外秩父、桂木峠-鼻曲山-一本杉峠-黒山(2008.1.27)


☆期日/山行形式:
2008年1月27日  日帰り/単独、ミニ版バリエーション・ハイキング
☆地形図(2万5千分1)::越生(東京9号-3)

☆まえがき
    昨年末、弓立山から越生梅林を経て大高取山に登り、桂木観音に下ったとき、桂木峠から西に尾根を辿って行くと奥武蔵主脈の一本杉峠あたりに行き着けそうなことに気がついた。

  手許のガイドブックなどには案内記事や記録を見つけられなかったが、ガイドマップには破線が引かれ、標準タイムも記入されている。
ミニ版ながら地形図頼りのバリエーション・ルートと言うことになるが、一応ルートの整備が行われている様だからあまり問題なく歩き切れるのではないかと考えた。

  行程のあらましは、八高線毛呂駅(90)から歩き出して桂木峠(270)で稜線に上がり、368.3峰、鼻曲山(445)、カイ立て場(405)、496峰を経て一本杉峠(445)へ。
峠の北側を下れば笹郷(455)を経て鉱泉のある黒山(175)に下山できるから、時間があれば、ひと風呂浴びたあとバスで越生駅に戻り、坂戸・池袋経由で帰れることになる。


天望峠付近から望む外秩父、丸山・堂平山方面

  幸い山行日は穏やかな冬晴れに恵まれた。
ルートの大部分は杉・桧の森の中で展望には恵まれなかったが、思いがけない急登が出てきたり、岩尾根が現れたりで、これまでこの山域で歩いたうちでは、もっとも変化に富む面白いルートのひとつだった。


☆行動記録とルートの状況

<タイム記録>

    宮崎台[6:54]=長津田=八王子=高麗川=[9:07]毛呂(9:15)-桂木観音(10:25/35)-鼻曲山(11:45/12:00)-黒山分岐(12:25)-一本杉峠(12:35/45)-(13:40)黒山[14:13]=(バス)=[14:42]越生[14:50]=坂戸=[15:55]池袋=渋谷=宮崎台


◆ 毛呂駅から歩いて国道に突き当たった所を右に折れ、5分ほど進んだ交差点を左に折れて行くと道が二又に分かれている。

  そこを右手に入って行くと橋が架かっていて行く手に大高取山から桂木峠への連なりが見えてきた。

  橋の先を暫らく行った所に公民館があって毛呂山観光マップを描いた看板が立っていた。

 また川を渡ると滝の入の集落に入る。
集落の中に鋭角に道が分かれる二又がある。
角に立っている幾つかの道標の中で、桂木観音と記したものの方向を確かめ、右手の道に入った。


  家並みを抜けると徐々に谷間に入ってゆく。
右手の谷戸に立つ家の入口に東国、西国の巡礼地百箇所を巡った記念碑が立っていた。

  谷沿いの道路の登り坂が次第に強くなり、右手に折り返して登ってゆくカーブの手前に遊歩道の入口があった。

  橋を渡って杉林の中に入るとひんやりした空気に包まれた。

  ひと登りで車道に上がったところから右手に行くと桂木の山上集落に入った。


   集落の端で折れ曲がって左に向かい、観音堂の下を過ぎたあたりでまた山道をひと登りで集落最奥の車道末端に出た。


  柚子畑の向こうに観音堂の屋根が見えている。
駅から休まず歩いてきているので畑の縁にザックを下ろして休憩。

  道の突き当たりの民家の前に柚子と伊予柑のパックの無人販売があった。
100円玉を3個、箱に入れてひと袋買ったのだが、うかつにも伊予柑の積もりで柚子を取ってしまったことが帰りのバスの中で分かったのはご粗末なことだった。

  休憩地点から一段下った所から右の林の中に入って行く山道が桂木峠へのルートだった。
杉林の中を10分ほど歩くと旧桂木峠に着いた。

  深く抉れた道が山を乗越していて古くから人が通っている道であることを示していた。
  峠の先は杉林の中の見通しの利かない尾根道になった。
毛呂山町の標識と、個人が設置した小さい道標とが混在している。

