奈良・三重県境、三峰山と大洞山(2009.10.19-21)


☆期日/天気/山行形式: 2009年10月19-21日
☆地形図(2万5千分1): 菅野(伊勢14号-1)、倶留曽山(伊勢13号-2)、伊勢奥津(伊勢9号-4)
☆まえがき
   ここ数年の春と秋は熊野古道伊勢路を歩くため紀伊半島に出かけている。
そのついでに付近の山に登ることも慣わしになっているが、今回は奈良と三重の県境にある三峰山(1235)に是非とも登りたいと思った。
昨年の秋、この山の西の高見山と東の局ヶ岳に登って両側から眺め、ボリューム豊かな山の姿に惹かれた。
そのときの泊まり場だった飯高波瀬の山林舎は、リーズナブルな料金で居心地が良かった。
今回もそこを足溜まりにしたいと考えたのだが、非常に足の便利が悪く、計画を立てるのが難しかった。

  やむを得ず山の反対側の奈良県御杖村から登ることにしたのだが、こちらなら近鉄名張駅からJR名松線伊勢奥津駅までの間を運行している三重交通路線バスで御杖村に入り、敷津で村営バスに乗り継いで容易に山懐の上村神末(530)の民宿に入ることができる。

  現地に2泊することにして2日目に三峰山に往復するなら時間的にかなり楽な行程となる。
3日目には名張川谷下手の下太郎生(380)から東岸の山に上がり、倉骨峠を経て大洞山の雄岳(1013)・雌岳(985.1)にも登って伊勢川に下山すればよい。
桜の名所 三多気から杉平(350)に下山すれば程よい時間に奥津行きバスが通過するからそれに乗って伊勢奥津駅(210)に行き、名松線で松阪まで行って泊まれば、翌日から無理なく伊勢路歩きを始められる。

大洞山雌岳頂上から伊勢方面の展望  
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☆10月19日 (晴)
<行動時間>

    宮崎台[7:07]=あざみ野=[7:38]新横浜[7:52]=(ヒカリ#503)=[9:21]名古屋[9:41]=(近鉄)=[10:58]伊勢中川[11:04]=[11:49]名張[13:00]=(三重交通バス)=[13:54]敷津[13:54]=(御杖村営バス)=[14:04]上村神末(14:30)-青少年旅行村(14:50/15:15)-(16:00)上村神末{民宿美ゆき屋}
<概況>
  初日は三峰山北麓、御杖村上村神立の民宿までのアプローチだったが首都圏から奈良県最奥部まではなかなかの遠路だった。
名張から乗った三重交通バスのドライバーに言われたのは、名松線の奥津から家城までの区間が台風の被害で不通になっているためバスによる代換輸送が行われているのだが時刻表が変更されたため、杉平午後2時のバスには接続がないということだった。

  三峰山北麓の宿は、もと材木商だった家が経営している民宿で、一見大き目の普通の民家だったが二階の幾部屋かが客室になっていた。
着いたときはまだ日が高く、天気がとても良かったので足慣らしを兼ねて三峰山登山口がある青年旅行村まで行ってみた。

  旅行村は名張川谷上流部の清流沿いに設けられた宿泊・遊戯施設だが、すでにシーズンが終わり、僅かに若い母子がひと組、遊びに来ていただけ。 管理事務所にも若い女性係員が一人居ただけだった。
  傾いてきた日を浴びながら宿に戻ったが、広々ゆったりした谷のあちこちの山裾に人家が散在している様は道志の谷を連想させた。
  この夜の客はひとりだったが、たまたま一帯で大発生していたカメムシが数十匹、部屋の中に入り込んでいて、それを退治するのに、主の老夫婦ともどもひと騒ぎした。



  名張から御杖村上村神立へ

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☆10月20日 (曇)
<行動時間>

    上村神末(8:10)-青少年旅行村(8:30/40)-林道終点登山口(9:25/30)-水場・鹿柵(10:10)-新道峠(10:17/25)-登り尾峰1156m(10:55)-三畝峠(11:05)-三峰山(11:20/25)-八丁平(11/40/50)-三畝峠(12:04)-登り尾・不動滝分岐(12:13)-林道・休憩小屋(12:52/13:13)-青少年旅行村入口(13:40)-神末上村民宿(14:05/10)-御杖神社(14:20/30)-(14:45)神末上村{民宿泊}

