奥武蔵、高山不動・関八州見晴台-顔振峠 (2007.3.10)


☆期日/山行形式:
2007.3.10  単独、日帰り
☆地形図(2万5千分1): 正丸峠(東京13号-1)、原市場(東京13号-2)

☆まえがき
    どうやら奥武蔵の "赤線遊び" に嵌ってしまったようだ。
この冬の低山のリストには、房総や静岡の山も入っていたのだが、シーズン始めに裏鋸山に行ったあと、飯能方面にばかり足が向いてしまう。

  今度もまた奥武蔵で、西吾野駅(245)から、高山不動(580を経て関八州見晴台(765)に上がり、花立松ノ峠(625)、笠松峠(555)、顔振峠(505)を周って吾野駅(172)に下りるルートを歩いた。

顔振峠富士見茶屋 早春の眺め。 右手中景は天覚山        (画像をクリックすると拡大、自動スクロールします)


   霞と雲が多くて展望は得られなかったが、穏やかな早春の好日に恵まれ、気持ちの良い山上散策ができた。
前夜から朝方にかけて高い所では小雪か霙が降ったようで、所々に白いものが見えた。
関八州見晴台頂上にはざっと30人ほどものハイカーがいて、昨年秋以来登った山のうちでは最高の賑わいだった。
予想天気で選んだ日がたまたま土曜日だったせいだろうが、春が兆して山歩きに出てくる人が増えたようだ。

☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[7:05]=渋谷=池袋[8:06]=[9:20]西吾野駅(9:40)-間野(10:00)-萩ノ平茶屋(10:20)-石地蔵(10:25/30)-高山不動(11:00/05)-関八州見晴台(11:30/45)-花立松ノ峠(12:15)-傘杉峠(12:30)-顔振峠(12:55/13:30)-(14:37)吾野[14:37]=飯能=池袋=渋谷=宮崎台

◆奥武蔵へのアプローチも通い慣れた道になった。
多摩川の西から見ると奥武蔵は東京の向こう側だが週末は秩父方面への直通快速電車が運行され、池袋から1時間あまりで行き着ける。
腹拵えをしたあと、チョッと居眠りをすれば飯能で、眠気が覚めた頃には西吾駅に着いた。

  大グループの間に混ざって歩きだし、約20分で間野に着いた。
山中なのに新しい家が多い。
人道橋を渡った所が登り口で、いきなり急坂を登って集落の裏に上がる。

  山畑から杉林の中に入り、15分ほど登ると尾根の背に乗った。
前を歩いていた熟年グループが道を明けてくれたので先行。
尾根の背は傾斜が緩く、ひと登りで萩ノ平の茶店に着いた。
店はまだ閉まっていたし、すぐあとから大パーティが来てユックリ休んでもいられないだろうと思ったのでひと息入れただけで先に進んだ。

  杉林の中の殆ど平坦な道を10分足らずで石地蔵に着いた。
三又路になっていて、間野集落の手前から上がってくるパノラマコースが合流する。

道端に並べてあった杉丸太の上にザックを下ろして休憩した。

  石地蔵からひと登りでまた尾根の背に乗った。(左)

左下をみるとすぐ近くに高畑集落があった。
露岩の尾根を登って、突き当たった所から右手に逸れ、山腹を緩やかに斜上して行くと右下に大きな屋根が見えて来た。

  間もなく大銀杏の立つ広場に出た。
場所から考えて大展望が得られる筈だが、雲が邪魔をしている。

  広場の左から急な石段を上がった。(左)
手摺の鎖の助けをえながら石段を登りきって本堂の前に上がった。

  巨大な材木を組み上げた大伽藍で、こんな山中によくもと、昔の人の信心の強さを感じた。

  本堂の脇で小休止したあと奥の院のある関八州見晴台に向った。

  緩やかに登って小ピークを越すと間もなく舗装車道に出る。
右手には大きな茶店があり、週末の客を迎える準備をしていた。

  茶屋の向かい側からまた山道へ。
ひとのぼりでまた舗装車道に出れば頂上の関八州見晴台はすぐだ。

  頂上は高山不動の奥社で、その祠と東屋がある。周りには大勢のハイカーが休んでいた。(下左)
  頂上広場の端の枯草の上にザックを下ろして休んだ。
視界は広大だったが雲・霞が多くてパッとしない眺めだった。

