道標(10:43)-三叉渡渉点(10:55)-スーパー林道(11:17)-石神峠(11:20)-無南沢林道分岐(11:54)-無南沢峠(12:04/25)-肩のピーク(12:55)-御荷鉾展望台分岐(13:04)-雨降山(13:08/23)-東峰(13:40/51)-蛙のオンブ岩(14:02/05)-鳥居(14:33)-スーパー林道登山口(14:43)-給水タンク(15:17)-(15:32)元坂原バス停[16:14]=(日本中央バス奥多野線)=[16:35]万場{今井屋旅館} 

雨降山東峰頂上の展望    (画像をクリックすると拡大してスクロール)

<ルートの概況>
  今回の山行を計画するにあたって一番困ったのは、雨降山へのアプローチでした。
雨降山北面の三波川谷には路線バスが運行されていないのです。
新町・藤岡駅から毎日8便運行されている万場、上野村方面行きバスを利用して神流川谷から往復するなら何も問題ないのですが、これでは「西上州縦断」の趣旨に反し、はなはだ面白くありません。

  雨降山北面の登山口となる御荷鉾不動(入口)までの10Km ほどを、鬼石町のタクシーを使ってアプローチする計画を組み立てていたところ、たまたま、藤岡市役所のウエブページを見たら予約があった時のみ運行される 「さんばがわ号」 というデマンドバスがあって、鬼石から上妹ヶ谷(不動入口)まで利用できるのを見つけました。
  ダメ元で運行委託先の鬼石タクシーに電話してみたらOKという返事。
この区間の交通費がひと桁安上がりで済むこととなりました。
朝の便は鬼石営業所発 7:30 と 9:30 と、ふたつでしたが、下山後に万場に泊まるなら遅い方の便でも十分です。
久し振りに中型ザックを背負っての山越えながらかなり余裕を持って行動できる見込みがたちました。
  高崎のホテルでシッカリ腹ごしらえをしたあと、通学の高校生で賑やかな電車に乗って藤岡へ移動し、駅前から奥多野行きの路線バスに乗り継いで鬼石に行きました。
  鬼石は西上州山域から流れ出している神流川が平野に出ようとする喉のような所にある町で、三波石と冬桜が有名です。

  デマンドバスは、鬼石郵便局前バス停の20m ほど先の筋向かいにあるタクシー会社の車庫から発車します。
  他に客はなく、貸し切りとなったマイクロバスのドライバーは、このあたりの荒っぽい口調の方言で、まるで怒っているみたいですが話の中身は至って穏やかでした。
  この辺りの山村は若い人たちが出て行ったきりで戻ってこないため、年とともに高齢化が進み、このデマンドバスがなければ生活に必要な物資の調達にも事欠く家庭が増えていると言うことでした。
  この町を有名にしている冬桜は、苗木の持ち出しを禁止していたので、鬼石の桜山に来ないかぎり見れない時期が続いていたのが、新種の創出と増殖の技術が進歩したため、今では各地に拡散し、あちこちで見れるようになってしまったのだそうです。
  20分ほどで着いた上妹が谷は、まともな車道はここで終わりという谷奥でした。
不動堂への入口は芽吹きの新緑と山桜で美しく飾られていました。

  短い橋を渡り、対岸をひと登りした所にある不動堂は厳粛な雰囲気の漂う堂々としたお堂で、御荷鉾から雨降山へ連なる山並みが重要な山岳崇拝の対象であったことを示しています。

  不動堂の脇から石神峠へ上がる谷道は関東ふれあいの道で道標なども完備していましたが、谷の高い所まで築かれた何段もの砂防堰堤の建設工事の際に造成された作業道によって地形が壊されていました。
それでも、所々に小滝が連なり、清冽な水が流れ落ちているのが見え、信仰登山が盛んな時代には人々が好んで通ったに違いないと想像できました。

  久し振りの中型ザックを背負っての登高で少々疲れましたが無事にスーパー林道に上がりました。

  地形図に書き込まれている破線路は石神峠でスーパー林道に出合うように描かれていますが実際は、もうひとつ西寄りの鞍部でした。

林道に上がって谷道から出てきた所を振り返ると左のようになっています。

  スーパー林道はまれに車が走ってくるくらいで至って閑散でした。
芽吹きの新緑と、満開の山桜と、ここだけ歩いて帰っても良いというくらいきれいな春山風景になっていました。

