北津軽山巡り (2013.8.28-9.2)

☆期日/天気/山行形式: 2013年8月28日-9月2日 街なか旅館ベースの山巡り
☆まえがき
    昨年、下北半島山巡りの計画を立てたとき、陸奥湾の向う側にある津軽半島の山にも登れると良いな、と思いました。
下北の脇野沢から津軽の蟹田へフェリー航路が運行されているのでこれを利用すれば、海と山を繋ぐおもしろい行程を組み立てられることは分かったのですが折角下北まで足をのばすのなら限られた日数をすべて下北に投入して密度の高い旅にした方が良いのではないか、と言う考えに落ち着きました。
北津軽山域はそっくり翌年の宿題として残ることとなりましたが、天気のまわり合わせにも恵まれ、思い出に残る山旅ができました。

  今回は北津軽山域に的を絞って5泊6日の山旅計画を立て、年越しの宿題を片付けることにしました。
不運なことに天気の廻り合わせが悪く、入山した日はすべて雨に降られることとなりましたが、それなりに味わいのある山歩きができました。
この山旅一番の目標は北津軽随一の展望峰 袴腰山(708m)でしたが、平舘からの尾根ルートの入口が蜜藪に閉ざされていたため登頂に失敗しました。
登山口のすぐ近くに町役場の支所があったのでルートの様子を聞くことができ、アドバイスに従って、丸山林道経由、頂上肩の平舘側登山口に到達したのですが、そちらも蜜藪で閉塞されていました。
  さらに林道を進み、外ヶ浜町・今別町境界稜線上から頂上へ向かうルートを確認しました。
こちらは藪が被ってはいるものの通行可能な状態であることを確認できたのですが、平舘登山口のトラブルで体力と時間を浪費し、雨模様にもなってきたので登頂をギブアップし、山の裏側の林道を下ってJR津軽線の津軽二股駅に下山しました。

  今回の山旅で歩いたそのほかの山(っぽい所)は算用師峠を越えて陸奥湾側から日本海側に抜ける松陰道、小泊 権現崎の尾崎山、および脇元の靄(モヤ)山でした。
いずれもそれ自体の登高よりむしろ、高みからの展望が楽しみの小低山だったところ、雨と雲霧に視界が妨げられたのが残念でしたが、それぞれに味わいのある山歩きができました。

蟹田 観瀾山から青森、八甲田方面遠望    (画像をクリックすると拡大スクロール)

8月28日(晴): 北津軽山巡り前半の足溜り 蟹田へアプローチ
<2万5千分1地形図>
蟹田(青森6号-4)
<行動時間>
   宮崎台[6:19]=大手町=[7:09]東京[7:32]=(ハヤテ#23)=[11:08]新青森[11:34]=(スーパー白鳥#15)= [12:18]蟹田-宿舎(12:45/50)-蟹田港(13:00/13:45)-観瀾山公園(14:00/14:30)-(15:30)宿舎{佐々木 旅館}
<概況>

     まず、東北新幹線で新青森に行き、津軽海峡線に乗継いで蟹田へアプローチしました。
昼時に宿に着いたので荷物を預けたあと足慣らしにでかけました。
  津軽と下北とを繋ぐ、蟹田-脇野沢フェリー航路の埠頭がある蟹田港のターミナルビルに入って昼食をし、町外れの観瀾山公園から蟹田市街への散策をしました。
  観覧山公園は海に面した高台の上にあって眺めが良く、江戸時代津軽藩の砲台跡がありました。
川柳の大家が出た町ということで多くの文人が足跡を残し、幾つもの文学碑・顕彰碑がありました。
蟹田はこじんまりした町ながら松前街道の交通の要衝として栄えた歴史の余韻を感じました。
コンビニ・食料品スーパー、薬局、洋品店など、ひと通りの店が揃っているので、山巡りのベースとしてとても便利でした。

