外秩父、白石-笹山-笠山-栗山(2007.1.14)


☆期日/山行形式:
2007.1.14 日帰り、単独
☆地形図(2万5千分1): 安戸(宇都宮16号-2)、武蔵小川(宇都宮12号-4)

☆まえがき
    外秩父は昨年の冬から春にかけて何度か出かけて主要部はあらかたカバーしたがまだあちこちに登り残した山がある。
今度は、昨年末に歩いた官ノ倉山の隣にある笹山から笠山を繋いで歩いてみることにした。
2007年の初山行である。

  ただ、大人しく外秩父七峰縦走ルートの一部をトレースするのだけでは面白くないと思いながらガイドマップを眺めていたら笠山神社のピークから北東に派生する尾根の上半部に点線が引かれているのに気が着いた。
この尾根を下れば笠山神社下社から栗山を経て切通しバス停に出られる。
車道歩きがやや長いけれどもとかく家に篭りがちになるこの時季、かえってよいトレーニングになるだろうと思った。


笹山頂上西肩から奥秩父連峰、両神山方面の展望


☆行動記録とルートの状況

<タイム記録>

    宮崎台[7:05]=渋谷=池袋[8:00]=(東武東上線)=[9:01]小川町[9:25]=(バス)=[9:56]白石車庫(10:10)-笹山峠(11:10/15)-笹山(11:30/40)-林道(11:52)-笠山西峰(12:15/25)-笠山神社(12:30/35)-舗装林道(13:15)-赤木(14:05)-(14:36)切通[14:39+3]=(バス)=小川町駅[15:03]=[16:04]池袋=新宿=渋谷=宮崎台

◆小川駅から白石車庫へ入って七重峠に上がるルートは2度目なので様子が分かっている。
日曜日と典型的な冬晴れが重なったためこの前の官ノ倉山とは大違いで、小川駅前のバス乗り場は30人ほどの行列ができてた。
バスはほぼ満席の状態で発車したが、大部分は途中で降りてゆき、終点の白石車庫まで行ったのはほんの数人だった。
粥新田峠から大霧山あたりを登りに来た人が多いようだった。
白石車庫で降りた数人もあらかたは白石峠にあがったようで、七色峠への登路に入ったのはひとりだけのようだった。


    綺麗な青空を見上げながら白石の集落の中を歩き、10分ほど進んだ所で左手の山にあがる林道に入った。
大きく迂回して高度を上げて行く舗装車道を30分ほど登った所に登山道入口がある。

  猟師が来ていて車が数台止めてあった。
熊や猪と間違えられて撃たれないよう気を着けねばと思った。

  登山道は杉林の中を斜上する道から始まる。
水流のある沢溝を横切った。
この時季にしては豊富な量の水が流れている。
水場として当てにできそうだ。

  ひと登りした所で迂回してきた車道と再会。
道路を横切って向かい側の山に上がり、また沢溝に沿って登って行くと上の方に峠の鞍部が見えてきた。

  日影に消え残りの雪があった。
年明けに降った冷たい雨は山では雪だったという訳だ。

  笠山の方から山腹をトラバースしてきた縦走路を横切るとすぐに七重峠の車道に上がった。
白石車庫から休まず登って来たので一服。

  若者が一人歩き過ぎていったがそのあとは人影もなく静まりかえっている。



  七重峠から北へ200m ほど行った所に笹山への入口らしい分岐があった。
道標はなく、入った所に傾いた小屋掛けがある。

  これ以外にルートはなさそうなので踏み込んでみたら木材を埋めた階段になっていた。
所々が霜柱で凍上していたがシッカリ凍結して乾いた道になっていた。

  小ピークをふたつ越して行った先に茅戸の笹山の頂上があった。
パラグライダーの発進場になっている様で、まわりの樹木が伐り払われている。

  お蔭で広大な視界が開け、武蔵野の先の方に高層ビルが林立する都心まで見えた。


  うしろを振り向くと、谷向かいの大霧山の先の方に、奥秩父の破風山、木賊山、甲武信岳から十文字峠方面への連なりと両神山が立ち並んでいた。
(下)

笹山頂上付近の展望、遠く奥秩父甲武信岳から十文字峠、両神山    (クリックすると拡大)

  両神山の右手はこれから向う笠山で、小振りながら三角形に尖がって格好の良い山だ。


   来た道を戻って林道に出るとすぐ先が笹山峠で、七重峠から山の裏側を通ってきた縦走路に合流する。
尾根に上がって進み、小高い所で振り返るとさっきまで居た笹山の頂上が良く見えた。


  ソロソロ笠山の登りと言う所の尾根が林道工事で断ち切られていた。
案内看板の指示に従って林道に降り、少し歩いた所から向かい側の山に入った。

  やや急に登って尾根の上に戻ると、外秩父七峰縦走路の広い道になる。
良く踏まれているが傾斜は結構強い。

  単独のおばあさんとすれ違った。
といってもこちらより若かったかも?