  時々、林の隙間から見える神流川谷の向い側の山並みを眺めながらのんびり歩いて大鳥屋山の中腹を巻いてゆくと三つ角があり、そこから分岐する舗装の入り口に「林道 ブナン沢」 の標識板が立っていました。

  T字路を左折し、Uターンを2度繰り返して高度を上げたあと北に向かってわずか進んだ所が無南沢峠でした。
雨降山側は3~4m ほどの崖になっています。

  ここまで順調に来られたら頂上まではひと登りなのでゆっくり休憩し、腹ごしらえをしました。


  立木を手がかりに切通しの斜面を登り尾根の背に上がったら紅白2色に塗り分けた境界確認杭が打ち込まれていて、かすかな踏み跡も見えました。

  兎にも角にも尾根の背を直登してゆけば頂上に到達できる訳ですから、適当に通りやすいところを選んでひたすら高みを目指しました。
藪はほとんどなく、断続的に古い道形が残っているのでルートファインディングは至って楽でした。

  登路の半分くらいの所で右下の林の中に林道が見えました。

  六、七分ほどは登ったかな、と思うあたりでかなり短い急斜面を強引に登り上げるると西肩のピークで、行く手の林の先に雨降山頂上と思われる山影が見えました。

  ようやく急登から開放され、穏やかに登ってゆくと尾根の背に道標が立っていて、右下に下って行けば、みかぼ展望台、と指示する腕木が付いています。


  道標から先は明瞭な登山道となり、ひと登りで頂上に上がりました。
木立に囲まれた小広場で展望は得られませんでしたが、穏やかな雰囲気が漂い、とてもよい休み場でした。

  誰もいない芽吹きの山の天辺での休憩を楽しんだあと東峰に向かいました。

  東峰は本峰より70m 近く低く、かなり急に下って高度を下げました。
途中には下りにくい露岩の痩せ尾根があったりして小さな低山の頂稜としては歩き応えがありました。

  最低鞍部から僅かに登り返すと東峰頂上に立っているアンテナが見えてきました。

  細長い頂上の最高点は NHK や群馬テレビの中継アンテナに占領されていましたが北側のフェンスに沿って通り抜ける回廊が手摺付きの展望台になっていました。
北の方への視界が開け、このセクション冒頭に示すように、隣の東御荷鉾山から関東平野北部への展望が得られました。

  霞が濃くなければ平野の向こうに並んでいる榛名山と赤城山が見えました。
その先には上越国境から奥日光方面の山々が連なっている筈ですが天気が良すぎるのが災いしてすべてが霞に溶け込んでいました。

  天辺から一段下った東側の肩に小さな小屋、4基の石碑と祠がありました。
石碑には紙の幣が掛けられていて定期的な登拝が行われていることが分かりました。
小屋は1人か2人しか泊まれない小さなものでしたが、棚の上には神事で使う神具が置いてありました。

  祠に賽銭を上げてこの山旅の無事を祈ったあと下山を開始しました。
道はシッカリ踏み固められ、至極安全に歩けました。

  日本武尊の祭祀を見たところからひと下りで 906m 峰との鞍部に降り着くと、三基の石碑が並んでいました。

石碑群の先で左折して山腹に入ってゆくと左のような蛙のオンブ岩が見えました。

  所々に立っている道標に記されている距離を読みながら下降してゆくと下の方に鳥居が見えてきました。

  鳥居を出た所は簡易舗装の林道でした。
地形図にはこの林道は山側の擁壁が続いているかのように記されています。
山道との出合いがどうなっているのか、疑問に思っていましたが、実際はゆるやかな斜面を横切ってゆく簡易舗装の車道があって擁壁はなく、どこでも出入りできる状態でした。

  鳥居の外で左折したあと歩きやすい林道をブラブラ進んでゆくと下の方にスーパー林道が見えてきました。
  林道の出合は左のような状態で、分岐の入口に雨降山のルート図看板などが立っています。