☆ルートの詳細



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8月29日(曇一時雨): 平舘スキー場から袴腰岳(708m)を目指したが密藪に登頂を阻まれた
<2万5千分1地形図>:
蟹田(青森6号-4)、大川平(青森6号-3)、袰(ホロ)月(青森5号-4)
<行動時間>
    宿舎-蟹田駅[6:30]=(外ヶ浜町営バス \200)=[7:05]平舘支所前(7:15)-平舘取付探索(7:40/8:15)-平舘支所(8:20/25)-丸山林道入口(8:38)ーさい沼分岐(9:23/35)-電波塔分岐(9:56/10:02)-袴腰山丸屋形岳展望所(10:30/45)-大規模な崩落(10:52)-袴腰山入口(11:22/26)-ふるさと林道東沢丸山線起点(11:30)-北ヶ浜/今別町境稜線(11;45/12:00)-ふるさと林道東沢丸山線終点(12:24)-安兵衛川橋(12:51/13:00)-長澤林道分岐(13:32)-和徳沢橋(13:54)-車止広場(14:04/17)-林道出口(14:39)-(14:55)津軽二股駅[15:37]=(津軽鉄道 \320)=[16:02]蟹田-(16:30)宿舎


平舘の役場と尾根ルート末端のオドシ山
<概況>
  平舘スキー場から尾根ルート経由、袴腰岳(708m)を目指したのですが取り付き付近が蜜藪に閉ざされ、進入困難な状態になっていました。
  1時間近く登路を探索したのですが思うように進めず。
単独の老人が登るのは困難と判断してスキー場の裾の道路に戻りました。
  尾根の裾を流れている川を渡った所に外ヶ浜町役場平舘支所があったのでルートの様子を聞けるかもと思って立ち寄ってみたところ親切に応対してくれ、用意してあったカラーコピーの小さな地図を使って詳しく説明してくれました。

展望所から見えた袴腰岳
  それによると、川沿いの湯の沢林道を進んで尾根に上がることは可能かも知れないが一番確実なのは丸山林道を迂回して行くことと言われました。

  丸山林道は中間から先の崩壊が激しく、徒歩でも歩き難いほどになっている部分もありましたが、「展望所」と呼ばれている小高い広場から見た袴腰岳は、取り付きの苦労で気落ちしていた年寄りハイカーの元気を復活させるほど良い姿でした。

  大規模に崩壊して通り難くなっている所や、これでも林道が通じていたのかと思うほどの藪を通過して外ヶ浜側登山口に登りつきましたが、こちらも密藪に閉ざれ、踏み込むのを躊躇うほどの状態になっていました。

袴腰岳町境稜線ルート入口
  左手にまわってすこし進んだ所に丸屋形岳登山口がある筈だったのですが道形も標識も見えないまま通過しました。
  今別町と外ヶ浜町の境界稜線まで上がれば、尾根の背を辿って登頂できるラストチャンスがあるかも、と林道を進んでゆくうちに雨がパラパラ降ってきました。
  境界尾根ルートも藪が被っていましたが入り口の道標は藪の上に頭を出している程度でした。
笹を押し分けて進入できそうと思いましたが、雨で濡れた笹の中を登る気にはなれず、時間・体力とも厳しくなっていたので登頂をギブアップしました。

  遠隔の山ですが機会があればリベンジしたいです。
その時に備えて山の裏側の津軽二股駅からアプローチするルートも確認しておこうと東沢林道を下降してみました。
  こちら側は平舘側よりすこし近くて林道の状態も良く、全長の3分の2ほどの徳兵衛沢橋付近まで車が進入可能なことも分かりました。
車を使えば割と容易に登頂できそうに思えました。
☆ルートの詳細


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  ルートマップ


  平舘支所で貰ったルートマップ


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8月30日(晴一時小雨): 松前街道経由、龍飛崎へ
<2万5千分1地形図>:
蟹田(青森6号-4)、袰(ホロ)月(青森5号-4)、三厩(青森9号-2)、
                                 龍飛崎(青森9号-4)

<行動時間>
    宿舎-蟹田駅[9:25]=(外ヶ浜町営バス \200)=[10:15-10]元宇田[10:25]=(今別町営バス \200)=[11:10]浜名二ツ石-(11:23)三厩駅[12:10]=(外ヶ浜町営バス \200)=[12:50]青函トンネル記念館(13:15)-竜飛崎歌碑(13:30)-竜飛崎灯台(13:35/45)-階段歩道入口(13:51)-竜飛漁港(14:00)-(14:05)龍飛館[14:23]=(外ヶ浜町営バス \200)=[14:47]三厩[15:21]=(津軽線)=[16:02]蟹田-(16:30)宿舎

