奥武蔵、大高山-天覚山-多峯主山-天覧山 (2007.2.11)


☆期日/山行形式:
2007年2月11日 単独、日帰り
☆地形図(2万5千分1): 原市場(東京13号-2)、飯能(東京9号-4)
☆まえがき
     前回の奥武蔵、子ノ権現から竹寺は呆気なく終わっていささか燃焼不完全の感が残った。
今度はもう少し長いのをと、大高山(493)-天覚山(445.5)と多峯主山(270.8)-天覧山(197)と、ふたつの半日コースをつないで歩いてみようと考えた。
吾野駅から山に上がって、東峠・久須美峠で双方をつなぎ、飯能駅または東飯能駅まで歩いてしまおう、という "大" 計画である。

天覚山頂上から奥多摩方面を望む

天覚山頂上から奥多摩方面を望む        
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  実際に歩いてみたところでは、ルートの大部分が杉と桧の植林の間を通っており、展望が得られるのは天覚山、ゴルフ場の上縁、多峯主山、天覧山ほかの僅かなスポット。
至って地味なルートだったが、冬晴れの三連休中日とあって、結構歩いている人があり、全部で10人ほどと出遭った。


☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[7:15]=渋谷=池袋[8:06]=[9:17]吾野駅(9:40)-前坂(10:30)-車道(10:40/45)-大高山(11:10/15)-大両寺分岐(11:45)-天覚山(12:25/50)-東峠(13:15)-ゴルフ場手前の送電線鉄塔(13:30)-ゴルフ場のフェンス脇(13:45/50)-久須美坂(14:25)-277.5m三角点峰(14:45/55)-飯能日高団地車道(15:20/30)-造成地境界フェンス(15:44)-多峯主山(15:55/16:05)-天覧山展望台(16:40/45)-能仁寺(16:55/17:00)-(17:30)東飯能駅[17:47]=八王子=長津田=宮崎台


◆奥武蔵へのアプローチも通い慣れた道となり、特段のこともなく渋谷、池袋から吾野駅に着いた。
厳冬期だが三連休の中日のためか、駅前広場で熟年ハイカーの大グループが出発前の予備体操をしていた。
近くの "あじさい館" でもなにか催物があるようで、それに参加するために来たらしいグループもいて、これまでみた事もないような賑わいだった。

    駅からすぐ山に入るのでまず駅のトイレで身体を軽くし、そのあと駅舎の外側のベンチで足拵えを整えた。

  ルートは駅の裏側に見えている山裾の墓地の脇から始まるという事だったが、どちらに行けばそちら側に出られるのか、分かり難かった。

  駅前広場を右往左往したあと、下の国道を回って行ったら、駅の西隣にある寺に入る途中に左のような下水道のようなトンネルがあって、入口に道標が立っていた。

  線路の下を潜って線路沿いの車道を左に歩き、山の方に回ってゆくと墓参休憩所のような建物があり、その玄関先に山への入り口を示す道標が立っていた。(左)

  すぐに濃密な杉林に入った。
やや急な所をジグザグに登って高度を稼ぎ、左手の崩壊跡の上縁を登って行くと傾斜が緩む。

  小尾根を乗越すと山の左斜面に入って穏やかな山道になった。
厳冬期だが、林床に雪がないため冷え込んでいる感じがしない。
風もいくらか出ているようだが杉林が風避けになってくれている。

  左上に稜線らしい高みを見上げながら徐々に高度を上げ、思ったよりアッサリ前坂の乗越に上がった。

  林立する杉の大木に覆われた鞍部で、子ノ権現からスルギを経て大高山の方に行く尾根道と、吾野から中沢へ乗越して行く道とが十字に交わっている。(左)

  道標にしたがって左折するとすぐに小ピークを越し、ひと下りで舗装車道に出た。
車も来ない静かな小峠はちょっとした日だまりになっていた。
吾野駅から1時間あまり歩いていたので小休止。

  大高山は車道の先、四つ五つの小ピークを越えて行ったところにある。
その名の通り、行く手に大きく高く見えてる。
本峰が近づくと露岩の多い痩せた尾根になった。


  見かけはともかく、大きい山ではないのでひと踏ん張りで頂上に上がった。
樹木に囲まれ、落ち着いた雰囲気が漂うこじんまりした頂上だ。
北肩に小さな石碑が立っていた。
この尾根筋は多峯主山から子ノ権現を繋いでいる訳だから山岳信仰と関係があるかもしれない。

