奈良・三重県境 高見山、および伊勢 局ヶ岳(2008.10.18-20)


☆期日/山行形式:
2008年10月18日-20日  旅館・公共宿泊施設利用、単独行
☆地形図(2万5千分1): 高見山(伊勢14号-3)、宮前(伊勢10号-3)
☆まえがき
    ここ数年の春と秋は、シニア仲間で熊野古道を歩きに行くのが慣わしになっている。
今回は神宮から発足した伊勢路歩きの2回目で、2日目にツヅラト峠を越えたあとの2日間は、熊野の海沿いを歩くことになる。

  夏の間は天候が不順だったのと、老父のケヤー問題が持ち上がったのとで満足な山行ができなかった。
紀伊半島までのばす足をチョッピリ大回りにして、紀伊の山のひとつふたつに登れれば、いささかなりとも欲求不満の埋め合わせができるかも、と思った。

  鈴鹿や葛城にも惹かれたが、体調ベストとは言い難い状態だったし、あてられる日数も限られていたので高見山に行ってみることにした。
台高山脈北部にある山だが、大峰の山上ヶ岳から見ると鋭く尖った姿が印象的で、かねてより気に懸かっていた。

  伊勢路グループとの合流が楽になるよう、奈良県側から入山して登頂したあと、山の裏側の三重県松阪市最奥の舟方に下山し、谷を僅か下った飯高町波瀬あたりに泊まり場を求めることとした。

  波瀬と松阪市街のほぼ中間には、"伊勢の槍ヶ岳" の愛称を持つ局ヶ岳がある。
天候に恵まれ、一発で高見山に登れた場合は、予備日を利用してこの山にも登って松坂に行けることになるから、なかなか悪くない "ついで登山" になる。

  熊野古道グループとの合流は午後だから、その日の朝は松阪市内で歴史散策を行い、昼時に駅前のターミナルから出る熊野古道行き急行バスに乗れば、大台町で伊勢路歩き隊が乗り込んでくることになる。

  久しぶりに遠出の山旅だったが、3日続きの秋晴れに恵まれ、はじめての山の新鮮な山岳展望に触れることができた。
個性豊かで快適な泊まり場にめぐり逢えたのも良い思い出になった。
高見山 笛吹岩から台高方面の展望    (画像をクリックすると拡大します)


☆行動記録とルートの状況

10月18日 (アプローチ)
<タイム記録>

    宮崎台[6:54]=あざみ野=新横浜[7:52]=(ヒカリ#403)=[10:14]京都[10:45]=(近鉄特急樫原神宮行)=[11:32]大和八木[11:40]=[11:50]榛原[12:58]=(奈良交通バス)=[13:50]高見平野{たかすみ温泉天好園泊}


◆初日は高見山西麓の高見平野まで、アプローチの旅だった。
伊勢路で必要な衣類や靴は紀伊長島の宿に別送したので、家から担ぎ出したザックは普段一泊二日の山行で使っている小さなもので済んだ。
  通い慣れた吉野へのルートをなぞって新幹線京都から大和八木へ。   八木で東に向かう電車に乗り換えて約10分で榛原に着いた。
  榛原から出ている高見平野方面へのバスに乗り継ぐまでの間にお昼を食べる積りで、1時間ほどの待ち時間を設けていた。
  榛原の駅前広場は広く綺麗だったが、その割りには商店街が貧弱で、適当な食べ物屋が見つからず、困った。

  右往左往した挙句、肉屋の二階の料理屋に上がり、名物の榛原牛の牛丼を食べた。

  この牛丼定食は、その3日あとに松坂で食べた牛丼定食に勝るとも劣らないデラックス版だった。
ただ、うっかり食べ過ぎ、腹の調子を悪くしたのは不味かった。
  約1時間、尾根と谷が複雑に入り組んだ大和の山道を走ってようやく平野についた。
高見山西麓一帯を占める東吉野村の一角にある美しい河内で、山間の別天地とも言うべき所だった。