三峰山頂上南肩 八丁平の展望    (クリックで拡大スクロールします)
<概況>
   初日の偵察で宿舎から登山口まで30分程度で、宿から三峰山へ往復するのはかなり楽な行程だと分ったので、ユックリ朝食を食べて宿を出た。
天気図のパターンは割りと良いのだが、上空に流れ込んでいる寒気が雲を発生させ、どんより曇っていた。
  地元が出している案内図は大滝-登り尾-三峰山頂上-新道峠休暇村という右回りルートを勧めているようだったが、登り尾の急登を避けて逆回りをしてみることにした。

  名張川源流の谷の林道を1時間ほど歩いたあと、緩やかな尾根を登って行くと水場があり、そのすぐ上で広葉樹の潅木に囲まれた新道峠の広場に着いた。
三峰山頂上へ向かう道は国境の尾根の背の紅葉の中で落ち葉に覆われていた。
  三畝峠の小鞍部の先に立っている大日如来像の手前の分岐を左に進み、ひと登りで三峰山頂上に着いた。
三角点標石と展望山名盤のあるこじんまりした頂上広場には、近県から来た老ハイカーが2人いた。
名張方面への視界が得られ、源流地帯の谷とその先に並び立っている倶留曽山などが見えた。
空が雲に覆われ、低い所までもやっていて、景色がパッとしなかったのは残念だった。

三峰山頂上から名張川源流の谷を望む    (クリックで拡大スクロールします)

  北風が吹き付けて寒いのでごく短い休憩のあと山頂の南肩にある八丁平に向かった。
三重県側へひと下りすると広々した草原に出た。
少し先に進んだ所で振り返るとドラ焼きのように平べったい三峰山の頂上を綺麗な紅葉が覆っていた。

八丁平から見た三峰山頂上    (クリックで拡大スクロールします)

  下山ルートの登り尾は大部分、杉と檜の人工林だった。
下降路のほぼ中間で林道と交差するところに新しく大きな休憩小屋があった。
小屋の先でルートが2分し、直進すれば旅行村へ、右手に下って行けば不動滝の下手の林道に下れる事を教える道標が立っていた。
右手のルートに入ると杉林の中に丸太階段が続いていた。
谷底近くで林業関係の人たちが大勢、調査をしているのに出遭った。
谷底の林道を僅か歩くと登山口に出て、そのあとは昨日散歩した道をノンビリ歩いて宿に帰った。

  時間が早かったので谷の下手にある御杖神社に行ってみた。
鎮守の森には大きくはないが古い社殿があり、数多くの神が合祀されていた。
前夜悩まされたカメムシの大発生は並ではなさそうで下山路の下部や神社への道の所々に青臭い悪臭が漂っていた。

  この夜は高山からドライブで来た年寄り二人組と泊まり合わせた。
独りで僻地の無名の山を登り歩いている変人に首を傾げている風だった。
カメムシが昼の間に部屋の中に侵入しているのではないかと心配したが、見つかったのは5、6匹だけで簡単に退治できた。



  上村神立から三峰山往復

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☆10月21日 (晴)
<行動時間>

    神末上村[7:12]=(御杖村営バス)=[7:22]敷津[7:26]=(三重交通バス)=[7:39]下太郎生(7:45)-林道(8:33)-大タワ分岐(8:55)-倉骨峠(9:10/15)-雄岳(9:57/10:10)-雌岳(10:25/30)-キャンプ場(11:05/15)-新福院(11:30/35)-杉平(11:55)-(12:50)伊勢奥津駅[13:21]=(代換輸送バス)=[13:54]家城[14:01]=[14:20]JR一志/近鉄河合高岡[14:41]=[14:45]伊勢中川=(Taxi\1170)=松浦武四郎記念館=(Taxi\1370)=伊勢中川[16:37]=(近鉄)=[16:44]松阪{松阪シティーホテル}
<概況>
    この日は吉野と伊勢の境にある大洞山に登ったあと奥津から松阪へ向かう予定だった。
名松線の台風被害で運行されている代換輸送のバスと杉平から奥津へ行く三重交通バスとの乗り継ぎが不便になっていることが分っていたのだが、山は大きくないし、前の日の三峰山が楽勝だったせいで疲れもなく、あまり心配しなかった。
早い時間に杉平に下山できれば奥津まで歩いて午後1時過ぎの代換輸送バスに間に合わせられるし、時間が遅くなった時は雌岳頂上から八知へ下り、タクシーで家城まで移動するエスケープも可能、と計算した。

