日光、半月峠-社山-黒檜岳-千手ヶ浜(2007.6.18-19)



☆期日/山行形式:
2007年6月18−19日 民宿利用、単独縦走

☆地形図(2万5千分1): 中禅寺湖(日光12号-2)、男体山(日光12号-1)

☆まえがき
    関東地方に入梅宣言が出た。
雨が多くなるが、山はみずみずしい緑に覆われ、花も色とりどり咲いている時季だ。
ちょっとでも晴れ間があったら是非出かけたい。

  とはいっても、雨が降りやすいことに違はいなく、そんなときに岩・藪のルートを歩くのは辛いから、なるべくなら森に覆われた所や湿原のような所を選んだ方が良い。
さらに降りが酷いときには、それなりに楽しめるサブルートへのエスケープが可能ならば、折角の時間と金を、天気のせいで無駄にしたと、悔やまずに済む。

  良さそうな行き先をあれこれ考え合わせた結果、日光中禅寺湖南岸稜線の縦走をトライすることにした。
ここの尾根続きは半月峠以西が未踏になっている。
手元のガイドマップでは、社山から黒檜岳までが時間記入なしの破線ルート、黒檜岳から千手ヶ浜への下降路は灰色破線(廃道?)になっていた。

  まさか歩けないこともあるまいと、ネットで検索をしてみたら2、3件の縦走記録が見つかった。
いずれも山慣れた者のレポートで、一部にルート不明瞭な部分もあるが特に危険な箇所もなく、体力的な負荷はともかく、それほど難しいルートではなさそうだ。


阿瀬潟峠西方 1567m 峰付近の展望。 右に半月山、中禅寺湖の向う側に男体山。    
(クリックすると拡大します)

  社山と黒檜岳の間は開けた笹尾根の部分が続くようだから、運良く好天にめぐりあわせれば、左右双方の展望を楽しむことができるだろう。
もしかしたら歩いてみたい、白錫尾根の繋がり具合や、宿坊堂山の様子を偵察することもできる。

  予想天気図をウオッチしていたら入梅早々に "中休み" の好天が来そうな見込みとなったので急ぎ準備を整えた。

  大まかな計画は、前日に東武日光駅からバスで中禅寺温泉(1270)に上がり、立木観音(1275)イタリア大使館別荘記念館(1275)を経て狸窪(1275)まで歩いて、宿舎の半月山荘へ。
荷物を預け軽装になって、半月峠(1585)に上がり、阿世潟峠(1410)、阿世潟(1275)を歩いて足慣らしをしたあと山荘に戻って宿泊。

  二日目に阿世潟(1275)から阿世潟峠(1410)に上がり、社山(1826.6)からpk1816を経て黒檜岳(1976)まで縦走。  1802m 標点から千手堂跡(1270)に下り、千手ヶ浜(1275)から低公害バスで赤沼(1390)に出たあと路線バスに乗り継いで東武日光駅(535)経由帰ろう、というものであった。


☆行動記録とルートの状況

月18日 (曇)
<タイム記録>

    宮崎台[7:04]=北千住=[10:14]東武日光[10:27]=(路線バス)=[11:12]中禅寺温泉(11:10)-立木観音(11:30/12:30)-イタリア大使別館記念館(12:45)-狸窪(13:05/15)-休憩(13:55/14:05)-半月峠(14:20/25)-展望峰(14:40/50)-阿世潟峠(15:10)-阿世潟(15:25/30)-(15:55)狸窪{半月山荘}

◆日光へは手馴れた通い道になっている。
特に東急線と東武線が相互乗り入れするようになってからは一段と便利になった。
最寄り駅で乗車したあと、北千住で一回乗り継ぐだけで東武日光駅に行き着いてしまう。

  ウッカリして湯元行きバスの乗り場に並んでいたら、定刻に来た中善寺温泉行きバスが別のポストに停まった。
慌てて行列を乗り換え、あとの方から乗り込んだが月曜日だったせいで空席が沢山あり、何も問題なく発車。
運転席の後に掲げてあるLED掲示板は英・中・韓の多言語表示になっていた。
さらにバス停の表示が変更され、地名だけでなく数字番号も併せて表示されるようになっていた。
海外からの客が増え、迷う客が多くなっているのだろう。

終点の中善寺温泉で下車して湖の方に進み、大鳥居の手前で左に曲がった。


  やや雲が多くすっきりしない空模様だが、湖の向こう側に、ピラミダルな社山とその先の尾根続き、さらに黒檜岳と思われるモッソリした山が見えた。

  半月山荘の女将さんには3時過ぎに来て欲しいといわれていた。
時間はたっぷりあるのでユックリ歩き、立木観音前の店に入って "湯葉蕎麦" を食べた。
観音堂にも参詣したあとイタリア大使別荘へ。

