篠井山、奥山登山口から成島へ (2006.10.25-26)


☆期日/山行形式:
2006.10.25-26  前夜旅館泊、単独

☆地形図(2万5千分1): 南部(静岡9号−1)、篠井山(静岡9号−2)

☆まえがき
    篠井山は、富士川西岸に聳え立つ独立峰だ。
安倍川東岸稜線のトレースに通っていた時には、色々な方角から見て気に懸かっていた山だった。

  山としてはやや地味なのと、アプローチが不便なため、何度か行きかかっては後回しにする事を繰り返し、"登り損ね" になっていたが、年齢やら季節やら、ソロソロ時期だと思ったのであらためて本気の計画に取り組んだ。

  色々調べた結果、町営バスによるアプローチと奥山温泉の宿泊を併用し、適当な下山路を設定すれば割と楽に登れることが分かった。
残念な事に奥山温泉はほかに泊り客がなく、ひとりだけの面倒を見るために係員が宿泊し、設備を動かすことはできないと言うことで断られてしまった。

  代わりの方法として、福士の山中の一軒宿、富河温泉旅館に宿泊して翌朝、タクシーで奥山登山口(700)へアプローチする事を考えた。
定番の奥山ルートを登って、渡り場の頭(825)、北峰分岐(1340)から篠井山南峰(1394)に登頂したあと、四ノ位神社のある北峰(1392)を越して馬込・成島ルートに入り、馬込分岐(990)から大垈(オンタ 540)を経て釜の口(205)に下山。
北麓の成島にある十枚山登山口バス停(195)に出て町営バスに乗り、内船駅から身延線・東海道線を乗り継いで帰ろうと言うプランにした。
篠井山頂上の三角点と道標

  秋雨を降らせた低気圧が通過したあとの晴天を当て込んで期日を設定したのだが、期待したようには晴れ上がってくれず、頂上付近は雲の中。
楽しみだった南峰頂上の展望はゼロで、わずかに登りの途中の滝と頂稜付近の紅葉の眺めを楽しんだだけで終わった。

  成島への下山ルートは意外に手強かった。
910.8m の一ッ頭で馬込ルートと成島ルートが分かれるまで、南北に細長い篠井山の頂稜をなぞったのだが、この部分の大部分は岩っぽい細尾根で、随所に極端な急降下や足場の悪いトラバースがあった。

ただし、分かりにくい所には過剰なほどのコースサインや固定ロープが張ってあって、ルートは至極明瞭だった。
100(あるいは200)m おきに20x10cm の距離サインがあってルートと距離の確認ができたのは、樹木と霧で位置確認が難しかった初見のルートを安心して歩くのを助けてくれた。

  馬込へのルートを見送って成島への下降路に入り、大垈への支稜に乗ると一転して穏やかな土の道になった。
気が緩みすぎ、林道に出たら右に行くべきところを左に進む道迷いをやらかしたがすぐに行き詰まり、そのお蔭で時間ロスは僅かで済んだ。
林道は驚くほど険阻な峡谷の中を通っていたが、歩行には何も問題なく、ノンビリ歩いて釜の口に下山。
成島集落の上手の十枚荘に立ち寄り温泉があったので入浴して着替え、サッパリして帰ることができた。



☆行動記録とルートの状況

10月25日
<タイム記録>
宮崎台[11:16]=二子玉川=自由が丘=横浜[12:09]=(東海道線)=[13:28]熱海[13:35]=[14:14]富士[14:21]=(身延線)=[15:03]十島[15:09]=(南部町営バス \400)=[16:07]小久保{富河温泉旅館}

◆昼前遅く出発し、ユックリ在来線の旅をして身延線十島駅に行った。
十島駅で身延線電車に接続する南部町の町営バスは病院に通うお年寄りと小中学校の通学のために運行されているようだった。
終点は徳間だが、十島駅前から発車するとまず富士川を渡り、対岸の貫ヶ岳山麓にある万沢部落に立ち寄ったあと川沿いに北上し、福士にある役場を経て富河小学校構内に入ったが、そこで30分近くの長い停車をし、授業が終わった子供達が出てくるのを待った
発車時間が近付くと次々に子供が出てきて最後には3、40人になった。


