西丹沢、尺里-高松山-高松-寄(2008.11.30)

☆期日/山行形式: 2008年11月30日 単独日帰り

☆地形図(2万5千分1): 秦野(東京16号-3)、山北(東京16号-4)
☆まえがき
    本来なら秋口に再入門した西上州に3回目の山行を行うべき時期だったがほかの用事の都合との兼ね合いで、手近な丹沢に行き先を求め、残り僅かとなった未踏域から高松山を選び出した。

  高松山は、僅か850m 足らずの低山だが登りだしが低いため、頂上に達するまでの登高差は800m ほどあって一人前の山登りになる。
それでも山が小さいから、ただ登って降りるだけだと少々物足りないかも知れない。
向原に下山して新松田までバスに乗る代わりに、尺里峠から東に繋がる尾根筋を辿って駅まで歩いてしまえば、結構なトレーニングにもなると考えた。
草原が広がる高松山の頂上    (画像をクリックすると拡大)
  11月最後の日曜日に出かけたところ、この時季としても最高の好天にめぐり合わせ、気分良く登頂した。
雪煙を上げている富士山をはじめ、愛鷹山、箱根山などへの展望を楽しんだあとの下山も前半は順調で、込み入ったルートをうまくなぞって、高松の可愛く綺麗な分校まで下ったのだが、そのあと少々トラぶった。
松田への尾根伝いの最初のランドマークとなる最明寺跡史跡公園への入口は間違わなかったものの、その先の山に入ったところで枝道に迷い、右往左往した。

  1時間ほど歩き回った末にギブアップして戻り、今度は山裏の寄に向かったのだが、そちらのルートも後半は通る人もなくなった廃道を辿ることとなり、急斜面が崩壊して道形が消えてしまった難場を何箇所かすり抜け、ようやく寄の自然園に辿りつく始末となった。

☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[7:02]=中央林間=相模大野[7:40]=[8:21+5]新松田=[Taxi\1880]=高松山入口(8:45/55)-農道終点(9:25)-送電線鉄塔(9:55:10:05)-ビリ堂(10:25)-高松山(10:55/11:10)-尺里峠(11:40)-高松入口トイレ(12:05)-最明寺入口(12:10)-石仏分岐(12:15/道迷い/12:55)-道標の送電線鉄(13:40)-寄自然休養村(14:08)-(14:15)田代向[14:40]=新松田[15:05]=相模大野=中央林間=宮崎台


◆近くにある小さな山なので朝はユックリだったがアプローチの計画が甘かったせいで、新松田駅からのバスに乗り遅れた。
この日、丹沢湖の湖畔道路でマラソン大会が催されたため、駅前広場が一杯になるほどの人が出ていた。
そのせいかどうか、珍しく小田急の電車が5分ほど遅れたところへ、普段なら定刻より数分遅れて発車するのが習いのバスがほとんど定刻に発車した。
電車からバスへ乗り継ぐ時間を5分しか見込んでいなかった咎めを受け、改札を出たところでバスの後姿を見送ることとなった。
  そのまま駅前に止まって次のバスを待っているとますます人が増えてくるような感じだったので、手近な所にいたタクシーに飛び乗った。
国道も大混雑で、ノロノロ運転の連続だったが、高松山登山口バス停には乗り遅れたバスと同時に着いた。

  バス停のベンチで身支度を整え、すぐ脇の角から山に向かう道を進んだ。
高速道の下で左に折れ、橋を渡った所から僅か山に向かって進んだ所にトイレがある。(左)

  トイレの背後から左の尾根に上がって行く農道の入口に道標が立っていた。

  急斜面をくねり登ってゆく農道は所々で好展望が見られた。

  ひと登りしたところからは、右下の谷の斜面に広がる尺里の集落が綺麗だった。
谷の向い側は今日の行程の後半で歩こうとしている最明寺史跡公園から松田惣領への山続きだ。

  ひと登りして汗ばんで来た頃、農道の終点に着いた。

 

  山道は暗い森の中だったが、所々で美しい紅葉を見た。

  尾根の中ほど、標高430m あたりに送電線鉄塔が立ち、そのまわりが芝生になっていた。
登り口から1時間ほど歩いていたのでザックを下ろした。
風はなく、頭の上には真っ青な空が広がり、ひんやりした大気が心地よい。

