秩父、石間-城峰山-鐘掛城-西門平(2007.4.15)


☆期日/山行形式:
2007年4月15日

☆地形図(2万5千分1): 皆野(宇都宮16号-4)、長又(長野4号-2)、万場(長野4号-1)、
                                    鬼石(宇都宮16号-3)

☆まえがき
  去年、外秩父の尾根筋を歩いているとき、荒川の対岸、上武の国境の山並みにまだ登っていない山がいくつかある事に気が着いた。
それらの奥側で山らしい格好をしているのが城峰山(1037.7)だ。
日本武尊や平将門の伝説、武田上杉の時代の山城、明治の初めの秩父騒動などさまざまな歴史と繋がりがあって、展望も秀逸なようだ。

  頂上真近かの石間峠を車道が乗越しているので、車を使えば30分以内で登頂できる交通機関低山だが、それでは流儀に合わないし、面白くもない。

  あれこれ考えた末、吉田川谷の万年橋(235)から石間(イサマ)川谷を遡り、男衾登山口(525)から城峰神社(930)への表参道を経て登頂するクラシックルートをトライしてみる事にした。
長い石間川谷のアプローチも、春の山村風景を眺めながら歩けば楽しめるのではないかと考えた。

  手前側の乗り物も少し趣向を変え、渋谷から湘南新宿ラインを利用して熊谷へ行き、秩父鉄道線で皆野へ行って見ることにした。
下山は石間峠(950)を経て鐘掛城(1003)を乗り越し、23号鉄塔(810)から西門平(510)に下れば皆野駅行き町営バスに乗れる。



城峰山頂上、大展望の一部
 (画面をクリックすると拡大、自動スクロールします)
  天気予報がもうひとつはっきりしない日だったが、雲が多目で霞が濃い落ち着いた好天になって、奥秩父から西上州にかけての展望を楽しむ事ができた。
  一般的ではなくなったルートを登ったため、頂上へは時差出勤となったようで誰もいず、好天の日曜日にも関わらず、大展望を独り占めできた。


☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
    宮崎台[6:04]=渋谷=池袋=[7:04]赤羽[7:06]=[8:01]熊谷[8:18]=(秩父鉄道)=[9:12]皆野[9:34]=(西武観光バス吉田元気村行)=[10:01]万年橋-十二天神社(10:30)-登山口(11:10)-林道終点(11:30/40)-小休止(12:10/15)-城峰神社(12:50)-城峰山(13:10/55)-石間峠(14:05)-鐘掛城(14:25)-23号鉄塔(14:45)-(15:30)西門平[15:59]=(吉田町営バス)=[16:30]皆野[16:56]=[17:47]熊谷[17:56]=(湘南新宿ライン)=[19:09]渋谷=宮崎台


◆起きだす時間が早く、準備が終わってやる事もなくなったので駅に行き、予定より早い電車に乗ったのだが、結果的にはこれに救われ、もしかしたらぽしゃったかも知れないこの山行が無事にできた。

  たまたまこの日は、新宿駅南口跨線橋の架け替え工事が行われた直後で、昼まで、湘南新宿ライン、埼京線などが大崎赤羽間運休となっていた。
とにかく早く先に進んでみるしかないと考え、池袋で乗り継いで赤羽に行ってみたら、上野発篭原行きの電車に乗れた。
これは予定より一本早い電車で、計画より数分早く熊谷駅に行き着けた。

  春の好天の日曜日とあって熊谷駅の秩父鉄道線ホームはハイカーと観光客で大賑わい。
電車も混んで長瀞まで立ち続けた程だった。

  皆野は駅前広場がないためバス乗り場が離れている。
初めてで様子が分からず、角の床屋で道を尋ねて探し当てたバスターミナルは、秩父音頭発祥の地、と刻んだ石碑がある角の広場に面していた。
そこからは5、6本の路線が運行されているが大半が西武から町営に移管されている。


  吉田元気村へのバスは、少し北上してから荒川に架かる橋を渡り、宝登山麓の国神で反転して南に向かった。
万年橋まで30分あまり。
下車した角に立っている道標に従って石間川谷の道に入った。

