奥武蔵、西吾野-子ノ権現-竹寺-小殿(2007.1.27)

☆期日/山行形式:
2007.1.27  単独、日帰り

☆地形図(2万5千分1): 正丸峠(東京13号-1)、原市場(東京13号-2)

☆まえがき
    外秩父は年末の官ノ倉山・臼入山と年初の笹山・笠山とで主要な尾根ルートが一段落した形となった。
あらためて奥武蔵に方向を転換し、少し歩き込んでみることにした。
こちらの双子山から子ノ権現までの尾根伝いは、昨年の冬から春にかけてやっている。
今回は子ノ権現(640)以南の尾根筋に線を引こうと、豆口峠(570)-竹寺(480)-仁田山峠(400)-天神峠(355)と尾根・峠をつなぎ、上赤工(アカダクミ)の原市場中(160)前に下山する計画を立てた。
権現南方尾根から奥多摩方面を望む。    (クリックで拡大)

  予想天気図を睨んで見当をつけた好天日の狙いが的中。  これが厳冬期か、というほどの穏やかな陽気に恵まれた。
暖かな南風なのにほとんど雲が出ず、早春の山を歩いているような気分になった。
かつての神仏混交の古式をそのまま、山中にとどめている竹寺の風情が気に入り、あちこち見回って長居をしているうちに気持ちが緩んで戦意が低下、そのまま小殿に下山して、呆気なく終わってしまった。

いささか、燃焼不良の感が残る山行となったが厳冬期にのんびり山が歩けたことをよしとすべきか?


☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
宮崎台[7:15]=渋谷=池袋[8:06]=[9:22]西吾野駅(9:25)-登山口(9:40/45)-車道(10:40)-子ノ権現(10:50/11:00)-豆口峠(11:40/35)-竹寺鐘撞堂(12:00/12:10)-竹寺(12:15/35)-(13:10)小殿バス停[13:14]=[13:59]東飯能駅[14:08]=八王子=長津田=宮前平


◆ 秩父盆地の南東コーナにある北端の双子山あたりを除けば奥武蔵は交通の便が良く、どこで下山しても帰り道に困らない。
厳冬期の朝の冷え込みを避けるため、ユックリ家を出た。

  週末に池袋から寄居まで直通で運行される西部線の特急電車に乗った。
ザックを持った乗客が多かった。

  新聞を読んだり、握り飯を食べたり、寝足しをしたりしながらアプローチして西吾野で下車。

  15、6人のハイカーが降りた。
何人かは駅の下の角を右に折れて伊豆ヶ岳方面に向ったが、大半の残りは左手の道から国道に出て子ノ権現方面だった。

  国道沿いに10分弱歩き、登山口の橋(左)の手前の駐車場入り口の大石の上にザックを置いて山支度を整えた。

  小さな谷に入り、やや急な車道を登って行くと小床の集落がある。
小床峠への道を左に分けると間もなく最奥の人家があり、その先で車道が終わる。
杉林の谷底は日が差し込まず薄暗い。
30分ほどで谷の詰めになり、数回折れ登って尾根を乗越す。
しばらく尾根の裏側の谷の源流部斜面を捲いて行って対岸に移った所から1、2度折れ登り、左手に進んで行くと小床峠からの道が合流する。
間もなく舗装車道に上がった。(左)

  左手に車道を登って行くと杉の梢の上に谷向いの山が見えた。
かなり高い所に人家のようなものがある。
関八州見晴台の肩にある高山不動やその周りの建物ではないかと思った。
あの辺もこの冬のうちに行ってみたいと思った。

  大高山方面への踏跡が分岐している急カーブの先に舗装車道をまたぐ大屋根に覆われた駐車場がある。
911年創建と記した看板の横の出口の先が参道の入口だった。
茶店の先に山門があり、その向うに赤塗りの大入道が立っている。
悪いやつはつまみ出すぞ!と言わんばかりの厳めしい姿だが顔は笑っている

  子ノ権現の山上社殿は大きくはないが格好が良い。(下左)
  足腰の神様だということで、前庭の横手に巨大な草鞋・高下駄が置いてある。
ひと束100円の線香をあげて拝んだあと、庭の隅に腰を下ろして休憩した。
雲ひとつなく、まるで春が来たような穏やかな日和だった。
参篭所の茅葺が修理され新しくなっていた。
MTBで登ってきた5、6人の若者が参詣していった。