  ここが雨降山登山口とされているのは、大抵の人はマイカーで来てここから登るためと思いました。

  なぜか分かりませんが道標に記されている最寄りバス停はすぐ下の尾根を下っていった所にある元坂原ではなく、かなり東に寄った所にある夜沢(3.8Km?)でした。

  登山口の下でスーパー林道を横切って坂原林道を下れば最寄りバス停の元坂原があります。
坂原林道は神流湖にせり出した尾根の斜面を大きくZ字を画いて降りてゆく舗装路です。
  傾斜が一定のため歩きやすい反面足の使い方が一定になるため特定の筋肉が疲れます。
久し振りの宿泊山行で中形ザックを背負ってひと山越えてきた老体は下肢部の筋肉が盛んに「小言」を言い出すようになってきました。
チョットたきっかけでたちまち痙攣しそうになったので効き目が穏やかな漢方の痙攣止め(#68)を服んだ上でゆっくりゆっくり進みました。
  林道の3分の2ほどを歩いたあたりにある簡易水道の水槽の脇を通り過ぎたあたりから湖岸道路を行き来する車の音が聞こえてくるようになりました。
  やがて神流湖の水面が見えてきて、まもなく元坂原バス停の広場に降り着きました。
降ってきた尾根の下を貫通しているトンネルの出口の近くで、公衆トイレと食堂があります。

  バスが来るまで40分ほど待ち時間がありましたが体が冷えると脚が痙攣するだろうと思ったので、消炎剤と鎮静剤と、定番の痙攣止めを服んだ上であたり歩きまわってクールダウンしたり、ストレッチングをしたりして時間を過ごしました。 

 (画像をクリックすると拡大)
  バスは20分ほどで万場に着きました。
役場の向かいわせにある古宿 今井屋旅館は、築百年ほどの文化財級の建物でした。
宛てがわれた部屋は三階の一番奥で神流川に面していて窓を開けると大型連休に向けて準備ができたばかりの鯉のぼり飾りが見えました。

  左は翌朝の早い時間に河原で撮った写真です。
この時期に川に張り渡したロープに鯉のぼりを沢山取付けて泳がせるのは万場の人達の「発明」なんだそうです。
今は全国各地に広がり、いたるところで見られるようになりましたが、対岸の山の上から引き下ろしたロープを使って立体的なディスプレイをしているのはここだけだ言うことでした。

<ルートの詳細>



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☆あとがき
    長年の宿題だった雨降山に登頂できました。
きれいな自然林と、結構歩き応えのある頂稜と。
御荷鉾山の付属品のような極くマイナーな山と思っていたのは間違いで、他所にあったら名山の一つに数えられていたかも、と思うほどの山でした。

  万場で泊まった今井屋旅館は、「父不見 御荷鉾も見えず・・・」と歌った尾崎喜八ゆかりの老舗旅館です。
築百年というほとんど文化遺産級の建物は3階の部屋から1階の浴場に降りて行く階段がとても急で段差が高く、痙攣しかかっている脚で登り降りするのは難儀でしたが、静かな宿りができ、心身ともに安らぎました。
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☆4月29日(曇時々晴): 父不見山
<2万5千分1地形図>
    万場(長野4号-1)、長又(長野4号-2)
<まえがき>

    三日目は西上州山行の3日目は万場から杉ノ峠を経て父不見山に登頂。
長久保の頭から坂丸峠まで尾根伝いをしたあと奥秩父の長沢へ下山。
長沢から小鹿野経由、秩父まで長い路線バスの旅をしたあと西武線-副都心線-東急線を乗り継いで帰りました。

<行動時間>

    万場宿舎[8:00]=(女将自家用車便乗)=[8:14]女郎花橋生利登山口(8:15)-水場(9:18)-杉ノ峠北登山口(8:50/9:00)-ザル平(9:46)-杉ノ峠(10:14/20)-父不見山(10:56/11:20)-長久保の頭/大塚(11:42/50)-腕木の方向が違う道標(12:00)-矢久峠道標(12:12)-坂丸峠(12:25/35)-ルート不明部(12:55/58)-スバル廃車(13:00)-最奥の廃屋(13:08)-坂丸・矢久峠道出合(13:27)-(13:42)長沢[15:15]=(西武観光バス倉尾線)=[15:55]小鹿野町役場[15:59]=(小鹿野町営バス)=[16:40]西武秩父駅[16:51]=(西武秩父線)=[17:38]飯能[17:40]=(西武池袋線・副都心線・東横線)=[18:47]自由が丘=溝の口=宮崎台


