南房総、花嫁街道-烏場山-黒滝(2009.3.2)


☆期日/山行形式: 2009年3月2日(快晴) 単独、日帰り
☆地形図(2万5千分1): 安房和田(大多喜14号-4)
☆まえがき
    3年ほど前から、毎冬、一度か二度は房総の山にでかけるのが習いになっている。
今シーズンはいろいろで出遅れ、2月下旬に行く計画を立てていたのが、異常な暖冬のあとの早春が雨模様続きとなってさらに遅れ、3月にまでずれ込んだ。

  行き先は、外房の先っぽに近い和田浦の烏場山。
地元の和田浦歩こう会が花嫁街道という魅力的な名をつけてハイキングルートを整備している。
  僻遠の山だが、ローカル鉄道の旅も嫌いではない。
行きは外房線安房鴨川経由で和田浦へ。  帰りは内房線館山から千葉へのルートを設定。  房総半島の南部をグルリ、ひと回りすることにした。

  移動性高気圧が運んできた、わずか1日の晴天日に狙いを定めて出かけたら、終日、快晴に恵まれた。
北風が吹いて意外に寒かったが、そのお蔭で大気が澄み、鮮鋭な展望を楽しんだ。

  登山ルートの整備は行き届いていたが、雨が続いたせいか地質のせいか、山道のあらかたは酷い泥濘になっていた。
最高点は烏場山頂上で標高僅か265m。海抜ひと桁m の駅からでもささやかな登降差だったが、距離は結構長くて13.5Km。
山から下りてきてあと僅かで駅となった花園集落の外れで、ウッカリT字路を反対方向に曲がって道に迷った分も含めると、15Km 近く歩いたことになる。
結構な長丁場だった上に、山中の泥道でツルンと滑って着物を台無しにせぬよう注意したため、ペースが上がらず、思ったより時間が掛かった。

  マテバシイなどの暖地性常緑樹に覆われたルートは視界が悪かったが、随所にある小ピークが展望台としてまわりの樹木が伐り払われ、外洋側・内陸側の展望を楽んだ。
山麓の南房総和田(旧和田村) は房総花卉栽培のさきがけの地ということで至る所に温室と花畑があった。
アプローチの道路沿いや駅のプラットホームも、菜の花やポピーの花の鮮やかな色で飾られていた。

烏場山第3展望台から北方への展望    (画像をクリックすると拡大・スクロールします)
☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[6:30]=錦糸町=(総武快速)=[7:58]千葉[8:17]=(外房線)=[10:18]安房鴨川[10:21]=[10:36]和田浦駅(10:50)-ハイキングコース入口(11:05)-花嫁街道入口(11:20/25)-経文石(12:10/15)-烏場山(13:30/40)-旧烏場展望台(14:00/05)-見晴台(14:30/40)-金毘羅山(15:00)-黒滝(15:10/15)-花園広場(15:20)-(16:15)和田浦駅[16:36]=(内房線)=[18:54]千葉[19:01]=錦糸町=[20:34]宮崎台

◆山が遠いので久し振りの早起きをした。
まだ早朝だと言うのに宮崎台駅から都心に向かう電車は混んでいた。
月曜日で、単身赴任先に戻るサラリーマンが多いようだった。
錦糸町でJR線に乗り継ぎ、さらに千葉と安房鴨川でも乗り継いで、和田浦に着くまで4時間あまりも掛かった。
  和田浦は鄙びたローカル線のこじんまりした駅、と予想していたのは大外れで、木作りの堂々とした大きさの駅舎だった。
駅前広場の真ん中に立つソテツの大木が南国ムードを醸していた。

