上信国境、鼻曲山-留夫山-碓氷峠熊野神社(2007.5.20)


☆期日/山行形式:
2007年5月20日 単独、日帰り、リハビリ山行
☆地形図(2万5千分1): 軽井沢(長野6号-2)、浅間山(長野6号-4)

☆まえがき
    性質の悪い風邪に引っ掛ったのを甘く見て拗らせ、10年ぶりで寝込むこととなった。
5月はじめから中旬過ぎまでの最高の春山シーズンを "山なし" で過ごし、懸案の大菩薩長峰、四国の赤石山などの計画が全部将棋倒しになってしまった。

  中旬過ぎにようやく治ってきて、どれをスキップし、どれに手を着けるかという状況となったが、いきなり真っ当な山は無理だろうから、まずはリハビリ山行を行って体調を確認してみようと考えた。

  行き先として選びだしたのは鼻曲山。
学生時代に一度登っている山なのだが、数年前に、吾妻川谷から丸岩、菅峰、浅間隠山、角落山、鼻曲山を連ねて碓氷峠に達する、上信国境稜線山行が途中で挫折したため登り漏らし、角落山とともに宿題になった。
角落山の方はその次の春のリベンジ山行で落としたのだが、鼻曲山の方はそのままとなり、いつか機会があったら、と思っていた。

  リハビリ/トレーニングだから、日帰りでもソコソコの距離は歩こうと、長日向(1150)から車道(1185)、鼻曲峠分岐(1370)を経て鼻曲山 小天狗(1645)に登頂したあと、大天狗(1655)から、鼻曲峠(1580)、留夫(トメブ)山(1590.8)、一ノ字山(1336.0)を経て思婦石(オモウフイシ 1188)まで上信県境稜線を南下し、熊野神社(1200)に参詣のあと、見晴台(1225)から二手橋(980)に下り、JR軽井沢駅(941)まで歩く計画を組んだ。


鼻曲山、小天狗の展望。 左に上信国境稜線、右に浅間山    
(画像をクリックすると拡大します)

   当日は、寒気が流入して雲が多く、風が冷たかったた。
いくらか残っていた風邪の後遺症で、鼻水を流しながら歩くこととなったが足腰の調子自体は案外よく、鼻曲頂上の展望を楽しんだあと、旧碓氷峠まで順調に歩いた。
ただ、旧碓氷峠にある熊野神社に参詣したあと、旧軽井沢まで下る遊歩道の途中でバテ、週末の観光客で賑っている軽井沢の街路をやっとの思いで歩き、なんとか軽井沢駅に辿りつく始末となった。


☆行動記録とルートの状況

<タイム記録>
宮崎台[6:34]=大手町=東京[7:52]=(アサマ#507)=[9:13]軽井沢[9:25]=(草軽バス)=長日向(8:45)-林道(10:35)-分岐(10:50)-小天狗(11:20/45)-鼻曲峠(12:00)-留夫山(12:55/13:05)-一ノ字山三角点入口(14:05)-思婦石(14:15)-熊野神社(14:25/45)-(16:30)JR軽井沢駅[16:51]=(アサマ#538)=[18:12]東京=大手町=宮崎台

◆この山域は、昔、通い詰めた裏妙義や、近年登っている浅間隠山、角落山の近くのため土地勘があり、準備に特段の手数は掛からなかった。

  新幹線は、トンネルを抜けるとパッと軽井沢駅に着いてしまうのは良いのだが、旧信越本線のように横川付近で表・裏の妙義の眺めを楽しむことができないのはつまらない。

  5月下旬の日曜日と言う事で、北軽井沢行きバスには、20人ほどのハイカーが乗った。
登山口の長日向まで約20分。
ここで降りたのは8人ほどの熟年パーティと単独の若者と、全部で10人ほどだった。

  ドライバーのアドバイスに従い、バス停から50m ほど先で右に折れて山に向った。
入口に特別な目印はなく、極く普通の別荘地の道だった。
これで良いのかなぁ、と思いながら歩いていたら、7分ほど行った所にあった車止めの脇に "きりづみ" と書いた道標が立っていた。(上左)

  車止めからさらに3分ほどで林道に突きあたる。
道の向い側に "これより4Km、鼻曲山、徒歩約120分" と書いた道標が立っていた。(左)

  まわりは唐松の多い林だ。
黄緑色の若葉が綺麗で、道端には所々春の花が見えた。(左: ムラサキケマン)