<概況>
    先年の下北半島山巡りでは本州北端の尻屋崎を訪ねました。
今回は津軽半島最北端の竜飛崎を訪ねることにしました。
  山旅りの途中の骨休めとは言いじょう、ただの観光では物足りないので津軽半島の海岸をグルーッとまわって行く松前街道沿いのルートを設定しました。
公共交通機関利用の場合、街道沿いに運行されている3本の町営バス路線を乗り継いで行くことになります。
  まず、外ヶ浜町営バスで蟹田駅前から平舘を経て終点の元宇田バス転回場へ。
つぎに、元宇田から接続運行されている今別町営バスに乗り継いで終点の浜名二ッ岩へ。
二ッ岩から 1Km ほど歩けば JR津軽線終点の三厩駅で、駅前から竜飛崎まで運行されている外ヶ浜町営バスに乗り継ぐことができます。

平舘海峡の向かい側に連なる下北の山並み    (クリックすると拡大します)

松前街道 平舘の松並木
  前の日に来た平舘の町を通過した所に美しい黒松の並木道がありました。
磯浜に沿って進むと所々に集落があり、平舘灯台の近くに海浜公園がありました。
海峡の向かい側は下北半島で、縫道石山と思えるピーク、右手の奥には釜伏山が見えました。
この路線の終点 元宇田バス回転場は荒磯と山に挟まれた小さな広場でした。
バス停のポストのほか何もなく、厳冬期の風雪の日に乗り継ぐのはなかなか厳しそうでした。
  10分あまり待ったところへやってきた今別町営バスに乗り継いでひと走りすると津軽半島北東端の高野崎を通過します。
このあたりは袰月海岸公園とか言われているようでしたがあっという間に通りすぎ、景色はよく見えませんでした。

オールマイヤートンネル掘進機
  今別町営バス終点の先の信号の角を左折して10分ほど歩くとJR津軽線三厩駅に突き当たりました。
公共交通機関で龍飛崎に来る人のほとんどは三厩まで鉄道できて外ヶ浜町営バスに乗り継ぎます。
同じ町営バスですが、ここまで乗ってきたふたつの路線とは様変わりで、ほぼ満席になって発車しました。

  バスの終点までゆかず、すこし手前のトンネル記念館前バス停で下車したところ前庭に見覚えのある機械が置いてありました。
トンネル開削の初期に使われたオールマイヤー掘進機ですが、40年あまり前に、この掘進機の先端部に装着する超硬質合金製掘進刃の開発プロジェクトに参加したのを思い出しました。
  記念館のカフェテリアで食べた海峡ラーメンは、ウニ・ホタテ・わかめなどが入っているぜいたくラーメンでした。

  日本海を渡ってきた風が吹き付ける道路を歩いて龍飛崎灯台へ向かいましたが、その途中にあるホテルの大きな建物の横に「津軽海峡冬景色」の歌碑が立っていました。

  灯台の南側の高みにある休憩所の裏側はかつて砲台だった所で日本海と小泊方面へ連なっている海岸線を見わたすことができました。
砲座のあとには北辺の守りの重要性を説いた吉田松陰を顕彰するモニュメントが立っていました。
  灯台の脇から竜飛崎漁港へ降りてゆく道の入り口には国内唯一の階段歩道ですと言う看板が立っていました。
紫陽花の花の間を下ってゆく石畳の道の途中の小平地は以前あった中学校の跡地だそうです。

  竜飛漁港の集落は龍飛崎の山裾の狭い所に人家が密集していました。
風蔭になっているせいか、湾内の海は岬の上から見た日本海とは打って変わって穏やかな表情でした。
道路に出た所で右折し、5分ほど歩いた所にある郵便局の先の龍飛岬観光案内所は、昔このあたりでただ一軒の宿だった龍飛館旅館の建物を利用した展示場です。
まともな道も通じていない時代に最果ての地を探訪した多くの文人にまつわる品々が展示してありました。
  去年尻屋崎を訪れたのは天気の悪い日で荒涼たる最果ての景色と対面しましたが、こちらでは穏やかな好天に恵まれ、長閑かな北の海の景色を楽しみました。

