外秩父、堂平山から霊山院・慈光寺(2009.1.16)


☆期日/山行形式: 2009年1月16日  単独日帰り
☆地形図(2万5千分1): 安戸(宇都宮16号-2)、正丸峠(東京13号-1)

☆まえがき
    年の代わりの前後の1箇月あまりを山なしで過ごすこととなった。
軽いがなかなか治りきらない風邪、老父のケヤー、シニア仲間の安請などが原因だったが松飾りが外れる頃、ようやく身のまわりが落ち着き、体調も戻ってきた。
足腰の復活を期し、外秩父に出かけてみることにした。

  奥武蔵から外秩父に掛けての山域は、主脈尾根のあらかたをなぞり終えているが、支稜にはまだ多くの未踏部が残っている。
それらのうち、堂平山頂上から東に派生している尾根を辿って、霊山院、慈光寺に至るルートを選んだ。
山域随一の展望峰と関東最古の禅寺と言われる霊山院・慈光寺をつないで歩くもので、年寄り山屋にとっては興味深い。
近年、地元の都幾川村によってルート整備が行われたと聞いたのでネットで情報を漁ってみたところ、アプローチの交通の便も意外によさそうなことが分った。

  堂平山の頂上にはこれまで何度か上がっているのだが、天気の回り合わせがもうひとつで、まともな展望が得られたためしがない。
今度こそはと、週間予想天気図の推移を睨んでいたら冬型の気圧配置が緩んだところへ、移動性高気圧が移動してくる、と言うありがたい予報が出た。
高気圧圏内に入れば風が弱まり、穏やかな冬晴れになる。

  天気図の推移とタイミングを合わせて出かけてみたら予想的中!
下のパノラマ写真のような大展望に巡りあえた。

堂平山頂上から奥秩父、西上州、上信国境方面への展望  
 (画像をクリックすると拡大スクロール)
☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[5:54]=渋谷=池袋[7:00]=(東武東上線)=[8:16]小川町[8:24]=(イーグルバス)=[8:55]白石車庫(9:10)-小休止(9:50/55)-笠山峠(10:15/20)-堂平山(10:45/11:10)-七重峠(12:00)-七重休憩所(12:15/35)-冠岩(13:05/15)-霊山院(13:30/40)-慈光寺(13:50/14:00)-(14:30)慈光寺入口バス停[14:57]=(都幾川村営バス)=[15:06]役場第2庁舎前[15:19]=[15:36]越生駅[16:00]=(東武越生線)=坂戸=(東上線)=[17:08]池袋=渋谷=宮崎台
◆山麓の路線バスの運行は都幾川の方が多いことが分ったので小川町から白石に入山し、笠山峠を経て堂平山に上がり、慈光寺へ下山することにした。

  笠山峠ルートは既に何度か通ってお馴染みだが、週日はいつも閑散としている。
それでもこの日はもう1人若いハイカーが乗り合わせ、白石車庫で降りたのはたったひとりと言うことにはならなかった。
  バス停脇の東屋に入り、あたりの様子をみながら山支度を整えた。
カンカンに冷え込んではいるが雲ひとつなく晴れ上がり、ほとんど無風で、至極穏やかな冬の朝だ。 

  シーズンオフでしまっている蕎麦屋の前から山に向い、集落を通り過ぎた所で左に急カーブして山に取り付いた。
  杉林の中を折れ登ってひと登りした所から山道に入って杉林の中を斜上。
ふたたび車道と出会うあたりから先は雪道になった。
堂平山の北面で日が当たらないため、年初に降った雪が消えずに残っているようだった。

  出かける前、履物をどうするか迷ったが、暫く履かないでいた革登山靴を引っ張り出し、その連れ合いの中スパッツも持ってきたのは正解だった。

  久し振りの運動で体が温まり、汗ばんできた頃、笠山峠に登りついた。
峠の裏側には関東平野が広がっていた。
霞の中にうっすら、都心部の高層ビル群の影が見えた。(下)

(画像をクリックすると拡大)

  峠で小休止したあと右手の尾根に上がり、堂平山に向かった。
ルートを覆っている雪は踏み固められたあと凍結して滑り易く、要注意だった。
道端の残雪は深い所で20cm 超あった。
降った直後には30cm ほどは積もったに違いない。
この山域に来るようになって以来一番の大雪だ。
思いがけずの雪山で、なにか得したような気分になった。

  ふたつほど小ピークを越してさらにひと登りすると前方が開けてきて、堂平山頂上部に広がる草原の一角に出た。

  左の谷向いは定峰峠で鞍部の先に秩父盆地が広がり、その先には厳つい姿をした両神山が立っていた。
堂平山頂上から両神山、双子山方面    (画像をクリックすると拡大)
  まだらに雪が残っている草原の端近くで、パラパントが風待ちをしていた。
今にも飛び立ちそうだったので離陸はどんな風にやるのだろうかと、見ていたのだがほとんど無風状態で風が来ないのか、いつまでたっても飛び立たないので諦めて先に進んだ。

  天文台ドームはもとは東京大学の物だったがハワイの山の上に新鋭天文台ができたあと、そちらに役を譲って引退し、都幾川村の施設となった。

  最近は宿泊付きの天体観測ツアーが催されていりするようだ。

  ドームの裏側を通っている道路の下にロッジが並んでいた。
シーズン中は売店やビジターセンターが開き、宿泊もできるようだが、1~2月は水が凍結するため閉鎖され、トイレも使えない。