  左右にカーブする道を登って明るい尾根の上に出た。
気持ちの良い緩やかな登りは風邪で鈍った足腰には丁度良い加減だった。

  ひと登りして身体が温まったので小休止。
ウインドブレーカを脱いだ。
体調は思ったより良く、割と順調に歩けそうな予感がした。


  休憩地点から僅か進んだとき、前方からバイクのエンジン音が聞えてきた。
やや急にひと登りした所を林道が通っており、数台のバイクの轍が残っていた。

  鼻曲山への山道は、道の向い側に立つ道標の脇から先に続いている。

  道はやや細まり、尾根の北側の斜面を緩やかに斜上して行くようになる。

  分岐点には鼻曲峠への道は崩壊のため通行止めと記した看板ががあった。
分岐の左の道は尾根から直接頂上を目指すものだ。
急登だがそれなりに高度が稼げ、今日歩く上信国境稜線が見えてきた。
麓は新緑だったがこのあたりまで登ってくるとまだ芽萌きが始まったばかりだ。


  道端に黄色い花が咲いていた。(ツルキンバイ)

  やがて尾根の上に出ると傾斜が緩み、穏やかな登りになった。

  ザラザラした急な最後の登りが終わった所が鼻曲山小天狗の頂上広場だった。



  小天狗はこの日歩いた中では最高の展望点だった。

  やや雲が多く、遠くの山は見えなかったが、向い側の浅間山が綺麗な三角錐の曲線を画いていた。




  左手の方には軽井沢高原から上信国境稜線、その先には奥西上州から妙義、やや遠くに御荷鉾山が一望だった。
(下)


鼻曲山、小天狗の展望。    (画像をクリックすると拡大、スクロールします)


  山の裏側は北隣の浅間隠山が近く、その先に菅峰が連なっていた。

  遠くの方は志賀、草津白根、野反湖周辺など国境の山が連なっている筈だが今日は雲の中だ。

  長引いた風邪で苦しんだが、順調にここまで登ってこれて良かった。
満足感に浸りながら長休みをした。

  碓氷峠への縦走は隣りの大天狗から始まる。
こちらは小天狗より幾分高いが潅木に囲まれて見晴らしは良くない
数人が休んでいた。
石祠があり、それなりの頂上広場になっているので霧積や碓氷峠の方から歩いてきた人達はこちらで休む事が多いようだ。

  鼻曲の崖の縁の岩頭からは妙義がよく見えた。
岩峰が鋸刃のようにゴツゴツとび出している山容は珍しい。

  左の下の方に角落山が見えた。
低くて小さい、目立たない山だが尖がった岩峰の登降はなかなか手強かった。
このあたり随一の難物だ。

  大天狗頂上直下はザラザラな急降下だがすぐに終わり、なだらかな尾根道になる。
鼻曲峠でも長日向への入口に立ち入り禁止の看板が立っていた。
最低鞍部の少し先に霧積への分岐があった。
こちらを歩く人の方が格段に多いようで、右手に登って行く縦走路よりずっと良く踏まれている。


  国境稜線の小ピークに上がると道端にスミレが咲いていた。

  芽萌きの林の縁の潅木が白い花を咲かせていた。

葉を一枚家に持帰って図鑑と照らし合わせ、ムシカリだったということを知った。

  鼻曲峠から小ピークをふたつ越えた先の鞍部ではすぐ近くまで林道が接近していた。
地形図ではこの道は、留夫山の中腹を回って北側の鞍部近くまで延びている。
留夫山の巻き道として利用できるかもしれない。

  鞍部から登りに掛かる所で支柱から脱落した道標が地面に置いてあった。
老朽して読みにくかったが "とめぶ 一の字" と書いてあるようだった。

  留夫山の登りは、くびれた鞍部から始まり、結構長かった。
暫く我慢して登り続けていると徐々に傾斜が緩み、最後はほとんど平らになって三角点標石のある切り開きに着いた。


  三角点のすぐ先の高みが留夫山の頂上だった。
ルート上唯一の頂上らしい頂上で、 山名標が立っている。
樹木に囲まれて展望はないがこじんまり落ち着いた雰囲気があった。

  かなりの時間歩きつづけていたので腰を下ろして休憩した。
頭上を見上げると梢の新芽が空をバックに綺麗だった。

  留夫山の下りのはじめはかなり急だった。
スリップせぬよう気をつけて進んで行くと徐々に傾斜が緩み、やがて穏やかな稜線漫歩になった。

  新緑が逆光を受けて輝いている。
道の両側はカエデ系の木が多い。
紅葉の季節にもう一度来てみたいと思った。


  林床に地味な花が咲いていた。
エンレイソウ(延齢草)という目出度い名の花だそうだ。

  浅い鞍部から一ノ字山の登りが始まった。
文字通りの細長い頂稜の山で、最高点は頂稜の北寄りにある。
道は頂稜を外れ、西側の斜面を緩やかに巻き上げて行く。
 このあたりが最高点かと思われる林の中に文字が読めないくらい古びた道標があった。(左)