   大きな境界標識柱が立っている高みで尾根が右に曲がる。
その先は緩やかな坂道になって、ほどもなく笠山西峰の頂上広場に着いた。


   北から東側の樹木が伐り払われて視界が広がっていた。
皇鈴山、鐘撞堂山の先には榛名・赤城と上越国境の山々が見えた。


   その右手遠くには日光の山々が連なっていた。
2週間前に比べて格段と白さを増し、厳冬期の装いになっている。

  熟年男が広場の隅の丸太に腰を下ろしてカップ麺を食べていた。
千葉から来たと言う。
伊予が岳や富山の事を少し尋ねたあと、東峰に向った。


   小さい鞍部から登り返した東峰は僅かながら西峰より高い。
木立の中に笠山神社の社殿が、一段下がった所に休憩小屋があった。
この年にお参りする最初の神社だ。
賽銭を奮発し、一年の山の安全と健康を祈願した。

  休憩小屋の脇の立木に道標が取り付けてあった。
栗山を経て切通しバス停まで6Km と記してある。
西峰に居た時にはこのまま一般ルートを歩いて皆谷か、物見山を通って学校入口へ下ろうかとも思ったがやはり初志貫徹、"点線ルート" をトライしてみる事にした。


  休憩小屋の裏側の急な斜面にジグザグを描いて少し高度を下げたあと左に向って斜降下し、北向きの尾根に乗った。
傾斜は急だがこのあたりでは珍しい自然林の尾根で落ち葉が積もっていい感じだ。

  二箇所、傾斜がかなり急な所があって、布のローカットシューズでは心許ないと感じた。

  軽い布山靴は登りの足運びが楽でピッチも上がるが下りではエッジが利かないため、もうひとつ安心感が得られない。

  30分ほど下った所で左へトラバースして隣の尾根に移り、さらにひと下りで荒れた林道に出た。
右手に僅か進むと笠山神社下社の社殿があった。
笠山神社は鎌倉時代の創建で古い由緒があるようだがこの社殿は昭和の末に建てられた新しいものだった。

  神社の先へ林道進んでみたらすぐに荒廃がひどくなったので反転して後戻り。
神社の下を通り過ぎた所から下ってゆく道に入った。
登ってきた熟年ハイカ−と遭った。
すぐに舗装道路に出たが出口の脇に車が停めてあった。

  舗装道路に出れば山はおしまい。
あとは切通バス停までブラブラ歩いてゆくだけとなる。

  栗山の人家の脇に公衆トイレがあったので身体を軽くし、前の道端で山支度を解いて平地モードに切り換えた。
風もなく穏やかな谷道をペット瓶のジュースを飲みながらブラブラ歩いていった。



  赤木部落の中では近道をしようとして人家の庭で行き止まるご粗末もやらかしたが、谷底に降りかかる所から見上げた笠山は三角形に尖がった形の良い山で、古くから信仰の対象になっていたのも尤もだと思った。


 いい雰囲気で谷間に佇んでいる赤木の集落の間を通って谷底の道路に出た。

  出口には "笠山・堂平山" と記した道標と "熊出没注意" の看板があった。
  左に折れ、谷の出口にある切り通に向って歩き出すと間もなく二十二夜石碑の前を通った。
二十二夜には近在の女達が集まり、月の出を待ちながら安産を祈った場所だと記した看板が立っていた。
月に一夜、女達にとって貴重な息抜きだったに違いない。

  ノンビリ歩きすぎてバスの時間が危なくなり、最後は結構急ぎ足になって秩父往還に出た。
5分も待たずに満員のバスが来た。
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☆おわりに
  2007年の初山行はミニ版だったが最高の冬晴れと、穴場的な良い山に恵まれ、楽しく歩くことができた。
これまでで、外秩父主脈のめぼしい所はあらかたカバーしたが荒川対岸の鐘撞堂山から城峰山あたりまでと、奥武蔵とのジャンクションの大野峠・刈場坂峠付近にはまだ楽しみのタネが残っている。

  美しい山村の風景、広大な平野とその先に立ち並ぶ山々の展望を楽しみながら、急がず、ひとつひとつ登って行くようにしたい。