  富河温泉は、東海自然歩道ルート沿いの山裾にある一軒宿だった。
小学校から7分ほどの小久保でバスを降りて山に向かう道を200m 程歩くと、大銀杏の立つ金山神社があり、その隣の地続きにある一見民家風の建物が宿だった。(左)
  部屋に入って間もなく、バスの中に手帳を落としてきたことに気が着いた。
これがないと予定時間が分からなくなり、翌日の行動に差し支える。
間もなく終点から戻ってくる筈だからと女将さんに教わったので道に出ていたらすぐにバスが戻ってきた。
思った通り、座席に落ちている手帳が見付かって無事リカバーできたのは幸いだった。
  この夜の客は一人だけ。
以前は東海自然歩道を歩く人で盛ったようだったが静かを通り越して寂しいくらいの泊まりだった。
宿帳に書き込むときにページをめくったら、毎週一度か二度くらい、パラパラと人が泊っているようだった
書き込んだ住所を見た女将さんが部屋に来て、今住んでいる所の近くが子供時代を過ごした故郷だと言った。
色々昔の様子を話してくれたが、坂道の名、神社、役場の位置などは変わっていないことが分かった。
家に帰ったあとで確かめたら、同姓の一族が何軒か、今でも住んでいることが分かった。



10月26日
<タイム記録>
小久保[8:00]=(Taxi\3520)=[8:20]奥山登山口(8:30)-渡り場の頭(9:30/40)-頂上/神社分岐(10:25/30)-篠井山(10:45/11:00)-四ノ位神社=北峰(11:05/07)-万願寺跡(11:10)-行者平展望台(11:19)-見返り坂(11:34)-大岩の捲き下り(11:45)-休憩(11:50/55)-行者の庭(12:02)-キレット(12:08)-馬込・成島分岐(12:10/12)-沢を渡る(12:42/44)-大垈(オンタ)(12:55/迷う/13:10)-釜の口(13:58)-林道合流点(13:10)-成島十枚荘(14:20/15:10)-(15:20)十枚山登山口バス停[15:37]=(南部町営バス \200)=[15:56]内船駅[15:57]=富士駅=熱海[18:06]=(東海道線不通のため新幹線に変更)=[18:34]神横浜=あざみ野=宮崎台

◆日帰りでも登れる山に前夜泊をしたのでタップリ時間的な余裕があった。
7時に朝食したあとユックリ支度をし、前夜に予約しておいて貰ったタクシーで8時に出発した。
徳間までの道は、以前高ドッキョウに来たとき霙にあって山を諦め、徳間峠から降りてきたことがあるので見憶えがあった。

  徳間から先の福士川谷はなかなか険阻だった。
ドライバーは、昔林業が盛んだった頃、トラックで運転免許を取ったということで、この一帯の山に詳しかった。

  長い谷道を走って詰めの壁の麓にある東屋の脇で車を降りた。
ガイドブックに大洞休憩舎と記されているがすこし大き目の東屋と言った感じの建物だっただ。
休憩舎の横手から谷沿いの道に入って山に向かった。
谷は水量豊かでまわりの木の葉も色付き、良い感じだったが高い所には雲が掛かってパッとしない天気だった。

  登山道は急な地形の中に巧みに刻まれ、歩きやすかった
"明源の滝" と記した表示が立っている所で滝が見えた。
何段か繋がっている美しい瀑布だった。


  滝の先もさらに左のような道が続いた。

  約1時間ほど登った所で小滝の落ち口の上を渡る。
対岸に "渡り場の頭" と記した表示板が立っていた。

  100ないし200m 毎に左のような 20cm × 10cm の金属板に、何.何Km と距離を記した表示板が立っていた。
樹木で視界が妨げられている登路の良い励みになった。

