焼津アルプス、高草山と花沢山(2009.3.14-15)


☆期日/山行形式: 2009年3月14-15日 (市中ホテル泊) 単独行
☆地形図(2万5千分1): 焼津(静岡11号-2・4)、静岡西部(静岡11号-3)

☆まえがき
  藁科川と朝比奈川に挟まれた山地が駿河湾に没する付近にはいくつかの展望峰が集まっている。
焼津市街に隣接して手軽に登れるため、地元の人々に親しまれ、焼津アルプスの別名があるほどだ。
気候温暖な土地にあって茶畑と暖地林に覆われた低山は年寄りが冬歩くのにも向いている。

  2年ほど前、静岡からアプローチして丸子-朝鮮岩-満観峰-日本坂峠-花沢ルートを歩いてみた。
朝鮮岩や満観峰の展望が良くて楽しい山歩きができたのだがそれだけではなかった。
日本坂峠は日本武尊にちなむ地名で、山麓の花沢は草薙の剣が出てくる焼き討ち物語の現場であるなど、山麓にも興味深い場所が多い。

  今回の山行の主目的は、この山域最高峰の高草山(501.4m) に登ることだったが、遙々焼津まで長駆したのに低山ひとつに登っただけで帰るのはもったいない。
市中に泊まり場を求め、大崩海岸に沿って花沢山(449.5m) を擁する尾根筋もトレースする1泊2日の行程とした。
初日は昼過ぎまで天気が良くなかったが、午後の半ばから晴れてきた。
時季が外れていたせいか、週末だったのに人が少なく、静かな山を歩け、 随所で海と山の展望を楽しんだ。
焼津アルプス連峰 左に高草山、中央奥に満観峰、右に花沢山    (画像をクリックすると拡大します)

☆行動記録とルートの状況

3月14日 (風強く時雨模様、のち晴)
<林叟院-笛吹段公園-高草山-富士見峠-池の平-常昌院-三輪バス停>
(GPS トラック図)

  宮崎台[6:27]=中央林間=藤沢=小田原=熱海=静岡=[10:44]焼津=[Taxi \1310]=林叟院(11:00/11:10)-笛吹段公園(12:00/05)-高草山(12:45/13:05)-富士見峠(13:15)-池の平(13:35)-常昌院(14:25/30)-(14:45)三輪バス停[15:12]=[15:28]焼津駅-(15:45)やいづマリンパレス{2食付宿泊}

◆初日に登る高草山はこの山域の最高峰だ。
標高は 501.4m しかないが海沿いの山の常で取付点が低く、450m ほどの登高差があるが、山は小さいし、下山後は現地泊だから昼近くから登りはじめても十分辻褄が合う。
  ほどほどの時間に起きだして家を出たのだが、明け方近くに通り過ぎて行った寒冷前線の名残の強風が吹き、雨粒がぱらついていた。
  藤沢から先のJR東海道線は強風の影響でダイヤが乱れていたので出たとこ勝負の乗り継ぎをしながら進んで行った。
時が経つに従って風が収まり、熱海から先は予定通りになったのは幸いだった。

  焼津駅に着いたときはまだ時雨模様で風も吹いていたが低山なら歩けないこともない状況と判断し、タクシーで坂本登山口の林叟院に向かった。

  僅かな時間で着いた古刹の鐘楼の袂で身支度をした。
本堂の脇の彼岸桜が開いていた。

  沢沿いの道を通って庫裏の後ろ側に回り込んで行くと、堰堤の手前から左手の山に上がる道の入口があり、高草山ハイキングコースと記した道標が立っていた。

  沢に沿って谷を詰める道もあるようだったが大雨のあとでまだ雲行きが怪しく、時折パラパラと落ちてくるものもあったので沢道を避け、山腹を上がる道に入った。

 山道はよく踏まれていたが急斜面を小刻みに折れ登ってゆく急登で、ひと汗かかされた。

  小尾根の背に上がるとやや傾斜が緩み、すぐに茶畑の間に出た。
前方左上に頂上の電波搭がみえた。
高度差はたいしたことなさそうだが、距離はまだ結構ありそうだ。

  石垣の階段を下って舗装農道に出たあと、笛吹段公園に向かって左手に斜上して行くと、焼津の町外れにあるかんぽの宿焼津が見えた。
明日歩くことにしている花沢山越えルートの起点だ。

  花沢山に向かう尾根は小刻みに上下を繰り返しながら徐々に高度を上げてゆく形になっている。
意外に時間が掛かるかも知れない、と思った。
  頂上への直登ルートの入口を示す道標が農道の傍らにあったが、笛吹段公園に行って見たかったのでそのまま舗装路を進んだ。