  低山のアプローチは割りと迷い易いものだが数日前に郵便で届けて貰った地元観光協会のハイキングコースマップがあったお蔭で安心だった。
駅前通りの先の突き当たりを右に折れ、和田の通りを進んで行くと、これはと言う所に必ず立派な道標が立っていた。
  踏み切りを渡って行った先で道路の舗装がカラフルになると花園集落だ。
右手へカーブする所に "ハイキングコース入口" と記した道標があり、左手の細い道に入る。
花卉農家と養蜂園の間を通り、踏み切りを渡ると前方が開け、山が見えてきた。

  左側に温室や花畑を見下ろしながら山裾の道路を進んで行くと、次第に山が近付いてきた。
頭の上には雲ひとつなく、真っ青な空が広がっている。
天気の読みはドンピシャだったらしい。

  まわりの様子が徐々に谷っぽくなり、流れに沿って歩くようになった。
川の水が濁っているのに気がついた。
舗装路に数箇所、水溜りができていた。
1日か2日前に大雨が降ったのかも知れない、と思った。

川を渡った所でガードレールに突き当たった。
右は黒滝、左は花嫁コース、と書いた道標が立っていた。

  後ろの温室を守っているガードレールの前に、夫婦地蔵があった。
脇に立つ看板に、コース沿いの農作物や山菜を取らないでくれと書いた看板が立っていた。

  温室のうしろ側に回りこんで行くと小広場があって車が止まっていた。
広場の奥手にはトイレがあり、手前側に山道の入り口を示す道標が立っていた。


  丸太階段になっている短い登りから左手に巻き登るとすぐ、やや急な沢窪状のところを登るようになった。
水はけが悪く、火山灰起源らしい表土がグチャグチャにぬかっていた。

  始めのうちは靴が汚れるのを気にして道の縁を歩いていたが、避けきれない場所を何箇所か通って靴が汚れてしまうと諦めがつき、無駄な抵抗はやめた。
あとは滑って転ばないようにだけ注意して行くだけになった。

  前夜、寝床に入ったあとで気がついて起きだし、スパッツをザックに入れてきたのはほんとに良かった、と思った。
履いてきたのは低山用によく使っている、ビブラム底ローカット革靴だったから、こんな泥道を "裸" で歩いたら靴下やズボンが泥だらけになってしまう。


  しばらくの間泥んこ道を我慢して登って行くとようやく尾根を乗越した。
山の東側に入ると、道が平らになった。
まわりは典型的な暖帯林で、常緑樹が多い。
木漏れ日が描くまだら模様が綺麗だが木の葉が視界を遮り、展望はない。

  まもなく第1展望台と記した道標に着いた。
道の右手の平坦な広場に数基の野外ベンチが並んでいる。

  広場の縁まで行くと谷越しの山が見えた。
緩やかに続いている尾根の先の方の高みに烏場山があるのではないか、と思った。

  第一展望台から少し進んだところに第2展望台がある。
その手前で、尾根上を進む道とわずか下を巻いてゆく道と、ふた手に分かれていた。
左手の巻き道に入ってみたら、左下の斜面がマテバシイの濃密な純林になっていた。

  尾根が細まった所に木立の隙間があり、谷奥に尾根が見えた。
緩やかに起伏を繰り返して行った先の高みが烏場山と思ったが意外に遠い感じがした。
山が小さいため遠く見えると言う事もあるのだろうが、樹木の大きさから見ても、まだかなりの距離がありそうだった。

  吹き渡る北風が、手の甲が痛くなるほどだったので、手袋を出し、耳覆いを被った。
  

  尾根が右に回りこんだ所に "経文石" と記した道標が立っていた。
シイの大木の根が大石を抱きかかえている。
昔、この石に経文が記されていたのが名の起こりと言うが、今は根の隙間に "那智山青岸渡寺" と記した木札が置いてある。

  道端の野外ベンチにザックを置いて写真を撮っていたら、男3人と女3人のグループが頂上の方から歩いてきた。
いずれも60台の同世代だったがパーティば男女それぞれ別のようだった。