  さらにひと歩きで半月山荘に着いた。
誰か居れば荷物を預かって貰おうと思っていたのだが人気がない。
庭の隅で小休止していたら中年夫婦が降りてきた。
キックスクータを持っている。
アプローチが舗装路だったら効果絶大だろう。
うまいことを考えましたねぇ、と声をかけたら、ニッコリ得意顔だった。

  休憩を終え、半月山荘のすぐ先にある車止めの先から半月峠道に入った。
道は良く整備されて歩きやすい。
濃密な緑の中のジグザグ登りが終わり、右手に斜上して行くようになると峠は近い。

  上の方が明るくなった所を2、3度葛篭に登って峠の鞍部に出た。
中禅寺湖南岸ルートを描いた地図看板と、右手へ登って阿瀬潟峠へ行くルートを示す道標とが立っていた。

  ひと休みして尾根道に入った。
この尾根続きの特徴とも言える姫笹の疎らな林になっている。

  鹿が多いようで、いくつかの踏跡が平行している。
ひと登りで1655m のピークに上がった。
静かで良い休憩場所だった。

  ピークの裏側はかなり急な下りになっている。
小ピークを越した先は左斜面が崩落して痩せ尾根になり、足許に注意する必要があった。

  あらかた下り終わった所で振り返ると左のように見える。

  崩落部の先の小ピークを越すとまた穏やかな笹尾根になった。

  前方に近付いてきた阿瀬潟峠西側の山が、進むにつれて次第に高くなってゆく。

  やがて道標の立つ峠の鞍部が見えてきた。
中善寺湖畔から足尾の方に乗越して行く峠道と尾根道とが十字に交わっている。



  阿瀬潟峠ではチョッと立ち止まって一息入れただけで右手の道を下った。
鞍部直下の斜面はやや急で、丸太階段の葛篭道になっていた。

  土砂が流失してハードルのようになっていて歩き難かったがすぐに傾斜が緩んで穏やかな下りになり、やがて湖岸遊歩道とTの字に突き当たった。

  右に折れて山荘に向かって歩いていると所々で湖が見えた。
釣り人がかなり深い所まで入って竿を振っていた。

  阿瀬潟から30分足らずで半月山荘に着いた。
女将さんが戻って庭先を歩いていたので声をかけた。
どこに行ってましたか、と聞かれたのでうしろの山をひと回り、明日の練習をしてきました、と言ったら、ニヤっと笑った。

  中に入ると玄関続きの廊下に沢山の釣果写真が掲げてあった。
半月山荘とは言い上、泊り客のほとんどは釣り客になっているようだった。


  特段の愛想はなかったが、こじんまり落ち着いた居心地の良い宿で、湖に面した部屋からの眺めが素晴らしかった。

  道の向かい側にクリンソウとイワザクラ(左)が咲いていた。

  ぬるめの風呂にゆっくり入って旅の疲れを取り、腹いっぱい夕食を食べたあと、早い時間に寝た。


                                                                                                             ページ先頭へ


月19日 (快晴のち曇)
<タイム記録>

        狸窪(7:05)-阿世潟(7:30)-阿世潟峠(7:55/8:00)-社山(9:30/45)-pk1792(10:35/45)-pk1816(11:15)-黒檜岳肩(11:30/35)-黒檜岳(12:40/13:05)-pt1802上(13:25/30)-1650m 付近(13:50/57)-千手堂跡(14:45)-沢(14:50/15:15)-千手ヶ浜花畑(15:30/40)-(15:50)バス停[15:55]=(低公害バス)=[16:25]赤沼[16:59]=(路線バス)=[17:58]東武日光駅[18:10]=北千住=[21:54]宮崎台



◆明るくなるとまもなく目が覚めた。
晴れの予報だったが窓の外は霧で真っ白だった。

  サテどうなるのかと、コーヒーを飲みながら外を見ていると徐々に晴れてきて男体山が姿を現し、湖面に漂う霧の中から早朝出勤の釣り船が出てきた。
夢のような景色だった。


  朝食を食べているうちに霧が消え、雲ひとつなく晴れ上がった。
この時期には希な清透な晴天だ。

  早めに用意してくれた朝食をユックリ食べ、ノンビリ準備をして宿を出た。
湖岸の遊歩道を歩いてゆくと朝日を受けた新緑が美しかった。

  阿瀬潟峠から社山に向かって右折、まずアンテナが立っているピークに上がる。
峠の向かい側からはかなりの急登のように見えたが実際に取り付いてみるとそれほどではなく、やや急ながら登りやすい尾根だった。