   谷の入口は狭かったが少し入ると広くなってきて、綺麗な山村風景が現われた。
季節が平地より2週間ほど遅いようで、あちこちに桜が咲いていた。
谷奥に見える山が遠い。

  石間川谷は明治の始めの秩父困民党の蜂起が発した所と言う。
集落の外れに加藤織平の墓があった。
困窮した山村民を救うために決起したグループのリーダのひとりだったそうで、堂々とした墓標は、近在の人々の思いを表しているように思った。


  次々に変わって行く山村の眺めを楽しみながら1時間あまり歩くと、谷を分ける尾根の末端に突き当たる。

  急斜面の高い所に人家が雛壇状に散在している。
  車の時代になってからは不便だろうが高燥で日当たりが良く、外敵を防げて安全な、住み心地の良い所だったに違いない。


  右俣の道を進んで行くと集会場、東屋、公衆トイレがあった。
特別な目印はなかったがそこがガイドマップに記されている登山口らしかった。

  そのすぐ先に右に分かれる道があり、入口に大きな鳥居が立っていた。
袂に "定峰山入口" と刻んだ石碑があって、城峰神社への表参道の始まりを示していた。

  参道の道は舗装されているが幅が狭まり、坂も急になった。


  最奥の民家の下に架かっている橋の袂が林道終点で、数台の車が停められる。
道の脇に男衾登山口と記した道標が立っていた。

  民家の下の日だまりにザックを置いてひと休み。
景色を眺めながらユックリだったが、万年橋から休まず1時間半あまり歩いた。

  空に薄雲は掛かっているが予報よりずっと良い、落ち着いた好天で気持ちが和む。
あたりは芽萌きと桜の早春の景色だ。

  人の気配で出てきた老夫婦に挨拶をして庭先を掠め、家の裏手の山畑の間の道に入るとすぐ先から杉林になった。

  やや急に折れ登って高度を稼いだところで半納からの道が合流した。


  ひと登りした所に "二十四丁目" と刻んだ標石があった。
昔からの登山道の道程を示すものだ。
  沢沿いの道が小尾根の移ろうとする所に第1ポンプ場があった。
山の上の城峰神社まで水を汲み上げる物のようだった。

  小尾根をもうひと登りした所で小休止し、また歩き出すとすぐに15人ほどの熟年グループと擦れ違った。
登山口に日高の小型バスが停まっていたがそれで登りにきた人達のようだった。

  第1ポンプ場から50分ほどに第2ポンプ場があってその脇に東屋の休憩場があった。(左)


  第2ポンプ場から上は登って行くに連れて次第にまわりが明るくなり、最後は開けた平地の縁に上がった。
疎らに木が生えている草原の広場はキャンプ場になっていて、東屋や炊事場がある。

  左手には参道が続き、入口に門の先が杉の大木の並木になっている。


  参道の奥の右手に城峰神社の本殿があった。
賽銭を上げて拝んだあとよく見ると、向って左側の軒下に "平将門" と金文字で記した額が掛かっている。
この神社の創始は将門を討った藤原英郷で、祭られているのは日本武尊と言うことだが、実質的には平将門を祭っている神社になっているような感じだ。

  石間の困民党といい、平将門といい、このあたりは反体制、反骨の気風が伝わっているようだ。

  本殿を拝んだあと左手にまわり、ひと登りで上がった尾根上には、左のような祠と、日本武尊云々と刻んだ石標があった。


  右手へ尾根を辿ると太田部峠への分岐を示す道標が立っていた。


  尾根の方に頂上のアンテナ鉄塔が見えて来た。

   まわりの自然林が芽萌きになっていて綺麗だった。















  緩やかな尾根を進んで頂上広場に出た。
1等山角点の標石があり、その横手に巨大なアンテナ鉄塔が立っていた。


  鉄塔中段の展望台に上がった。
春霞と雲で遠くは見えないが奥秩父連峰を中心に奥武蔵、西上州の山々への展望が広がっていた。

  尾根続きの父不見山と御荷鉾山の続きにある雨降山以外、見えているピークの目ぼしいのはあらかた歩いてお馴染みだが、この方角から眺めるのは初めてで新鮮だ。
2時間あまり前に通った半納の集落が谷底に見える。

  オリンパスのデジカメは、CF と xD と、メモリーカードを2枚挿し込めるのだが、パノラマモードは純正 xD カードでしか動作しない。
使用カードの設定を変更して冒頭のや、下のパノラマの撮影を行った。

