ダイトレ西端 滝畑-槇尾山-三国山-鍋谷峠-父鬼(2011.11.27-28)


☆期日/天気/山行形式: 2011年11月27-28日 旅館、公共宿泊施設利用2泊2日単独行
☆地形図(2万5千分1): 岩湧山(和歌山6号-4)、内畑(和歌山10号-2)、粉川(和歌山11号-1)
☆まえがき
    シニア古道歩きグループ恒例の旅で飛鳥大和方面へ出かける機会を利用してダイヤモンド・トレイル西端の滝原から槇尾山への未踏部をカバー、さらに和泉山脈の主峰 和泉葛城山まで尾根伝いをすることにした。

  初日に新幹線新大阪、御堂筋線なんば、南海電鉄高野線経由、河内長野駅からコミュニティーバスで滝畑へアプローチし、 新関屋橋からポテ峠、追分を経て槇尾山肩にある施福寺へ。 槇尾山頂上へ往復したあと西麓へ下り、槇尾山バス停付近の旅館に宿泊。
  2日目は宿舎から施福寺に登りかえしたあと、尾根分岐、十五丁石地蔵、千本杉峠、セト、七越峠、鍋谷峠、車道石碑、一等三角点を経て和泉葛城山に登頂。 南麓の牛滝温泉に下山して宿泊、と言う計画だった。

  間の悪いことに、出発2日前に行った足慣らしウオーキングで右膝まわりの抗重力筋に問題がある事が分かった。
月初に登った雨ヶ岳の無理のダメージが残っていたためのようで、療治のため日程を2~3日繰り下げるべき状況だったのだが、あとの日程との兼ね合いがあるので予定通り強行するほかなかった。

  槇尾山の登りで膝上に肉離れが発生。 2日目の途中からは満足に歩けなくなったため鍋谷峠から父鬼へエスケープした。
痛む足を引きずっての下山は時間がかかったが父鬼を15時過ぎに出るバスにはどうにか間に合った。
泉大津、岸和田をまわって行く積りで宿に連絡したところ、迎えの車を出してもらえ、そのお陰で労せずして宿に入ることができた。
牛滝温泉と父鬼とは尾根を挟んだ隣同士の里でごく近く、直線距離で3Km 足らずだったのは幸いだった。

  秋の半ばから風邪気味が続いていたため楽なルート設定をしていたのだが足の故障を押して歩いたために異常に疲労したが牛滝温泉には早い時間に到着でき、客室、温泉、食事の三拍子が揃う快適な泊り場に恵まれたこともあいまって良く休むことができた。


☆行動記録
<<11月27日(晴のち曇)>> 滝畑-槇尾山-施福寺
<行動時間>

    宮崎台[5:59]=あざみ野=新横浜[6:46]=(ヒカリ#501)=[9:30]新大阪[9:39]=(地下鉄御堂筋線)=[9:54]なんば/南海難波[10:12]=(南海高野線)=[10:46]河内長野[11:02]=(河内長野コミュニティバス)=[11:47-10]滝畑(11:40)-新関屋橋前レストハウス(11:45/12:20)-施福寺入口(12:30)-ポテ峠(13:04/10)-番屋峠(13:31)-施福寺(14:05/30)-槇尾山頂上(15:05/15)-施福寺(15:35)-山門(15:53)-(16:05)槇尾山バス停{槇尾会館泊}

西国三十三ヶ所四番 施福寺本堂前広場から岩湧山を望む    
(クリックすると拡大)
<ルートの要点>
    ルートの詳細な状況のチェックは別途公開している GPS スライドショー、および元画像アルバムに譲ることとし、ここではルート図によって要点を補足する。

滝畑-施福寺-槇尾山ルート(電子国土1/9000地形図)    
(クリックすると元図を拡大表示)
  河内長野から滝畑へは毎日10便のバスが運行されている。(所要時間45分、運賃530円)

  滝畑バス停 から5分あまり歩いた所に新関屋橋 が架っている。
橋の向かいに土産物売り場レストハウス、駐車場、共同便所があり、槇尾山、岩湧山への足溜りになっている。

  レストハウスで昼食を食べた。
前回、岩湧山から降りてきたときに食べたアマゴの唐揚げ定食はとても美味かった。
今回は登高の直前だったので胃腸への負担を軽くするため肉ウドンにした。