   展望がなく、寒い時期に長居する気にはなれない。
先が長いのでひと息入れただけで立ち上がった。


  頂上の先は一転して穏やかな尾根道になった。
ルートは明瞭で、要所には手造りの小さな案内プレートがあって的確な道案内をしてくれる。

  ルートの細部を熟知していなければ作れないような精確な図解案内で、ここをホームグラウンドにしている個人か小グループでなければできないようなものだ。


  細まった尾根の上にデンと居座る大岩が行く手を塞いでいた。
このように何かある所には必ずルート表示がある。
標識の指示に従って、岩の左脇から下降した。

  さらに3っつほどの小ピークを越したあたりは左側が檜の幼木林だったため視界が開け、高麗川谷対岸の奥武蔵主脈が見渡せた。

  杉・檜のため前後の視界が良くないが、前方の尾根上に突きだしたピークが見えた。
多分あれが天覚山だろうと思った。

   後ろを振り返ると樹木の隙間に尖がったピークが見えた。
さっき登って下りてきた大高山に違いない。
頂上付近の登り降りが急だったのが納得できる山の形だった。

  中藤大両寺へのルートが分岐する鞍部から登り返して410m 峰を越し、緩やかに上下して行くと天覚山になる。
頂上手前にある分岐を左に行くと、かつて両神神社があった敷地に行けると言うので少し入った所から覗き込んだら石碑の立つ広場が見えた。

  右手の道をひと登りで天覚山の頂上に上がった。
大高山とは対照的な広く平らな所だった。
頂上広場より一段下がった日だまりで長い休憩を楽しんだ。
   南から西に掛けて樹木が伐られ、下のパノラマ写真の様に広大な山岳展望が得られた。
左手遠くに丹沢山塊、正面が奥多摩の大岳山でその右が御前山、さらにその右は棒の折れ山ではないかと思った。
もっと右手の方をを覗き込むとソバツブ山から有馬山、大持小持あたりまで見えていたようだった。


天覚山頂上から奥多摩方面を望む        
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  天覚山からの下りはかなり急だった。

  右手に分かれる東吾野下降路を見送り、手近の木の幹に手を掛けながら急降下を続けた。

  まわりが檜の幼木のため前途が良く見える所があった。
手前側の鉄塔の先の鞍部が東峠、その先のピークの鉄塔を過ぎるとゴルフ場の上に出る筈だと、地形図を読んだ。


  急降下が終わった所に送電線鉄塔が立っていた。
右の沢窪を下って行く道があったが尾根の背にも踏跡があったので展望がよさそうに思えるこちらを選んだ。

  この選択は半分正しく、半分間違っていた。
ふたたび急降下になったが左側の眺めがよく、写真のように東吾野あたりの集落と物見山あたりの山が綺麗だった。


   さらに下降を続けて行くと右下の方に車道が見えて来たが最後の所で問題が起きた。

  切通し工事でできた崖を下る降り口が危なっかしい。
頼りない潅木や木の根に掴まって下ったが最後の4m ほどの所に立て掛けてある丸太の梯子が朽ちてほとんど役に立たない状態になっていた。(左)

  垂れ下がっている蔓のお蔭で何とか降り切ったが、これがなかったらまわりの崖の状態から安全に降りることはできなかった。

  補助ロープでも持っていない限りここを下るのは危険で、鉄塔から右手に分かれる道の方を下降すべきだと思った。

  車道を横切ってまた山に入り、小ピークを越した先をもうひと登りするとゴルフ場手前の鉄塔の足許に出る。
緩やかになった尾根道を僅か進むと左下に茶色のフェヤウエイが見えてきた。(左)

  時どきプレイしている人達の声が風に乗ってくるのを耳にしながら進んで行くと樹木の切れ目にフェンスがあった。
白子に下る車道が上がって来ているすぐ北の小ピークだったと思うが、 フェンスの脇をすり抜けた裏側が良い日だまりになっていた。
目の下がゴルフ場で、その先の方に奥武蔵、奥多摩の山々を望む最高の観覧席だった。
ゴルファーと奥多摩の山を眺めながら気持ちの良い休憩をした。


  山が低くなって人里が近づき、里山歩きの雰囲気になった。
まわりの林も所々で常緑・濶葉樹混合の自然林となり、明るく、落ち葉のクッションを踏む。


  久須美坂の手前の小ピークに祠があった。
お参りに来る人があるようで供え物が置いてあった。

  祠の庇に熟年の恋云々と落書きがあったのは感心しなかった。
何をするかは勝手だが、歳なりの思慮と慎みが欲しい。


  道が二股に分かれて紛らわしかったが山勘で右手の捲き道を進んだ。
結果としては正解で、杉林の中をグルゥーッと回って左のような標柱が立つ277.5m 三角点峰に着いた。

  標柱の脇で鋭角的に右に曲り、落葉樹の尾根の上を100m ほど南に進むと新興住宅街を見下ろす高台の上に丸太ベンチがある。

  ベンチで休みながら景色と地形図とを照らし合わせた。
下の住宅地は横手二丁目と三丁目、その先の広い空き地の向うに僅かな高まりとして見える森が多峯主山ではないかと見当をつけた。


