大丁橋-日金山-岩戸山-湯河原(2009.4.2)


☆期日/天気/山行形式: 2009年4月2日 快晴  日帰り単独行

☆地形図(2万5千分1): 熱海(横須賀14号-3)

☆まえがき
    1月末に登った熱海玄岳から北隣の日金山(十国峠)を見た。
半世紀以上も前の学生時代、合ハイか何かで箱根から十国峠まで歩き、熱海に下った記憶がある。
国境稜線から岩戸山を経て湯河原の方に延びている長大な尾根が気になったので帰ったあとで調べてみたら、この尾根を末端まで辿ると湯河原まで行けることが分った。

  目についた山には行ってみないと気が済まない性癖には抗し難く、早春の嵐が引き連れてくる晴れ日を狙って出かけてみたところ雲ひとつない快晴に恵まれ、山と海への広大な展望を楽しんだ。

  奥湯河原大丁橋から稜線直下の東光寺まで、長年、地元信徒によって整備されている参道があった。
苔むした石段が断続する道の半丁ごとに、浮き彫りの仏を刻んだ標石が立っている。
国境稜線は勿論、岩戸山から尾根の中ほどにある七尾峠までの尾根ルートは、整備が行き届いて至極歩きやすかった。
しかし、その先の門川ハイキングルートは歩く者が少ないようで、ルートの整備も十分ではなかった。
私製の目立たない道標はあったが、ルート・ファインディングが難しく、尾根末端から2Km ほどの所でルートを外し、東伊豆山に降りてしまった。
ルートミスは悔やまれたが、東伊豆山集落の中を通っている "かまくら道" に遭遇し、眺めの良い古道を歩く、という思いがけない余禄に恵まれた。

日金山(十国峠)頂上の展望    (画像をクリックすると拡大スクロール)
☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[6:55]=中央林間=相模大野=小田原=[8:55]湯河原[9:00]=(奥湯河原行バス)=[9:09]落合橋(9:15)-大丁橋(9:40)-日金山登山口(10:05/15)-林道(10:40)-小休止(10:55/11:00)-東光寺(11:30/40)-十国峠(11:55/12:15)-東光寺(12:25)-笹の広場(12:35)-岩戸山(12:55/13:05)-泉越車道(13:40/45)-七尾峠(14:05)-尾根道分岐(14:22-ルートミス)-東伊豆集落内のかまくら道道標(14:46)-小休止(14:55/15:05)-千歳橋(15:20)-(15:40)湯河原駅[15:53]=小田原=相模大野=中央林間=[18:13]宮崎台

◆このルートは、焼津の花沢山から用宗への尾根伝いとよく似ているが、湯河原までなら段違いに近く、交通の便も良い。
  日帰り山行の計画を組むのは容易だったが、登山口真近かの大丁橋行きバスの運行本数が極端に少なく、事実上ないのと同じなのには参った。

  ただ、湯河原駅前から頻発している奥湯河原行きバスが谷の入り口の落合橋を通る。
落合橋から大丁橋まで歩いて25分ほどだからウオーミングアップにちょうど良い。
ここの部分は歩いてしまうことにした。
    大丁橋は左上の写真のように、余りパッとしない所で、竹薮を背にバス停ポストとルート案内地図の看板が並んでいるだけだった。

  その先、徐々に狭まってくる谷間の舗装路を進んで行くと、小奇麗な公衆便所があった。
前の週に苦しんだ風邪の後遺症で体調が芳しくなく、腹具合も少し変だったので助かった。