芽吹きの父不見山頂上    (画像をクリックすると拡大してスクロール)

<ルートの概況>
   宿の下手1Km あまりの所に架かっている橋を渡って車道を1Km あまり山に向かって進んだ所にある生利登山口から登る計画でしたか、用事で小鹿野に出かける女将さんのご好意で登山口まで車に便乗させてもらえ、お蔭で30分あまりの時間と労力を節約できました。

  女郎花橋を渡ったすぐ先に登山口があり、左のような標識が立っています。
登山口の先は林道で、巾広く穏やかな登りが続き、前日の山越えで少々草臥れている筋肉に無理な負担をかけずに高度を上げてゆくことができました。

  ひと汗かいた時分、簡易舗装の林道との交差点に着きました。
ここまでは車で来られるので一般的にはここが杉ノ峠の北登山口とされているようですが、こちらは生利登山口から歩いてきたあとで、すでにひと登りしていることになります。
朝の山の爽やかな風にあたりながら暫く休みました。

  登山口からひと登りすると非舗装の林道を横断しました。
交差点には「杉ノ峠 1.4Km | 2.6Km 杉ノ峠」 と、どちらに進んでも杉ノ峠に行けることを記した道標が立っていました。

  この交差点からさらにひと登りした所で草生して廃道になった林道跡を横断。
交差点から数m 進んだ所に「ザル平社有林」と記した標柱が立っていました。

  ザル平から先は地形が緩やかになって穏やかな登りになり、さらにもう一度林道(跡)を横断します。

  やがて先の方が明るくなってきて杉ノ峠に着きました。
石垣台の上に据えられた石祠とその前に立っている一対の石灯籠とが、この峠がかつて西上州と秩父とを繋ぐ重要な交通路だったことを示しています。

  時間的な余裕もたっぷりあるので静かな峠でゆっくり休みました。

  父不見山頂上への登路はごく緩やかな尾根伝いから始まりました。

  幾らかは知られた山の大型連休の初日とあって、時たま人と遭いましたが、前後を意識しながら歩くような状態ではありません。

  尾根の左側は山火事があったと聞いていましたがそのあとに植えられた檜の幼木が育って視界を閉ざしていました。
  檜の幹に緑色の網のようなものが巻きつけられてあるのは鹿の食害を防ぐためでしょうか?

父不見山主稜と対面    (画像をクリックすると拡大)

  緩やかに登って945m 峰に上がると左手が低木の自然林になり、その隙間から長久保の頭へ繋がっている頂稜が見えました。

 

  右手に向かってやや急にひと登りすると本峰の頂上でした。
北面の神流川谷側はやや急で、南面は緩やかな細長い切り開きの高みに山名標と道標とが立っていました。

  まわりは芽吹きの森で、神流川谷の向こう側に並んでいる御荷鉾山の頂稜に雲がかかっているのが見えました。(→セクション冒頭のパノラマ写真)

  長久保の頭へは急降下して 50m ほど低い鞍部に下ります。
下りの途中には細尾根もあってやや注意が必要な所もありましたが降り立った鞍部は左のように至って穏やかでした。

  鞍部からやや急に登り返してゆくと上の方が明るくなってきて長久保の頭頂上の切り開きに登り着きました。

  地形図に山名も書き込まれていないのですが標高 1065.7m で三角点もあり、父不見山より 20m 近くも高いのです。

  このピークから南に派生している尾根を進んで行くと 「摩利支天」 に行ける旨を記した道標が立っていましたが、要注意と思ったのはこの道標に取り付けられている 「マムシが多いから足元に注意」 と記した標識でした。
  誰もいない山の頂で暫く休んだあと坂丸峠に向かうため西尾根に進入しました。
入り口から僅か入った所はマムシの巣窟になっているようで、立ち木に 「マムシに注意」 と記したプレートが掛けられています。