  参篭所の脇から裏側に回り、僅か下った鞍部からは尾根続きの山が良く見えた。
古御岳、伊豆ヶ岳から奥手の武川岳へ。
一度歩いた山は "兄弟分" だ。


  鞍部のすぐ先に竹寺方面への分岐を示す道標が立っていた。
左手へ山腹を捲いて行くと尾根を乗越した所にある大岩に注連縄が張ってあった。

  相変わらず杉林の中の道が続いたが豆口峠手前の小ピーク頂上を捲いて行く所に木立の切れ目があって蕨山、有馬山方面の展望が得られた。
厳冬期だと言うのに白い所は僅か。
今冬の温暖を物語っていた。

  617m のピークでMTBパーティに追付いた。
  樹林帯の小尾根の下降はなかなか大変のようで、転ぶものもいた。
雪の要らない山スキーのようなものだなぁ、と思ったが転んだ時の痛さは雪とは格段で、怪我の危険もあるだろう。
  神送り場の三角屋根がある豆口峠で休止したMTBパーテイに先行した。
緩く上下しながら進んで行くと埼玉テレビの中継アンテナが立つピークがあり、その先の浅い鞍部からひと登りで鐘撞堂のあるピークに上がった。(左)

  東西両側に視界が広がり、至極眺めが良い。
南東方向は下のよう、事のはじめになった日和田山から物見山の連なりとその手前に天覚山から多峯主山への連なりがうねって早く歩きに来いと手招きしていた。


  鐘撞堂でお昼を食べようかと思ったがどうも気になるので竹寺まで下ってみることにした。

  ひと下りで見えてきたのは牛頭天王の社殿で、近年再建されたものらしい。
山中のため明治の神仏分離令の対象から漏れたおかげで、寺と神社が同居している古来の山岳信仰の形態を残している旨、記した看板があった。

  大きな藁のリングが嵌め込まれた鳥居を潜って下りて行くと茅葺の庫裏があった。
蕎麦か何か食べさせてくれるような事がガイドブックに書いてあったような気がしていたが別段何もなさそうだった。
入口の近くに牛頭大王像が立っていた。
日中の協力で製作したと言う解説が添えられていた。
大鉞を持った偉丈夫で、東洋の超ヘラクレスとでも言ったら良いだろうか?



  中沢の方から上がってくる表参道入口の鳥居まで見回ったあともとに戻った。

  早咲きの梅の花の向うに見える屋根とその背後の山の佇まいが良い感じだった。






  神社の後の坂を登り返した所に小殿バス停ルートの分岐を示す道標が立っていた。
(左下)

  緩やかに斜上して尾根の乗越に上がった。
計画通りなら左手の尾根上の踏跡を辿るべきだったのだが竹寺でノンビリしすぎて気が抜け、どうも気が進まない。

  どうせ年寄りの遊びなのだから無理に頑張ることもあるまいと、小殿への下降路に入った。

   この道は関東ふれあいの道として整備されて至って歩きやかった。
前方の林の上に見える大ヨケノ頭・金毘羅山がドンドン高くなって行き、下の国道を走る車の音が大きくなり、やがて道路に飛び出した。
出た所は竹寺への裏参道入口になっている様で、その事を刻んだ石柱が立っていた。

 このあたりは谷が広がってちょっとした河内になっている。
多くの人家が集まり、学校の校舎も見えた。
谷奥には武川岳から伊豆ヶ岳と思われる山の連なりがスカイラインを描いていた。

  下山のタイミングは最高だった。
出口から100m ほど下手のJAの前のバス停のベンチでスパッツを脱いでザックに入れるや否や飯能行きがきた。

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☆おわりに
    今回の山行も順調に歩け、寒中の脚力維持トレーニングとしては意義があったのだが天気があまりによすぎたのと竹寺が良い所だったためノンビリしすぎて気が抜けて途中下山し、少々不完全燃焼の感が残った。
加齢とともに高い山は徐々に山行の対象としては "無くなって行く" が、この程度の低山ならまだ5、6年は無くならないだろうから今回の歩き残しはあとの楽しみしておけばよいが、次回の山行ではもう少し長いルートを歩いてみようと思っている。