  経文石の次のランドマークはじがい水だ。
尾根の右側に入り、しばらく沢筋のぬかった道を登った。
湧き出している水は隠し田の水源として利用されたことがあるという。

  尾根に上がった先に眺めのよい所があり、谷奥の尾根筋が綺麗な起伏を描いているのが見えた。

  谷の中の地形は山の低さに似合わない込み入り様で、所々に露岩も見える。
うっかり入り込むと大変な目にあいそうな感じがした。

  暖帯林の中を穏やかに上下しながら進んで行くと直進して五十蔵に下る道と、右折して烏場山に向かう道との分岐点があった。
角に道標が立ち、"駒返し" と記してある。

  右に曲がったところに野外ベンチがあったのでザックをおろした。
谷向かいに下山ルートになる花婿コースの尾根筋が見えているが尾根の枝分かれが複雑で、どこを歩くことになるのかよく分からない。
  駒返しから先も緩やかに上下を繰り返す穏やかなルートが続いた。

  やがて前方がパッと開け、明るい広場に出た。
カヤ場と言われている所で、天気のよい日に大勢できて、飲んだり食べたりすればきっと楽しいだろうなぁ、と思った。
手前の林の中にはトイレまであった。

  野外ベンチの脇に立つと、これまで歩いてきた山並みと、その先に広がる外海が見えた。
中年男が一人、ベンチに座って海を見ていた。
 

烏場山カヤ場見晴台から南方への展望    (画像をクリックすると拡大します)

  カヤ場で一服したあと、またルートに戻り、わずかな距離で第3展望台に着いた。
小さな高みだったが北方へ視界が開け、正面に頂上にレーダードームを乗せた愛宕山が座っていた。
房総半島の最高峰だが、交通が不便なのと、事前に許可を得ないと頂上に立ち入れないのとで、登り難い山になっている。
足元の谷間は五十蔵の集落で、山深く穏やかな谷間は落武者が隠れ住むのに最高の場所だったのではないかと思えた。

山と谷が醸し出す雰囲気は阿武隈とよく似ている。

  第3展望台からわずか進むと五十蔵への下山路が左に分岐している。
分岐点の数m 先からフィックスドロープのある丸太階段を登りきると烏場山の頂上だった。

  周囲の山のみか、伊豆半島、富士山、伊豆大島など、たくさんの "見物" を指示する腕木を取り付けた道標が立っていた。
この道標は、ルート整備に当たっている人達の愛情の証拠だ、と思った。
広場の真ん中には三角点標石があり、"新日本百名山" と記した山名看板も立っていた。
  道標の足元で首を傾げている小さな花嫁さんの石像が可愛いらしかった。
  野外ベンチもあったがどうも落ち着かないので地面に腰を下ろして休んだ。
泥濘を歩いてきた靴底の回りにベッタリ、泥が粘りついているのが気になったので落ちていた木の枝でこすり落とした。

  左手の梢越に御殿山が見えた。
伊予が岳から見た形が良くて記憶に残っている山だが、ここからは意外に近く見え、いちど登りに行かねば、と思った。
  ノンビリ休んでいる所へカヤ場の男が歩いてきたがわずかな時間立ち止まっただけで下山路の方に歩いていった。
  喉を潤しながら僅かな食べ物を食べたあとの休みが長引き、手持ち無沙汰を感じるほどになったので腰を上げた。

  やや急な丸太階段を下りきり、右手に回りこむ所に "花婿コース" と記した道標が立っていた。
背後の尾根の木が伐り払われ、その先へ続く尾根を辿るルートの開発が始まっているように見えた。
  九十九折れの下降が終わって尾根に乗り、しばらく歩いた後で僅か登ると旧烏場展望台に上がった。
振り返ると、歩いてきた尾根筋が穏やかな起伏を描いていた。 

旧烏場展望台から主稜を望む    (画像をクリックすると拡大します)
  旧烏場展望台から先は濃密なヒノキ林の間を歩くようになる。
時々短い登りがあるほかはダラダラ下ってゆくので楽だったがやや単調で退屈だった。
道は相変わらずぬかって歩きにくかった。

