四国、西島-剣山-三嶺-天狗峠-久保(2006.5.27-31)


☆期日/山行形式:
2006年5月27-31日

☆地形図(2万5千分1): 剣山(剣山13号-4)、次郎笈(剣山14号-3)、京上(高知1号-2)、
                                    久保沼井(高知2号-1)、川口(高知1号 5万分1図)
☆まえがき
    五月晴れを狙って四国の剣山に出かけた。
若い頃、瀬戸内の島に半年ほど滞在する機会があった。
岩と雪でカッカしていた時期だったので、三つ道具を持って行き、海岸の崖登りや、通船で行く小豆島の親指岳の岩場登りに精を出した一方、山らしい山らしい山は石鎚山から瓶が森へのルートを歩いただけで終わった。
剣山に行くことも考えないでもなかったが、山容鈍重で、はかばかしい岩場もないということでもうひとつ意欲が湧かず、足を向けぬまま東京に帰った。

  山歩きもあと幾ばくか、と言う歳になると登り漏らした山が気に掛かるようになる。
剣山も、もうソロソロ登っておかないと思い、ガイドブックやインターネットで調べてみたら、剣山頂上から西へ、三嶺(ミウネ/サンリョウ)に至る頂稜が、西日本随一の縦走ルートだと言われていることを知った。
"赤線屋" の本能がムクムクと頭をもたげ、剣山と赤石山のピークハントというはじめの心積もりを放擲、この縦走ルートをトレースする計画に取り掛かった。
ルートは部分的に笹が被っているが危険箇所はなく、山小屋の整備状態も良好だが、剣山のほかはすべて無人の避難小屋で、寝袋・食料など一式を担いで歩かなければならない。
年寄りにはチョッと厳しいなぁ、とも感じたがこの夏にどの程度の山が歩けそうか、小手調べにもなるから一丁やって見ようと決心した。


石立山分岐付近から望む三嶺・天狗塚の連峰。 左手前は1732m 無名峰    (クリックで拡大します)

  色々調べ、考えて組み立てた行程は、次のようなものだった。
初日に新幹線岡山から土讃線に乗り継いで阿波池田まで行き、あたりを見物したあと駅付近のビジネスホテルに宿泊。
  二日目は、四国交通バス終点、東祖谷山の久保(610)から週末のみ運行される村営バスで見ノ越(1405)まで行き、剣山リフトで西島(1710)に上がったあと、大剣神社(1820)から剣山(1954.7)に登頂して縦走を開始
次郎笈峠(1775)から次郎笈巻道に入って水場(1795)で水を汲み、状況が良かったら次郎笈頂上(1919)にピストンしたあと尾根筋を辿って林道分岐のある鞍部(1590)から丸石(1683.8)に上がり、頂上の西1Km あまり、奥祖谷かずら橋下降点近くにある丸石避難小屋(1575)に宿泊。
  三日目、丸石小屋から高ノ瀬(1740.8)、pk1732を越して白髭避難小屋(1665)へ。
白髭山分岐(1725)、カヤハゲ(1720)を経て三嶺(1893.4)に登ったあと、頂上東肩にある三嶺避難小屋(1845)に宿泊。
  四日目は、三嶺小屋から三嶺頂上に戻り、大タオ(1675)、西熊山(1815.9)、お亀岩(1670)を経て天狗峠(イザリ峠 1775)へ。
条件が良ければ天狗塚(1812)に往復したあと下降路に入り、第一ピーク(1476)、西山林道登山口(1030)を経て林道(635)に下って出発点の久保(610)に下山。  四国交通バスで東祖谷山京上(600)まで移動して、奥祖谷ホテルに宿泊。
  最終5日目は、朝のバスで大歩危駅へ。 付近を観光したあと琴平に移動。  年寄りに相応しく、金刀比羅神社に参詣して午後の列車で岡山へ。 新幹線に乗り継いで帰宅。


☆行動記録とルートの状況

月27日
<タイム記録>

    宮崎台[6:54]=[7:01]あざみ野[7:08]=[7:23]新横浜[7:53]=(ヒカリ#363)=[11:46]岡山[12:52]=(南風#11 )=[14:09]阿波池田{ビジネスホテルヤマシロ泊}

