丹沢東、日向山から鐘ヶ岳 (2009.2.12)


☆期日/山行形式: 2009年2月12日(快晴)  単独日帰り軽ハイク
☆地形図(2万5千分1): 厚木(東京12号-3)
☆まえがき
    寒中の運動不足を解消するため、手近な丹沢東縁山域への日帰り山行をした。
弘法山・高取山から大山を経て、三峰・辺室山、経ヶ岳・仏果山・高取山への尾根続きはひと通り以上なぞっているので、この山域の未踏部はさらにその手前側にある日向山・鐘ヶ岳・白山あたりとなる。
いずれも低くて小さい山だから、ひとつだけでは物足りないかも、と思った。
日向薬師-日向山(404.4)-山神トンネル入口-鐘ヶ岳(561.1)-広沢寺温泉入口と言う組み合わせルートを設定してみた。

  出かける前の調査に時間を掛けられず、地形を頭に入れるくらいまでのことしかできていなかったのだが、実際に歩いてみたら、双方とも豊かな歴史を秘める個性豊かな山だった。
日向山中腹にある日向薬師は日本三大薬師のひとつで、今日でも参拝者が絶えない。
鐘ヶ岳も今は、頂上直下に浅間神社の社殿が残っているのみだが、明治はじめの廃仏棄釈で破壊されるまでは巨岩の脇に山寺を擁し、隆盛な山岳宗教の中心地だったらしい。
  光りの春の時季の移動性高気圧圏内で、穏やかな日和に恵まれたが、天気が良すぎて靄が立ちこめ、捗々しい展望は得られなかった。
鐘ヶ岳頂上直下 七沢神社の展望    (画像をクリックすると拡大)
☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[7:24]=中央林間=相模大野=伊勢原駅[8:45+]=(神奈中バス)=[9:09+5]日向薬師バス停(9:30)-日向薬師(9:35/50)-登山口(9:55)-稜線(9:15)-日向山(9:30/35)-林道(10:55)-山神林道(11:10)-ゲート(11:40)-ずい道入口(11:45/50)-稜線(12:03/05)-鐘ヶ岳(12:28/40)-社殿(12:45)-(13:45)上谷戸[13:45]=[14:17]本厚木駅前[14:52]=相模大野=中央林間=鷺沼=宮崎台
◆もともと近い丹沢だが、伊勢原・日向薬師あたりだとほとんど通勤圏内と言うくらいの感覚になる。
  会社や学校に行く人達の、大部分とは逆の方向ながら、それなりに混んでいる電車を乗り継いで伊勢原に行った。
  日向薬師行きのバスも数人の通勤客が乗り合わせたが、皆途中で降りて行き、終点まで乗ったのはひとりだけだった。
真冬の週日の朝早くで、バス停脇の売店も開いていなかった。

  駐車場奥手のトイレは綺麗に清掃されていて気分よく体重を軽くした。

  バス停から20m ほど戻った左手に立っている門柱の間から日向薬師の参道に入った。

  200m ほど進んで山に掛かる所から石段が始まった。
石段と岩畳と交互するところを緩急繰り返しながら登って行った所に仁王門があった。


  仁王門をくぐり、その先の長い石段を上がりきると大きな茅葺の本堂の前に出た。
霊亀2年(716) に行基が開いたと伝えられる古義真言宗の寺で、正式名は日向山霊山寺、日本三大薬師のひとつに数えられている。

  本堂横の宝殿には重要文化財の薬師三尊はじめ、多くの文化財が収められていると言う。

賽銭を上げ、今日の山歩きの安全を祈った。

  本堂・宝殿の左手に回りこんでゆくと接待茶屋があり、向かい側の売店では店開きの準備をしていた。
すぐ上の駐車広場の入口には地物の野菜を並べている人が居た。
「今日は何かあるんですか」 と聞いてみたら、「別に何もないですよ、毎日こうしているんです」、と言う返事。
年中、参拝者が絶える事がないようだ。

  駐車場の奥手に登山口があった。
入口の脇に道標と "熊出没注意!" と記した看板が立っていた。



  咲き出した梅林の上を通って山の端を回りこむと、穏やかな自然林に覆われた谷間が見えた。

  厳冬期の真っ只中だが、日差しは明るく、梢にはなんとなく春の気配が漂っていた。

  手入れが行き届いて歩き易い道を緩やかに登って日向山頂稜の鞍部に上がった。
"梅ノ木尾根 0.12Km  日向山 0.5Km" と記した道標が立っていた。
ここにも "熊出没注意!" と記した看板が立っていた。

  右手の丸太階段を登ってゆくのが日向山頂上へのルートだ。
土砂が流出してハードルのようになっている所もあったが、しっかり足を上げて登るのは、それなりの運動になった。
尾根の左側は鹿避けの柵が連なっていた。
  杉林の中を進んでひとつピークを越し、もうひと登りして頂上に着いた。
石祠があり、その中に置いてあった木札に "那智山青岸渡寺" の四文字が見えた。
今もこのあたりを熊野修験とつながりのある者が歩いていることを示している。
 祠の横に "ナイスの森" と言うタイトルの看板が立っていた。
この祠はかつて雨乞いの祈祷所で、まわりは常に水を湛えた池になっていた、と記してあった。