  ビジターセンター入口の板敷きが日溜りになっていたので、ドアの前に座り込み、暫く休憩した。

  敷地の奥の方に進んでゆくと左のようなゲートがあり、そこを潜ると慈光寺方面へのトレッキングルートに入る。

  小尾根の背を絡みながら高度を下げてゆく道は急なところが丸太階段にしてあった。
車で上がってこられるためか歩く人が少ないようで、あまり踏み固められていなかった。

  休憩台か見晴台か分らないが、2、3箇所に、3x2m 位のデッキが設けられていた。
左は "松の木峠" のものである。
上面を覆っていた雪の上に登ると、平野の先に筑波山が見えた。

  30分ほどで林道に降り立った。
出口のあたりの斜面は切り開かれて広場になっている。

  杉林の中をうねり下ってゆく車道は、残雪が凍結している所が多く、要注意だった。

  七重峠で鞍部を乗り越している車道に出合った。
T字路の角には左のような小東屋があり、その横にルートマップを記した看板が立っていた。

 車道の向かい側に 迂回してゆく車道をショートカットする歩道の入口を示す道標が立っていたので、そちらに入った。
ひんやりした風が吹き抜けている杉林の中を10分あまり歩くと迂回してきた車道と出合った。

  さらに、10分ほどで七重集落の人家が見えてきた。
顔振のように広くはないし、ユガテのように平らでもないが、日当たりの良い、住み心地のよさそうな山上の緩傾斜地だった。

  人家の横手に広がる茶畑の後に大きな休憩舎があった。
陽だまりで見晴らしも良い横手の草地にザックを下ろして休憩した。
今降りてきたばかりの堂平山が高かった。
 

  少々の飲み食いを終えたあと先に進んだ。
やや登り気味の舗装車道を進んで左に曲がるところが三又路になっていた。
車道なりに左に行けば舘川ダムを経て小川町へ。
鎖の脇をすり抜けて直進すれば霊山院・慈光寺に行けることを示す道標が立っている。(左)

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  自然林の中をほぼ平坦に通っている非舗装の林道だが、雰囲気は幅の広い山道と言う感じだった。

  後ろを振り返ると、堂平山とその隣の剣が峰が並び立っていた。

  尾根を乗越すところに七重峠と同じ作りの小東屋があった。
左手の小尾根の背を登れば冠岩と記した道標の脇からやや急な丸太階段を登って稜線に上がったら大岩が積み重なっていた。

  巌上は見晴らしが良く、谷向かいに狩場坂峠あたりの連なりが見えた。
この岩場へは 尾根上の道を通ってもこられるようで、そちらからなら階段を登らずにここに来れられるように思えた。

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  尾根を下って小東屋の脇に戻り、少し進むと前方が開け、正面に弓立山が見えてきた。

こちら側の尾根上は墓場で墓石が立ち並んでいた。
墓場の手前を左手に曲がり降りた所に霊山院があった。
ここは関東最古と言われる禅宗の修道場で、建物と庭が見事に調和し、稀な美しい構えになっていた。

  数駒の写真を撮ったあと、本堂に賽銭を上げ、拝んで道に戻った。

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  霊山院から慈光寺までは約15分。
手前に坂東札所九番の千手観音堂があるが、そこまではザッと100段ほどの急な石段を登らなければならない。

(クリックで拡大)

  息を切らせて観音堂の前庭に登り着くと目の前に堂々とした建物が立っていた。

  軒下一面に彫り物がぎっしり並んで、緊張感みなぎる美しい建物だった。


  観音堂から東へ坂を下ると慈光寺に着く。
ここは修道場である霊山院と対の寺で、パブリックサービスを受け持ってきた。
傾斜地に大きな建物が幾つも並んでいるためか、少々狭苦しい感じもあった。

  宝物殿には貴重な文化財があるようだったが、ここまでならまた来る機会があると思ったので今回は割愛した。


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  山門の下の道路に下りて慈光寺入口バス停に向かった。
舗装路を下ってゆくとカーブの手前に大きな板碑が林立していた。
鎌倉から室町にかけてこの寺を指導した僧正への供養として立てられた物だ。

  かつては山門が立ち、その先は女人結界になっていたので、女性の巡礼者はここから左手の山道を登って観音堂に参詣したという。

  坂を下りきった所に宿の集落があった。
かつては門前町として繁栄していたようで、風情が漂う家並みだった。

  国道と交差する十字路を左に折れ、200m ほど進んだところにある広場が慈光寺入口のバスターミナルだった。
まだ新しく大きな公衆トイレの建物があった。
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☆おわりに
    山行間隔が一ヶ月を越し、長いブランクのあとで足腰がかなり衰えているのではと心配していたが特に問題もなく歩き切れた。
低温続きのお蔭で年初に降った雪が消え残り、ささやかながら雪山を歩けたのは儲けものだった。

  奥武蔵から外秩父の山域は、支稜にまだ幾つも未踏部分が残っている。
山が小さ目で大登りがないから、もっと年を取ってもどうにか歩けるだろう。

まだ数年の間は冬ごとの楽しみの種にできそうだ。