熊野古道小辺路[3]、大股-伯母子岳-三田谷(2006.4.12)


月12日(曇) 大股-伯母子岳-三田谷大橋。
                  下山地に泊まり場ないため、予約十津川村営バスで川津に出て民宿に泊。

☆地形図(2万5千分1):
上垣内(和歌山8号-1)、伯母子岳(和歌山8号-2)

☆<タイム記録>

    かわらび荘[7:20]=(送迎車)=[7:25]大股(7:30)-萱小屋跡(8:27/33)-桧峠(9:27/33)-夏虫山入口(8:36)-伯母子峠分岐(10:00/05)-伯母子岳(10:30/35)-伯母子峠(10:50/11:20)-崩落部高巻き(12:20/30)-水ヶ元屋敷跡(12:35)-三田谷橋2.6Km石標(13:15/25)-石畳現る(14:10)-待平屋敷跡?(14:15)-転倒/怪我(14:20/25)-(14:50)三田谷橋[14:55]=(定刻は15:45の十津川村営予約バス)=[15:15]川津民宿ますや


☆行動記録とルートの状況

  伯母子岳越しをするこの日は登高差700m 足らずだが正味歩行時間が約6時間。
今回では最も山っぽく長丁場の行程となる。

  下山先の三田谷大橋、15時45分発の予約村営バスに必着しないと泊まり場である河津の民宿ますやに行き着けない。
たっぷり目の余裕を見込んで7時前に朝食を済ませた。
宿の若大将の車で大股(左)まで送って貰って歩き出した。
橋の袂には小辺路ルートの地図看板が立っている。

  細い舗装路を登って集落の背後に上がり、最奥の人家の庭を掠めると杉林の中に入る。
天気のせいもあって暗いのが難点だが長く歩かれてきた穏やかな道は歩きやすい。



  先が長く時間はたっぷりあるので、とにかく疲れないこと第一と、スローペースで歩いていたが、ほぼ標準タイムピッタリで萱小屋跡に着いた。

何年か前までは建物があったらしく、かなり広い屋敷の奥手に残材が積み上げてあった

  萱小屋跡から先は尾根の背の右下を巻き上げて行くようになり、いくらか傾斜が緩む。
やがて尾根に背に乗り上げ、緩やかに進んで桧峠に着いた。(左)

  ここまでも順調に歩いて来られ、満足して道標の脇で小休止。



  桧峠から先は尾根の左斜面に入って殆ど水平に歩く。
まわりが落葉樹に変わって視界が開け、行く手に穏やかな姿をした伯母子岳が見えてきた。(左)

天気は昨日より大分良く、時々薄日が当たるくらいなのだがもうひとつパッとしないのが残念だ。

  緩やかに下って着いた鞍部に十字路があった。
護摩壇山の方から縦走してきて伯母子峠に行く野迫川村の遊歩道と大股から登ってきて伯母子岳頂上に向かう道とが交わっている。(左)

  小辺路唯一の山らしい山だから是非登ってゆきたいと直進。


  落葉潅木の間をひと登りして伯母子岳頂上に着いた。
東西に細長い頂上で、幾つもの道標が林立している。

  周りの木が伐り払われているため広大な視界が開け、特に西の方、護摩壇山方面への尾根の連なりが良く見える。(左)
雲が少なければもっと遠くまでの展望が楽しめただろうにと、残念に思いながらパノラマ写真を写した。
(表紙ページトップのパノラマ写真参照)


  十津川村三田谷へ下るには頂上東側にある伯母子峠を回ってゆかなければならない。
頂上への登路と峠への下降路は、小辺路の幅広い道ではなく、普通の登山道である。

 10分ほど進むと林の隙間に小屋とトイレが見えてきた。
一帯はゆったりした小鞍部になっていて写真の左側の小屋は5m ×4m 程度。
土間の両側が床になっていて、それぞれに6-7人程度は寝られるか、という感じである。
小さいが内部は綺麗だった。
水場も近いから、適期を選んで来れば快適な泊りができるに違いない。
小屋の後ろには、テント2、3張りには十分な平坦地がある。
まだ新しいトイレもテストしたあと十津川へ向けて下山に掛かった。