  高度が上がってまわりが明るくなると、谷沿いに鞍部に上がる道と直接頂上に向う道とが分かれていた。
右に折れて頂上に向かう道に入るとすぐに広い尾根の背に上がった。
針葉樹に混じって生えている広葉樹が色付いて綺麗だった。

  林床にサカキが目立つようになると間もなく頂上が見えてきた。(左)
二等三角点標石の左脇に道標が立ち、その向かい側にテーブルのようなものがあった。

  テーブルの上面には山岳展望図が描かれていた。
左のようにグルリと非常に沢山の山の名が記されていたが生憎の天気でどっちを向いても白い霧ばかりだった。

  展望図の下隅にルート概念図画があったのでデジカメでコピーした。
この図によると、釜の口/成島へ下るルートは2万5千分1地形図に記されている破線よりもっと北の尾根を下っていることになる。
実際に歩いた感じもこれに近かった。

  神社がある北峰に向かった。
もうすぐという所に御堂への下降路入口を示す道標が立っていた。
上級者向きと記されていたが、事故があったのはかなり昔で、登山道より獣道の方がはっきりしていたせいでそちらに迷い込んだためだったと、タクシードライバーが言っていた。
今はルートが整備され、皆が問題なく通っているそうだ。

  ひと登りで北峰の祠の前に上がった。
狭い頂上に三つの祠がある。
それぞれ御堂、馬込、成島の人達が建てたものだそうで、昔からこの山が、山麓に住んでいる人々の信仰の対象として登られてきていることを示している。


  祠の集団の北側に、頂上、奥山および馬込(南部町成島)の三方を指している道標が立っていた。
北に向う馬込(成島)ルートに入った。


  一段急に下ると平坦地があり満願寺跡と記した表示板が立っていた。
神仏混交の名残りだと思った。

  万願寺跡の先はアスナロの大木が林立する穏やかな尾根道になったが長くは続かず間もなく急な細尾根の下りになった。


  行者平というサインのある小平地の端からは谷間の集落が見え、また急な細尾根の下りになった。

  見返り坂というサインのある急降下の降り口でまた麓の谷間が見えた。
霧で遠くが見えないためどの辺りが見えているのか判然としなかった。

  極端な急降下の難場が現われた。
左は下り切った所から見上げた写真で、高さ20m ほどの垂直に切れ落ちた大岩の脇から画面左側へ足場の悪いトラバースをして細尾根の上に移り、きわどく降下しなければならない。
一部に固定ロープがあったがこの下山路でもっとも悪い部分だった。

  難場が終わると色付いた樹木に覆われた尾根になる。
苔に覆われて良い感じのルートだが何となく岩っぽい尾根の続き具合とまわりの樹木の繁茂から大峰奥駈道を連想した。

  久し振りに小平地に出た。
"篠井山"−"馬込" を指示する道標の下に "行者の庭" と記したプレートが取り付けてあった。
長い時間、人気のない急峻な地形の中にいたのでホッとした。

  大分地形が緩んでソロソロ気楽になれるか、と思いかけた所に尾根の "切れ目" があった。
両側が崩壊してミニ版のキレットになっていた。

  数本の丸太が渡してあったので問題なく通過したが何もなかったら通り難かっただろう。
  このあと左に回り込むように進んで行くと馬込と成島の分岐を示す道標が立っている三又路に出た。

  直進して成島へのルートに入ると両側が熊笹になった。
さらに100m 程で檜林に覆われた小尾根の下りになった。
傾斜はかなりあるが尾根の幅が広く、丁寧にジグザグ道が刻まれていて楽な下りになった。


  視界のない檜林の中をしばらく下り続けたあと右手にトラバースして沢を渡った。
小尾根の裏側に入ってまたジグザグを繰り返していると突然石灯籠の横に着いた。
"四之位山" と刻んであった。
山名の起源とともに、山岳信仰の行場の山だったことを示しているように思った。