  新関屋橋を渡って左岸の集落の中を進んでゆくと要所に道標が見えたのだが肝心の山道の入り口が分かりにくかった。
  左のように、古い石垣と新しい車庫の間の階段で、進んできた方向からは標識が見難くく、気を付けていても通り過ぎてしまう。

  階段を上がって山畑と山林の間に出るとまもなく杉林の中に入った。
道はよく整備されて歩きやすかった。
所々にダイヤモンドトレイルの標識がある。

  小尾根を一本乗り越し、その裏の沢詰めの斜面を斜上、次の小尾根を乗り越そうとする所がポテ峠だった。
  暖地性の潅木林に囲まれた小広場で落ち着いた雰囲気が漂っている。
野外ベンチも設けられ、格好の休み場だ。

  ポテ峠から尾根裏を下降して沢を渡り、その先の小尾根の斜面を巻きあげて行った先で番屋峠を越した。

  変哲ない林の中の峠だったが、あとで地形図を見たら、道のすぐ下は大規模な採掘跡になっていて、その縁の上をヘツッていたことが分かった。

  番屋峠を越すとふたたび下りになり、やがて東槇尾川上流部の谷底に降り着いた。
ここが追分と呼ばれている所で、左のように谷をさかのぼってきた林道の縁に野外ベンチが設けられ、道標が立っている。

  追分で東槇尾川の左岸に移ると槇尾山への登りが始まった。
緩やかな登りが次第に急になり、小尾根を折れ登るようになると建物の跡と思われる石垣や石塔などが現れ、まもなく三叉路に登りついた。

  桧原越と道標に記されている道が左手に登ってゆくのを見送って右手に進む道は緩やかに斜上し、虚空堂の石段の下を過ぎるとまもなく、稜線の乗越に上がった。
乗越の左側の板塀にダイトレの大きな看板が架けてあり、槇尾山バス停への下降点を示していた。

  右手へ僅か進んで石段を上がると施福寺本堂の前だった。
施福寺は西国三十三ヶ所中四番。
役行者、弘法大師など所縁の古寺だった。

  本堂前の広場の奥手に茶店があった。
甘酒を買って飲みながら横手の手すりの前に出るとページ冒頭の写真のように谷向かい正面に岩湧山が立っていた。

 
  茶店でルートを確認した上で槇尾山の頂上に向かった。
  入り口は最前通った板塀の脇だったが、一般参拝者が迷い込むのを防ぐためか道標はない。
 
  板塀の滝畑側の角の脇の崖のような所(左)を木の根を頼りに攀じ登ってお堂の裏手の踏み跡に入った。
(注1)
  山腹を水平に巻いてゆく道を暫く進んでいたがこのままでは頂上を交わしてしまうのでは、と不安になったので入り口近くまで戻り、 "捨身ヶ岳" と記した小さな木札が樹の枝に掛かっている所から尾根上の踏跡に上がった。(注2)


  ひと登りして小ピークを越し、その先の鞍部からやや急な尾根の登りになったが、やがて左下のように明るく開けた頂上に上がった。

  西から北への視界が開け、晴れていれば関西空港なども見えそうだったがこの日は霞が濃くて遠望が利かなかった。
 
 
  もとに戻り、板塀の脇から参道を下った。
週末だったせいか参拝者が多く、家族連れも歩いていた。

  出発前から痛みが出ていた右膝まわりの筋肉の痛みが強くなり、長い参道の石段を下るのがキツかった。
車道に出る手前に左のようにな立派な山門があって歴史を感じた。
山門の下には土産物屋が2、3軒あった。
    泊り場は槇尾山バス停近くにある料亭兼業の旅館 槇尾会館だった。
山中に似合わない立派な建物だったがこの夜はほかに客はなかった。

  建物の一番奥の渓流を見下ろす風流な部屋をあてがわれたが、暖房が貧弱で石油ストーブひとつだけ。
部屋が温まった頃には頭が痛くなり、戸を開けて換気しなければならなかったのは困り物だった。
  部屋が寒いため、夕食のあと暫くすると身体が冷え、鼻が詰まってきた。
二枚重ねた靴下の間にホカロンを入れ、早い時間に寝床に入った。

