北八ヶ岳、縞枯山-麦草峠-剣ヶ峰‐自然園 (2006.10.11-12)


☆期日/山行形式:
2006年10月11-12日 会社保養所泊、ツイデ山行。

☆地形図(2万5千分1): 蓼科(長野12号-4)、松原湖(長野12号-2)

☆まえがき
    同窓会が北八ヶ岳ピラタスロープウエイ近くにある某社の保養所で行われることになった。
泊りがけで宴会をした翌日は昼まで観光ドライブという計画を幹事が用意してくれていたが、折角ピラタス下に泊まったのに山に上がらずに帰ってしまうという訳には行かない。
学生時代以来、時折一緒に歩いている旧い山の相棒とふたりで別行動をさせて貰い、久し振りに北八ヶ岳を歩く事にした。

  組み立てた行程は、ピラタスロープウエイに乗って山に上り、縞枯山荘(2230)から八丁平(2250)を経て縞枯山(2403)に登ったあと、茶臼山(2384)、大石峠(2155)を経て麦草峠(2120)へ。 さらに白駒池(2120)から信濃自然歩道に入り、諏訪門、剣ヶ峰(2010)から八千穂高原自然園(1575)に下ったあと、季節運行の千曲バスで佐久平駅に出て長野新幹線で帰るというものだった。

  色々な季節に何度も来ている所なので大部分は既知のルートだか、白駒池から諏訪門を経て八千穂高原までの区間のみは未踏だった。
この部分にあった剣ヶ峰(2010)から下り掛かる所では、この山行で最高の紅葉展望を楽しんだ。

  このピークは、麦草峠の北東約800m にある、パッとしない尾根上のコブで、何も期待していなかったのだが実際に行ってみたら両側が切れ落ちた痩せ尾根のピークだった。
眼下の八千穂高原一帯と千曲川谷の向い側に並んでいる御座山、茂来山・四方原山方面への展望が広大だった。
尾根の左下の大石川谷対岸の錦繍の大斜面が素晴らしかった。(下)

北八ヶ岳、剣ヶ峰頂上直下から見た大石川谷の紅葉。 背景は北横岳と雨池山    (クリックすると拡大します)

☆行動記録とルートの状況


<タイム記録>
10月11日
    宮崎台[13:26]=長津田=八王子[14:29]=(アズサ)=[15:59]茅野[16:05]=(Taxi)=[16:40]ヴィラ蓼科{会食・宿泊}

10月12日
    ヴィラ蓼科(8:45)-(9:00)
ピラタス山麓駅[9:00]=[9:10]山頂駅-八丁平(9:35/40)-縞枯山(10:05/20)-茶臼山(11:15/25)-五辻(11:55)-大石峠(12:10)-麦草峠(12:30/13:00)-白駒池(13:30/45)-諏訪門(14:20)-剣ヶ峰(14:30)-八千穂荘(15:25)-(15:40)八千穂高原自然園[16:30]=(千曲バス 季節運行 \1700)=[17:49]佐久平駅[18:12]=(アサマ#554)=東京=大手町=宮崎台


宿泊したF社の保養所(左)はバブル期の遺産だということで豪華な大形施設だった。
ピラタスロープウエイまで徒歩10分あまりという至近距離にある。

  朝風呂に入ったあとユックリ朝食を食べてチェックアウト。
玄関先で記念写真を撮り終えると本隊は車で観光に出発した。

  走り出す車を見送ったあと、ロープウエイに向う。
雲がやや多いが至極落ち着いた空模様だ。

   乗り場に着いたのは9時丁度、早朝発だったら一番列車に乗ったとしても、とても無理と思われる時間だった。

  発車寸前だったキャビンに飛び乗り、大勢の観光客とともに山に上がった。
終点の手前では "北" の槍穂高などが見えた。
山上駅に着くとそのまま歩き出し、坪庭の裾の木道を通って山に向った。
歩き出して7,8分ほどの所に坪庭に上がる道の分岐がある。
観光客は皆そちらに上がり、木道に残ったのはほんの数人だった。

  縞枯山荘に近づくとヘリコプターが飛んできた。
工事資材などの運搬作業のようだった。
小屋の横手の作業場の上でホバリングしようとしたのが風のせいで小屋の方に流され、危うくロータを屋根に引っ掛けそうになった。
  危い所から上昇離脱して行くのを見送っていると、危ないから早く行って下さい、と声を掛けられた。

  急いで小屋の前を通り過ぎ、遠ざかって行くヘリの音を聞きながら歩いていると相棒が連れ合いとふたりで縞枯山荘に来たときの事を言いだした。
コーヒーがあると掲示板に書いてあったので "コーヒーありますか" と管理人に聞いたら、この上なく無愛想な応対で、嫌々出してくれた、と言う。

  山小屋の管理人には変人が多いようだ。

  ピラタスから雨池に行く道が北八ヶ岳縦走路と交わっている雨池峠で小休止。
スパッツを着けて足拵えをした。
この付近は道が水流で洗われて大石が露出し、凸凹が多くて歩きにくい。
昔はもっと平らな地面だったような気がする。