◆ 久し振りに瀬戸内の景色を眺めて四国に渡った。
阿波池田は近隣の町村と合併して三好市になっているが、江戸時代から国内タバコ産業の中心地として非常に繁栄した歴史を持っている。
一時、甲子園で暴れた池田高校の所在地でもある。

  かつての繁栄の名残を留めている "うだつ通り" の一軒がタバコ資料館になっていた。
ほかに見学者はなく一人でガイドの説明を受けた。
手工業時代の刻みタバコ製造器具が興味深かった。

  タバコ資料館を見学したあと、うだつ通りが尽きた所で角を折れ、吉野川を見下ろす台地に上がった。
諏訪から移封された小笠原氏が祭ったと言う諏訪神社があった。


月28日
<タイム記録>
    池田バスターミナル[8:15]=(四国交通 \1740)=[10:06]久保[10:17]=(東祖谷山村営バス \1740)=[11:07]剣山見ノ越[11:10]=(剣山リフト \1000)=[11:15]西島(11:20)-御神水、大剣神社(11:50/55)-剣山山頂ヒュッテ(12:20/12:50)-剣山頂上(12:55)-次郎笈峠(13:25)-巻き道水場(13:40/45)-尾根道(13:50)-林道分岐のある鞍部(14:15)-丸石(14:40/45)-(15:10)丸石避難小屋{泊、水場なし}

◆ 剣山への "正統的" なアプローチは、貞光から葛篭(ツヅロ)に入って見ノ越に上がるルートのようだが、代換バスが運行される夏山シーズンのほかは非常に不便で、強行すると1万円以上ものタクシー代が掛かる。
阿波池田を起点に大歩危、東祖谷を経由する迂回ルートで入山することにした。

  池田から東祖谷までの四国交通バスは、駅から5分ほどのバスターミナルから出ている。
JTのタバコ工場跡地にできたばかりの小奇麗な建物で、阪神方面への高速バスも発着している。

  バスは走り出してしばらくすると、吉野川が四国山脈に刻み込んだ険谷に分け入る。
祖谷口から小歩危、大歩危まで進んだ所で東岸の山間に分け入った。
  トンネルを抜けた所は西祖谷山で、谷の上流は東祖谷山になる。
平家の隠れ里として有名だが、信越国境の山奥でやはり平家の谷と呼ばれている秋山郷と地形的にはよく似ている。

    路線バス終点の久保で村営バスに乗り継いで見ノ越に向かった。
久保は左のような谷間の小集落で、ターミナル隣の前田商店はよろず屋とタクシー(休日のみ?)を経営している。
スクールバスの副業で、夏山シーズン以外は土日祝日のみ運行されている。

  村営バスでは三十台のカップル、二十台の若者と乗り合わせた。
見ノ越は、曇り空の下を冷たい風が吹いていて、あまり元気の出る状況ではなかったが日曜のせいか大勢の人で賑わっていた。
いまどきの百名山で便利な所はどこもこのような状態になっているのだろうか?

  グズグズしている理由もないのでバスの降車口からリフト乗り場に直行した。

  長いリフトで、山上2泊の装備が入ったザックを抱いているのが辛かった。
リフト終点の西島は剣山七合目ほどの所にあった。
見ノ越の車道がはるか下の方に見える。

  足慣らしのため遊歩道を回って行くことにした。
僅かな上り調子で山腹を巻いて行き、東屋のある所から左手にひと登りすると "御神水" だった。(下左)

  御神水の上に突っ立っている巨岩の裾を巻き上げると大剣神社の拝殿の前に出た。(下右)
  賽銭を上げ、山行の無事を祈願した。

  神社から先は、もと来た方向に折り返すように山腹を斜上する。
右上に雲海荘の大きな建物が見えてくると山頂ヒュッテは近い。

  西島から尾根を直登してきた道出合った所に立つ鳥居を潜ると剣山神社と頂上ヒュッテの前庭に出る。

  ヒュッテで椎茸ソバを食べ、食休みをしながら山支度を整えた。

  頂上はヒュッテのすぐうしろで、一帯は "平家の馬場" と呼ばれる、なだらかな笹原になっている。
稙生保護のために設けられた木道を歩いて頂上に上がったが、山の高い所に雲が掛かっていて遠くの方は見えなかった。


  頂上から下りかけた所から望む隣の次郎笈は、高い所が霧の中にとけこんでいた。
手前に見える綺麗な笹尾根は、この縦走ルートが期待にたがわぬものだということを予告しているように思った。