  地表すれすれの小さな標識は、案内書もないようなごくマイナーなルートに入るとよく見かけるもので、年中見回ってルートを維持している特志家が居ることの象徴だ。

  杉林の中を10分ほど進むと車道が近付いて来るが、その手前に伐採地があって、このページの冒頭にあるような外秩父連山の展望が得られた。

  展望地すぐ先の鞍部に "天望峠" と記したミニ標識があった。
鞍部から登り返してゆく所には僅かながら残っていた雪の上に靴跡があった。
過去数日の間に2、3人が歩いたようだった。

  緩やかに上下しながら杉林の中を進んで行くと突然、前途に壁のような急登が現れた。

  約30m 程の急登を登り上げ、また平らになった尾根を辿ってゆくと鼻曲山らしいピークが近付いてきた。

  もうソロソロ鼻曲の登りかな、と思い始めたところでまた極端に急な登りになった。
標高差5,60超の細尾根の急登で虎ロープが張ってなかったらかなり腕力が必要だったかもしれない。


  急登を登りあげた所は鼻曲山頂上で林の向こうに外秩父の山並みが見渡せた。

  鼻曲山頂上の先は急登降がなくなる。
ただ、15分ほど進んだところで50m 程が岩尾根になっていてやや歩きにくかった。
ガイドマップに幕岩と記されているあたりだ。


  幕岩を過ぎるとまわりの地形が一転して穏やかになる。
主脈が近付いてきて楽勝気分になった。
カイ立て場と呼ばれているらしい小高い所で直角に左折し、緩やかに下って行った所に、左のような道標が立ち、黒山へ下るルートの分岐を示していた。

  こちらの行き先も黒山だからここから下る手もないではなかったが、一本杉峠まで行って尾根の繋がり具合を実見するのが今回山行の重要なポイントのひとつだ。

  主脈への最後の登りは結構急だった。
尾根の背に上がると密林の中に大杉が立っていた。

  左に写真では根方の部分しか写っていないが、この杉が峠の名の起こりではないかと思った。

  大杉から僅か歩いたところで尾根伝いの山道に突き当たった。
左に行けば十二曲りからユガテ、右の方は顔振峠と記した道標が立っていた。


  "縦走路" を僅かでグリーンラインの一本杉峠に出た。

  峠の北側の車道を下って行くと左上に越上山(オガミヤマ)が見えた。
昔の人が神を祭ったのが何となく分かるような雰囲気が漂う峰だ。

峠道は舗装されていたが日陰に消え残った雪が凍結していて足許に注意が必要だった。

  途中にあった道標の分岐から下ってきた歩道をあわせ、最奥の民家を過ぎたところに越辺川起点と刻んだ石標が立っていた。

  笹郷集落の中ほどに顔振峠から下ってきた道の合流を示す道標が立っていた。
  さらにその下手には、渋沢平九郎自刃の地と刻んだ石標が立っていた。

  石標のすぐ先に飛騨の合掌作りを移設した蕎麦屋があり、そのすぐ先が黒山で、T字路の右角が東上閣鉱泉宿の大きな建物、左側に店屋が数軒並んでいた。

  温かい物を食べたかったので、道端の蕎麦屋に入った。
石油ストーブの脇で身体を温めながら食べた山菜蕎麦が美味かった。
  店のすぐ脇がバス停だったのは都合が良かった。
もうすぐ来ますよと言われるまで女子マラソンのテレビ中継を見ていられ、待ち時間ゼロで越生行きバスに乗ることができた。

                                                                                                          ページ先頭へ

☆おわりに
  今回のルートは点線ルートへの好奇心で出かけてみたのだったがトンでもない急登があったり、岩尾根があったりで意外に変化に富んでいた。
この山域で歩いてきた中ではもっとも面白いルートのひとつではないかと思った。