竜飛漁港
☆ルートの詳細



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8月31日(曇りのち雨): 三厩から算用師峠を越して小泊へ
<2万5千分1地形図>:
三厩(青森9号-2)、竜飛岬(青森9号-4)、小泊(青森10号-3)
<行動時間>
   蟹田[7:07]=(津軽線)=[7:46]三厩駅[8:00]=(Taxi \2440)=松蔭道入口(8:20/30)-林道末端(8:37)-峠から0.8Kmの標識(8:52)-算用師峠(9:28/30)-ヒバ林解説板(10:03)-旧森林鉄道木橋(10:25)-車道末端広場(10:28/30)-傾(カタガリ)り石(11:02/15)=[Taxi \2800]=(11:45)小泊宿舎{津軽小泊館}
<概況>
    蟹田に3泊してこの山巡りの前半を終えたあと日本海側の小泊に移動するのにどこの山を越えてゆくかが問題でした。
一般的には「やまなみライン」を通って大平から中泊へ行くのでしょうが、徒歩で行う山越えルートしてはいささか冗長で面白くなさそうなだけでなく、中泊に出たあと小泊まで移動するバスの便が少ないのが難点です。

  あれやこれやネットを見てまわっているうちに竜飛崎の南にある算用師峠に気が付きました。
三厩駅の北約3.7Km ほどの算用師から山に入って町界尾根を越えると小泊の北10Km ほどの傾り(カタガリ)石で海岸沿いの竜泊ラインに出られます。
このルートはかつて重要な交通路で、歴代津軽藩主をはじめ、伊能忠敬、吉田松陰なども通ったのがモータリゼーションにともなって廃道化していたのを、「東北自然歩道 松陰道」として再整備したと言うことです。
僻遠の地にある遊歩道のため通る人が少なく、ふたたび藪道に戻りかけているものの、まだ道形は明瞭で、普通に歩いて通れる状態ということが分かりました。
峠へのアプローチルートにタクシーを利用し、さらに山越えをしたあと海岸沿いルートの最後の部分でも車を利用すれば割と楽にカバーできそう、と思いました。
  三厩駅から乗ったタクシーのドライバーは山道で車を壊したことがあるとかで、舗装のあるところだけ、と言って走りだしましたが舗装が尽きたあとも割と良い道が続いていました。
そのお陰でさらにその奥まで進み、「ここまでが限界です」と言って停った所は、三厩駅から8km あまり、右手に新しい林道が分岐している三叉路で林道終点までせいぜい 3、400m という所でした。

  GPS と磁石を使って方向を見定めたあと、道端をよく見ると草陰にダンボールに文字を記した道標がおいてあるのが見つかりました。
草生した林道を5分ほど進むと左のような案内板が立っている広場に着きました。

  看板の脇から小沢に沿った歩道に入りました。
急な部分は丸太階段になっていて2、300m ほどの間隔で左のような道標がありました。

  近年は捗捗しく手入れされていない様子で、一部崩れかかっている場所もあり、遊歩道と言うより山道といったほうが当たっている状態になっていて、それなりの足拵えは必要と思いました。


  雨模様で薄暗くなっている沢の中から小尾根を登って高度が上がると、まわりが明るくなってきましたがその頃から木の葉に当たる雨の音が高くなってきました

  すぐに降り止む感じではなくなったので尾根の上部で休憩してゴアパンツを着け、折りたたみ傘をだしました。

  やや左手に向かって登っていった尾根の上部で右手の斜面に移り、ゆるやかに斜上してゆくと前の方が明るくなってきました。

  草薮に覆われた道形を進んでゆくと峠の頂上に立っている道標が藪の間に見えてきました。

  峠の頂上には小広場があり、東屋の残骸と思われる木材が置かれていました。

  道標の横には左のように来遊著名者の名を記した立て札があり、白木の板に歴代津軽藩主の名、伊能忠敬、吉田松陰、蓑虫山人などの名が墨書きされていました。

  峠から小泊側への降り口もかなり藪っぽくなっていましたが谷間の先の方に雨に霞んだ日本海が見えました。
 
  小泊側の下降路は三厩側の登路より道が良く、雨に濡れた自然林を眺めながら気分良く下りました。

  高度が下がって人工林に入ると「ヒバ林云々」と記した板が地面においてありました。
その先はかなり道が良くなってめっきり歩きやすくなりました。
 
  道が良くなって気が緩んだのが原因で、小沢に架かっている板橋でスリップして沢に転げ落ちるご粗末ミスをやらかしましたが折りたたみ傘の骨を一本折ったのと右手の小指を脱臼気味にしただけで済みました。