  トイレの先、10分も行かない所の石垣の上に給水施設があり、その背後に東光寺参道入り口を示す標識が立っていた。

  入り口で小休止したあと山道に入ると苔生した石段が断続する道が暖地林の中に延びていた。
緩やかな谷を遡ってゆく道で、手入れが行き届き、とても歩きやすかった。

  この参道は落合橋から東光寺まで40丁ある。
半丁ごとに地蔵の貌を浮き彫りにした石柱が立っていて、風邪の病み上がりで動きが渋い足を運び続ける励みになった。

  28丁目の石標のすぐ上で林道を横切ると僅かで水源施設の横を通った。
おいしい水が汲めそうだったが喉が渇いてはいなかった。


  38丁目で沢溝を横切り、左手の小尾根の裏側に入るとまわりが明るくなり、稜線真近か、の雰囲気になった。

  登りが緩やかになるとまもなく、尾根道との合流点に着いた。
左は岩戸山、右は東光寺・日金山と記した道標が、T字路の角に立っている。

  箱根笹の間の平坦な道を僅かで東光寺に着いた。

  本堂はこじんまりした建物だが、起源は応神天皇4年(293) と伝えられる真言の古刹で、のちには源頼朝の厚い信仰を受けたという。

  本堂脇から僅かで国境の交差点に出た。
"みぎ ゆがわら"、"ひだり 十国はこね" と刻まれた古い石の道標が立っている。
十字路の右向かいは墓地、左向かいは姫の沢公園になっている。

  墓地の後ろ側から尾根の背にあがって行くと、源実朝の歌碑があった。
碑面には、
  箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波のよる見ゆ
と刻まれていた。

  碑の脇に立つと、目の先の海原に初島が見え、その右奥には大島が横たわっていた。

  笹の間をゆるく登って広場に出ると前方に富士山が立っていた。
尾根上の正面は十国峠ケーブルカーの駅、左手は愛鷹山だ。

ノンビリ、お散歩ムードでケーブル駅へ向かった。

  駅の建物の前の広場から右の方を見ると、岩戸山の尾根の向こうに真鶴半島が延び、その先に相模灘の水平線が横たわっていた。
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  建物西側のテラスに上がると南の方に黒岳が盛り上がり、その後ろに遠く、天城連峰がスカイラインを描いていた。
山並みが尽きて海に沈む所は西伊豆の大瀬崎あたりということになるがその手前に沼津アルプスがこじんまり連なっていた。

日金山ケーブルカー駅から南方の展望    (クリックすると拡大スクロール)

  穏やかで歩きやすい登路に助けられて無事国境稜線まで登り着けたが、風邪の余韻が残っている消化器官は、年来のウイークポイントだから油断できない。
固形物を腹に入れるのは躊躇われたが、テルモスのホットレモンだけでは心細い。
つなぎとしてケーブル駅売店の甘酒を飲むことにした。

  石油ストーブが焚かれているケーブルカー待合室のベンチで甘酒を飲んだら身体が温まった。


  十分休んだあとザックを背負って外に出た。
  東光寺に戻り、参道合流点を直進して岩戸山に向かうと、箱根笹の間の道が深く抉れて溝になっていた。
古くからある社寺の参道ではよくこのような道形を見る。

  僅か進んだ所に末代上人の宝匡印塔があった。
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    東光寺から10分ほどで笹の広場に出た。
広場の入り口に、直進すると広場の先から熱海へ行けるが、岩戸山へは左手に折れるよう指示する道標が立っていた。

  手前の山桜の枝の蕾があと僅かで花に開こうかと言う位になっていた。

  笹の広場の先は明るい尾根道になった。
左側の視界が開け、箱根山方面の山並が見えた。
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  ようやく芽萌きになった樹木とピンクに色付いた山桜が、真っ青な空を背にして並び立っていた。

  "岩戸山頂上近道" と記した道標の左手を登ってゆくとひょっこり岩戸山頂上に出た。
小さなピークの三角点標石のまわりの笹が切り開かれ、熱海から東伊豆方面への展望が広がっていた。

 足元の海に初島、先の方に大島、さらにその背後に三宅島などが並んでいる。

  平らな道を30分ほど歩いただけで疲れていなかったのであたりの写真を撮りながらひと息入れるとすぐ、先に進んだ。

  岩戸山の裏側には高度差80m ほどの、短く急な下降があった。
急坂を折れ下る山道の途中にスミレの群落が咲いていた。

  下り切って尾根に乗ったところから僅か先に立つ送電線鉄塔の袂に磐戸観音への下降路入り口を示す道標があった。
入り口から覗き込むと崖のような急斜面をまっすぐ降りて行く固定ロープが見えた。
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  次の鉄塔の脇では、穏やかにうねる箱根の山並みとその背後に立つ富士山が綺麗だった。
上空に風が出てきたのか、頂上のあたりから雲が棚引き始めていた。