  右に折れて縞枯山への登路に入った。
はじめは緩やかな登りだったが徐々に傾斜が強まり、中間部はかなりの急登になった。
ルートは所々で登り難い大石の積み重なりを避け、横手の林の中にジグザグを描いていた。

  しばらく我慢しているうちに徐々に傾斜が緩み、前方の樹間が明るくなってきて、やがて標柱の立つ頂上に着いた。(左)
先客が3人、休憩している所へ途中で追い越してきた老夫婦と女性3人組が登りついた。

  縞枯れの林の先の方に中央アルプスと御嶽山(下左)、そして "北" の槍穂高(下右)が見える。
(クリックすると拡大します)
(クリックすると拡大します)

  大展望を楽しみながらの休憩を終えて先に進む。
2386.8m の無名峰では道標の指示に従って直角に右折。



  ピークのすぐ先から茶臼山との鞍部に向かって急降下が始まる。
茶臼山の左奥に麦草峠の笹原が、その右上奥に中山から東と西の天狗岳が並んで見えた。(下)

縞枯山下降路から見た茶臼山、麦草峠、天狗岳。    (クリックすると拡大します)


  大石が積み重なって下りにくい所を下りきると五辻への分岐を示す道標が立っていた。

  鞍部から先を登って行くとシラビソの大木の林立する中に入った。
北八ヶ岳の象徴となっている極相林だ。

  やがて茶臼山の頂上に登りついた。
樹木に囲まれて展望はないが落ち着いた雰囲気の良い休憩ポイントだ。





  茶臼山からの下りに掛かるとまた前方の視界が開けた。
左手に御座山、その右手前には男山と天狗山のギザギザが、そしてその先の方には奥秩父連峰が連なっている。(下)

  昔、笛吹川東沢を遡って甲武信岳に上がり、国師岳を経て金峰山への頂稜を縦走したことを思い出した。
その事を相棒に話すと、綺麗な谷だったねェ、と言いながら20年程も昔の事を思い出している風だった。

  長い下りの途中に短い登りがあった。
登りあげた所は中小場の岩塊の積み重なりだった。
歩いてきた方を見返すと茶臼岳と、その奥にある2386.8m 峰が穏やかな姿で並んでいた。(下)

  南の方を眺めると大分近くなった麦草峠の笹原と、丸山・中山の盛り上がり、天狗岳の双子峰など、北八ヶ岳特有のユッタリした起伏が広がっていた。
南八幡平や葛根田川源流域稜線などを思い出した。(下)

臼山中小場から南方への展望。        (クリックすると拡大、IE では自動スクロールします)

   中央アルプスの稜線も良く見えた。
手前を横切っているのは守屋山から入笠山方面への連なり。
その手前の下方には諏訪盆地の町並みが霞んでいる。


  大石峠はその名の通り、大石の多い歩きにくい所だった。
石が多い割に水はけが悪くて泥濘み、歩きにくい。






 やがて木道が出てきた。
歩きやすくなってヤレヤレと思いながら進んで行くと麦草峠の池塘の岸に出た。
特段の事はない池塘だが落ち着いた雰囲気があってなかなか良い所だ。
  池塘の先で舗装道に上がった所が麦草峠だった。
道路を渡った所に駐車場があり、その奥にヒュッテがあった。

入口の奥の売店のテーブルにザックを置いて蕎麦を食べた。
ヒンヤリした山の中を半日歩いてきて、いくらかの汗をかいたあとだったので、やや塩辛い蕎麦の汁が美味かった。

  ユックリ蕎麦を食べて食休みをしたあと白駒池に向った。
冬はスキー場になる笹原を斜上して行くあたりは美しい高原風景になっていた。
茶臼山の右手遠くには浅間山が煙を吐いているのが見えた。
  尾根を乗越して行くと岩塊と這松で庭園のようになった沢窪を横断し、そのすぐ先でパーキングエリアからの道が合流した。
バスツアーやドライブで来た人が大勢いて、街中のように賑わっていた。
三脚を持っている人が異常に多かった。

  シラビソの森の中をもうひと登りした所で高見石からの道を合わせ、左に進むとすぐに青苔荘の屋根が見えてきた。
池の岸辺は丁度よい加減の紅葉になっていて、"三脚カメラマン" 達に格好の作品材料を提供していた。
15年余り前のガイドブックには "静寂の白駒池" と記されているがいまはほとんど "喧騒の白駒池" になっている。
  小屋の女将さんに諏訪門方面へのルートを確認して池めぐりの木道に入った。
茂みの中を10分ほど歩いた所に東屋(左)があってその脇から諏訪門‐八千穂自然園方面への道が分岐していた。
  シラビソの大木が林立している薄暗い森の中で道もあまり踏まれていないようだが縦走路と違って大部分が土の道で、歩き易かった。
浅い窪を流れている水流を渡るとすぐに林道に出た。
  道標に従って左へ、200m ほど歩くと国道299号線に出た。
佐久方面に向って歩いてゆくと左前方に剣ヶ峰が見えてきた。
林の上に僅かに頭を出している程度でパッとしない山だと思った。
  国道を10分ほど歩いた左側に "信濃自然歩道" の看板があった。
その前の藪っぽい階段を下って進むとすぐに林道に出た。
角に立っている道標に従って左に。
また200m 程で、右に斜上して行く歩道に分け入った。
この歩道の入口に立っている道標は方向が少し変で、地図読みをせずウッカリ歩いていると林道を直進してしまうおそれがある。