  地形図には最高点の北800m ほどの所に三角点マークが記入されている。
どのあたりかなぁ、と思いながら進んで行くと道端の樹木に "←三角点" と記した標識が取り付けてあった。(左)

  そちらに向って林の中に入り掛けたが特段の事はなさそうだし、早く碓氷峠に行き着いたほうが良いと思ったので回れ右をした。

  下り坂がやや急になった所に老女が二人休んでいた。
"留夫山まで遠いですか?" と聞かれた。
"途中の休みも考えれば2時間近く掛かるから今からでは無理ですよ" と止めた。

  ひと下りで思婦石(おもふいし)に着いた。
安政四年(1857年)に立てられた石碑である。
近郷、室田の国学者関橋守の作による "ありし代にかへりみしてふ碓井山 今も恋しき吾妻路のそら" という歌が刻まれている。

日本武尊の故事を偲んだものであろう。

  思婦石から右手に僅かで旧碓氷峠の車道に出た。
まわりが明るく開けた広い舗装路は情緒がない。


  道端に並んでいる茶店を見ながら歩いてゆくと中央分水嶺のサインがあった。
左の写真の手前の黄色い標石と向い側の茶店入口の右横の看板を結ぶ線が太平洋側斜面と日本海側斜面との境だという。
今日歩いてきた県界稜線もその続きだと言う事になる。

  昨年の夏歩いた南八幡平から裏岩手への秋田-岩手県境稜線は本州北部中央分水嶺の一部だった。

  最近、中央分水嶺の全長をトレースするプロジェクトを日本山岳会が行った。
書店で立派な報告書が刊行されているのを見かけたがまだ購入の踏ん切りがつかない。


  分水嶺のすぐ先の右側に熊野神社があった。
石段の上の神門には "熊野皇大神" と金文字で書いた額が掛けてあった。

  境内に入ってみると "神様マンション造り" の立派な神殿があった。
新宮の速玉大社や熊野本宮大社をそのまま小さくしたような構造だ。

  無事に山を歩けたことを神に感謝したあと、境内のベンチで休んだ。

  関東平野側への広大な展望が広がっていた。
遠くに三角形の山が見えた。
方角から筑波山ではないかと思った。

  熊野神社で山歩きは一段落したが、まだ軽井沢駅まで歩く仕事が残っていた。
  見晴台の脇から遊歩道に入った。
自然林の中で立派な吊橋を始め、よく整備されて歩きやすかったが途中から疲れが出てきた。
神社で休んだときの飲み食いで、最後に食べたスナックパンは余計だった。
澱粉の消化で胃腸に負担が掛ったため、そちらに血流が移行し、気分が悪くなった。
久し振りのダンピング症だ。

  桜の沢の別荘地に降りき、もうすぐ旧軽井沢の町かという頃には腹はむかつくし、脚は頚痙しそうになるしで、かなり辛い状態だった。
下手に休むとかえって不味いと思ったのでスローペースで歩き続けたが綺麗な店が並んでいる賑やかな通りでは惨めな気分だった。

  長い時間耐えた末にようやく軽井沢駅に着いた。
駅入口の階段を登ると町の建物の先に今日歩いた山並みが見えた。
大気の交代が済んで雲が消え、青空一杯になっていた。

  行楽シーズンで新幹線は混んでいた。
ひとつ前の列車に間に合ったので自由席を狙ったがとても無理と分かったので見送り、指定席がある次の列車を待った。
週末に出掛けるときは座席指定が役に立つ。
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☆おわりに
    長引いた風邪のリハビリとしては、楽すぎず、きつすぎず、丁度良い加減の山行だった。
ある程度の山は歩けそうなことが分かったので次は四国の山旅に出ようと思っている。

旧碓井峠の熊野神社は珍しく立派だという事を知ったのは余禄だった。
カエデ系の樹木が多い上信国境稜線は、紅葉の時期に再訪してみたい。

それにしても、数年前まで、3月から梅雨明けまでの季節は残雪の山が多かったのだが、この頃はもっぱら芽萌きの山ばかり歩いている。
これもそれなりに綺麗で楽しめるのだが、たまには雪のある山に行ってみなければ . . . 。