  頂上の南面はかなり急峻で所々に桟道が掛けてある。
峠から五分ほどで水場の沢を渡り、すぐ先でさらに大きな流れを桟道で渡った。
さらに2、3度沢溝を渡るとようやく巻き道が終わり、穏やかな尾根道になる。

  小1時間歩いて、そろそろ上西家手前の崩壊箇所かと思い出したところにバイクが乗り捨ててあったので驚いた。(左)
大雨で道が崩壊する前でなかったら乗って来られなかった筈だから大分長い間放置されているに違いない。
  バイクの脇を過ぎると間もなく崩壊箇所だった。
補修工事の道具が置かれ、その手前で高巻き道が分岐していた。
崩壊部を覗き込んでみたがチョッと通れそうもない状態だったのであと戻りし、高巻き道に入った。
こちらもかなり怪しげな踏跡で、潅木に掴まりながら慎重に通らなければならなかった。
息を切らせて急登を上がり、崩壊の上端を巻いてもとの道に戻るまで約10分近く掛かった。
直ぐ先が上西家跡だった。
石垣のある広い平地に巨木が立ち、壊れかかった野外ベンチがあった。
ザックを下ろして暫く休憩。(左)

  広場の端に崩壊部補修用資材が積み上げてあった。
その先に立っている道標(左)に従って右折、稜線の上にあがった。
直進する道は、明治以来使われている新道で、本来の小辺路の道ではないのだという。

  小辺路の古道は暫く尾根の背を辿ったあと、左(東)側斜面の上部をなぞって行く。
ややザレ気味の複雑な地形の所は水が湧き出ていたりして、このあたりが水ヶ元茶屋跡ではないかと思った。
 杉林の中を折り返し急登して尾根を乗越す所に英和両語のルート指示があった。

  尾根の西側に入って暫くすると石畳道になった。
豪雨の多い山の道を守るため、人里離れた山中に石を担ぎ上げ敷き詰めて行った気の遠くなるような労力も、信仰の力のなせる業か、と思った。

  前から気が着いていたことだがビブラムソールと石畳道とは相性が悪い。
特に雨の後は要注意で滑らかな面は避け、石の境目に足を下ろすようにしないと突然ツルッと滑ることがある。

  緩やかな下りが続いて疲れないまま長い時間歩き続け、もう出口も近くなったのでは、と地図を出して見ながら歩いたのは、とんでもないご粗末だった。
突然スリップして転倒、地図を持っていた右手は地面につくことができなかったため、右眉の横を石畳の角にゴツンとやった。
ア痛ッ!と当てた手を放してみたら血がベットリ。
止血のためタオルを引っ張り出して暫く押し付けた。
幸い出血が止まったので大き目のカットバンを貼って応急手当をし、そろそろと歩いて三田谷橋口への脱出をはかった。
幸運な事に、転んだのは出口のすぐ上で、僅か3分足らずで林道に出られた。(左)

  定刻より大分早かったのに、橋の向こう側にはバスが来て待っていた。

バスの通り掛かりに診療所があれば立ち寄ってもらおうかとも思ったが、出血は止まったままだし痛みもあまりないのでそのまま走ってもらい、20分ほどで川津の民宿に着いた。

  風呂が沸くまでの間にあらためて傷口を消毒し、絆創膏を貼りなおした。
さらに出血したり痛みが出たりしたら行程を中断して帰った方が良いだろうが、どうも大丈夫そうな気がした。

  この宿には、出発前に着替えと、果物・果汁、食品などを宅急便で送り込んであった。
必要な物を補充し、不要になった物を着払いで送り返す段取りをした。

  この宿でも釣り客と仕事の滞在客、数人と泊まりあわせたが、山歩きはほかに居なかった。



☆関連情報
    十津川村役場  Tel:07466-2-0001、Fax:07466-2-0580
                         http://www.vill.totsukawa.lg.jp    E-mail kankou@vill.totsukawa.lg.jp
    十津川村営バス: 07466-4-0408 (予約は村役場に電話で申し込む)
    十津川村 川津民宿ますや Tel: 07466-7-0218  Fax:  07466-7-0302
                                         〒637-1216 奈良県吉野郡十津川村大字川津643-3
    三浦口民宿玉屋(好意で泊めてくれる?): 07466-7-0186

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