  少し下った岩陰でバスのカップルが休んでいた。
「今夜の泊まり場は?」と尋ねてみたら、丸石にするか白髪まで足を伸ばすか中途半端で迷っていると言う返事。

  天気がパッとしないので次郎笈に登らないで行くことにした。


  長い巻き道がソロソロ終わろうとする所に水場があった。

  丸石小屋には水場がないからここで汲んで行った水で全てをまかなわなければならない。
水袋とペットボトル、あわせて2.7リッタ汲んだ。
黒いゴムホースが仕掛けてあって汲みやすかった。


  水のぶんだけ重くなったザックを担いで僅か歩くと尾根道と合流した。
一時、潅木の間を歩いたがまたすぐに笹尾根に出た。

南面を通っているスーパー林道への下降点がある広い鞍部から丸石への登りが始まった。

  手前のピークを乗り越したあたりから霧ション状態になった。
ピッチを上げて丸石の頂上に登り上げ、小休止しながらザックから折り畳み傘を出した。
  丸石は頂上の裏側にもうひとつサブピークがある。
ジャンクションの浅い鞍部から先は林の中になる。
樹木がカバーしてくれたのか、霧ションは降っていなかったので笠を畳んだ。

  丸石の頂上から避難小屋までは案外遠かった。
林の下生えの笹が深く、霧で濡れた葉の露が撥水スプレーを掛けたズボンを染み透った。
まだかまだかと歩いて行くとようやく木の間に小屋が見えてきた。
床面積約4×6m ほど、こじんまりしているが堅固な作りだった。
高木林の中にあるせいで内部は薄暗いが、凹字型に張られた床は綺麗だった。
  入口から光が届いて幾らか明るい土間左脇の床にお店を広げたあと、乾いた服に着替え、飲み食いしながらひと息入れていると、バスのカップルが来た。
四国の西端に近い宇和島からだそうだが、泊まり場所をどこにするか、まだ迷っているようで、入口近くに腰を下ろして飲み食いをしながら相談している。
しばらく休んでいるうちに元気が戻ってきたらしく、明日の行程が心配なので何とかして白髪の小屋まで行ってみると言って出て行った。
二人が出て行ったあと30分あまりでバスの若者が来た。
こちらは高知の西の端の土佐清水からだそうで、最初からここに泊まるつもりだったらしく、剣山の一の森を回ってきという。
結局この夜は同宿二人。
移動性高気圧の接近を伝えるラジオの気象情報を聞いてお互いに喜んだ。
若者はまだ山を始めていくらも経っていないと言うことだったがインターネットの通販で "都会並み" の装備を調えていた。
食事のあとしばらく山の話をしたが暗くなると間もなく寝袋に入って寝た。

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月29日

<タイム記録>
    丸石避難小屋(6:55)-巻き道分岐(7:15)-高ノ瀬(7:55/8:05)-巻き道合流点(7:30)-pk1732(9:15/25)-白髭避難小屋(10:20/50)-白髭山分岐(11:05)-三嶺撮影(11:15/20)-韮生越(11:30)-カヤハゲ(12:00/10)-小休止(14:45/55)-小休止-三嶺(13:35/45)-(14:00)三嶺避難小屋


◆ 状況が良ければお亀岩の小屋まで足を伸ばして最終日はノンビリ山上散歩としゃれ込めれば理想的だが、最低三嶺小屋泊まりになっても結構という心つもりだった。

  特段早起きする必要もなかったのだが身体の生理が "山タイム" に切り替わったため、夜明けとともに目が覚めた。
曇り空だが、天気が登り坂なことは間違いなく、雲行きも至極落ち着いている。

  コーヒとミニパンで目覚ましと朝食を兼用し、ゆっくりパッキングを行って出発。
小屋のから5分足らずの笹薮の中に奥祖谷かずら橋への分岐を示す道標が立っていた。(左)

  1604m の小ピークを越してそろそろ高ノ瀬の登りが始まろうかというあたりに廃屋になった古い小屋があった。
伊勢の岩屋の水場が近いから、整備されていればこちらの方が良い泊まり場になるだろうが登降ルートとの関係で今の丸石小屋に場所を移したようだ。
  "水場あり" と記した伊勢の岩屋巻き道の分岐を見送って高ノ瀬の登りに取り付いた。
少しあとから小屋を出てきた土佐の若者が追いつき、先に歩いていった。
今日のうちに車を置いた西山林道登山口まで行かなければならないと言うからちょっとした長丁場だが、この時期なら日が落ちる前に行き着くだろう。