  暫く休んでソロソロ歩き出そうかと思いかけた所へ年寄り二人組が登ってきた。
バス停にはこの二人の外に10人超の若者グループが居た。
若者たちは他所へ回ったようで、姿を現さなかった。

  二人組が行過ぎたあと一呼吸置いて出発したがそれほど行かないうちに追いついてしまった。

  道の上に2体の石像を見た所からさらにひと登りした鞍部に、"ビリ堂" と記した道標、2対の石像、この鞍部を通る道の歴史を記した立て札が立っていた。

  ビリ堂の先はやや傾斜が強くなる。
大雨の時に流れた水に道形が削られて歩き難くなった所を抜けると傾斜が緩み、やがて秦野峠から続く稜線ルートに合流した。

  T字路を右折して進んでゆく所は中潅木の間の穏やかな尾根道だった。

  間もなく先が開けてきて広々した草原の端に出た。
奥手には三角点標石、山名を記した標柱と道標があった。



  広場はがらんとしていたが奥手の右端にふたり座っているのが見えた。
そちらに近寄ってみたら、杉林が切れ、その先に富士山が見えていた。
富士の左手には愛鷹山、そしてその左手には箱根連山が大きく立ちはだかっている。

  ビリ堂の下で遭った老カップルはすこし遅れて登りついた。
グループハイキングの下見にきたようだった。
近くに腰を下ろして富士山を見ながら、どのくらい時間の余裕を見込んでおけばよいかなど、相談していた。

  十分休んだあと腰を上げ、太い鎖の手摺が張られている急降下から高松への尾根に乗った。

  尾根道は植林に覆われて視界は限られたが所々の樹木の間から丹沢の鍋割山一帯が見えた。
 

  この尾根ルートの大部分は、左のように穏やかで、急な下りはごく僅かだった。

  尺里峠の手前で林道と交差した。
用意して行った地図には記載されていない林道だったので少し迷ったが "尺里、向原バス停" へ行く道を指示する道標に従って右手に下った。

  折れ下って行く道の脇に建機が捨て置かれていた。
腹を立てた地主が立てたものか、ここに車を置くと破壊すると物騒な文句を書いた立て札があった。

  高松の山里は秋の終わりで名残の紅葉が綺麗だった。
所々で富士や箱根の眺めが良かった。

  庭先に風洞を据え付けた家があった
何のため、こんな所に風洞を持ってきたのか不思議だった。

  途中で尺里峠から下ってきた道に合流し、広い道路に出た。
T字路のすぐ近くにガイドマップに記載されているトイレがあった。

 

  美しい山里の中を歩いて高松分校の前に出た。
教室ふたつのこじんまりした校舎が、山を背に良い雰囲気だった。

  校舎の前で地形図をチェックし、約250m 進んだ角で "最明寺跡" と "寄自然園" とを示す道標が立っているのを確認した。

  道標の向い側から山に上がって行く最明寺ルートに入った。
道の曲がり具合とまわりの地形から正しい入口に入ったことは確かで、坂を曲がり登った所から右手に分かれる道(左の写真では左側の分岐)も地形図で確認した。
  しばらく進んで道が左に回りこんで行く所に立つ樹木に打ち付けてあった道標が今回の難儀の始まりだった。
このあたり、幅広の道形はあるのだがほとんど人が歩かず薮っぽくなっているのも、判断を惑わせるもうひとつの原因だった。 (それに、年取って山勘がボケて来たせいもあったかな?)

