南八幡平-裏岩手縦走 [2/2] (八瀬森-裏岩手稜線-三ッ石山)


☆期日/山行形式:
2006.8.25-28 無人小屋利用、3泊4日

☆地形図(2万5千分1): 曲崎山(秋田1号-4)、松川温泉(秋田1号-2)、篠崎(秋田2号-1)


中央分水嶺・裏岩手ルート合流点から小畚山(右手前)、三ッ石山、岩手山(左億)を望む
  (クリックで拡大します)


☆行動記録とルートの状況

月27日
    薬の力を借りて熟睡したお蔭で、早朝目が覚めた。
いつものようにコーヒーから始まる朝の "儀式" をはじめたら鹿角組も次々に起き出した。
この日は、中央分水嶺の稜線を辿って南八幡体縦走路に合流するまで3時間あまり、合流点から三つ石山荘まで約3時間、この山行中最大の長丁場だが、日が長いので特に急ぐ必要はない。

  鹿角組は慌しく食事やら身支度やらをして出て行った。
出掛けにふたりの自然指導員がそれぞれ頭を下げに来た。
こちらが寝込んでしまったあともいくらかは騒いでいたようだ。
何も気付かずに熟睡し、別段迷惑は受けていないと言ったが、若い女性の方には、到着した時と出発する時には必ず掃除して、来た時より綺麗にするのが無人小屋利用のルールだと話した。

  全員が出て行ってしまうと、あたりはまたシンと静かになった。
一階の床全体を箒で掃きだして綺麗にしたあと出発。
2日食べて食料は減ったし、体も山に馴染んでいたが、前半の関東森から縦走路までの長い登りをバテずに乗り越せるかどうか不安があった。


  小屋を出るとすぐに湿原を横切る。
まわりを森に囲まれた凹地で展望はないが落ち着いた雰囲気が漂っている。
沢山の花が咲いていた。

  湿原の先の森の中に入った。
薄暗い唐桧の森で鳥の声もほとんど聞こえず、シンとしている。
昨日、一昨日以上の静かな山になった。

  ひと登りで関東森の頂上に着いた。
このあたりは地形が込み入っているのでどうかと思ったが意外に道が良く、ただなぞって行くだけで正しいルートを保つ事ができた。
緩く上下したあとは南八幡平縦走路まで長く緩やかな登りになる。

   所々藪っぽい部分もあったが、ルートは全体として良く踏まれ、不明瞭な所は殆んどなかった。










  所々に湿原があって良い気分転換になるとともに、最高の休息所を提供してもらえるのがありがたかった。
下は、地形図に記された1283m 標点付近にある大湿原だ。
木道はなく、雨季には泥濘った形跡は残っていたが最近雨が少ないようで固まっていた。

   標柱の近くの乾いている所にザックを置き、長目の休憩をした。


  この先も所々に小湿原があり、良い気分転換になった。

  やがて、右側が急な斜面になっている尾根の上に出た。(左)

  南方の視界が開け、前途の見通しが得られた。
笹尾根のため、谷から吹き上げる風が強くて肌寒く長袖シャツが欲しいほどだった。


  もう少しで笹尾根が終わるというあたりで後を振り返ると1283m 湿原の南下にある大白森と、そのずっと先に秋田駒ヶ岳、その手前に一昨日歩き始めた稜線が見えた。

(クリックで拡大します)

  笹尾根を登り切る所で笹薮に行く手を阻まれた。
藪の下を覗き込んで見当をつけた方向へ笹を分け、10m ほどでルートの続きに乗った。

  緩やかな登りを少し進んで1384m 高点を乗り越すとその北側に広がる湿原の縁に出た。

  正面の高みは南八幡平縦走路の大深岳だ。


  緩く下って行って、湿原に入った所で花を避けてザックを下ろした。
日本海側斜面の源頭部にあたる緩やかな谷地で、谷の下手の先に小畚岳がポッチリ盛り上がっている。
八幡平から南下してくる縦走路の最初のピークだ。

(クリックで拡大します)