  落ち着いた所でデジカメを引っ張り出し、偏光フィルターの試し撮りや味見のパノラマ撮影を行った。

  新しいデジタル一眼は、可動形のフルタイム液晶モニターを備えている。
コンパクトデジカメと同様な使い方ができ、山の花の接写がやり易い。
また、一眼レフだから山岳展望写真のコントラストを高める偏光フィルターが使いやすい。

関八州見晴台の展望。 左手に顔振峠あたりまでの稜線、その奥に越上山    (クリックで拡大します)

  このごろ人気のない山ばかり歩いているせいか、周りに人が多いと何となく落ち着かない。
程ほどで立ちあがり、南の花立松ノ峠に向った。

  尾根は割とほっそりしている。
二番目のやや急な下りの先にあるコブで右に曲り、穏やかに下って行くと下の方の左右に車道が見えてきた。
  左のような形で道路の飛び出すとすぐ先に鞍部があり、向かい側に山道の入口があったが地形図から五十歩百歩と思ったので車道を進んだ。

  683m 峰と、その南隣のピークを過ぎると車道は680m 圏のピークの北側を大きく迂回する。
ここは山に上がった方がずっと近くなるので歩道に入った。
  杉林の中を僅か登ったあと右手へ山腹を捲いて行くと下りになり、車道に復帰した所が傘杉峠だ。(左)

  峠からはほとんど平らな車道歩きになる。
雲が減り、陽射しが出てきて気持ちが良い。
穏やかな山上漫歩になる。

  八徳へ下って行く道を分け、パスタレストランの上を通り過ぎ、山の北側を迂回した道が右手に回って南面に乗越すと風影の集落が見えてきた。

   南向きの斜面に人家が散在し、所々に紅梅白梅の花が咲いていて美しい眺めだった。

  集落の上に差しかかる所に手打ち蕎麦と染め抜いた旗が立っていた。
道の下に富士見茶屋があったので降りていった。

  笊蕎麦を注文したら、お茶が二杯目になるまで待たされたが、出てきたものの歯ごたえと味は飛び切りだった。
吾野駅まで下るだけで時間がタップリあるのでユックリ食べ、ノンビリ食休みをした。

  庭に出てまわりを眺めた。
雲が多くて冨士、丹沢は見えなかったが、満開の梅林の先に、冒頭パノラマのような山村風景が広がっていた。


  車道に上がって先に進んだ。
道端に彼岸桜が咲いていた。(左)

  間もなく顔振峠(カアブリトウゲ)に着いた。
源義経の伝説をはじめとして、色々と言い伝えの多い峠らしい。
それらを記した看板や石碑が立っていた。

  半月前に通ったときは、月曜日で時間が早かったため閑散としていたが今度は週末の昼どきで、車やバイクで来た人達が多く、峠の茶屋が賑わっていた。


  見晴台に行くのも止めてそのまま下り道に入った。
ひと下りで摩利支天堂に着く。
二重の塔のお堂の下は最高の展望スポットなのだが今日は雲が多くてパッとしない眺めだった。



  それでも近くの風影集落は、春の気配に色付き、えも言われない雰囲気が漂っていた。

  吾野駅へは車道を歩いて下った。
舗装路は車の登降に合せて傾斜を緩めるため、集落の中を横切って大回りする。
谷底に降りて尾根をひとつ回り込むと前回登った道の分岐があった。

  谷の下手の集落の家の横でミニ水車が回っていた。
この前通った時には凍結のためバランスが崩れて回れなくなり、シーソーのように揺動していた。


  飯能行き電車は毎時2本ある。
最悪でも、待ち時間は30分だからと、ユックリノンビリ歩いていたのだが、案外短時間で長沢の角に出た。
角に立っている道標に、駅まで1.1Km とあり、ヒョットすると心積もりよりひとつ早い電車に間に合ってしまうかもと思った。

  近道をするため角を右に曲がり、川沿いにすこし進んだ所で橋を渡って学校のある高台に向った。
学校の横手に上がると目と鼻の先に駅が見えた。
何とか滑り込めそうだと思ったのでピッチを上げて行った結果は同時セーフ。

  駅に入ってきた電車を横目で見ながら改札口を通り、閉じている踏切を潜ってホームに駆け上がり、発車を待ってくれた電車に飛び乗った。

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☆おわりに
    高麗川左岸稜線の赤線遊びも総延長の中ほどまで来た。
ひと冬の間、奥武蔵ばっかりでは寂しい。
次ぎはシニア熊野古道グループのトレーニングで高尾山だが、その次は静岡の方に行って見ようと思っている。
高麗川左岸稜線の残りの半分、外秩父縁辺の白石峠までは、次の冬の楽しみに取り置くことにしようかと思っている。