  暫く歩いた所で鉄のゲートを通過すると右手の沢に古い森林鉄道の橋桁が朽ちて垂れ下がっているのがみえました。

  間もなく右下に明るい広場が見えてきました。
右手に降りる 5~6m ほどの階段から広場の入り口の林道に出ました。 
    雨は本降りになり、風も強くなっていましたが、下から登ってきた 7~8人の人達に出遭ったのでビックリしました。

  これから算用師峠まで行くのだが道はどんな状態ですか?と問われたので状況を教えてあげたのですが、こんな天気の日によく来たものだ、と自分のことを棚に上げて呆れました。

  日本海から谷間へ吹き込んでくる強い風に傘を煽られながら進んでゆくと海を見渡す高台の上に出ました。
  左手の斜面でUターンを2回繰り返して谷底に降り、橋を渡ると行く手に竜泊ラインの車道が見えてきました。
  天気が良かったら海沿いの車道をのんびり歩き、七ツ滝とか青岩とか言う名所を眺めたかったのですが、海の方から吹き付ける風が強くてかなり歩き難い状態になっていたのでギブアップしました。
  携帯電話でタクシーを呼んだら15分足らずで走ってきましたがザックをトランクに放り込んだあと、車内に入る前に濡れたゴアパンツを脱ごうとしている間にシャツが濡れてしまう程の雨になっていました。
  昼前に小泊の旅館に到着しました。
濡れたものを玄関脇の軒下に干し、シャワーを浴びるとサッパリしたのですが、外は雨が降り続いて出歩く気になれず。 夕方まで部屋の中でゴロゴロして過ごしました。

☆ルートの詳細




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  ルートマップ


  算用師峠道は森が綺麗でした。
道はやや荒れ気味で一部草薮がかぶっているところもあって、遊歩道というよりは登山道と言った方があたっている状態になっていました。
もし天気が良かったら日本海沿いの車道歩きを楽しめたのに、吹き降りに妨げられ、タクシーでエスケープすることになったのは残念でした。
小泊の旅館は思ったより大きいビルで、客室ほかの設備がよく、食べ物も美味しくて居心地のよい宿でした。
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小泊港    (クリックすると拡大します)

9月1日(曇り一時雨): 下前から尾崎山、脇元から靄山
<2万5千分1地形図>:
小泊(青森10号-3)、津軽相内(青森10号-4)
<行動時間>
   小泊宿舎-浜町バス停[7:59]=(弘南バス五所川原行 \310)=[8:10]下前漁協前(8:25)-立松口(8:49)-鞍部(9:20)-権現キャニオン分岐(9:32/35)-尾崎神社(9:44)-展望所(9:48/9:55)-尾崎神社(10:00/05)-権現キャニオン分岐(10:13)-東屋(10:25/35)-下前下降点(11:02)-(11:15)下前漁協前=[Taxi \1880]=靄山登山口(12:08/13)-靄山(12:45/12:55)-登山口/金木高校市浦分校(13:05/10)-(13:15)金木高校市浦分校入口バス停[13:53+7]=(弘南バス小泊行 \470)=[14:20]小泊片町-(14:45)宿舎

<概況>
    前日から降り続いていた雨は朝方にやんだので予定通り尾崎山に出かけることにしました。
尾崎山は津軽半島基部から日本海に向かって突き出している小さな半島の突端近くにあるピークですが頂上西肩にある尾崎神社背後の展望所から見える岩木山、十三湖方面の展望が売りもののようでした。
  小泊から毎日9便運行されている五所川原方面行バスで登り口の下前にアプローチしました。
8時前に最寄りバス停を通過する便に乗ったら15分ほどで下前漁協前バス停に着きました。

  分県ガイドブック「青森県」には、下前漁協前バス停から右手に上がって行くルートの説明が出ているのでそちらに進みましたが道にいた人に聞いてみると登り口はこちらではなく、もっと西寄りの立松バス停の先と教えられました。
回れ右して転進、漁港の脇の広場で井戸端会議をしていたおばぁちゃん達にも教えてもらって辿り着いた登山口には立派な道標と手すりがありました。