  湿原を横切ってまた唐桧の森に入り、ひと登りした先に1420m 標点の湿原があった。

  これが中央分水嶺稜線最後の湿原である。
縦走路が真近かとなり、大深岳南の合流点のあるサブピークが良く見える。

  湿原の先の森の中を緩やかに登り、左に回りこんでゆくと笹が被った真っ直ぐな溝状ルートになった。
300m ほど、笹を押し分け登って南八幡平縦走路に飛び出した。

  合流点は狭い場所だった。
余力を残して "表通り" に合流できたことに満足し、長い休憩をした。
行く手の南方にはページ冒頭のような展望があった。

  好天の日曜日だったせいか、歩いている人が多く、首都圏のポピュラーなルートのようだった。
八幡平から歩いてきた雫石の中年二人組と話した。
八瀬森の小屋の様子を見に行こうと思っているのだが、ルートの状態はどうかと尋ねられ、歩いてきた道の状況を説明した。


  展望を楽しみながら長い休みをしたあと、小畚(モッコ)山に向った。
休憩した地点より40m ほど低いピークだが160m ほど急降下した鞍部から約120m 登り返さなければならない。

  後半の50m ほどはかなり急で足場の悪いジグザグ登りだったが、ウスユキソウの群落が目を慰めてくれた。

   距離が短いお蔭で、誤魔化し誤魔化し登っていたら急に傾斜が緩んだ。

  頂上広場は、左のように、ケルンと山名標柱があって頂上らしい頂上だった。
これまで3日の間、どの頂上でも独りだったが、ここは賑やかで10人ほどが休んでいた。

  南東の方角に大市街が見えた。
近くの人に尋ね、盛岡の市街だという事を確かめた。

  携帯のスイッチを入れたらアンテナが3本立った。
好天に恵まれて順調に歩き、3日ぶりに人里が見える所に出てきたが、もう一晩山で泊り、明日、予定通り帰ると家に知らせた。

  小畚山から三ッ石山までは緩やかにうねる高原状の尾根が続く。
左は、小畚山と三ッ石山の中間にある1448m の三角点峰で、眺めの良い高みだった。
飛行機雲が出て大気上層部が不安定になって来ていることを示していた。

  三角点峰から緩やかに下ってゆくと思い掛けなく池塘が現われた。
地形図を見ると三ッ沼と記されていた。
熊笹と唐桧の矮木に囲まれた池塘は神秘的な雰囲気を漂わせていた。



(クリックで拡大します)

  三つ沼を過ぎると広い笹原に出る。
三ッ石山頂上の岩峰が近づき、爽快な気分になった。

  唐桧の森を潜り抜けると三ッ石山への登りになった。
ジワジワと登って行くと岩峰に突き当たる。
その右裾を巻いて背後から登り上げ、頂上に立った。
ここは2年ぶりだ。

  さして疲れもせず、早い時間にここに辿り着けて大満足だった。
周囲の展望を楽しみながら長い休みをしたあと南側の岩場を通って三ッ石山荘への下降路に入った。

 


  間もなく下の方に三ッ石の湿原と山荘が見えてきた。
下降路のまわりの草原も花が多く、入山以来始めてのハクサンフウロを見た。






  山を下り切って湿原の脇を回りこんで行くと三ッ石山荘が真近かになった。
一昨年の夏、松川から登って滝ノ上温泉に下ったときに建て直していた。


  これでも無人の避難小屋なのかと思うほど瀟洒で立派な小屋になっていた。

  小屋は南北ふたつの湿原の間にある。
滝ノ上温泉に向かって北側の大きい方の端をかすめている木道の先に水場がある。
涸れているらしい話を雫石のオジイサンに聞いていたので期待していなかったが話以上で、カラカラに乾き切っていた。
しかたなく池塘の水を煮沸して使うことにした。

小屋に戻ってくる途中、湿原の端が花盛りだった。(下左、右)

  この小屋では、盛岡からきた中年夫婦と同宿した。
大きな2階建ての小屋の上下に分かれて寝たため捗々しい話はしなかった。
夕方から雲高が下がってきて日暮には霧がかかって来た。
ラジオの天気予報も明日は小雨模様と報じたが、念願のロングルートを順調に踏破できるのがほぼ確実になったことに満足して安らかに眠った。
                                                                                                           ページ先頭


月28日
  夜明けに覚めた。
外を見ると霧雨模様だ。
元気が出てくるような天気ではないが荒れ模様ではないし、網張温泉下降点まで2時間でひと我慢だから計画通り歩き切ろうと思った。