  "段" は静岡の山地でよく出あう用語で、山中の緩傾斜地を示す。
笛吹段もそのような地形になっていて、まわりを茶畑に囲まれた傾斜の緩やかな所が草原の公園になっている。
  広場の後ろ側の一段高いところにある東屋の屋根の下のテーブルにザックを下ろして休憩した。
駿河の海を背景に、焼津の港から市街のパノラマが綺麗だった。

高草山中腹 笛吹段公園から焼津市街を望む    (画像をクリックすると拡大します)


  笛吹段公園から舗装路に戻り、右手に回り込んでいった先に立つ道標の脇から直登ルートに入った。
尾根の背を直上してゆくとヘヤピンカーブを繰り返して高度を上げてくる舗装路と繰り返し交差するが、その途中には左のような花行列があったりして楽しく登れた。

  3度舗装路を横切ると頂上への最後の登りになった。
この部分は道の幅が広く、固く踏み固められている。
車で上がってきてここだけを歩く者が多いようだ。

  登りはやや急だったが、しばらくの我慢で頂稜の上に出た。
電柱の脇に小さな花壇が設えられ、盛大に花が咲いていた。

 各地のマイナーな低山を訪ね歩いていると、時どき、ルートの手入れを行っている人々の慈愛の証を目にする。


  満観峰からの道を合せると僅かで頂上に着いた。
高木に囲まれた、あまり頂上らしくない場所で、高草大権現の祠と大きな電波鉄塔がある。

  生い茂った樹木に妨げられて眺めはあまり良くないが、北西側の樹木の切れ間から駿河湾を背後に立つ花沢山が見えた。

  小ながら高草山は双子峰になっている。
権現堂背後の電波塔まで上がってきている舗装路に出ると、すぐ先の三角点峰に立つアンテナ鉄塔が見えた。

  舗装路を僅か歩いたところを左に入るとラバウル戦没者追悼碑や平和観音像などが並んでいる小広場に着いた。
こちらもまわりを高木に囲まれて景色が良くないが、記念碑の前にベンチがふたつ置いてあった。
片方のベンチにザックを下ろしてバナナを食べた。

  空模様はいったん回復しかけたのだが、吹き返しの北風が強まったのに伴ってふたたび愚図つき気味になり、時どきパラパラと落ちてくる。
手袋を着け、キャップを被って下山ルートに入った。

 (画像をクリックすると拡大します)

  杉林の中の急降下が終わって平らな尾根に乗ると左側に視界が広がり、平野の先に連なる山並みが見えた。
  方向と、距離とから秋葉山から竜頭山を経て常光寺山あたりへ連なる南アルプス深南部の南端あたりかと思った。
  ひと昔前の5月、定光寺山から秋葉山までの尾根を辿ってみようと出かけたのだが大雨に遭ってやり損ねたことがあった。

  放棄された茶畑が徒長して薮になっている所に富士見峠の道標看板が立っていた。
看板の先で茶の木の薮が切れたところにもうひとつ看板が立っていて、高草山は雑木が茂って眺めが良くないがここからは満観峰越しに見える富士山が美しい、と記してあった。

残念がならこの時、富士は雲の中、満観峰だけしか見えなかった。


  富士見峠から先は穏やかな下りになり、やがて池の平まで100m と記した道標が立つ茶畑の縁に出た。

  左に折れ下って行くとすぐに野外ベンチが並ぶ草原に着いた。

  風が弱まり、薄日が射すようになってきた。

  草原を縦貫している車道を渡ったところに湧水があり、地中から湧き出した水が溝の中を流れていた。

  高草山のこちら側は岡部町の領分で、要所に町名を記した道標が立っている。
岡部町は町村合併で藤枝市に入ったが、玉露の里として有名で、もとは旧東海道五十三次の21番目の宿場だった。

  池の平から僅か車道を下ったところに立つエゴの老木に万葉集の歌を記したプレートが掛けてあった。
つぎはそのひとつ。
ヤマジサの 白露重み うらぶれて 心も深く あが恋やまず
  えごの木はヤマジザとも石鹸の木とも呼ばれ、古人には馴染み深かったようだ。

  エゴの木のすぐ脇から茶畑の間に入ったが、ヘヤピンカーブから戻ってきた車道に降りる手前のお茶の木の間に狐が居た。
 (画像をクリックすると拡大)
  よほど夢中になるような物があったのか、間抜けな狐だったのか、人が近付いているのに気が着かない。
オイオイ何やってるんだ、と声をかけたらボヤーッとこちらを見上げたが、そのつぎの瞬間、飛び上がって茶の木の間に逃げ込んだ。

  車道を横切って茶畑の中を下降していったが3番目の入口の道標は黒いビニールシートで覆ってあった。

  ルートになにか問題があるように思われたのでそのまま車道を歩き続けることにした。
まだ時間が早かったし、天気も良くなったのでゆっくり散策ムードになった。
 (画像をクリックすると拡大)

