熊野古道小辺路[1]、高野山 (2006.4.10)


月10日(雨)  小辺路玄関口、高野山へアプローチ。
              奥の院・根本大塔、金剛峰寺などを見学したあと、宿坊泊。


☆地形図(2万5千分1):
高野山(和歌山7号-4)

<タイム記録>

    宮崎台[7:07]=あざみ野=新横浜[7:53]=(ヒカリ#363)=[10:36]新大阪[10:55]=(地下鉄御堂筋線)=[11:10]なんば/南海難波[11:24]=[12:13]橋本[12:52]=[13:31]極楽橋[13:38]=(ケーブルカー)=[13:43]高野山[13:48]=(バス)=[14:08]奥の院前-御廟-奥の院前[15:14]=千住門院橋-蓮花院-根本大塔/金堂-金剛峰寺-(16:45)蓮花院宿坊

☆行動記録とルートの状況


  初日は小辺路の玄関口である高野山までのアプローチだった。
この機会を利用し、このユニークな山上宗教都市を概観してみようと思った。

中心街はちょっとした商店街になっていて土産物屋、精進料理屋、日用品店などが並んでいる。


  観光の中心は奥の院で、バスツアーの老人グループや海外から来た観光客など、雨の中を大勢の人が歩いていた。


  徳川家、豊臣家などの大名領主から、近くは企業関係まで色々の墓地が並んでいる。
入口近くにあった写真業界先賢供養の碑に目を惹かれた。
両脇の石板に数多くの顔写真が嵌めてあるのが珍しかった。(左)

  奥の院の内部を参観した。
弘法大師空海記念寺院とでも言うべき大伽藍だった。
真言密教はチベット仏教と近縁なように感じた。

  帰り道の始めの所に無縁仏の石像を積み上げた塚があった。
熊野古道は死出の旅の道筋でもあったと何かで読んだのを思い出した。

  路線バスで千手門院橋バス停に戻った。
泊まり場の "蓮花院" はすぐ近くだったのでザックを預け、付近の堂宇を見て回った。

  壇上伽藍の金堂と根本大塔が荘厳な空間を作り出していた。

金剛峰寺(左)は緊張感のある美しい寺だった。

  宿舎の蓮花院は金剛峰寺のすぐ隣、門の脇に前橋士官学校と刻んだ石柱が立ち、玄関の脇では紅梅が咲いていた。

  食事は生臭物を使わない精進料理だったが、胡痲豆腐、豆料理に精進揚げなど、胃病みの年寄りの手に余る大ご馳走だった。

泊り客は少なく、至って静かな宿りだった。

☆おわりに
    高野山を見るのに半日足らずではまったく不十分だった。
護摩壇山から伯母子岳へ歩いてみたいと思っているので、 その際に再訪し、あらためてジックリ見てまわりたい。