奥武蔵、小殿-竹寺-子の権現-吾野(2008.4.23)


☆期日/山行形式:
2008年4月23日  シニア・グループ・足慣らし

☆地形図(2万5千分1): 原市場(東京13号-2)、正丸峠(東京13号-1)

☆まえがき
    去年の春からシニアのグループで熊野古道歩きを始めた。
春と秋の2回行う本番の2、3週間前には、各自の体調チェックを兼ねた足慣らしを行う習わしとなった。
昨年春秋の2回は、言わば "入門編" で、良い所取りをしながら紀伊半島の土地勘を養った。
  本番はこのゴールデンウイーク明けから始める伊勢路の歩き継ぎだ。
そのための足慣らしとして、奥武蔵の竹寺から子の権現を歩くことになった。
竹寺は首都圏では山岳信仰の原形がもっとも良く残っている史跡だ。
子の権現は足の神様を祭る神社で、千年以上の歴史を持つ。
竹寺には有名な精進料理を予約したので、それを賞味する楽しみも加わった。

色とりどりの花と新緑に囲まれた竹寺    (クリックで拡大)

  登降差の配分と食事の時間との兼ね合いで10時半頃小殿(260)を出発することになった。
竹寺(480)で精進料理の昼食をしたあと、豆口峠(580)を経て子ノ権現(630)まで歩き、浅見茶屋(385)を経て吾野駅(175)に下山する。
子の権現から竹寺に向かう順ルートと違って、下山後に入浴できないのが難点だが、まだ春だから耐えがたいほどの汗をかくこともあるまいと割り切った。

  幸いなことに当日は素晴らしい好天に恵まれ、美しい新緑と花の山を楽しむことができた。
竹寺の精進料理は、風雅この上ないものだった。
さまざまな山の恵みを絶妙な味に調理し、季節の花と和歌の短冊を添えて、竹の器で供された。
子の権現では全員が無事に伊勢路を歩き切れるよう、足の神に祈願した


☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[7:19]=渋谷=池袋[8:22]=[9:19]飯能[9:35]=(国際興業名郷行バス)=[10:18]小殿(10:35)-小休止(11:00/05)-乗越(11:25/30)-竹寺(11:35/13:25)-豆口峠(14:05)-ティータイム(14:45/15:15)-子の権現(15:20/30)-降魔橋(16:05)-浅見茶屋(16:15)-東郷神社(16:30)-(16:45)吾野駅[16:56]=[17:17]飯能[19:13]=[20:02]池袋=渋谷=宮崎台

◆竹寺の食事の時間にあわせたため、山歩きとしてはゆっくりの出発となった。

  池袋駅では無意識に東上線のホームに行ってしまう、というぼんやりミスをしでかした。
もう少しで発車というところで危うく気がついて飛び降り、西武線ホームに回ったが、早目に行って時間の余裕があったお蔭で無事予定通りの電車で飯能駅に向かうことができた。

  参加者は6名。
飯能駅で合流して名郷行きバスで小殿に向かった。
小殿バス停の横には小奇麗な東屋とトイレができていた。

  登山口はバス停の僅か先。
石標と道標があるので間違えようもない。

  入口から高距200m 位の所まではかなりの急登で、杉林の中をジグザグに登る。

  いきなりの急登に、山慣れしていないメンバーから悲鳴が上がったが僅かの我慢だからと、慰め励ましながら登り続けた。


  着物の調整をする必要もあって、送電線鉄塔の近くと、さらにひと登りしたところと、2度の小休止を経て乗越に上がった。

  乗越まで辿りつけば竹寺までは樂勝だ。
やや下り気味に斜面を横切ってゆくとすぐに牛頭天王社殿の裏手に着く。


  "神仏混淆の遺構" という看板の通り、お寺なのに奥の院にあたる場所に立派な神殿があるのが珍しい。
日々の祈祷は神主の祝詞でなく、住職のお経だという。

  神殿の石段を下り、鳥居に添えられた清めの茅の輪を潜っていった所に本堂がある。
本堂の横手の庫裏(?)が精進料理の食堂になっていた。(左)