  ここではインターネットで探し当てた旅館 天好園に泊まった。
南隣には立ち寄り湯のたかすみ温泉・たかすみ文庫があった。
  早い時間に着いたので散歩がてら登山道の偵察を行い、 帰り道にはたかすみ文庫の展示を見た。
東吉野村は "俳句の里" として村づくりをしているようで、多くの俳人の色紙、短冊が展示されていた。
天好園の庭園  (クリックすると拡大)
  不調法者にも憶えのある有名な俳人の作品も多くあった。
「山葡萄ひと日遊びて精充ちて」 と言う句(草間時彦)が心に残った。

  天好園も風流な宿だった。
渓流沿いの広い日本庭園の中に連なっている数寄屋造りの離れが客室になっている。
  一万坪もある敷地の中に、釣り遊び用と食材用の池、大きな食堂、宴会場の建物、バーベキュー用東屋などが散在している。

たまには泊りがけの句会なども催されるという。

  宛がわれた客室は、左の写真中央の建物で、内部は広い畳のふた間に分かれていた。

  奥の部屋の床の間には、「日のあたる色となりゆく山ざくら」 と記した掛け軸が下がっていた。

  夕食はぼたん鍋だった。
すき焼きの肉を猪豚に置き換えた食材を、土鍋の味噌味の汁で煮て食べる山里料理だった。
昼の牛丼で食べ過ぎたため、腹具合と相談しながら慎重に食べることとなり、かなり残して終わったのは残念だった。
 
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10月19日 (高見山を越して波瀬へ)
<タイム記録>

    たかすみ温泉(9:15)-高見杉避難小屋(10:20/25)-杉谷平野分岐(11:00)-小休止(11:10/20)-高見山(12:00/25)-高見峠(13:00/05)-舟戸登山口(13:55/14:15)-落方舟戸口バス停(15:00)-(15:20)波瀬{グリーンライフ山林舎泊}


◆山もさほど大きくはなく、泊まり場も近いのでユックリ朝食を食べ、9時過ぎに出発した。
  事前に平野から登るルートの詳しい情報を見つけることができなかったので前日に下見を行ったところ、頂上にある高角(タカスミ)神社への表参道になっているようで、何も問題はなさそうだということが分かった。
南隣の杉谷からの方が登高差が短く、アプローチの便利も良いのでポピュラーなようだが、こちらに下山してたかすみ温泉で汗を流して帰る人も結構いるようだ。

  閉鎖された郵便局の前を左折すると行く手の谷に朱塗りの橋が架かっている。
その橋を渡ったところを左に折れると杉林の縁に登山口を示す道標が立っている。
道標の脇には役場の看板が立ち、落石、崩落などによる事故があっても村は責任を取りませんとかいう断りが記されている。
 

  入り口から10分足らずで堰堤に突き当たり、その手前で沢を渡って対岸の斜面に取り付く。
かなり急な杉林の斜面だが、ジグザグに登ってゆく幅広の道はよく整備され、断続的に擬似木の階段になっていて至って登り易かった。

  尾根の背に乗って暫く行くと、左手の樹木の間に頂上部が見えた。
まだかなり遠く、高い。


  間もなく尾根の右斜面に入って緩く下り気味に進んだが、沢を渡って行った先の暗い林の中に避難小屋があった。
小屋の脇に鳥居と大杉が立ち、その横手に "高見杉" と記した標柱が立っていた。
入り口から1時間あまり歩いていたので小休止。

  高見杉の先は暫く谷を詰めたあと小尾根に取り付き、頂稜に繋がる尾根に上がった。
  間もなく人の気配が伝わってきて、杉谷ルートに合流した。
そちらは秋晴れの週末で登りに来た人達が三々五々、登り降りしていた。

  暖地性の常緑林の中をやや急に登り上げ、傾斜が緩んできた所に大岩があり、国見岩と記した看板が立っていた。
神武東征の際、この岩に上がって伊勢方面を偵察し、軍議を行ったという。

  徐々に尾根の幅が狭まり、傾斜が緩んできたあたりで、地元の子供たちが追いついてきた。
元気一杯で先に出ては仲間を呼んでいる子と、くたびれちゃった、といいながらグズグズ歩いている子。 

  揺岩と記した看板を見た所からひと登りした所に笛吹岩の入り口があった。
子供たちと前後して巌頭に立つと、目の前に台高山脈方面への視界が開けた。(冒頭パノラマ)