  宿の前で村営バスに乗り、谷の下手の敷津で名張行き三重交通バスに乗り継ぎ、約15分の下太郎生まで行って歩き出した。
谷沿いの人家の背後の台地に上がると国境の山並みが見えてきた。
要所に立っている道標にしたがって林道から植林の間の山道を歩いて行ったら案外楽に倉骨峠近くの舗装林道にあがれた。
道のすぐ上の尾根道を歩いてきた人達がいたので声を掛け、現在位置を確認した。
間もなく倉骨峠の切通しに着き、雄岳登り口で小休止した。

  前日の三峰山もそうだったが、この山域のガイドマップは時間見積りがやや甘いようだ。
昨日のサブザックと違って今日は中型ザックを背負っていたのだがそれでも標準タイム内で歩けている。
それほど急がずとも杉平まで行けそうだと予想され、奥津まで歩いて午後一番の代換輸送バスに間に合いそうな見込みとなった。

  峠からやや急に登ると、岩っぽい尾根の上に乗り、さらにもうひと頑張りすると傾斜が緩み、やがて雄岳の頂上に着いた。

大洞山雄岳頂上から西方の展望    (クリックで拡大スクロールします)
  前日とは打って変わった快晴で、澄み切った秋空の下に奥吉野の山々が並び立っていた。
一帯は室生火山群と呼ばれている火山性の山々で、谷向かいに並んでいる倶留曽山から国見山への連なりには露岩や急崖が目立った。

  雄岳からひと下りしたあとほぼ同高度まで登り返し、美杉町八知への下降路入口を示す道標の横を過ぎると三角点標石と山名表示盤のある雌岳の頂上だった。
すぐ近くに高見山が近畿のマッターホルンの愛称に相応しい姿で尖がっていた。
高見山の背後には台高山脈の山々が連なり、さらにそのうしろに大台ヶ原や大峰山上ヶ岳が顔を見せていた。

大洞山雄岳頂上から西方の展望    (クリックで拡大スクロールします)

  雌岳南面の下りは植林の中で、長く急な石段が続いた。
足許はシッカリしているが一段毎に膝に掛かるショックが大きいのと、余所見をしながらは歩けないのが嬉しくなかった。
美杉町、老ヶ野方面から上がってきた林道を横切るとようやく地形が緩み、穏やかな自然林の中に入った。

  今は利用する者がいなくなったように見受けられるキャンプ場の遊歩道を歩いて行くと真福院に着いた。
寺の下にまわって行くと人家が見えてきて桜並木が断続する道になった。
集落の下手の道の両側には堂々とした老木が立ち並び、花の時季の美しさを想像させた。

  杉平から奥津駅まで旧伊勢本街道を辿った。
一部、国道と重なっている部分もあったが、古道の道筋が残っていて昔ながらの屋並と石の道標、灯篭が残っていた。



  太郎生-大洞山-杉平、奥津

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  風情のある里道を順調に歩き、意外に早く奥津駅に着いた。
蕎麦屋でもないものかと、駅のまわりを見回したがそれらしい店は見当たらなかった。
仕方がないので駅舎に戻り、軒下のベンチで持っていた食べ物を食べた。

  名松線が通っている雲出川谷は始めて通る所だったので沿線の景色を楽しんだ。
家城まで進むと伊勢平野末端の平地に入る。
家城駅で代換バスから列車へ乗り継いだが、朝からの行程が順調に消化できたお蔭で時間的な余裕があったので途中、松浦武四郎記念館に立ち寄ってから松阪へ行くことにした。

  松浦武四郎は"北海道" の名付け親として知られているが、幕末から明治にかけて活躍したわが国最大の探険家だ。
全国各地の山を遍歴したあと蝦夷各地を探検、晩年は大台ヶ原のルート開拓に力を入れ、最後はその一角に骨を埋めた。

  記念館は小野江という、伊勢中川駅から3Km ほどのあまり便利が良くない所にある。
名松線一志駅で途中下車し、100m あまり歩いて近鉄河合高岡駅に行き、伊勢中川駅からタクシーで記念館に往復した。
このような時でもなければなかなか行き難い記念館を訪ね、偉大な先輩の事跡に触れることができたのは、嬉しかった。
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☆おわりに
    良いロケーションに泊まり場が見つかったお蔭で、三峰山と大洞山と、、首都圏からは行き難いふたつの山に割りと楽に登ることができた。
交通と泊まり場に難点があるが、室生山域や台高山脈には魅力ある綺麗な山が多い。
また紀伊半島に出かける機会があったら、さらに幾つかの山に登ってみたいと思っている。