  盛岡カップルは早々に出ていったが、時間的な余裕がタップリあるのて急ぐ必要はない。
ユックリ朝の "儀式" を済ませた。
10数年使って内側の防水コーティングが剥げてしまったザックにザックカバーを被せたあとゴアパンツを穿き、折り畳み傘を持って小屋を出た。

  小屋から100m ほどの所で左下の松川温泉への下降路が分岐する。


  分岐点を真進すると徐々に傾斜が強くなって行った。
道幅は広く、要所に針金蛇篭で固定した石が敷かれていた。
週末に運転されるリフトを使って網張温泉から三ッ石山に往復する人は多く、それに伴ってルートもよく整備されているようだった。

  やや急な登りから尾根の上に出た。
右下が切れ落ちているので天気が良かったら眺めが良いに違いないだろうと想像したが、右下の大松倉沢から吹き上げる風が強かった。
本降りだったら少々辛いかも、と思いながら尾根の背を覆う笹の間を歩いた。


   随分長く歩いて大松倉山頂上を示す標柱が立つ高みに着いた。
相変わらず何も見えず風が強い。


  笹の間をやや急に下り、また唐桧の森の中に入った。
風は来なくなったが所々に滑りやすい露岩や泥濘が出てきて足許には注意が必要だった。


  霧で視界が利かず、地形の特徴が少ないため現在位置の判定が難しくなった。
まだかまだかと歩いた末にようやく網張温泉への下降点に着いた。


  三又路を右手に進み、こぶを乗越して行くと霧の中にリフトの鉄塔がボンヤリ見えた。

  スキー場の上縁を横切って進み、沢窪のような所に入って左に下る。

  相変わらずまわりの様子が分からないのが困りものだったが一本道だし頻繁に道標が出てくるので迷う心配はなかった。



  所どころにお花畑があった。
多分、人為的に増殖したもので、自然のままではないだろうが、一面野の花で覆われている斜面は美しかった。

  ひと下りでリフト中継点の脇を通り過ぎた。
うさぎ平と呼ばれている場所らしい。
高度が下がって雨が止み、気温が上がって暑くなってきた。
小休止を兼ねてゴアパンツを脱ぎ、雨装備を仕舞いこんだ。

  さらにひと下りで雲の層の下に出ると靄の中に雫石の集落が見えてきた。
スキー場末端の東側に休暇村岩手網張温泉があった。

  "立ち寄り入浴は15時まで" と言う立看板があったので坂を上がって中に入った。
保養宿泊とレストラン・カフェテリアを備えた大きな建物だった。

  ユックリ入浴して4日間の汗と垢を落としたあとレストランに行って冷麺・牛丼セットを食べた。
どう言う経緯か分からないが韓流の冷麺が盛岡の名産になっている。
久し振りのまともな食べ物をとても美味しく感じたが、疲れている消化器官に大量の冷たい食べ物を押し込んだため腹具合がおかしくなった。

  12時のバスを見送ると次は3時過ぎで長い待ち時間があった。
休憩室で寝転び、ウツラウツラしながら消化に務めた。
2時過ぎから全館停電になり、いつまで経っても回復しそうもなかったので土産物を買って外に出た。
一段下のスキーセンターの脇にあるバス乗り場にいたら俄雨が来て、階段の踊り場に逃げ込まなければならなくなった。
バスは盛岡駅まで約1時間だったが大雨で道路が崩れたのを迂回したため15分ほど長くかかった。
腹具合が悪くなって一時どうしようかと言う感じになったが小岩井農場まきば園に着いた頃に落ち着いた。

  非常にうまく歩けた山行の最後の部分にしては、いくつか小さなトラブルがあったが、何とか辻褄が合って無事に盛岡駅に到着。
予定した新幹線列車で帰った。

                                                                                                           ページ先頭

☆おわりに
  現状体力の認識とルート情況の予想とがうまくかみ合って適正な行程プランが立てることができ、天候にも恵まれた結果、快心の山行となった。
期待以上の美しい山だった

  八瀬森での経験で、今時の熟年登山者のかなりの部分は、若年時に然るべき集団に属して山歩きのノウハウや常識を習得する段階を踏まないまま場数を踏むまま "ベテラン化" し、基本的なマナーやエチケットを守れない、と言うより知らない、でいるケースがあると言う事に気がついた。