  登路はやや急で、笹がかぶり気味だが、尾根が痩せ気味のためルートは明瞭で、重荷と笹の抵抗に耐えるのが主な仕事だった。
登りついた高ノ瀬の頂上は左のように三角点標石が笹の間に僅か頭を出している状態だった。

  高ノ瀬を過ぎると、林と笹を混えて緩やかに上下する山稜になった。
まわりの山を眺めながらの稜線伝いで縦走の醍醐味を感じた。
はじめて見る南国の山並みが新鮮だ。

振り返ると剣山と次郎笈が雲を戴き、並び立っていた
。(左)

  ルート沿いの林の中では、所々に咲いているコメツツジが目を楽しませてくれた。

  高ノ瀬の次の1738m ピークに石立山分岐を示す道標が立っていた。
南への尾根筋を辿れば四ッ足峠に達し、東側徳島の那賀川谷または西側高知の物部川谷に降りられるようだ。

  ここから先、稜線の左側は高知県になる

  行く手に笹で覆われた1732m 峰の円頂が見えてきた。

  さらに進むと、左手の視界が開け、三嶺とその先に連なる西熊山、天狗塚の山並みと対面した。
三嶺は2000m に満たない中級山岳ながら雲を纏って堂々とした風格のある山だった。
天狗塚への連なりも素晴らしかった。
  1732峰の頂上を越そうとする所で若い二人組と単独の中年とすれ違った。
時間的に見て三嶺小屋から出てきたのだろう。

  頂上から下りかける笹原の中にザックを下ろした。
雲が多目だが広大な視界が開け、気分爽快だ。

  1700.8m 峰から1692m 峰に掛けては頂稜の上を歩いたり左側の斜面に入ったりしながら進む。
ソコソコの人数に踏まれているし、定期的な笹払いも行われているようなのだが植物の生育が早いせいか、笹が被って歩き難い。
笹で歩きにくい所は西富士の毛無山あたりの縦走路と似ている。

  いささか藪っぽい1692m 峰を越して行くと広い笹原の彼方に白髪避難小屋が見えてきた。

  三嶺までの行程の大半を歩いてあとひと頑張りというところに漕ぎ着けたので小屋に入って長目の休憩をした。

  内部は丸石と同じ様に綺麗だし、ロケーションが素晴らしく、まわりが開けているお蔭で明るいのが良い。
水場も5分くらいの近さだと言うから機会があったら泊まってみたなぁ、と思うほどだった。

  休憩のあと、まず白髪分岐に向かった。
潅木の間を緩く登って行くと分岐点の道標が立っていた。
高知側からアプローチすれば、白髪山の肩まで車で上がれ、1時間半ほどでここまで来られるらしい。

  分岐を左に見送って進むとまもなく標石のあるピークを越した。
韮生越への下りはかなり急だが正面のカヤハゲの先に三嶺が大きく立ちはだかり、迫力のある眺めだ。(下)

白髪山分岐北方下降路から見たカヤハゲ、および三嶺、西熊山、天狗塚稜線      (クリックで拡大します)


  樹木に覆われ、ややジトジトした感じの韮生越から登り返して行くと笹原に抜け出した。
登りつづけて行くと左の谷間の堂所へ下降するルートの分岐があった。

  さらにもうひと頑張りしてカヤハゲの頂上に上がった。
ここにも堂所への下降路を示す道標が立っていた。(左)

  カヤハゲ頂上付近から見る三嶺は高く大きく迫力に満ちている。
前衛ピークの斜面の所々がツツジの花の紅色に彩られていた。

  浅い鞍部に下った所から三嶺への登りが始まった。
やや細目の尾根は樹木に視界を妨げられることが少なく、まわりが良く見える。

  前衛峰に上がると三嶺の頂上に人影が見えた。
丸石で同宿した若者かもしれない。

  僅かに平坦に進んだ所から本峰への急登が始まった。
入山以来の本格的な登りで老体が苦しがるのをなだめすかしつつ高度を上げてゆくと、何となく人面のような感じのする岩塔の裾に着いた。(左)