  山から降りて宅地の裏側の尾根の縁を歩くところは、なんとなく三浦半島の丘陵歩きを思い出す雰囲気だった。

  民家の屋根越しに日和田山が見えた。
おととしの冬、奥武蔵への初山行であそこに登ったとき、富士山の前景に見えたのはこの住宅地だったかと思った。

  ちょっとしたピークを乗り越すと水が涸れた貯水池があり、その脇を過ぎると幅の広い車道に出た。

  ルートは道路の向かい側にあって右手に山腹を捲いて行く筈なのだが入口が分からない。

  山の上でつけた見当に従って車道を左手に、坂を登ってゆくと "永田通り" 記した道路標識があった。
標識のすぐ先、右側にあった階段を登って造成地の道路に出た。
こちら側は家が建ち始めたところで、端の方には工事中の家が数軒あった。
  家並を過ぎた所にあるテニスコートの先に通行止めのフェンスがあって先に進めない。
コートの脇を摺り抜けて隣の道に移ってみたがやはりフェンスがある。

  仕方ないので石垣を登って脱柵、続きの道路を進んだが、造成したあと何年も経っているようで、一面薄原になっていた。(左)


  宅地が尽きた所でフェンスに突き当たった。
あれ行き止まりかいな?、と進んで行くとゲートがあって外によく踏まれた道が通っていた。

  左手に進むと三又路があり、右は御嶽八幡神社、左は多峯主山に行けると記した道標が立っていた。


  突然、道が良くなって石畳の階段が出てきた。
歩きやすくはあったが長途を歩いてきた疲れで僅かな登りでも辛い。
ダマシダマシ歩いてようやく多峯主山の頂上に上がった。


 秩父盆地南縁の山から延々つながって来た尾根の末端近くの高みのため、すこぶる眺めが良い。(下)


夕やけ時の景色を狙ってか、ご同輩カメラマン2、3人が三脚を据えて頑張っていた。

  夕方なのに大気が透明で新宿の高層ビル群まで見えていたが、こちらとしては山の眺めに関心が強いので頂上の裏側にまわった。

こちら側も広大な眺めで、右側の高麗川谷と、左側の浦山川谷と、二つの谷を挟む広大な山域の展望が広がっていた。(下)
多峯主山頂上から奥武蔵方面を望む         (クリックで拡大、自動スクロールします)


  日も傾き、疲れも半端でなくなっていたが、ようやくここまで歩いて来たのだから最後まで頑張ろうと天覧山に向った。

  黒田直邦の墓、雨乞池の脇を過ぎ、見返り坂を下ると飯能笹が生えている谷地になる。
谷地の中を少し歩いた左側に天覧山への登り口があった。

  エーッ、これを登らなければいけないの?と言いたくなるような道だったがこれで最後なのだからと自分に言い聞かせ、歩幅を縮めて登っていった。
登り始めて間もなく犬を連れた少年とすれ違ったがさらにひと登りで東屋の脇に出た。

   高麗峠・宮沢湖方面に行く道の分岐を示す道標の脇を直進し、急な擬似木階段を登ると石碑の立つ天覧山頂上だった。

  明治天皇が近衛兵の演習を視察されたのでこのような山の名になったと言う。
右脇に茶店があり、正面が広い展望台になっている。

   展望台の手摺に寄ると、飯能市街が西日に輝き、その背後に広大な平野が広がっていた。(下)


  思っていた以上の長丁場だったがこれでようやく山を越し、あとは飯能へ下って駅まで行くだけになった。

  脚の筋肉のあちこちに疲労素が詰まったような感じとなり、ちっとした弾みでどこかが頚痙しそうだった。
  足腰を揉み解すような感じでユックリ下り坂を歩いた。

  途中、夕日のあたる林の枝が綺麗だった。
車停めを兼ねた園地を通ったときは、公衆トイレの明かりが目につく位の時間になっていた。

  能仁寺の入口で山支度を解き、飯能の町に入った。
駅は細長い町の向こう側にある
中学校の横から大通りを横切り、飯能銀座とも言うべき商店街を歩いた。
沢山の店が健在でシャッタ街になっていないのが良かった。

  西武飯能駅は通り過ぎて、町外れに近い所にある東飯能駅まで歩き、八高線に乗って八王子、長津田経由で家に帰った。

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☆おわりに
  久し振りのロングルートで終わりの方はバテバテ。
最後の多峯主山と天覧山はやっとの思いで乗り越した。
飯能市内の道をとても長く感じた程だったが、前回の不完全燃焼の埋め合わせはできた。
終日、好天に恵まれ、要所で大展望に接する事ができたのは嬉しかった。
奥多摩方面も良く見えたが、相変わらず降雪が少ないようで、一向に白くなって来ない。
急激な温暖化で途方もない破局がなければ良いが ...。