  進むにつれて尾根道は穏やかに幅広くなって行き、ノンビリお散歩ムードになった。

  やがて、尾根に沿ったのと、尾根を乗越すのと、ふたつの送電線が直交している所に着き、鉄塔の足元から階段を下りると幅広い舗装路にでた。

  山中に似合わない立派な道路の歩道の縁に腰を下ろして休憩した。
車がまったく走って来ないのを不審に思ったが、歩き出してすぐのところに車止めがあって入れないようになっていたので合点がいった。

  車止めの先の方には、業界団体や大企業の保養所が並んでいた。
熱海方面からバスが運行されているようで、ポストが立っていた。

  地形図を頼りに進んで行くと七尾峠の乗越道路に突き当たった。
向かい側の金網フェンスの隅に手製の小さな道標が固定されていて、尾根末端を目指す門川ハイキングルートは右に100m 行った所、と記してある。


  ペンション・ロイヤル・プリンスの敷地の先に左の写真のような、あまりそれらしくない砂利道があった。
  入り口から200m ほどに分岐があったのを、なんとなく直進したがどうも方向がおかしいように思ったのでまたもとに戻り、左手に分かれている道に進路を変更した。
2万5千分1地形図で新幹線の泉越トンネルを示す破線が引かれているあたりだ。


  東海道本線のトンネルの上を通り過ぎるあたりまで、418m の小ピークの南面を巻いて行く砂利車道だが、右側が延々、ごみ投棄避けらしい波形鉄板の塀で囲まれていて気分が悪かった。

  塀が終わると樹木の間から真鶴半島が見えてきた。
山の上からは遠く低く見えたが、今は違って、高度差がなく、ごく近くに見えるようになっていた。

  未知の尾根をうまく歩けているらしいと安心した途端、ルートミスを犯した。

  山腹を巻いてきた道が左に回りこんで尾根上に戻ったところに金網で囲まれた給水施設があったのだが、そこで慎重に進路を見定めることを怠ったのは不味かった。

  直進して入った道はそれなりの幅があったが妙に草深い感じになり、やがて杉林の中を折れ下って沢溝を渡ると、まわりが竹やぶに変わり、下の方に人家の屋根が見えてきた。
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  人家の間を通り抜けると見晴らしのよい農道に出た。
真鶴半島の見え方から、尾根末端よりかなり手前の海岸近くに降りてしまったことが分った。

  道端に咲いている花を見ながら進んで行くと、杉の木の根方に "かまくらみち とほにて伊豆山にいたる" と記したプレートがあった。
(クリックすると拡大)

  あたりの斜面はすべてみかん畑になっている。

真鶴半島との位置関係から東伊豆山集落のあたりと思ったが、帰宅後 GPS トラックを参照し、その通りだったことを確認した。

穏やかな海辺の山村風景とでも言えそうな景色を楽しんだ。

  海岸沿いを通っている国道を走る車の音が絶え間なく聞こえるようになってきた。
それをなるべく避けるよう、かまくらみちをなぞって行ったが最後の500m ほどは国道沿いを歩かなければならなかった。

  尾根の末端には "三界万霊等" と刻んだ門柱が立っていた。
奥の方にある潮音寺と言う寺の入口だった。

  奥湯河原から流れ出してくる藤木川の川口に架かる千歳橋を渡ると湯河原市街で、駿豆人車鉄道の遺跡を見たりなどしながら屋並みの間を歩いて湯河原駅に戻った。
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☆おわりに
    最高の好天に恵まれ、海と山との大展望を楽しんだが、最後の所でルートミスをやってしまった。
折角、性能の良い GPS を持ち歩いているのだから、ザックから引っ張り出して参照すればリカバーできたのに、と残念に思った反面、このルートミスのお蔭で東伊豆山のかまくら道と出遭い、多分、一生見ることなく終わったであろう古道の展望を楽しむことができたのだとも思った。

  それにしても、十代のまだ山登りを本式にやりだしていない時期に歩いた山を、半世紀以上も経ってからまた訪れ、結構楽しく歩けたのは、感慨浅からざることだった。