熊野古道小辺路[4]、三浦口-三浦峠-西中(2006.4.13)


月13日(曇り一時雨) 三浦口-三浦峠-西中。
                    村営バスで戻って三浦峠を越し、西中に下山。
                    村営定期バスで十津川温泉まで移動して宿泊。

☆地形図(2万5千分1):
伯母子岳(和歌山8号-2)、重里(田辺5号-1)、十津川温泉(田辺1号-3)

<タイム記録>

    川津[7:54]=(十津川村営予約バス)=[8:15]三浦口(8:20)-三十丁の水(9:50/10:00)-三浦峠(10:45/56)-古矢倉跡(11:20)-出店跡(11:35/45)-五輪の石塔(12:07)-矢倉観音堂(12:35/45)-(13:10)西中大谷橋-(13:15)西中バス停[13:54+5]=(十津川村営定期バス)=[14:23]十津川温泉バスターミナル-(14:30)十津川温泉えびす荘


☆行動記録とルートの状況
    怪我は心配したほどではなかったようで寝ている間に出血せず、痛みも出なかったので行程を続行することに決めた。
空模様の方はつかの間の小康状態で、西から九州に接近してくる低気圧の影響でいつ降り出すかというところだが、三浦峠を越えて西中バス停までの正味行動時間は約4時間半。
雨が降りだすまでにはあらかたのケリをつけられるだろうと計算した。

  雨装備は水ヶ峰で壊れた折り畳みコーモリでは心許なかったので宿の近くのヨロズ屋で買った350円のジャンプ傘と入れ替えた。
折り畳みできないので使わないときに嵩張るが握りの根元に細紐の腕輪を付ければザックに付けて運べるようになる。

  三浦口に戻る村営バス予約便は、宿の近くの乗り場を7:54に通る。
ポストの脇にザックを置き、居合わせた近所のおじいさんと話をしている所へ十津川役場の方から数人の小学生を乗せたバスがきた。
別の方から来て停まっていたもう一台に子供達が乗り移って空になった車が三浦口行きになる。
ほかに客はなく、貸切バスになって三浦口まで走った。


   三浦口のバス転回場の奥手の民家の庇に小さな看板が乗っていた。
かすれた文字は、"たまや" と読み取れた。

  豊中のMさんが提供してくれた情報の中に、以前そういう名の宿があったが今は廃業しているようだというのがあった。

  他所で聞いた所では、オーナが老齢になって旅館の経営は止めたが、知り合いの釣り客などに頼みこまれて断りきれず、素泊あるいは、ありあわせの食事で泊めることもあるらしい。
  もしここで泊めて貰えれば、予約バスで川津の宿まで行ったり来たりする必要がなくなる。

  "たまや" 入口の脇に立つ標柱の左側の道を下りてゆくと、谷底を流れている神納川の釣り橋が見えてきた。
岸辺の園地の桜が満開で、薄曇りの朝の柔らかな日を浴びていた。(下)


  吊橋は軽自動車くらいなら通れるのではないかと思われるくらいの大きなしっかりした物で、通ってもまったくゆれなかった。

  渡り切った所に立っている道標に従って左に斜上すると、尾根末端の緩斜面に上がる。
数軒の人家があり、その背後が棚田になっていた。

  最奥の家(無住?)の庭の端をかすめて杉林に入ってゆく所には樋の引き水があり、その脇に湯飲み茶碗が置いてあった。(左)

  小辺路沿いの所々で見かけるそれとはなしの接待は、古くから伝えられている旅人への気配りなのだろう。

  杉林の中を緩やかに登ってゆくと、石碑があった。
以前、この辺りに屋敷があったという。
その先に "オバケ杉" とでも言うような杉の老木が立っている。
屋敷の防風林の名残らしい。

   尾根の背とその脇の斜面の間を巧みに折り返しながら高度を上げて行く。
至って歩きやい道で、心肺機能に負荷が掛からない。

  三十丁の水に着いた。
折り返しの角から10m ほど入った所に樋の引き水があって、小振りな木の水槽に注ぎ込んでいた。
山の柔らかな味の水で喉を潤して小休止。

  水場からもうさらにひと登りで尾根の背を乗越すと、東側の斜面を斜上するようになる。


  一段と歩きやすくなった緩やかな登路を進んで行くと右上方の尾根に三浦峠と思しい鞍部が見えてきた。(左)