  登路は岩塔の右脇にあって鎖が掛かっている。
ややザレ気味の急な痩せ尾根の登りで、丸太階段も設けてあるが所々が崩れていて、鎖の助けがないと少々危険かもしれないと思うような状態だった。

  50m 程の鎖が二本連なる鎖場が終わるとやや傾斜が緩くなり、頂上への最後の登りになった。



   バテてきて最後の登りが辛かったが、ついに三角点、石積みと道標の立つ頂上広場に上がった。
「到々来たぞ!」と、誰もいない頂上で叫び、広大な展望を見回しながら最後の休憩をした。


  三嶺の小屋は頂上から一段下がった台地の端にある。

 (左の写真はクリックで拡大します)


  大分バテたのでお亀岩小屋は諦め、ここに泊まることにした。

  右下に深く切れ込んだ谷を見下ろしながら尾根を下り、笹原の中を通って小屋に入った。


   この小屋は、丸石・白髪の小屋よりひと回り大きく、9×6m 程ある。
中二階の新しい建物で、50人くらいは泊まれるのではないかと思った。
小屋の内部は開けた場所にあるお蔭で明るく、居住性は非常に良い。
少し下れば水場があるのだが大分バテていたので三日前に汲んだと言うペット瓶の500cc あまりと丸石から担いできた400cc ほどの清水に小屋の前の池で汲んで煮沸した水1リッターあまりを足して用を足らすことにした。

  落ち着いた所で、あらためて小屋の前に出てみた。

すぐ下の池と彼方の尖がった頂上が天界の雰囲気を醸していた。


  この夜はほかに来た者はなく、大きな小屋に独りで泊まった。
風邪気味でバテていたせいか、高度は1850m 程だったのに高度の影響が現れ、吐き気がしたり手足が冷えたりしたが数枚の毛布やマットが置いてあったので持参した寝袋に重ねて保温に努めた。
池から汲んできて煮沸したあとまだ温かい水を入れた水袋も寝袋の中で足先の冷えを防ぐのに役立った。

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月30日

<タイム記録>
三嶺避難小屋(7:25)-三嶺(7:40)-大タオ(8:25/35)-西熊山(9:05/15)-お亀岩(9:40/50)-小休止(10:10/15)-天狗峠(10:40/50)-小休止(11:10/20)-第一のピーク(11:45/12:05)-西山林道登山口(12:40/45)-林道(13:46)-(13: 59)久保[14:14]=(四国交通池田行 \380)=[14:30]京上{ホテル奥祖谷 \7000}

◆ 疲れは残っているものの、長時間眠って気力は回復した。
山麓の東祖谷に泊まる予定なのでゆっくり支度をして小屋を出た。
三嶺頂上に上がると前途の展望が広がった。(下)
雲は多目ながら昨日より一段と良くなり、至極落ち着いた空模様になっていた。


  一段下って1860m 台の三嶺西峰に上がり、ザレ気味の急降下から西熊山への尾根に乗った。
緩やかにうねる笹尾根はいくらか足運びに抵抗はあるが爽快だった。
振り返ると三嶺頂上にふたつの人影が見えた。
名頃から登った人達に違いない。

  大ダオからやや急に登り、西熊山に向けて進んでゆく途中、右手の緩斜面越しに東祖谷山の集落が見えた。

  西熊山は石がゴロゴロした高みに文字がかすれた山名標が立っているだけのパッとしない頂上だった。
  ますます被ってくる笹を踏み分けて行くとゆったりした鞍部が近付いてきた。
向かい側の登りかけにある丸みのある大岩がお亀岩のようだ。

  降りついた最低鞍部は風の通り道で寒かったので風蔭の高知側斜面に入って休憩した。
すぐ下に見えるお亀岩避難小屋はもう一晩ここに泊まって行きたいと思うほどいい感じの小屋だった。