  やがてアンテナ鉄柱の左下に登りついた。
ピークの裏側に回りこんでゆく所は左側が崩壊気味になっていた。
2、3箇所、尾根上の露岩を過ぎると1567m のピークに上がる。

  まわりが開けて気分が良い。
笹原に腰を下ろして登ってきた方を眺めると、昨日越した1655m 峰とその背後の半月山が真近かだった。

  さらにひと登りすると中禅寺湖の水面が見え、その先に平らに広がる戦場ヶ原も見えてきた。(下)

社山東方1655峰付近から中禅寺湖、戦場ヶ原方面を望む     (クリックすると拡大します)


  高度が上がって社山が近付くと笹原の尾根になった。(左)
鹿の通り道が幾筋もあり、人の道と交差したり並行していたりして紛らわしかった。

  視界が広大となって、ページトップのパノラマ写真のような展望が得られた。

  やや急なところを乗り越え、緩やかになると社山頂上は近い。
僅かながらシロヤシオやドウダンツツジの花が見えた。

ゆるくなった登りを進んでゆくと社山頂上の標識が見えてきた。

  南側は樹木がなく、足尾の谷が見渡せる。
銅精錬の煙害で枯死した山林の修復が進められていると聞いているが長年の爪あとはまだ明瞭に残っている。


  頂上の裏側に回って降り口に近付くと行く手の山並みが見えて来た。
丸い黒木の双耳峰に見える黒檜岳へ向かって笹の尾根がうねり続いている。
黒檜岳の右に見えるのは錫ヶ岳、右手に高く残雪を抱いているピークは奥白根だ。


社山頂上から黒檜岳への縦走路、および県界尾根錫ヶ岳、白根山を望む    (クリックすると拡大します)


  社山からの下り始めの部分のルートは分かりにくかった。
大石が積み重なった上にコメツガが密生していて、踏跡がはっきりしない。
いくつかある赤テープのコースサインでルートを見定めながら下って行くとパッと開けた裸地に出た。

  火山性のザラザラした尾根で、踏跡不明瞭だが向かい側の斜面の笹の間に明瞭な道筋が見える。
視界が良いからそれを目指してまっすぐ進むだけで良かったが、天気が悪い時の話は別で、方向を誤らぬよう、慎重な注意が必要だろう。
この鞍部は左に3分ほど下ると水が得られるという。

  笹の斜面に取付き、まっすぐ登りあげると黒檜岳に向かうルートを示す道標が立っていた。


  道標の指示に従って左折すると行く手にゆったり上下する笹尾根の連なりが見えて来た。

梅雨の晴れ間を齎した爽快な風が山の上を吹き渡り、尾根歩きの醍醐味を感じた。

  古希を過ぎて、このように綺麗な所へ来られるのは本当にありがたいと思った。

  社山と黒檜岳との中間にある1816m 峰への登りからは中禅寺湖西端の砂浜が見えた。
今日歩いているルートの下山先である千手ヶ浜だ。
(下)

  正面奥手に白根山とその前山。
その右手に見えているのは於呂倶羅山、山王帽子山から太郎山あたりではないかと思った。

  中禅寺湖の俯瞰は男体山や奥白根からも得られる。
特に後者では日光市街のある大谷川谷とその先に広がる平野が、箱庭のように綺麗だった。
しかし、次第に移り変わってゆく視点から変化のある眺めが得られる点で、この尾根は最高だ。
  1816m 峰を乗越し、その次の高みに登りあげた所でザックを下ろした。

  来し方を振り返ると、1816m 峰と社山とが重なり、その後に半月山の尖がった姿、さらに遠くの背後に、禅頂道の薬師岳から夕日岳への連なりが見えていた。

  半月山から右手に下っている尾根上に平坦部がある。
多分駐車場があるのはあのあたりなのだろう。

  このあたりは笹払いから時間が経っているようで、いくらか被り気味になっている。
  高みから右手に湾曲している尾根を乗越し、シラカバの疎林の中を緩く下ると広々とした浅い凹地の縁に出た。
何となく気配があったので熊追いの声をあげたら間もなく、向うの方から人が歩いてきた。
近付いてみたら中年女性だった。
これから阿瀬潟峠の方に行くとのことでこれまでのルートの状況を聞かれた。
通ってきた部分の概況を話し、天気が良くて視界が利くし、分かりにくい社山も、登りならひたすら高みを目指すだけだから問題ないだろうと話した。