  すこし草薮が被っているが明瞭で登りやすい山道を登って行って尾根に上がると野外ベンチがありました。

  左折して進んでゆく道は綺麗な自然林の中の平坦な良い道でした。

  尾根に上がって10分あまりで権現キャニオンを見下ろす崖の上にでました。
右手にまわるとふたたび自然林の中の穏やかな道を進んで行くようになりました。

  水場の標識が見える所から左手にカーブ。
トイレの入り口を見て右手に回って行くと前の方に尾崎神社の鳥居が見えてきました。

  こじんまりした社殿が鬱蒼と茂っている森のなかにひっそり佇んでいました。
社殿の北側に木製の展望櫓が立っていましたが老朽して階段が崩落。
人が上がれる状態でなくなっていました。

  半島の北側の浜に下ってゆく道も大波のため崩壊しているため立入禁止、と記した表示板があり、入り口にロープが張られていました。


  社殿の後ろへ回りこんで行くと展望台に出ました。
転落防止の鉄柵の先に、「←岩木山、十三湖」と記した標識が立っていましたが、生憎、厚い雲が水平線を覆い隠し、山も湖も見えませんでした。

  柵の前の野外ベンチに腰を下ろして、ぼんやり霞んでいる水平線を眺めていたら雨が降りかかってきました。

  雨を避けるため社殿に戻り、庇の下に入って休憩の続きをしました。
  雨が小止みになってきたので下山を始めました。
トイレの前から僅か登れば尾崎山の頂上です。
電波塔が立っているのが見えましたが展望もないようだし雨もぱらついているいるのでスキップしました。
立入禁止のロープが張ってある権現キャニオン下降路を見送って先に進み、先刻登りついた鞍部も見送って尾根筋を進んでいるところへザァーッと雨が降ってきました。
  折りたたみ傘だけでは濡れてしまうほどの降り方なので困ったなぁと思っていたらひょっこり東屋の前に出ました。
老朽して雨漏りの酷い東屋でしたが屋根が傾いていたため、そちらに水が流れ、乾いている側ではユックリ雨やどりができました。
    尾根伝いに小泊へ行くつもりで歩いていましたが、時計を見るとまだ時間が早いので手早く下山すれば11時過ぎに下前を通る五所川原行きバスに乗って靄山の登山口へ行けそう、と思いました。

  右下の下前への下山路を求めながら進んで行きましたが、分岐点を示す道標が立っていたが下降路の道形は見えず。
ゴタゴタしていると時間をロスするだけなので見送ってまた先へ進みました。
次の分岐標識でも道形は見えず、これは時間的に難しくなったかなぁ、と思いはじめたところで漸くそれと分かる下降路があるところに着きました。

  この下降ルートは分県ガイドブックの説明を逆になぞっている感じでした。
畑の中の分かりにくい所を通過すると家並みに入り、やや急なコンクリート舗装の細道を下って左手に進むと朝の出発点だった漁協前バス停に下りつきました。
 
 
  僅か5分ほどの違いでバスに乗り遅れ、さてどうしよう、ということになったのですが、まだ昼前です。
  雨も上がって青空も見えてきているのだからもうひと頑張りしようと、靄山の麓の脇元へ移動するため携帯でタクシーを呼びました。

  15分ほどで来たタクシーは10分程で靄山登山口に着きました。
広々した草原があって左手に金木高校市浦分校の校舎が見えています。
手前に鳥居が立ち、その先に立っているきれいなお饅頭型の山が靄山でした。
 
  昔は岩木山を遥拝する山だったそうで、本山に合わせて旧暦の8月1日(新歴の9月4日)にお山詣でをする習わしが残っているそうです。

  広場の奥の小屋で祭りの準備作業をしている人達に挨拶して山道に入ると、赤塗の鳥居が幾つか並んでいる所を通りました。

 
 