  ようやく 171m の見晴台に着くと前方が開け、正面に海を背負った山が見えた。
江見大塚山(175.3)と呼ばれているそうだ。
あの尾根筋も歩いてみたい、と思った。

  見晴台から短い急降下をしてまた尾根に乗り、左手に緩く回りこむように歩いて金比羅山に着いた。

  金比羅山の下りはこれまでとは打って変わった急降下だった。
頂上裏側にある石祠の前から急な小尾根を小刻みに折れ下って行くとわずかな平坦地に分岐があり、右は花園広場、左は黒滝と記した道標が立っていた。

  4時半過ぎの列車で帰るなら十分余裕があったし、流れまで下れば靴の泥を洗い流せると思ったので黒滝に回った。
  分岐のすぐ先から渓谷の底まで、櫓組みの階段が架かっていて、中段の踊り場の横に向西坊入定窟と黒滝権現があった。

  渓谷の底まで下りきった所は黒滝の支流が長者川の本流に出合う合流点で、広くはないが細かな砂利で平らな川原ができていた。

  泥だらけの靴を流れに浸し、途中で拾ってきた枝切れで泥をこすり落したが、きめの細かい粘度の高い泥で綺麗にするのに手間がかかった。

  すぐ横手に黒滝があって、高さ15m ほどの崖を一条の水が流れ落ちていた。

 

  滝前から花園広場へはちょっとした峡谷の底を歩く。
コンクリートの遊歩道が設けられ、雰囲気も悪くはないが水が濁っているのが気に食わなかった。
  谷底をわずか200m ほど進んっだところに右岸の壁を上がる階段があり、ひと登りで花園広場の入り口に着いた。

  広場の隅に向西坊入定窟の案内板が立っていた。
向西坊はもと、忠臣蔵四十八士のひとりの忠実な家臣だったが、主人切腹のあと、主人を弔う諸国遍歴の旅を経てこの地に至り、終に黒滝のほとりの岩屋で入定したという。

  花園広場は花見や運動ができるよう綺麗に整備され、東屋、トイレ、共同炊事場がある。
寒桜が一本、綺麗に咲いていた。
(画像をクリックすると拡大します)

  花園広場から舗装車道わずかで、朝通った分岐点に着いた。
左折して橋を渡り、和田浦駅に向かった。
低くて穏やかな山だったが距離がかなり長かったのでそれなりに脚が疲れた。
あとで身体が冷えたとき頚痙が出るのが嫌だったので、クールダウンの積もりでゆっくり歩いた。

  道の下の畑は一面、半ば野生化した菜の花が満開で、傾きかかった春の日を浴び、輝いていた。

  養蜂園の前から花園集落の外れで通りに出たところは右に行くべきだったのをボンヤリしていて左に進み、花園集落を歩き抜けるまで気がつかないという、ポカミスをやらかした。
20分ほどのタイムロスとなったが、それと引き換えになんとも穏やかな雰囲気が漂っている花園集落の中を歩けたのだから、かえって良かったのかも知れない。
   回れ右して正しい道に戻り、畑の中に出ると "うな陣" の前を通る。
大きな木で作ったタコの顔(?)など、いろいろ面白いものが道端や庭先に置いてある。

  列車時刻の20分ほど前に駅に着いた。
駅前の店には、はかばかしいみやげ物が見当たらなかったが、駅のホームには広い花壇があり、ポピー、菜の花ほか、鮮やかな色の春の花が咲いていた。
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☆おわりに
    往路、復路ともに4時間ほども掛かったのに、歩いた時間は5時間ほど。
至って効率の悪い山歩きだったが、最高の天気に恵まれ、いかにも南の国らしい明るく、穏やかな山と里を歩けた。
この付近、さらに歩き場所を探し出して再訪してみたい。