  山肌は常緑樹が優越する暖地性林に覆われているが、中腹から下には竹林が混じり、遠目には至って柔和に見える。(左上)

  茶栽培のための舗装農道が複雑に山腹を縫っていて分岐点での選択が難しかったが、やがて前方の谷間に道路が見えてきた。(左)

  山道に入らず車道を歩いたため、バス停のある三輪の本村よりかなり西に来ていることが分った。

  焼津観光協会から送ってもらったハイキングマップを参照すると "常昌院" と言う寺の名が記されていた。
まわりを見ながら下っていったら下の谷間にそれらしい屋根が見えた。

  ぐるっと回り下って行くと左に入る道の角に "山辺の道" のガイドマップ看板が立っていた。
常昌院から100m ほどの地点に来ていることを確認できた。
 (画像をクリックすると拡大)
  天気はすっかり良くなっていた。
三輪のバス停まで1Km あまりしかないので 集落と山の境を通っている里道をノンビリ歩いて行ったら徐々に山に向かうようになったので深入りを避けて右手に下り、表通りに出た。

  通りに出るとすぐ公会堂のような建物があって、その前に旭が丘バス停のポストが立っていた。
バス停の脇には左のような案内看板が立っていた。

  この時間、岡部から焼津へのバスは大体20分毎にあるのだが今行ったばかりで次ぎのバスまでの待ち時間がが長かった。
クールダウンを兼ねて三輪バス停まで歩くことにした。

  三輪のバス停はベンチの後ろが草原になっていた。
草原の背後には高草山が優しい姿で立っていた。


  バスは20分足らずで焼津駅前に着いた。
焼津港の近くにある宿までブラブラ歩いて行った。
駅前通りの商店街は、とても綺麗に整備され、焼津銀座とでも呼べるほどだったが歩いている人が少なく、鎧戸を下ろしたままの店が目立った。

  この夜の宿は船員健保組合の宿泊施設だった。
リーズナブルな料金で泊まれる質素な宿だったが、一応温泉もあり、それなりの食事も食べさせて貰えた。
山歩きの泊まり場としては十分過ぎるくらいだった。
小泉八雲の記念碑が港にあると言うのでそれを見に行きたいと思ったが、J リーグ・サッカーのテレビ中継をふた試合続けて見たら夕食の時間が来てしまい、港の入口までちょっと行ってみるだけの時間しかなくなった。
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3月15日 (快晴)
<大崩コース入口-砂張屋道標-道了権現-花沢山-石部-用宗駅>

(GPS トラック図)


  焼津駅=[Taxi\990]=かんぽ下登山口(8:35/45)-茶畑奥の広場(9:35/40)-砂張屋孫右衛門道標(9:48)-道了権現(10:00/05)-切り開かれた鞍部(10:25/30)-花沢山頂上(11:10/30)-石部農道(12:10)-小休止(12:15/25)-国道150号線(12:35)-(12:50)用宗駅[13:23]=三島=熱海=藤沢=中央林間=[16:37]宮崎台


◆ 雲ひとつなく晴れ上がった朝がきた。
街中の宿は朝食が遅く、7時半からだったが今日も山が小さいから急ぐ必要はない。
  ユックリ食休みをしたあと駅前に行き、タクシーで登山口に向かった。
タクシー・ドライバーは山歩きをするようで、昨日歩いた高草山ルートの細かい所までよく知っていた。

  大崩ハイキングコースの入口はかんぽの宿のすぐ下にあった。
すぐ下の車止めに1台止っていたが身支度をしているところへ山から降りてきた中年男が乗り込んで走り去った。

  山に入るとすぐ、尾根に乗った。
後ろはかんぽの宿の庭で、左手の谷向かいに高草山が見える。

  すぐに最初の小ピークへの登りが始まった。
濃密な暖地林の中の擬似木の階段は結構急だった。

  ひと汗かいた頃登りが緩み、まわりが明るくなった。
 (画像をクリックすると拡大)

  2番目のピークを巻いて行ったところで茶畑の上に出ると左手の谷が見通せ、高草山から満観峰へ連なる尾根が見えた。
右下の日本坂峠は文字通りの隘路で、国道、東名、東海道線、新幹線が集まっている。
かなり離れている筈なのに新幹線の音が時どき聞こえていた。

  うしろから人声が近付いてきたので立ち止まり、先に出てもらった。
地元の熟女3人組だった。


  しばらく歩いてまた茶畑の上に出たところはちょっとした広場になっていて最高の休み場だった。

  地形図で "東益津排水隧道" と記されている水路付近の尾根上かと思ったが、あとで GPS データをチェックしたところ、それより300m くらい北に寄っていたことが分った。
  3人組が広場の真ん中にいたので先の山道の入口にザックを下ろして小休止した。