  ひと登りで小さな社殿の前に出ました。
左にまわって行くとやや急な斜面にかかり、大きく折れ登って行く道になります。
 
  足場が悪くて滑りやすいのを助けるためか、ロープが張られていました。
2~30m くらいの間隔で紅白の提灯が掲げられていました。
まわりの森が綺麗なのは良かったのですがやぶ蚊がやたら沢山いて僅かな隙にチクリとやられるのに閉口しました。
 
  右手に登ってゆく道の先が開けるとすぐに左手に折れ、頂上広場の縁にあがると社殿小屋の前に小型トラックが停めてあったのでビックリしました。
祭りの準備で提灯やら何やら運び上げるため、山裏の林道を登ってきたようでした。

  トラックの横に弘前から登りに来た中年カップルがいてお昼を食べていました。
岩木山は見えませんでしたが十三湖とその付近の弓なりの海岸線ははっきり見えました。

  行動食を食べながら暫く山談義を楽しんだあと山を下ったら、麓の草原の向こうの林の中に大きな風力発電塔が立っていました。

津軽でも所々に風力発電塔が立っていますが下北のように数が多くの塔が林立しているような場所はないようです。

  参道を通ってバス停がある国道に出ました。
参道入り口の角でも祭りの準備作業が行われていて、幟を上げる支柱を立てていました。
バスが来るまで時間があったので後ろの土手に上がって見たら左手の海に延びている小泊崎の上に尾崎山が見えました。

  バスで小泊に戻りましたがまだ時間が早かったので手前のバス停で降りて街なか散歩をしました。
3階建てビルの役場の屋上に乗っているイカ釣り船はこの町のトレードマークのようでした。
壁には海抜高度が書き込まれていました。
津波警報のとき、どこまで逃げればよいか判断する目安になるのでしょう。

  この日は短時間の雨に遭ったものの、そこそこの天気に恵まれ、そのお陰で、次の日に予定していた靄山にも登れました。
☆ルートの詳細



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9月2日(曇): 十三湖 中ノ島公園を訪ねたあと五所川原・新青森経由、帰還
<2万5千分1地形図>:
津軽相内(青森10号-4)
<行動時間>
   小泊浜町[7:59]=(弘南バス五所川原行 \540)=[8:24]十三道(8:27)-中の島公園入口(9:10)-市浦歴史民俗博物館(9:20/11:15)-(11:40)中の島公園入口バス停[12:30]=(弘南バス \1280)=[13:45]五所川原駅前[14:00]=(弘南バス \1010)=[14:53]新青森駅南口/新青森駅[15:42]=(ハヤテ#40)=[19:08]東京=大手町=[20:06]宮崎台

<概況>
    北津軽山巡りの旅も漸く最終日になりました。
靄山に登ったあと十二湖中ノ島に立ち寄って帰る予定でしたが靄山は前の日に登れたので、この日はユックリ十三湖を見て帰るだけ、と言うのんびり旅になりました。

  十三湖中ノ島一帯は岩木川が運んできた土砂によって形成された砂洲です。
石器時代から人が住み、古くは環日本海交易、中世から近世にかけては北前船による物流の要として繁栄した歴史があります。
中ノ島歴史資料館に展示されていた出土品は、長いタイムスパンにわたっていて驚くほど多様で、とても興味深く見学しました。

写真の説明    (画像をクリックすると拡大スクロール)

 (画像をクリックすると拡大)
  中ノ島公園と五月女萢(ソトメヤチ)の道路の間に架かっている橋の上からは雲間に岩木山を見分けることができました。
  道路沿いに並んでいる屋台風の店でしじみラーメンを食べました。
名物に美味いものなしといいますが、ここのラーメンはそのようなことはなく、とびきりの美味でした。

  昼過ぎに十三湖畔を発車した五所川原行きバスは、意外に変化に富む地形を縫って走りました。
鉄道がないこのあたりではバスが重要な交通手段になっているようでした。
車力付近の丘陵地帯を通りすぎて低平地に出たあたりでは正面に岩木山が大きく見えました。

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☆おわりに

    前年の下北半島と違って山に入った日はすべて雨に遭う巡りあわせとなりましたが、景色がいのちだった竜飛崎と十二湖ではそれなりの好天に恵まれました。
山登りとしては捗捗しい成果は得られませんでしたが、それぞれ味わいのある山を歩けました。
津軽の美味しい食べ物と、素朴で親切な人々との出会いにも恵まれました。
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