(注1) あとでお堂の西側の板塀の下を入ってゆく道がある事に気がついた。 こちらからお堂の横を通ってルートに入れたのではないかと思っている。

(注2) 巻き道を進んでゆくと槇尾山頂上と蔵岩の間の沢溝に入り、両者の鞍部に上がれるようだ。
足に故障があったので間違いないよう尾根筋を登ったが、元気だったらそちらのルートを登り、頂上(捨身ヶ岳)と蔵岩と双方に登りたかった。  この一帯は地元では岩登りのゲレンデとして知られているらしい。

<ルートの詳細>



GPS スライドショー



元画像スライドショー


 

<<11月28日(曇)>>
    槇尾山-三国山-鍋谷峠-父鬼=牛滝温泉

先頭にもどる    
<行動時間>
    槇尾会館(8:20)-施福寺(9:00/10)-滝原分岐(9:19)-尾根分岐(9:58)-十五丁石地蔵(10:21)-上山分岐(10:47/52)-千本杉峠(11:09)-セト(11:39)-三国山(11:49)-宿山(11:56/58)-七越峠(12:01/03)-鍋谷峠(12:40/13:05)-車道水場(14:07/14)-(14:56)父鬼バス停[15:25]=(送迎車)=[15:40]牛滝温泉{せせらぎ荘泊}

<ルートの要点>
  槇尾山の宿ではよく寝て朝寝過ごすほどだった。
休息は十ニ分に取れたのだが前日に傷めた右膝まわりの筋肉に内出血の兆候が現れ、一向に回復しなかった。
施福寺から和泉葛城山へは西国三十三ヶ所巡りの粉河寺と施福寺とを結ぶ昔からの参詣道で穏やかな道だった。
しかし、歩いているうちに筋肉の傷みが一段と進み、途中から満足に歩けなくなった。
大幅なペースダウンで異常に長い時間が掛かり、鍋谷峠までか辿りついたのは昼過ぎだった。
これ以上は無理と判断し、南麓の父鬼(チチオニ)にエスケープした。

  歩くことに全精力を注いだため周囲の状況の観察が疎かになり、人の役に立つような記録をまとめられないのでルートマップを掲出するのみとし、詳細は別途公開している GPS スライドショーに委ねたい。

  下山先の父鬼が宿のある牛滝温泉から山ひとつ隔てた隣の谷で、直線距離では3Km も離れていなかったのは幸いだった。
宿から迎えの車を出して貰え、労せずして宿に入ることができた。
牛滝温泉せせらぎ荘は日帰り入浴施設に併設の宿泊所だったが設備、食事、接客の三拍子が揃った良い泊り場だった。


施福寺-三国山-鍋谷峠-父鬼 ルート図(電子国土1/9000地形図)    (クリックすると拡大)

<ルートの詳細>



GPS スライドショー



元画像スライドショー

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☆おわりに

    それほどきつくもない2日の半日ルートだったが出発前に兆候が出ていた右膝まわりの抗重力筋の故障が拡大し、湿布や鎮痛剤も用いても満足に歩けない状態になった。
鍋谷峠からエスケープした二日目の夜、膝上の筋肉の上部に肉離れが生じ内出血が起きたように見えた。

  ただ歩いただけでこのような状態になったのははじめての経験だった。
元の原因は11月上旬に登った雨ヶ岳での無理にあったような気がしている。
雨ヶ岳では頂上直下の急登で脚の筋肉が痙攣した。
薬で無理やり抑え込んでどうにか登頂したのだが、筋肉には無理がかかったようだった。
さらにこの山行のあと、風邪気味が続いたことも筋肉の十分な回復を妨げたかも知れない。
今回の山行の一週間ほど前に足慣らし山行を予定していたのだが風邪のため中止したのも良くなかった。
いきなり本番では危ないと思ったので出発2日前に10Km あまりのウオーキングを行ってみたら右膝まわりの筋肉に問題があることが分かった。
この種の痛みに対しては浴槽の中でマッサージするのが有効、ということを経験的に知っていたのだが、あまりに時期が切迫していたため、逆効果でマッサージのダメージまで加重することとなった。

  この山行のあと大阪(新今宮-天王寺/阿倍野橋)を経て橿原神宮前にまわり、シニア古道歩きグループの仲間に合流。  2泊3日で飛鳥石舞台、多武峰を経て山辺の道を歩いた。
湿布と鎮痛剤の助けを得てどうにか歩き切ったのだが筋肉の損傷はさらに拡大し、あとの回復・リハビリに一ヶ月近くもかかることとなった。