  低潅木と笹の尾根を進んでゆくと屋上が展望台になっている避難小屋が見えてきた。
小屋のすぐ後ろの高みが天辺で高角神社の石造りの祠がある。

  狭い頂上には、裏側の高見峠から登ってきた人が大勢いて、混雑気味だった。

  小屋の屋上の展望台では、南から西への視界が広がり、台高-大峰方面の山並みが見えた(下)。
高見山頂上の展望 台高から大峰方面    (画像をクリックすると拡大します)

  祠の後ろ側に回り込んで東の方を眺めると正面は櫛田川の谷で、その左岸に山並みが連なっていた。

  やや遠くに高いのは局ヶ岳かと思ったが、後から分ったのは、局ヶ岳の西側に三峰山があってそちらのほうが高いから、それが見えたに違いないと言うことだった。


  左手(北)の谷の中には、兜岳・鎧岳と思われる特異な形の岩峰も見えた。

  右下を見下ろすと高見峠の広場に停まっている車が見えた。
サイクリングツアーが催され、サイクリング・ウエアーの人達が登り降りしていた。
その関係の車かも知れない、と思った。

  天気は良いし、時間も早いしでノンビリ頂上の景色を楽しんでいたが、手持ち無沙汰になってきたところでザックを担ぎ上げ、高見峠への下降路に入った。

  頂上直下はかなりの急斜面で、色付いた潅木の間の足元の悪いつづら折れを下る。
暫くすると徐々に傾斜が緩み、やがて野外テーブルのある広場に出た。
展望台と呼ばれている所らしい。

  日当たりが強く、風当たりがないため汗が出てきたのでテーブルでベストを脱いだ。

  さらに下り続け、峠のすぐ上まで下ると林の中に八百万の神を祭る石碑が立っていた。
八百万の先の階段の下は峠の広場で、サイクリングツアーの人達で賑わっていた。

  峠の広場の隅でひと休みしたあと、櫛田川谷奥、舟方への下降点に向かった。

  峠の広場から南へ100m ほど進んだところに左のような案内地図看板と道標が立っていた。

  吉野と伊勢を繋ぐ旧和歌山街道の道筋を辿るルートで一部を除いて林道並みの幅広の道が整備されている。

  見通しの利かない杉林の中の道で枝分かれが多いが、要所に左のような近畿自然歩道の標柱が立ち、赤テープのサインもあるので、迷うことなく歩けた。

  かなり下ったところに大二木茶屋の旧跡を示す看板が立っていた。
"伊勢の高見は高いようで低い、低い大二木の餅や高い" という戯れ歌が記されていた。

  杉林の中を下り続けたあと、右下の急斜面を折れ下って行くと、寺院跡「能化庵」 の史跡を示す看板が立っていた。
蘇我入鹿の妻子が、一段下にある蘇我入鹿の首塚を弔うために、住んだ住居跡と伝えられている。
  蘇我入鹿の首塚は、舟戸川の流れのすぐ上にあった。
大化改新(645)の時、大極殿で中大兄皇子と藤原鎌足に暗殺された入鹿を祀ったものだ。

  大化改新は、古来の神道を奉ずる保守派と仏教を奉じる革新派との争いだったのではないか、などと思った。

  首塚から僅か石段を下った所に架かっている橋を渡った所が舟方登山口だった。
橋を渡ったところは舗装された小広場になっていて、川縁に野外テーブルが設けられていた。
  谷間の麗な場所で、天気は良いし、時間も早かったのでノンビリ休んでゆくことにした。

  たまたま車が上がってきて止まり、年配の男と犬が降りてきた。
吠え掛かってきた犬を鱈チーズでなだめたあと、テーブルの脇の水槽で魚をすくい始めたおじさんと話をした。
  アマゴが産卵期になったので雄と雌を選り分けにきたという。
雌は卵で腹が膨れ、雄のほうは綺麗な婚姻色に染まっていた。

  長い時間休んだあとザックを背負い上げた。
かつて舟方集落は、国境の宿場町だったせいか、山奥に似合わぬ数の民家があった。

  村を通り過ぎようとする所で後ろを振り返ると、谷奥に高見山が端正な姿で立っていた。

 