  小休止のあと今日最後の登りに掛かった。
笹原の中をゆるく斜上し、樹木の間に入った所から急登になる。
足場が悪い所には虎ロープが張ってあった。

  急登を抜け、笹の細尾根に乗ると左側が切れ落ちていた。
要注意だが、丈夫な笹が密生しているので手掛かりに不自由はない。

  細尾根の登りが終わって右手の山腹を斜上するようになると急登から開放される。

  間もなく登りついた笹の小鞍部には、南の綱附森の方から来た縦走路との合流を示す道標が立っていた。
右手に緩く登ってゆくと正面に天狗塚が見えてきた。


  来た道を直進すれば天狗塚だったが大分疲れたので分岐点から眺めただけで下山することにした。

  笹原の中でしばらく休んだあと下山に掛かった。
分岐点の道標は腕木が失われていて方向の判断がむずかしかったが、歩いてきた道の左側に来た方に戻るような感じで鋭角的に分岐しているのが下山ルートだった。


  平坦で広い笹原の中で下の方が見えないため、正しいルートに乗っているのかどうか疑わかったがやがて徐々に下り坂になり、下降路の尾根の途中にある1476m ピークと、祖谷川谷の集落が見えてきた。

  頂稜から尾根に乗り移るあたりでコメツツジの集落の間を通った。
高い所ではまだ蕾だったのが少し下った所では花が開いていた。
さらに下って林の中に入ったがそこでも所々に美しい紅色を見た。
  下りの傾斜が緩み、僅かに登った先にある鞍部からひと登りして1476m 峰に上がった。
大木に囲まれ、古ぼけた道標が立つ小広場があった。
高度の影響が消え、食欲が出てきたので飲み食いをしたあと、しばらくボヤーッと休む。
林の中で何かが動いた。
見ると近くの木の幹をリスが登ったり下ったりしていた。

ピークから5分あまり下ると右下に林業の作業道が見えた。
  尾根右側の杉林では伐採作業が行われているようだ。

  作業道はつかず離れず続いていたが、やがて右下に登山口の駐車場らしい舗装広場が見えてきた。
広場の上を通り過ぎた所から尾根の右斜面に入り、数回折れ曲がり下ると下左のような鉄階段のある "西山林道登山口" に着いた。

  これで尾根の大半を下降したことになるのだがその先の入口がはっきりしない。
休憩をかねてザックを置き、あたりを見て回った。
上から見えた広場は尾根の鼻を回りこんでいった先にあった、そちらに向かう道から西熊山あたりの尾根が高く見える。
"出口" の向かい側には巨石があって、もともとはその右脇を上がるようになっていたらしいのだが藪が成長して通れそうもない。
巨岩の左脇をすり抜けて行く踏跡があったので覗きこんで見るとすぐに尾根道に上がれることが分かった。

  林道下の尾根道は、密生している樹木の中で見通しが悪いが、要所に赤テープのコースサインがあってルートファインディングを助けてくれた。

  緩急を繰り返しながら高度を下げてゆき、大分低くなったと思われる所で踏跡が分岐していた。
尾根上を直進するより右手に分かれる方が良く踏まれていたのであたりを見回すと杉の葉陰にコースサインが見付かった。

  右手に僅か下った所で左手の斜面に入る踏跡が分岐し、コースサインもそちらに入るよう指示していたが分岐から20m ほどの所に2本の倒木があってザックを背負ったままでは通り抜けられなかった。(左)
ザックを下ろして倒木の向こう側に出し、空身で間をすり抜けて通過した。

  急な斜面の不明瞭な踏跡を2、3度折れ下るとまた明瞭な道に乗り、しばらく斜降していった所で沢を渡る。
美味しい水が流れ引水ホースが来て人家が近いことを知ったが間もなく左下のような廃屋を見た。
  2軒目の廃屋の庭から先の進路が問題だった。
そのまま平坦に進む道があるようなのだが竹薮が覆いかぶさってとても通り抜けられない状態になっている。

  石垣の角から杉林の中に降り、右上の写真の石垣の右脇まで回り込んで行ったところから斜面を上がって道に出た。

  杉林の中を左手に緩く回って行くと右下に耕作が放棄された段々畑がある。
水流で荒れ、沢溝のようになったあぜ道(左)を下るとまた杉林の中の道になる。

  分かりにくかった下降路末端部もここまで来ればほぼ終点で、右手の杉林の中で数回、ジグザグを描いて舗装林道に降り立った。


   持参したS社の案内地図では、林道出合から久保まで20分と記されていた。
14:14発のバスに間に合わせようと急いだが、実際はもっと近く、15分足らずで見覚えのある前田商店前に出た。