  手間をかけて石畳にしてある割にはあまり踏まれていない道を斜上して行くと左の道標に突き当たる。

  左に折れて下降を始めた。
(クリックすると拡大します)

   溶岩の板を立て掛けたような感じの岩っぽい痩せ尾根だった。
両側が切れ落ちているため、非常に眺めが良く、眼下の八千穂高原スキー場、八千穂レイクから佐久平方面へ広がっている裾野が針葉樹の緑と紅葉を織り交ぜて綺麗だった。(左)

  尾根の西側は大石川源流域の緩やかな斜面が広がり、ページ冒頭のサムネイルから見られるように広大な紅葉の絨毯になっていた。
(クリックすると拡大します)

  痩せ尾根が終わると極端に急な斜面のジグザグ下りになる。
丁寧なルート設定のお蔭で足の負担は少ないが、余所見をしながら歩く訳には行かない。

  急降下が終わり、緩やかな尾根に乗ると間もなく右手の林の中にスキーリフト頂上の機械が見え、その少し先でスキー場の斜面に降りた。

  降りてきた尾根を振り返ると霧が湧き始めていて、それをすかして射し込んでくる日光が幻想的な雰囲気を醸していた。
  スキー場の下りは意外に長かった。
傾斜が一定な滑走バーンを真っ直ぐ下って行くと、同じ筋肉にばかり負担が集中する。
かなりペースを抑えて下ったのだが、途中から膝まわりの筋肉が引きつってきた。
相棒も同じ情況のようで、かなり辛そうに歩いていた。
  ソロリソロリ歩いてようやくスキー場センターハウス前の道路に降り立った。
バス停ポストが立っていたので八千穂/佐久平方面行きの時刻を確かめた。
佐久平駅と麦草峠をつなぐ路線バスは、積雪期を除く週末の運行だが10月は1日から15日までは紅葉見客のため、夏山シーズン同様、毎日運行される。

  スキー場の道路の下の沢の紅葉が非常に綺麗だった。
(クリックすると拡大します)

  八千穂高原自然園のあたりは日本一といわれる広大な白樺林になっている。
一面、白い幹が林立している様は不気味でさえあった。

  スキー場から10分あまりで自然園に着いた。
雨池から八柱山を越えてここに降りたことがあるので今度が二回目だ。
その時は、自然園の中を通って八千穂駅まで歩いた。
バスが運行されない日だったが、下り坂だからたいしたことはあるまいと高を括り、タクシーの電話番号も調べなかったのは大間違いで、とんでもない道程のダラダラ下り坂で脚が疲れ果てた。
  今度はバスで下るのでただ待っていれば良い。
ピラタスからここまで、古希のジィさん達にとっては結構な長丁場だったが目論見どおり、順調に歩けた。
お蔭で一時間近くの待ち時間があったので、トイレを使ったり、飲み食いをしたり、ゲートハウスに飾られた写真を見たり、ノンビリ休んだ。

  定刻より早く来たバスには老婆が一人乗っていた。
定刻まで時間待ちをして出発し、紅葉の中を下った。
紅葉は諏訪側より佐久側の方が段違いに綺麗だと思った。

  別荘管理事務所の前で老婆が降りたあとは "貸切" になった。
  八千穂駅の横手には前来た時にはなかった食堂ができていた。

次第に黄昏の色が濃くなって行く佐久平の街路を走った。
暗くなり始めた頃に臼田の町を通った。
昔風の商店が並んでいて良い感じだった。

  北に浅間の連山を望み、高燥で風光に恵まれた佐久平は興味深い観光スポットも多い。
一度山歩きとは別に訪れてみようかと思った。
完全に日が暮れ、真っ暗になった時分に佐久平駅に着いた。
新幹線駅のまわりは全国どこにでもあるようなニュータウンになっていた。

                                                                                                                  ページ先頭
☆おわりに

  久し振りに旧友と北八ヶ岳を歩いた。
単独行特有の緊張感と、濃密な山との交信に中毒している者のひとりではあるが、旧い友達とボツリボツリ、いろいろな話をしながら山を歩くのもなかなか良いものだ、と思った。

北八ヶ岳の佐久側は諏訪側のように温泉に恵まれていないようだが、紅葉は段違いに良い。