  激しく屈曲する谷間を抜けだしたところが舟戸口だった。

  伊勢と吉野をつなぐ国道166号線に突き当たったT字路の角にバス停のポストが立っていたので、時刻表を確認した上で旧道に戻り、下流の飯高町波瀬に向かった。

 

  旧道沿いの集落の中を歩いたり、国道に出たり、
20分あまりノンビリ歩いて波瀬の林業センターに着いた。


  センターの横手から吊橋を渡った所にあるグリーンライフ山林舎に宿泊を予約していた。


  旧飯高町は町村合併の結果、今は松阪市の一部になっているが、全国でも有数な林業の中心地だと言われている。
グリーンライフ山林舎は山村生活体験施設として作られたもので、リーズナブルな料金で快適な宿りができる。
自動洗濯機が自由に使え、汗が滲みこんだ着物を綺麗にできたのは、長い山旅の途中では特にありがたかった。
  久し振りに山らしい山に登ったが、好天に助けられ、気分良く登り降りできたのが嬉しかった。

この山行の GPS 写真アルバムを見る
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10月21日 (局ヶ岳に登って松阪へ)
<タイム記録>

    山林舎-林業センター[9:23]=(三重交通バス)=[10:16]堀出(10:25)-局ヶ岳神社(11:00)-旧道登山口(11:10/15)-ルート探索(11:25/50)-小休止(12:15/20)-尾根道合流点(13:00)-局ヶ岳(13:24/30)-尾根道合流点(13:45)-尾根道から左折(13:48)-旧小峠道標(13:50)-新道登山口(14:25/30)-局ヶ岳神社(14:50/15:00)-(15:25)堀出バス停[15:43]=(三交バス)=[16:33]松坂駅前{ホテル泊}


◆山旅三日目も快晴になった。
登高差の点では局ヶ岳も高見山とほぼ同じで、約800m ほどの登高差があるのだが、国道のバス停からのアプローチが短いお蔭で所要時間は短い。

  ノンビリ朝食を食べ、ユックリ準備をして宿を出ようとしたら女将さんが写真を撮らせてくれという。
山行準備の情報集めの際、小奇麗なウエブが運営されているのは見つけたが、日記セクションがあって毎日のように更新していることにまでは気づいていなかった。

  郵便局の前でノンビリ景色を見ながら時間潰しをした。  贅沢な時間だった。
9時23分の松阪行きバスは少し遅れて走ってきた。

  走り出してすぐに通過する森で、南から流れ出している蓮川谷に入れば香肌峡温泉がある。
そこを足場にすれば、谷奥にある迷岳(1309.1)にはわりと楽に登れそうだ。

  40分ほど走った所にある飯高地域振興センターと道の駅との前にあるターミナルで休憩した。

  堀出バス停は、そこから走り出してすぐだった。
入り口の擁壁に大きな "局ヶ岳登山口" のサインがある。


  国道から坂を登って宮前の台地に上がると茶畑が広がり、その先の方に立っている局ヶ岳の形が美しかった。


  落ち着いた雰囲気の木地小屋集落を通り抜けると、徐々に谷が狭まり、やがて局ヶ岳神社の鳥居の下に着いた。

  社殿自体はこじんまりした物で、石段も雑草が生えていたが、辺りの雰囲気は神寂びていかにも伊勢の山奥の神社らしい。

  神社で小休止したあと、その後ろの林道に上がり、右手に進んでゆくと砂利の林道が分岐している。
林道に入って100m あまりの左の山側に、局ヶ岳旧登山道の入り口があった。

  登山道はあまり歩かれていないようで蜘蛛の巣が多かったが、暫く登った所で未舗装の林道にでた。
歩道の続きがはっきりしないので林道を進んで行くと右手にぐるっと回って行ったところで堰堤に突き当たった。
  登路の続きを求めて堰堤のまわりをあちこち調べ回ったがどうも分らない。
こりゃダメかなぁ、と半ば諦めて戻りかかったとき、堰堤の左側の崩れかかった斜面に古い虎ロープが垂れ下がっているのを見つけた。
一か八か、駄目もとの積りで這い上がってみたら道があった!
  見通しの利かない杉林の中を緩急を繰り返しながら登ってゆくルートは単調で、ひたすら我慢の登高となった。
  やがて上の方が明るくなってきて、大きくジグザグを描いたあと、左手にトラバースして尾根の背に上がった。