  食事の部屋は床の間、襖絵など趣のある部屋に長い食卓が据えられていた。

  精進料理は山菜を材料に使った薬膳で、竹の器に盛られて供された。
器ごとに季節の草花と、歌の短冊が添えられ、舌だけでなく目も心も楽しませてくれるものだった。
食事の始めと、途中の何度か、住職が来て料理の説明、寺と神社の説明を聞かせてくれた。

このごろ稀な優雅な時間を楽しんだ。


  食事のあと子の権現に向かったがその前にひとわたり境内を見た。

  神社に祭られている牛頭天王の銅像があった。
インド起源だと言うがほとんど怪獣と言ってもよいほど怪異な姿をしていた。
スサノオと同体とされているという。(左)








  神社の後ろのピークに鐘楼がある。
結構な登高差を食事直後の重い足で登るのは辛かったが、登りきった所で迎えてくれた奇麗な眺めに報われた。

竹寺鐘楼ピークの展望    (画像をクリックすると拡大、自動スクロールします)



  鐘楼ピークから先は杉林の間の山道になった。
緩やかに上下して行く道は、熊野古道のどこかを歩いているかのような気分になる。

  山腹を回り込んでいったところにある小屋掛けの横に "豆口峠" と記した道しるべが立っていた。

  峠の先はやや細まった急な尾根を登り、子の権現との高度差の過半を消化する。
登り上げたあたりから自然林が増えて気分が良い。

  もう一度やや急な登りを上がると山の右斜面に入り緩やかに斜上して行くようになる。
小尾根を乗越すところで大石を見ると注連縄の下を潜り、神域に入った。

  子の権現が目と鼻の先、と言うところで "お茶休み" となった。
適当な場所を選んで抹茶と銘菓の、ちょっぴり贅沢な休憩をするのがこのグループの恒例になっている。

  このあたりは何度か通っているが、山が緑の時季に来たのは初めてだった。
新緑と春霞で至極穏やかな姿の伊豆ヶ岳と古御岳が見えた。

  休み場から僅かで子の権現境内に入った。
こじんまりしているが貫禄のある社殿だった。

  神殿の脇に巨大な金の草鞋と高下駄がある。
足の神様の象徴だ。
草鞋の前で記念写真を撮った。

  仁王像の間から山門を潜り、茶屋の間を通って参道を下ってゆくと高麗川対岸の山並が一望できた。
森の中に見える大きな赤い屋根は高山不動のようだった。

  車道の曲がり角に巨大な屋根付き駐車場がある。
左手に回り込んで行った所から右下の谷に下って行く道に入った。
急斜面をジグザグに下りてゆくこの道は、かつて表参道として賑わっていたに違いない。

  谷底まで降りると僅かで降魔橋を渡り、俗界に戻った。
  降魔橋からひと下りした所に浅見茶屋がある。
たまたま定休日の水曜で閉まっていた。
冬はいつ通っても閉まっている。
一度開いている時にきてここの蕎麦を食べてみたいと思った。

  青葉戸の集落を過ぎると谷が開け、やがて高麗川との合流点に出た。
橋の手前を右に折れて吾野に向かう遊歩道に入った。
高麗川渓谷沿いの道は、行きどまりのため車がこず、静かで穏やかな春の山歩きを締め括るにふさわしい道だった。

  途中、道端の民家の庭先に山の水が引いてあった。
この家の人が飲んでいるお茶やコーヒーの味を想像し、うらやましいと思ったほどの味だった。

  吾野駅前の茶店は閉まっていたので飯能で途中下車し、駅前の焼鳥屋で打ち上げをやった。
田舎の焼鳥屋だったが感じは良く、下戸ながら地酒が美味しいと思った。

                                                                                                          ページ先頭へ


☆おわりに
    伊勢路歩きの練習のために出かけた山だったが、最高の天気に恵まれ、鮮やかな新緑と色とりどりの花木、風雅この上ない竹寺の精進料理、春霞にけぶる山の眺め、そして帰り道に立ち寄った飯能駅前の焼鳥屋と、こちらを本番にしてもよい位だと、話したほどの山行になった。

  秋にもまた同じように楽しい足慣らしをしよう。
向かいに見える高山不動から関八州見晴台に上がり、顔振峠あたりまで歩いたあと、黒山鉱泉に下りてみようか、などと話し合った。