  16時過ぎのバスでも、と思っていたが天狗塚を割愛したせいでひとつ早いバスに楽勝した。

  バスはほかに客がなく "貸切" で発車。
奥祖谷ホテルの玄関先に横付けしてくれた。

  ホテルのある京上集落は町村合併で三好市の一部なったもと東祖谷山村の中心部で、役場、林業組合、歴史民族資料館などが集まっている。

  ホテルは役場の3軒隣で、仕事で滞在している人達の泊まり場になっているようだった。
トイレ浴場は共同ながら祖谷川の渓流とその先の方に今日降りてきた尾根を眺められるベランダ付きの広い部屋で、民宿並みの料金では申し訳ないほどだった。
  風呂に入り、サッパリした服に着替えて生き返った。
夕食は例によってとても食べきれず、消化できそうな範囲で摘み食いをしたが祖谷特産のソバと薯の煮転がしと、数種の山菜の分だけ食べ過ぎになり、活きかえり掛かっていた胃腸の調子を狂わした。

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月31日

<タイム記録>
京上[7:30]=(四国交通 \???)=[8:16]平家屋敷(9:10)-(10:05)大歩危駅[10:52]=(南風#10 \11050+E1660)=[11:34]琴平駅(11:35)-金毘羅神社本宮(12:25/13:00)-宝物館(13:15/13:45)-(14:10)琴平駅[14:33]=(南風#16 \E830)=[15:27]岡山[15:33]=(ヒカリ#380 \6170)=[19:26]新横浜[19:36]=(\260)=[19:53]あざみ野[20:02]=(\150)=[20:09]宮崎台


◆ 無事に歩き切ったがそれなりの疲れは残り、腹具合も食べ過ぎで少々おかしくなっていたが、ノンビリ観光をして家に帰るだけでよい。

 7時半の一番バスで大歩危駅に向かったが手前で下車して "平家屋敷" を見学した。(左)
安徳天皇のご典医だった堀川内記の子孫の屋敷だそうで、茅葺の建物の中にさまざまな古文書や生活道具が展示されていて興味深かった。


   平家屋敷を見終わったあと、大歩危駅まで50分ほど車道を歩いた。
駅の建物は大きかったが女性駅員一人だけが勤務する静かな駅で、待合室のベンチではタクシーの運転手が昼寝していた。
線路構内の向かい側に遊歩道があったので、駅員の許しを得て見に行ってみた。
大歩危の渓流を見下ろす崖に沿った歩道で、展望台も設けてあり、"贅沢な待合室" になっていた。


  この帰り道の最大のおまけは金刀比羅神社だった。
11時前の特急に乗り、30分ほどで琴平駅に着いた。
駅のコインロッカーにザックを入れ、身軽になって神社に向かった。
本宮は標高524m の琴平山中腹にあって思いがけない山登りをすることとなった。
登路の大半はお店が並んでいる間の石段道だったが無数の踊り場があって疲れが溜まらないようにしてあった。

  本殿脇の広場は讃岐平野の展望台だった。
讃岐富士は小さいながらなかなか形がよく、機会があったら登ってみたいと思った。


金刀比羅宮本殿前広場から讃岐平野を望む(左手奥に讃岐富士)


  絵馬殿を見た。
海の神様らしく、さまざまな船舶や自衛艦などの絵馬が掛かっていた。
一番の大物は太平洋横断に使われた太陽発電ボートだった。(左)

また、変わった所では象の絵馬があった。
江戸時代に会津の商人が奉納したものだが、ここに奉納されたのは、舶来の珍獣だったからだろうか?


  帰り道の途中、宝物館に立ち寄ってみた。
三十六歌仙図の特別展示が行われていた。
古のキャリアウーマンに相応しいシックな衣装の小野小町はじめ、美しい画文集が見られ、良い目の保養となった。

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☆おわりに
    剣山に登った初日は冷たい風が吹き、霧ション気味だったが、山中二日目と三日目は尻上がりの好天に恵まれた。
相変わらずの低効率、ノロノロ行程プランだったが、それと引き換えに長い "滞空時間" を楽しんだ。
山行間隔が開いたのと久し振りの重荷とで、ややバテ気味になったが、南国の美しい笹尾根歩きと新鮮な山岳展望が素晴らしかった。

行き帰りの "観光" でも色々興味深いものが見られたのも良かった。