  事前に読んだガイド本には "小峠で稜線に上がり新道に合流する" とあったが、頂上にある電波反射板への指導標以外に特段の道標はなかった。
  樹木に妨げられて現在位置も判然としなかったがとにかく高みに上がれば何か見えてくる筈と、右手への登路を辿った。

  ルートはすぐに傾斜が強まった。
所々に出ている露岩をかわしながら高度を上げて行ったあと左手にトラバースし、細尾根の潅木の間を折れ登って頂上広場に着いた。
  さし渡し10m 足らずの小広場で、手前側に三角点標石、奥手には粗末な鳥居、その横の枯れ木に "局ヶ岳" と記したプレートがかけてあった。
週日のローカルな山の常で、人の気配はまったくなく、静まりかえっていた。

 
局ヶ岳から三峰山方面    (画像をクリックすると拡大)

  まわりの木が高いため十分な視界が得られなかったが西方にある三峰山方面への尾根の連なりを見通せた。

  頂上が確認できたので下山は頂上直下の急傾斜地を用心して下りさえすればあまり問題なさそうだと思った。

  最前登りついた合流点を通り過ぎ、僅か3分ほど尾根上を進んだ所に "下山路はこちら" と矢印を記したプレートがあった。
その指示に従って尾根の左側の斜面に入ると手入れの良い道が杉林の中に伸びていた。

  暫くジグザグを描いたあと小尾根に乗ると間もなく "旧小峠" と記した道標があった。


  下降路の下部は、幾つも分岐があって紛らわしかったがよく踏まれた方を辿り続けて行ったらひょっこり林道の末端に降りついた。

  横手の藪の間を抜ければ水流があるので登りのときはよい水汲み場になるだろう。
ここまで来れば神社まで幾らもないことが分っているので、小休止しただけで先に進んだ。

  すぐに舗装路に変わった林道を歩いてゆくと間もなく椿の滝登山口で、地図看板が立っていた。
その横には "熊に注意" と記した看板があった。




  登山口のすぐ先に車止めの広場があり、谷越しに山並みが見えた。(下)


  取付きでは少々苦労したがそのあとは順調に登れ、下山も手早くできた。
楽勝ムードでノンビリ歩いて局ヶ岳神社に戻り、広場の蛇口で顔を洗った。

  堀出から松阪へのバスは一時間に一本くらいあって割りに便利だから焦る必要はない。
木地小屋の家の庭先に咲いているいろいろな花や、植木鉢で作ったオブジェなどを愛でながらブラブラ歩いて堀出バス停に戻った。

  少し時間があったので、近くの店の自販機から缶ジュースを買ってきて飲みながらストレッチングをしているうちにバスが来た。
  バスが少し走ったところで大勢の高校生が乗り込んできた。ちょうど下校時間にあたっていたようだ。
そのあとは谷間の長い道を走り続け、1時間あまりもかかってようやく松阪駅に着いた。

  松阪は想像していたより小さな町で、予約したホテルもすぐ近くに見えた。
食事のために出たり入ったりしたくなかったので、駅前通りの食堂に入った。
何を食べるか少し迷ったが、折角だからと、松阪牛の牛丼定食を食べることにした。
普通肉の牛丼の2倍を越す1800円で、榛原のよりいくらか安かったが肉はこちらの方が美味いような気がした。
また食べ過ぎとなり、折角2日続きで昼飯抜きで山に登って復調した腹の具合をまた悪くした。

ホテルはありきたりの中級ビジネスホテルだったが客室の広さはそれなりにあって、山歩きの疲れを癒すには十分だった。
この山行の GPS 写真アルバムを見る
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☆おわりに

  幸い、3日続きの秋晴れに恵まれ、遠い国の山の目新しい山岳展望に触れることができた。
ユニークで快適な泊まり場にめぐり逢え、この年最高の山旅のひとつになるのは間違いないと思った。

  台高山域は、大台ヶ原から大杉谷を下って以来の2度目だったがこの一帯にはいくつもの魅力的な山があることを知った。
地元飯高町の山岳会がまとめた飯高の山のガイドマップを山林舎から貰って帰ったのでそれらを参考に計画を練り、数次の山行を試みようと思っている。