三波川 桜山-金丸-鬼石 (2009.11.23)


☆期日/天気/山行形式: 2009年11月23日 快晴 単独 軽ハイキング
☆地形図(2万5千分1): 藤岡(宇都宮16号-3)、鬼石(宇都宮16号-4)
☆まえがき
    三波川 桜山の冬桜は郷里の名所だ。
これまで一度も行ったことがないので田舎町の特養に居る老父を訪ねる途中の立ち寄り山行で見に行った。

桜山頂上から奥武蔵・外秩父方面を望む    
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☆行動記録とルートの状況
<行動時間>
    宮崎台[7:34]=渋谷=赤羽[8:49]=(快速)=[9:55]本庄[10:59]=(朝日バス)=[11:35]鬼石郵便局前/鬼石タクシー[11:50]=(シャトルバス)=[12:20]桜山公園(12:35)-桜山頂上(12:50/13:00)-展望台(13:15)-車道(13:33)-林檎畑(13:40)-金丸登山口(13:50)-(14:35)鬼石郵便局前[14:51]=(朝日バス)=[16:33]本庄[15:41]=[16:00]高崎=上州富岡

<概況>
     冬桜の花期は地元の鬼石タクシーが毎時1本の頻度でシャトルバスを運行している。
JR本庄駅から路線バスで鬼石郵便局前まで行って乗り継ぎ、労せずして山上の桜山公園に上がった。

  11月下旬の3連休は2日続きの冷たい雨のあと、最終日が快晴になった。
車で容易に頂上付近まで上がれるせいか山上の車道は大渋滞で、まるで街の中のような混雑になっていた。
桜山頂上肩にある桜山公園    (クリックすると拡大)
  抜けるような青空のもと、ひんやりした風の中で咲いている冬桜の淡いピンク色と楓の紅葉の濃厚な紅色との組み合わせが美しかった。
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  頂上肩にある桜山公園の池の縁を回り、山腹を斜上して行くところでは北隣りの御荷鉾山が桜の花の上に格好よく並び立っていた。


  頂上に向かって急な丸太階段を登ってゆくあたりから桜が多くなった。

  東屋と桜山の歴史を記した石碑とがある頂上一帯に立つ冬桜は総数7000本と言う。
春の桜のように盛大ではないがほんのり薄紅色の花がパラパラ咲いている様は風情があった。

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  桜と紅葉の先の方に外秩父の山並みが連なっていた。
遠くに一番高いのは城峰山のようだった。
山並みは徐々に高度を減じながら左手の方に延びていて、その先の方に熊谷あたりかと思われる平野が見えていた。(冒頭パノラマ)


  宝登山とその北隣の天狗山までは行っているがその先の出牛峠、不動山から鐘撞堂山までの尾根続きはまだ歩いていないことに気がついた。
あそこも早く歩きに行かねば、と考えた。
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  頂上直下の道端に売店が出ていて味噌おでんなどを売っていた。
食べたいなぁ、と思ったが朝から腹の具合が変だったので、テルモスに詰めてきたホットレモンを飲んだだけで下山にとりかかった。
頂上から南に派生している尾根を下る登山道はあまり踏まれていない様子だったが道形は明瞭で要所に道標が立っていた。

  帰宅したあと、GPSトラックと2万5千分1地形図とを照合してみた。
この歩道は久久沢と金丸のほぼ中間で破線に突き当たるまで地図には記入されていないことが分かった。
詳しい経路は左のサムネイルをクリックし、元図を拡大表示して見ることができる。

  また、頂上から金丸を経て鬼石郵便局前バス停までのルートの状況は、Every Trail の GPS トラックアルバムでご覧いただきたい。

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☆おわりに
    三波川の冬桜は、明治41年(2008)に日露戦争の戦勝記念として1000本のエドヒガンザクラ系の二季咲きサクラが植えられたのが始まりで、昭和12年(1937)に国の天然記念物指定を受け、広く知られるようになった。
  昭和48年(1973)に山火事があって壊滅的な被害を受けたが、地元の努力によって回復し、平成17年(2005)現在、総数7000本になったという。
薄いピンク色の花が楓の紅葉の深紅と組み合わさっているのは珍しい美景だった。

  思い掛けなかったのは、外秩父から奥武蔵の山々がほとんど谷向かいと言っても良いくらいの至近距離で見られた事だった。
奥武蔵、外秩父山は数年前に、高麗郊外の日和田山から手を着けた山域だが山行を繰り返しているうちに西上州山域西端部近くまで到達していたことを確かめた反面、外秩父北端部の鐘撞堂山付近はまだ歩いていないことに気付かされた。
この冬の低山巡りではまずこのあたりを歩いて見なければ、と思っている。