  広場の先を右手に上ると左のような尾根に乗った。

  左下は松木沢の筈だが、谷底は見えない。
足尾の谷の先は地蔵岳、氷室山などの前日光山域ということになる。

意外に分厚な山並みだと思った。


  緩やかな笹尾根の登りが終わると、シラカバ・唐桧の混合林に入ったがすぐに抜け出し、広々とした笹原に出た。

まさに山上の別天地だ。

  広場の奥手に道標が立ち、黒檜岳へは右手に進むよう指示している。
左への細い踏跡は三角点のある大平山へ通じているようだ。


  道標を過ぎるとすぐに針葉樹の森に入る。
シラビソ・大シラビソが密生し、昼なお暗き森だ。
踏跡が不明瞭になって分かりずらくなるが、要所にある赤テープと色塗りプレートのコースサインが正しいルートに導いてくれる。

  緩く下っていった鞍部の先をひとのぼり登り返した所に黒檜岳頂上の標識プレートと千手ヶ浜への下降路を示す道標が立っていた。

  狭苦しくて薄暗く、陰気な頂上だが、ここまで辿りつけばほぼ計画達成だ。
それなりの達成感に浸りながら長休みをした。

  バナナを食べたり、冷コーヒーを飲んだりしていたらふっと気配が流れてきた。
みると若い鹿が出てきていた。
急いでカメラを出したこちらの動きに警戒して逃げかかったが、優しい声で呼びかけてみたら抜き足差し足で近寄ってきた。
   写真のほとんどは手ブレで駄目だったがひと駒だけは何とか見れる程度に写っていた。

  長い休みで長途の登りの疲れを癒やしたあと下山に掛かった。
頂上直下は混沌とした地形の中をやや急に下る。
熟年男二人組と出遭った。
いくらか心細かったのか初めて人に遭ったと喜び、頂上までどれくらいか、と聞いた。
もう直ぐですよと励まして先に進んだ。

  小ピークを乗り越すとしばらくは緩やかな下りが続いたが、1802m 標高点(左)から先はつるべ落としの急降下になった。

  両側にシャクナゲが続いた。
花は1800m 直下に僅かな咲き残りを見ただけだったが群落は長い間見え、これまでに見た中でも最大級ではないかと思った。

  斜面は非常に急でボンヤリ歩けないが、密林の中なので掴まり所には不自由せず、危険は感じない。

  僅かな緩傾斜地でひと息入れ、右手にトラバースするとまた急な小尾根の降下になった。

  大分下って小尾根の傾斜が緩むと岩峰の手前に右向き矢印の道標がある。
尾根の背を外れ、谷上部のトラバースになると間もなく水流を渡り、フィックスロープの助けを得て対岸に上がった。

   その先もしばらくかなり険しい谷壁の斜下降が続いて気が抜けなかったが、やがて急に地形が緩んで谷が広がり、左のような緑が一杯の所に着いた。


  平になった道を僅か歩いた所に湖岸遊歩道への出口があった。





  左は阿瀬潟、右は千手ヶ浜と記した道標の脇を左折するとすぐに石段があリ、千手堂跡を示す立て札が立っていた。(下左)

  千手堂跡のすぐ先で沢にかかる橋を渡った。
対岸で水際に下り、濡れタオルで体の汗を拭い、乾いたシャツに着替えた。

  浜の砂地と林の境を10分ほど歩くと千手ヶ浜のお花畑が見えて来た。
林の間の草原は一面クリンソウの花だった。

  何駒か写真を撮ったが、あまり花が多すぎると人為が勝って鼻につくなぁ、と感じた。


  お花畑をあとに、また浜と森の境を歩いて千手ヶ浜の船着場に着いた。

  菖蒲ヶ浜との間に運行されている遊覧船は最終便が出たあとだった。
桟橋の先に男体山が高かった。
  船着場の切符売り場から5分ほど舗装路を歩いた所にバスターミナルがある。
戦場ヶ原を経て赤沼まで、ディーゼル電気式の低公害バスが、30分に一便程度の頻度で運行されている。

  クリンソウがテレビで放映されたためわっと人が押しかけ、週末は大混雑だったそうだがこの日は暇人しか来られない週日で、行列していた者はほぼ全員座席があった。

  赤沼の路線バスへの連絡が悪く、東武線も特急料金をケチったらやたら時間が掛かったが、それなりのノンビリ旅をして帰宅した。

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☆おわりに
  日頃の心掛けのお蔭か、二日目の朝は雲ひとつない快晴に恵まれた。
急登に耐えて社山に上がり、頂上裏側の黒檜の茂みを慎重に下って開けた鞍部に出ると周囲の雰囲気が一変した。
まばらに潅木が散在する笹尾根の広濶なうねりが続き、奥日光、足尾方面への大展望を楽しみながら至福の稜線漫歩を行うことができた。

  1816m 峰の先にある広い窪地とその先、黒檜岳の東南肩にある平坦な広場は山上の別天地だった。
人跡薄い鹿の天国になっているこの山連なりは、関東平野を取り巻く山域でトップクラスの縦走ルートのひとつではないかと思った。


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