  穏やかできれいな尾根道を気分よく進んでゆきましたがやがて尾根の端に道標が立っている所に着きました。
  道標に取付けてある腕木に従って直進すると非常な急降下になり、どう見ても一般ルートの通り道とは思えません。
地面をよく見ると道標のすぐ先に「通せん棒」が置いてあります。

  ザックからタブレットを引っ張りだし、大縮尺表示の地形図と GPS の現在位置とを照合してみました。
ここでは尾根の背から外れ、右手に降りて行かなければ坂丸峠に行けないと判断。
  尾根の背から下る所は道形が消えていましたがひと下りするとまた踏み跡が見えてきて、やがて明瞭な登山道が回復しました。

  ヤレヤレと思って歩きかけていた所へ尾根の上から声を掛けられました。
こちらがルートミスをしたと思って声をかけてきたような雰囲気だったので、「そっちへゆくのはミスですよーぅ」 よ呼びかけたのを聞き入れず、そのまま尾根を下って行って姿が見えなくなりました。
  少々心配でしたがこの時期なら道迷いが事故に直結することもないだろうと思い、先に進みました。
  やがて、左のような仮設の道案内があって杉林の中の窪地に誘導されました。

  このあたりは山林作業で地形が撹乱され新しい林道が開かれたりしています。
コースマークに注意して進むとやがて直角に右折するよう指示する道標が立っている所から右手へ山道が延びていました。

  何故かこの道標の腕木には「矢久峠」のみ記されていて、その手前にある筈の 「坂丸峠」の名がありません。
(よく見るとマジックで坂丸峠と書き加えられています。)

  右折のあとは安定した山道になり、丸山の中腹をほぼ水平に巻いて行った先でひと下りすると坂丸峠の切通しでした。

  ここも歴史のある峠のようで、二本の樹木の間に左のような石祠と石の道標が置いてあり、「左やま道、右ちちぶ道」 と読み取れる文字が刻まれています。

  尾根ルートの判断で時間がかかったりしたせいで13時前のバスには間に合わないことになりました。
次の便は15時過ぎですからあり余るほどの時間があります。
食料も水も潤沢に持っているので、なるべく長く山中に留まっていようと考え、のんびり休んでいたら、先刻尾根の上に見えた二人組が歩いてきました。
  道標に従って直進したら道がなくなったので登り返してもとに戻り、こちらにきたということで、「なにはともあれ、ご無事で結構でした」、と言う話になりました。

  二人組が北面の小平登山口の方に降りていったのを見送ったあと、さらに暫く経ってからようやく立ち上がり、南面の長沢へ向かって下降を開始しました。

  杉林の中に深く抉れた道があってルートは至って明瞭でした。
あまり人が通っていないようで杉の木から落ちてきた小枝がルーズに積もっていて靴に引っかかりやすく、注意して歩く必要がありました。
  ひと下りした所で舗装林道に出ました。
出口に立っている道標がその脇に置いてあるドラム缶に半ば隠されていて見えにくくなっていましたが左に行くと長沢、と読み取ることはできました。

  出発前に行った情報チェックで、かなり山に慣れていると思われ複数の人達がこのあたりでルートをミスった報告を公開しているのを見ていたのでアラート・モードのスイッチを入れました。
  あたりをよく観察し、まわりにある地物を頭に入れた上で、念のためデジカメで写真も撮り、もし道に迷った時には確実にここに戻って来られるようにしました。
  左へ曲がり降りて行く林道の30m ほど先にガードレールの切れ目があり、下降路の入口を示す標識があったのでその脇から林道下の杉林に進入しました。
  こちらでも、上部と同じような古くて明瞭な道形が続いていたのでそれを追ってゆくと、徐々に左へ回って行き、右下に谷底、その先の谷の出口の向かい側に尖った山が立っているのが見えるようになりました。

  まもなく左の写真のように藪に突き当たって進路を遮られました。
タダの藪だったら突破すればいいので藪の中を覗き込んで見たらすぐ先が崩壊してガレになり、その先へ進んで行ける感じではありません。

  これは強行突破すべき状況ではないなぁ、と判断。
後に戻ってまわりをよく見ると今歩いてきた来た方からみて右折し、下の杉林の中に入ってゆく踏み跡のようなものが見えました。