  暫くの間左手の斜面を斜上して行ったあとで左に折り返してひと登り。
右に折り返して100m 程登ると砂利の林道に飛び出した。
左手にログハウス風のトイレがある。
  右に向かって斜めに林道を横切って行った所に表紙ページのような茅葺屋根の東屋と小辺路の地勢・歴史を和英両語で記した看板が立っていた。

   峠の施設としては申し分ないのだが林道工事であたりの地形が壊され、風情が失われている。

  左の写真の道標から踏み込んだ西中への下降路は古い峠道の雰囲気を留めていた。
斜めに降下して行く道に沿って鹿の食害から桧の幼木を守るためと思われるネットが張ってある。

沢の水流を一本、少し進んだ所でまた一本渡った所で鋭角に折れ曲がり、僅か進んだ所が、古矢倉跡だった。(下左)

  樋で引き水がしてあり、テント1−2張りくらいは収容できそうなスペースがある。

  ここから先は南に延びている長い尾根を辿る。
距離は長いがその分傾斜が緩く、”怪我人" にとってはありがたい下降路だった。

  途中の樹木の切れ間に "今西集落" と記した立て札があった。
山腹の広い斜面に人家が散在し、所々に桜が咲いて綺麗なパッチ模様になっていた。(下)



  急斜面のトラバースなどもあるが所々に石畳が現れる道はよく整備されている。
右下は松茸山だから立ち入りを禁止すると記したプレートがあった。
とてつもない急斜面で、良くこんな所で松茸狩りをするものだと驚き呆れた。

  濃密な森が続いていささか単調になったが、尾根の端を回りこんで行った所に矢倉観音堂があった。(左)
格子戸の隙間から賽銭を投げ込み、怪我人を無事に歩かせてくれたことに感謝した。

  観音堂から少し下ると左前方の景色が見えてきた。
西川谷の向かい側に立つ天井山の整った三角形が綺麗だった。

  やがて矢倉集落最奥の民家の庭先を通り抜け、一段下って舗装車道に出た。

  所々に立つ道標に従って下り続けて行くと左のような形で谷底の車道に合流する。
道路の向かい合わせに小辺路ルートを示す大きな標柱が立っていた。

  10分ほど車道を歩いて西中バス停に着いた。
何か食べられる店屋、最低でも東屋くらいはあるか、と期待していたが、軒下にバス停のサインが下がっている家は雨戸を閉め切ったままだった。

  近所を見回しても店屋は見当たらない。
小雨模様になってきた。
軒下にザックを下ろしてその横に座り、パン・チーズ鱈・林檎・テルモス入りコーヒなどでお昼にした。

  西中から十津川温泉方面へ運行されている村営バスは定期便は、30分ほどで十津川温泉郷入口にあるターミナルに着いた。

  地元の年寄り5、6人と乗り合わせたが、ドライバーともどもよそ者に暖かく、泊まり場への道案内など親切に教えてくれた。
  十津川温泉の宿も小辺路を歩くひとり客はあまり歓迎しないようで、一軒には断られたが、温泉民宿えびす荘の女将さんのテストには何とか合格し、泊めて貰うことができた。

  電話でのやり取りから、世界遺産への登録で関心が集まる中、奥駈道より楽そうだからと、小辺路に入る人が増えた結果、山中の事故が増え、神経質になっている様子だった。
奥駈道を完歩したあと、小辺路もと思って行くのだと話したら女将さんの心配が和らいだようだった。
  露天風呂の温泉で汗を流し、着替えてサッパリしたところでまわりの様子を見に出かけた。
高野山以来の街らしい所で土産物屋を兼ねたコンビニ、結構大きなヨロズ屋のほか、温泉街らしい飲み屋もある。
川津への宅急便の補充漏れになった物をここで補充した。
バスターミナルは、16人のドライバーを擁する十津川村営バス運行の中心で、かなり規模が大きい。
ターミナルの向かい合わせの橋の袂には、"庵の湯" と称する足湯がある。
ダム湖の向こう側に果無の山が遠く高かった。



☆関連情報
    十津川村観光協会: 07466-3-0200    http://www.totsukawa.org/kanko
    十津川温泉郷民宿 えびす荘: 07466-4-0019
                                             〒637-1554 奈良県吉野郡十津川村大字平谷425-1
    ホテル 昴(果無入口、第三セクター?): 07466-4-1111  http://www.hotel-subaru.jp

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