  灯篭から僅かで林道にT字に交わった。
左に進んでみたら、5分あまりで行き止まりになったので反転した。
山道から出た所から2、3分で大垈(オンタ)塩沢林道に出た。


  ひと下りした所で橋を渡った。
橋の上から篠井山が見えたが、高い所はまだ雲の中だった。


  急なヘヤピンカーブで高度を下げて橋を渡り、南俣川本谷の左岸に移る。
谷は非常に険しく、両側が高い絶壁になっている。
谷の出口にある集落が "釜の口" と言れているのが尤もと思うような険しい谷だった。


  谷の中に鋭く突き出している尾根を乗越して裏側に降りかかると谷間に人家が見えて来た。
遥か離れている所で犬が気づいて吠え出した。
山腹を回り込むように下って行くと生簀があって大きな鯉が泳いでいた。
家への入口に "民宿鍋島荘" と記した看板が立っていた。

  突然穏やかになった谷間の車道を歩いてゆくと剣抜大洞林道と合流する。(左)
そちらは十枚山登山口、月夜の段入口、大洞の篠井山登山口を経て徳間の方まで繋がっているので、たまには車が走っているようだ。

10
  合流点から先は人家が増える。
前方に長者ヶ岳、天子ヶ岳付近の山並みを望む高原状の土地で、なかなか住み良さそうな土地だと思った。

 道端に "十枚荘、立ち寄り入浴500円" と記した看板が見えた。
ダメ元でためして見ようと脇道に入った。

  玄関に入って声を掛けてみたら、女将さんから、"今ならいいですよ" と言う、ありがたい返事が貰えた。

  さして広くはなかったが誰もいない浴場で、富士川下りの河船を模した湯船に浸かって身体を温めながら疲れを取った。
風邪気味だったので薬を服んだ上に幾分厚着をしたため大量の汗をかいていた。
真夏に山から降りてきたときの様に、汗ビッショリになっていたシャツを全部着替えてサッパリした。

  十枚荘から10分ほど下った所にあるJAの向かいの曲がり角に内船行き町営バスの乗り場があった。
バスには大勢の小学生が乗っていて、人家の集まっている所に停まっては下ろしてゆく。
  町の北端で最後の生徒を下ろすと "お客さん、何時の電車に乗るのかね?" とドライバーに聞かれた。
"間に合ったら15時57分のに乗りたいんですけど" と答えると、"間に合うかどうか分かんないけどやって見るよ" という答え。
バスが内船駅に着く時間が56分だから確かに厳しい乗り継だ。
駅の1Km 程上流に架かっている橋を渡った所で目の前の線路を電車が走っていった。
これではとてもダメだろう、と思ったが、駅に着いたらすぐに走れば何とか間に合うかもと、ドライバーが言った。
ホントかなぁ、と思いながらもあらかじめ運賃を料金ボックスに入れ、言われた通りにやってみたら、電車はまだホームに止まっていて無事に滑り込むことができた。
  待ち時間ゼロ分で乗れた電車は、富士駅で東海道線に3分の乗り継ぎができた。
熱海までは極めて順調に進んだが、そこで予定していた5分の乗り継ぎの東海道線で問題が起こった。
場内放送が、茅ヶ崎駅付近の踏切でトレーラが、運んでいた重機を線路上に落とす事故があったため全列車が停まっていると言う。
急遽新幹線に乗り換えて帰ったが、そのお蔭で帰宅時間が早まり、楽々夕食に間に合った。
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☆おわりに
  成島ルートは予想以上に厳しかった。
天気も芳しくなくて展望もなかったがトレーニング山行の実は得られた。

  下山後の足の問題はあるが、今回と逆方向の行程とし、ここを登路にすれば、なかなか登り甲斐のあるルートから登頂したあと、良く整備されて安全な奥山ルートを下って奥山温泉に入れ、プランとして大分良くなるように思う。
足の問題は御堂ルートを下ることで解消できるだろうし、奥山温泉に泊まった場合は、翌日に青笹山に登って静岡側から帰ることも可能だろう。

  十枚山も、甲州側の成島から林道末端の登山口まで車で入れば、稜線の十枚峠まで2時間足らずと言うから安倍川谷の中の段を経由して登るより大分楽だと言うことになる。