  東の谷は日野沢川で、出口に近いところに皆野の町があり、その後ろに関東平野が広がっている。




  展望台から降りて脇の日だまりに腰を下ろした。
まわりには誰もいない。
好天の日曜日で登りやすい山だから賑わうかもと思ったのに意外だ。

  遠くから来て非効率的な登り方をしたため時差出勤になったのかも知れない。




  パンを食べたりコーヒを飲んだりしたあとノンビリ休みながらまわりを見回していると下の斜面に黄色いパッチがあるのに気が着いた。
行って見ると金鳳花のミニお花畑ができていた。
  急げば2時半過ぎのバスに間に合いそうだったが折角登った山だし、天気も良いのだからユックリやろうと思っていたがしばらく経つと退屈になってきた。

  石間峠への下降路は擬似木の階段が整備されているが意外に傾斜が急で足に負担が掛かる。
慎重に下って車道が乗越す峠に出た。

  連れあいと車で来た同年配の男が居た。
どこから登ったか聞かれたので向うの下からと言うとヘェーッ良く登ったもんだね、と言う風な顔をした。
車に慣れた人と歩いてばかりの人間とは、かなり感覚が違ってきているかも知らない。

  東屋とトイレの横手の先から登りに掛かった。
こちらも結構急でハードルのようになった擬似木の階段が登り難い。
登りの途中で振り返ると今降りてきた頂上の鉄塔が意外に遠く見えた。


  ピークをひとつ乗り越し、さらにもう一度急な階段登りをすると鐘掛城に上がる。
ここはどうと言うこともない小ピークで、尾根上を直進すれば奈良尾峠へ行け、右手に分岐すれば西門平に下れる。

  下り口に戦国時代の、上杉、武田の抗争ではこのあたりの上武国境一帯にあった山城が活躍したと記した看板が立っていた。

  鐘掛城の下りは表参道と同様、檜・杉混植の人工林の中にある。
23号鉄塔が近くなった所で老ハイカーと擦れ違った。
似たような年配のようで眉毛が真っ白だった。

  23号鉄塔から僅かで平らな鞍部に着き(左)、そこを直角に右折すると西門平に向う。


  林道をひとつ横切り、さらにもう一回横切るがこちらの下降路がチョッと分かり難かった。

  林道に出た所は左のような沢溝の左岸で、下の沢の中に引き水の井戸とゴムホースが見える。
下降路の続きは、沢溝の右岸にあるのだがそちらが少し高いため入口が見え難い
道標があれば間違え様もないのだがそれがないため、どうかなぁ、と言う感じで踏み込んだ。


  少し下った所に道標があり、その先で沢を渡ると水場がある。
流量は少なめだが非常に美味しい山の水だった。
家に持ち帰るため容器一杯に汲んだ。

  西門平への出口にこじんまりした神社があった。
左側の庇の下に武者の絵が掛けてあった。
あとで調べたらこれも平将門の像で、山の上にあるのと同じような祀り方をしていることが分かった。

  山里は花盛りだった。
桜が満開。
紅白の花桃、ミツバツツジと雪柳。
平地では順番に咲く花がここでは一時に咲いて豪華な眺めになっている。
おまけにあちこちの家に鯉幟が立てられ、春の嬉しさが一杯、と言った雰囲気が漂っている。

  時間潰しのため、できるだけユックリ降りてきたのだがまだ30分ほどの待ち時間があった。
バス停の上の山畑の端に小さな東屋があったのでそこに入って飲み食いをした。
  車が2台来て止まり、カメラを持った人達が降りてきた。
先生らしい一人がアドバイスし、ほかの者はそれに従ってあちこちにレンズを向けていた。

  バスは乗客なしで来た。
山麓の秩父華厳の滝までは "貸切" 状態。
そこから先は少しずつ乗って来て駅に着いた時には15,6人になっていた。
帰りの秩父線電車も混んで寄居まで立ったが、熊谷からの湘南新宿ラインは大宮近くまではガラガラだった。

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☆おわりに
  好天に恵まれ、美しい山里と、静かな山の大展望を楽しんだ。
秩父の北の上武国境から西上州に掛けては、父不見山、雨降山がまだ未踏だ。
城峰山付近の尾根伝いも、軽い薮尾根歩きのフィールドとして面白いかもしれない。
少々遠い所に難があるが、時期を見て拾い歩きをしてみようと思っている。