(ここでカメらのホワイトバランスが電灯光に設定されていたのに気が着いて直した)


  雰囲気の良い山頂だが、高木に囲まれ、眺めはあまりよくなかった。

  快晴無風だったのと、しばらく雨や雪が降っていないのとで、靄が立ちこめ、平地はごくボンヤリ見えるだけだった。


  広沢寺の方に降りてゆく尾根道は右側が鹿柵になっていた。
山の裏側の空気は空気が澄んでいて、谷の向こう側に三峰のギザギザした頂稜が見えた。

  まもなく七曲峠の鞍部に着き、左手の山腹をひと下りで舗装林道に降り立った。
上流には七沢弁天の森キャンプ場がある。


  車道を僅か下った所に大釜弁財天の祈祷所があった。
5、6段の釜が連なる美しい滝場だった。

  大釜から少し下った対岸に光沢寺の岩場があった。
表土が崩落したあとにスラブの岸壁が露出したという感じの、こじんまりした岩場だった。
4~5人の人影が見え、岩登りの練習をしている様だった。

  間もなく広沢寺から不動尻への林道との合流点に着いた。
谷の下手に広沢寺や玉翠楼らしい屋根が見えていた。
鋭角的に左折して山神ずい道に向かうとすぐに大沢の小集落に入った。
  道端に大釜弁財天道と刻んだ石柱が立っていた。
昔はここから始まる人道を通って谷に分け入り、雨乞いをしたという。
集落の外れでは林道の拡幅工事をしていた。

  曲がり角から30分ほどでゲートに突き当たった。
数年前に通ったときにはなかった車止めだが、歩行者は横手の柵の間から自由に出入りできる。

  ゲートから5分あまりでトンネルの入口に着いた。
横手の広場に仮設トイレがあった。

広場から山に登り掛かる所で小休止した。

  トンネル横から谷の詰めの左岸斜面を登ってゆく所はなかなか険阻だった。
稜線まで15分近く掛かったうち、8割方が鎖場だった。

  峠状の鞍部に上がったところから右手に尾根を辿った。
穏やかな尾根道だが良く踏まれ、両側の自然林が綺麗で気持ちが良い。

  25分ほど緩やかに登って頂上広場に着いた。
やや風化しているが不動明王像らしい石像が二体立っていた。

  一足先に着いていた老夫婦と話をしながらささやかな飲み食いをしていたら、熟女4人組が登ってきた。

  地味系の代表のような山で週日なのに、6人もの人に遭うのは珍しい。
高木にまわりを囲まれて展望がなく、長く居ても退屈なので退散。

  頂上から僅か下ったところに思いがけなく立派な社殿があった。
七沢神社、あるいは浅間神社と呼ばれているそうだが頂上との位置関係や周囲の地形から、西上州の稲含山と似通った雰囲気があった。

  神社の横手の石垣の縁に立つと、下の杉が伐り払われていて、冒頭パノラマ写真のような展望が得られた。
ただ、靄がひどくて麓の平野が薄ボンヤリ見えるだけだったのは残念だった。

  社殿前からの下りは急な石段の連続になる。
地形図にも表示されているくらい長い石段で、387段あるとガイド本に書いてあった。
神社のすぐ下に熊野新宮のゴトビキ岩に似た大岩があった。

  かつてその後側に山寺があったことを記した看板が立っていた。
江戸時代には篤い信仰の的で隆盛だったが、廃仏棄釈で破壊され、廃寺になったと言う。

急な階段が終わると一転して穏やかな尾根道に変わった。(左)


  一定間隔で立っている丁目石に、文久4年(1864) の文字が刻まれていた。

  尾根が尽きて里道に出るところに、鳥居場と記した道標が立っていた。

  足ヶ久保の集落の中を歩いてゆく途中で振り返ると小ながらピンと尖がった鐘ヶ岳の頂上部が見えた。
戦国時代には山城があったというが、それに相応しい形の山だと思った。


  谷間の人里は、春が兆し、紅梅が綺麗だった。

  山裾の園地のような所では寒桜が咲いていた。
  宮ヶ瀬湖の方に行く国道に上がると堂々と尖がった鐘ヶ岳の雄姿が見事だった。

  下手の広沢寺温泉入口バス停に向かった歩き出したとき、横手の集落の中にバスが止まっているのが見えた。
  人家の間を通って近付くとエンジンが掛かった。
すぐ出るんですか?、と乗降口からが声をかけたら、すぐだよ、と言う返事。
急いで乗り込んで椅子に座ったらすぐに発車した。
  ここで乗ったのは大正解で、最初の停車場の広沢寺温泉入口に大勢のハイカーが居て、あっと言う間もなく通路まで一杯になった。

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☆おわりに
    日向山は、薬師堂裏の駐車場の梅林脇から僅か登って山の裏側に入ると、パッと雰囲気が変わって深山の趣になったのが印象に残った。
静かな森に覆われて人影のない山は、この頃やや血が上がり気味だった頭を冷やすにはもって来いだった。
鐘ヶ岳では頂上直下にある社殿の立派さと、その前から始まる石段の長さに驚いた。
参道沿いに立ち並ぶ立派な丁目石などを見て、かつてこの山で行われた山岳信仰の篤さを偲んだ。