  ひと休みしたあと、お先にと挨拶して暗い密林と茶畑の縁とを進んでゆくと古い石柱の道標があった。

  砂張屋孫衛門の道標はもう少し先だった。(左上)
江戸時代、小浜でできた塩を府中(静岡)に運ぶルートだったと言う。

  砂張屋から少し歩いたところに内陸の元小浜と海沿いの小浜を繋ぐ峠の切通しがあった。
切通しの壁の上に大日堂があった。


  大日堂の先で尾根の海側に入り、茶畑の縁を回りこんでいって尾根の上に上がった所に道了尊のお堂があった。
賽銭を上げ、今日の山歩きの安全を祈願した。

  道了尊からしばらく進み、尾根が左手に回り込んだところにある平な所は樹木が切り開かれていた。
行く手に近付いてきた花沢山が高く見えた。

  しばらく緩やかに上下して行った先で30m ほど下った鞍部から150m ほど、しっかり登り返して花沢山の肩に上がった。
三又路に道標が立ち、右手に進むと石部(セキベ)・用宗(モチムネ)駅に通じているルートであることを示していた。

  左手に100m ほど進むと一対の電波反射板が向かい合い、その脇から僅かの所に花沢山頂上の三等三角点標石があった。

  わが国初の航空灯台だった鉄塔の基礎が残され、その間に置かれていた野外ベンチのひとつにザックを下ろして休んだ。
  狭い防火帯の切り開きのほか、まわりは杉の高木林になっていて、展望はほとんどなかった。
 (画像をクリックすると拡大)

  石部への下降路に戻る途中、電波反射板の脇を覗きこんだら僅かに高草山が見えた。
 (画像をクリックすると拡大)

  その反対方向の眺めはかなりましで、静岡市街とその先に立つ富士山が見えた。

  事前の調査で得られた石部への下降路の状態に関する情報はもうひとつ不足気味だったのだが、東海自然歩道のバイパスルートと言う道標プレートも見えたので安心した。

 (画像をクリックすると拡大)

  石部・用宗ルートに入るとすぐに短い急降下があったがそのあとは穏やかで歩きやすい道が続いた。
中ほどでは左手遠くに南アルプスの真っ白な姿が見えた。
山続きの朝鮮岩の先に見えたのは荒川-赤石-聖のあたりのようだった。

  左下から水の音が聞こえてくるようになると山道の終わりは近い。
小さな滝の下を通り、石垣の階段を下ると舗装農道に出た。

 (画像をクリックすると拡大)

  谷間の左下は新幹線のトンネルで、時々轟音とともに列車が出入りしていた。
先の方は静岡の市街で、その先に富士山が優美に雲を纏っていた。

  農道から里道になった所で降りてきた方を振り返ってみたら谷の奥に花沢山が穏やかな姿で立っていた。

  里道の角にこのルート最後の道標があった。
選挙(?)の看板と並んでいるのが妙な感じだった。
  新旧取り混ぜた海沿の家並になっている石部の集落の中の道を暫く歩いたあと、適当なところで国道に出てみたら少し先に用宗駅入口の交差点があった。

  駅舎は瀟洒な建物で日本離れしている。
登り電車は頻発していてすぐにでも乗れたが、30分ほどあとに三島行きがあることが分ったので、広場の向かい側にある蕎麦屋に入った。

  手早く食べられるからというだけの理由でザル蕎麦を注文したのだったが、半透明で歯ごたえがあって、思いがけない美味とのめぐり合いになった。
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☆おわりに
    マイナーな低山は良質なルート情報が少ないので GPS トラック図を提供するよう心がけているのだが前回の烏場山ではポカミスをやらかし、まるでトラックが取れなかった。
今回も空模様に気を取られて林叟院で電源を入れるのを忘れたが茶畑に出たところで気が付き、レスキューが難しくなるほどの空白を作らずに済んだのは幸いだった。

  GPS 情報もただ見せるだけでなく、実際の役に立つルート情報を提供しようとすると、画面表示サイズとプリントサイズ、地図の精細度と掲出ファイルのボリュームの兼ね合いが難しい。
今回はサムネイルをクリックすると400Kbyte あまりのトラック地図が表示されるようにしてみたのだが役に立つだろうか?

時間情報の表示や写真画像との連動など、GPS トラックデータを応用してできることは、まだほかに沢山あるのだが、そちらに力を入れすぎると、本来の目的である山登りが疎かになりかねない。

  焼津アルプスは、今回であらかた歩いた形となったが、満観峰ではまだ千観くらいの展望しか見ていない。
好天日の大展望に再トライをしたいと思っているが、そのときは、日本坂峠-満観峰-朝鮮岩あたりを歩いてみようと思っている。
宇津野谷峠からのバリエーションルートも面白いかも知れない。
また、朝比奈川谷の奥の方にはビク石と言う面白い名の山もある。