  この辺りにはそれ以外に進路の選択肢がない、と判断したので杉林の中に分け入ってみたら、すぐに明瞭な踏み跡が現れ、左下に沢溝を見ながら下るようになりました。

やがて、沢溝の向こう岸の藪に青色のビニールテープを巻きつけたコースマークが見え、シメシメということになりました。

  細い流れをまたいで渡り、対岸に上がると草生した廃道がありました。
僅かながら人が通った形跡がある廃道を100m 足らず進むと左のようにボンネットが開いたスバルの廃車が置いてありました。

  ルートミスをした人の報告に、廃車を見たあとで進路に迷ったという記述があったのを憶えていました。
ここまで来れば道迷い多発区間を無事に通過できたことになります。


  車の先20m 程のところに簡易舗装林道のU字カーブの頭があり、角に道標が立っていました。

  カーブの頭から直進して下ってゆけば「長沢」へ。
右手へ林道を登ってゆけば「父不見山」 へ行けるようことを表すたつの腕木が取付けてありましたが、この 「父不見山」 への腕木が曲者で道迷いの原因になっているのではないかと思われました。

  折れ曲がっている林道を右手に進んでゆけば先ほど横切った林道の所に行けるような感じもあるのですが、実際に踏査してみなければなんとも言えません。

父不見山主稜と対面    (画像をクリックすると拡大)

  ここまでで山道は終わり。
よそ見をしながら歩いても問題ない状態となりました。

  のんびりムードで坂を下って行くと左側の台地の上に無住の家が見え、さらにその先で森戸の集落に入りました。

  墓地があって一段上がれば福昌寺と思いましたが疲れていたので立ち止まってひと息入れただけで通り過ぎました。
墓地の端に立っている山桜の花の先に先刻降りてきた谷から見えた尖り山が立っていて、なかなか悪くない風情でした。

  さらに下った所で吉田川谷最奥にある矢久峠から下ってきた道と出合いました。
道端の人家は色とりどりの春の花で飾られ、とても綺麗です。

  次第に広がってくる谷の道を進んでゆくと道端に大きな石碑が立っていました。
石碑の脇に、養蚕指導家 浅香丈助翁碑と記した標柱が立っていました。
このあたりもかつては養蚕が盛んに行われていたようです。

  谷が広がって道の脇に平地が現れてくるとまもなくバスの折り返し場がありました。
広場の隅に待合小屋と公衆便所があったので小屋のベンチにお店を広げ、持っていた柿の葉すしなどで遅い昼食をしました。

  バス停の向かい側の民家庭先にある蛇口で汲ませてもらった山の水がとても美味しく、何よりのご馳走でした。

  定刻にやってきたバスは予想と違ってフルサイズの大きな車体だったので驚きました。
考えてみれば小鹿野までの長い路線に沿ってかなりの人口が住んでいて小鹿野高校に通う生徒なども多いのでしょう。

  小鹿野役場前で町営のマイクロバスに乗り継いで秩父へ。
西武秩父駅に着いたら大勢の観光客がいて驚きましたが、電車の乗り継ぎは意外な楽勝となり、飯能で乗り継いだあとは自由が丘まで一直線!
夕飯前に家に帰り着いてしまいました。

<ルートの詳細>



  ヤマレコの山行報告


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☆おわりに

    万場から杉ノ峠を経て父不見山に登り、長久保の頭から坂丸峠を経て奥秩父吉田川谷奥の長沢へ。
ルートの途中にはややトリッキィーな部分もありましたがほぼノーミスで通過して、西上州を縦断する山旅の最後の部分を無事にクリヤーしました。

  万場を通ったのも、秩父の小鹿野付近を通ったのも20年振りか?
小鹿野の奥に大きなダム湖ができていたり、秩父が垢抜けた綺麗な街になっていたり、新緑の山の景色を存分に楽しめた意外にも色々見れた面白い山旅でした。

  年とともに体力が落ちてきてロングルートに耐えられず、バランスが悪くなっているので岩ルートは楽しく歩けず。
少し頑張ると脚が痙攣するなど、情けない状態になっているのですが、短いルートなら多少の藪があっても、道がなくても、歩き抜ける山勘だけはまだ使い物になるようです。
それらをフルに活用し、なるべく長く山を歩き続けたいと思っています。
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