  並び立っている木にそれぞれ、左と右の方向を指示する道標が取り付けてあり、右手の杉林に入ってゆけば "向原、尺里" と記してあるのは分ったが、左向きの道標は白テープを貼って行き先が読めないようにしてあった。
迷い道のGPSトラック  (クリックで拡大します)
  方向としては左手のようだったが廃道で歩けない状態になっているかも知れない。
右手の杉林に入って行く道ならトンでもない方向違いではなさそうだからと、こちらを試してみた。
左の GPS 記録で、542m のピークに向かって窪を登り降りしたトラックである。

  踏跡ははじめきわめて明瞭だったが15分あまり進んだところで消えた。
これじゃダメだと入口に戻り、緑色矢印の方向に歩きかかったのだがかなり薮っぽく人が歩いた形跡もないので立ち止まった。(もしこれを進んで行けば最明寺に行き着けた筈だった!)
  これはダメかなぁ、と思いながら来た道を戻ったが、このまま引き下がるのは口惜しい。
 

  入口手前の分岐から左に入ってゆけば山の中を歩いて向原に下れるのではないか、と色気も出てきた。

  そちらをトライしてみたらこちらは水源林の保全作業道で、かなり先まで良い道が続いた。
途中では左のような高松山のビューポイントもあったが、GPS トラックで向原に下る破線の踏跡を見送った先は急速にルートがはっきりしなくなった。
このまま突っ込んで行っても沢詰めで道が崩れていたりして行き詰まるかも、と考えて再度ギブアップし、 入口に戻ることにした。

  また高松集落の端の道標の下まで戻ったのだが、このまま車道を歩いて向原のバス停に戻るのはやっぱり面白くない。

  地形図を見ると、東に流れ下っている沢沿いの道を歩いて尾根の端まで行けば何か大きな建物があり、そこから中津川谷沿いの斜面を北に約1km 程で寄自然園に行き着けそうだ。

  寄へ回って帰ろうと決めて歩き出した道は穏やかな谷に沿う林道だったが、尾根の端まで行ったところで行き詰まった。
谷側には左のような目的不明の小屋掛けがあった。

  まわりの地形はかなり急峻だ。
さて困ったことになったぞ、と思いながら見回すと、小屋掛けの横を下って行く黒色樹脂の階段を見つけた。
送電線巡視路でよく見る手の階段なので、これならどこかに行き着ける筈と下ってみたら左のような道標が立っていた。

  谷に下って行くのは最明寺公園、それと直角に谷壁を横切ってゆく方は寄自然園と記されている。

  しめしめとばかり、寄へのルートに入ったが、まったくと言って良い位、人が歩いた形跡がなかった。
左のように散り積もった落ち葉を踏んで気分良く進める部分が多かったが何箇所か枝沢を渡る前後では急斜面が崩れて道形がなくなり、グズグズの足場を危うく摺り抜けた。

  まだかまだか、という感じで歩き続けてようやく広い道に出た。
ガイドマップで高松から第六天の肩を越えて下ってくる実線ルートのようだった。

  あぁ、これで済んだな、と言う感じでブラブラ歩き、自然園奥手の駐車場に出た。
中津川沿いの道を歩いてゆく正面の、昼過ぎていくらか出てきた雲の下に見えるのは鍋割山稜のようだった。

  大型犬と小型犬と、ふたつに分けて遊ばせる広場の横から民宿集落の横を歩き、橋を渡って国道に上がると、向い側に田代向のバス停があった。

  思いがけない長途を案外楽に歩き抜けたと思ったが、高松の迷い道から3時間、ほどほとんど休まず歩き続けた脚の疲れは半端でなかった。
バスが新松田に近付いたあたりから強い頚痙に苦しむこととなった。
  電車も殆ど待ち時間なしで乗り継げたのは良かったのかどうか?座席にじっと座っていると頚痙が来るので、途中で一時立ち上がるほどだった。
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☆おわりに
    地球温暖化と言われているがこの冬は早くから寒くなった。
以前だったら高い山に上がらなくても雪に遭える季節になった喜ぶ時季なのだが、この頃は体の生理能力が下がって寒さに堪えられず、雪山に向かう意欲が薄れてしまった。
  その代わり、あちらこちらの低山に出かけるようになったのだが、それはまた別の世界で、混み入った地形の中で地図を読みきるパズルがあったり、思わぬ所で難場にあたってスリルを味わったり、美しい山里風景にめぐりあえたりで、意外に楽しめることを知った。

  高松山もこれまで軽視して近付かなかった山だが行っててみれば随所に美しい景色や展望があった。
下山路後半に道迷いのおまけまでくっ付いて、意外に手強い山歩きとなった。