柏原新道-爺ヶ岳-鹿島槍-赤岩尾根[2] (2006.9.28-30)


月29日

<タイム記録>

    種池山荘(6:50)-爺ヶ岳南峰(7:40/50)-爺ヶ岳中峰(8:10/15)-冷乗越(9:15)-冷池小屋(9:30/10:00)-小休止(10:50/55)-布引山(11:15/25)-鹿島槍南峰(12:15/45)-布引山(13:20/30)-(14:10)冷池小屋

明け方かなり冷え込んだ代わりに期待通りの快晴になった。
久し振りの高度で極く軽い類高山病の兆候が出ていたが物が食べられなくなる程ではなかったのが幸いだった。
腹一杯というほどではないが、ソコソコの量を食べてエネルギーの補給をした。
水は1リッターまで無料。 黒部川の谷からくみ上げているそうだ。


いつもそうだが、朝食のあとしばらくすると泊り客は次々に出発して行き、間もなく小屋の中が静かになって来た。
シンガリグループの一番あとから出発。


  緩やかに登って行って開けた所から振り返ると、秋色に彩られた台地状の尾根の縁に種池山荘があってその先の黒部谷の向こう側に立山から剣の連峰が綺麗に並んでいた。
種池山荘    (リックすると拡大します)


  道端の草原は秋酣で、あちこちにチングルマの群落が羽根車を林立させていた






  爺ヶ岳頂上付近で鹿島槍と対面した。
大冷沢から吹き上げる霧を足許に纏った双子峰が美しい。
手前の尾根の上に冷池山荘がチョコンと乗っている。

(リックすると拡大します)


  この時期になっても立山剣の谷には大量の残雪がある。
もうすぐこの上に初雪が積もるだろう。

  山を見ているうちに色々なことを思い出した。
立山剣から薬師、黒部五郎あたりは中年以降に歩いた領域だが、どこも花が多く、綺麗な山ばかりだった
何度か狙ったのに歩き損ねてしまった剣北方稜線はもう難しいかもしれないが、五色のお花畑くらいなら、あとの年の夏になっても、花見に行けるだろう。

爺ヶ岳頂上から望む立山・剣岳連峰    (リックで拡大し、IEでは自動スクロール)


  2個所で雷鳥を見た。
晴れているのに道端の目立つ所に出ているのが珍しい。
上昇気流が出ないうちは上空を猛禽類が舞うおそれがないせいなのだろうか?
丸々太っている。
冬越しの前に腹一杯餌を食べて栄養を付けているようだ。

  爺ヶ岳北峰の黒部側を捲き降りて行くと冷乗越だ。
赤岩尾根は乗越道標南の2486m 峰から東に派生している支稜にあたる。

分岐点を示す道標の脇からザラザラした尾根をジグザグに下って樹木の中にある鞍部に降り、やや急に登り返して行った所に冷池山荘がある。

小屋の受付で宿泊手続きをしたあと、必要な物だけ折り畳みサブザックに移し、残りの物を入れたザックを預けて鹿島槍に向った。
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  尾根の東側は霧で殆ど何も見えないが黒部側は清透で、距離が近付いてきた剣岳が黒々した岩肌の迫力を増した。


  布引山の登りまで来ると鹿島槍がかなり近くなった感じとなり、頂上に登っている人の影が分かった。


  布引山頂上で休憩したあと本峰の登りに掛かった。
次第に傾斜が強まるとともに浮石が増え、足場が悪くなる。
最後の100m 程はザラザラの急斜面のジグザグ道だ。
疲れが出てきた足腰を励ましながら登り続けてようやく南峰頂上に上がった。

  ザッと30人ほどが休んでいた。
最高点に立つ標柱の根方にザックを置いて腰を下ろした。
頂上のまわりは霧のカーテンが張り巡らされ、期待していた展望は得られなかった。
北峰に行っても何も見えないだろうからここでユックリ休んだ帰ることにした。
たまさかの霧の切れ間から覗く景色を眺め、飲み食いをしながら、長い休憩をした。
身体が冷えてくると幾らか高度の影響が出てきた。
時どき腹式深呼吸をして酸素を補った。

  存分に頂上の休息を楽しんだあと小屋への帰途に就いた。
下りは嘘のように楽だった。
調子に乗って膝まわりの筋肉を傷めぬよう、登りで溜まった疲労素を血流で洗い流すような感じでユックリ歩くよう注意した。
布引山をあらかた下った所に遭難碑があった。
九州、諫早山岳会が建てたものだった。
平成7年と刻んであるから1997年と言うことになる。
事故のいきさつは分からないが遥遥ここまで遠征に来て命を落としたのは何かの因縁としか思えない。

  冷池山荘が近付くと這松、潅木、草原のミックスになる。
草紅葉の中にアキノキリンソウが咲いていた。












  小屋の一段上のテント場には週末で登ってきたパーティのテントが、3、4張並んでいた。

  テン場の端から樹木の間に入ってひと下りで冷池山荘に着く。
去年建て替えたばかりの新しい小屋で、地味な外装に比べて内部の施設は非常に清潔かつ機能的だった。

 単独者用雑居部屋は吹き抜け式二階作りで下に10人が寝るようになっていた。
土曜日で客が増え全部で135人ほど泊まったということだったがまだかなり余裕がある感じだった。
廊下の壁にパノラマカメラで撮った広角度展望写真が貼ってあった。
年に一度あるかないかと思うほどの大気清透な日に撮られたもので、"北" の連山はもとより、富士、"南"、白山など名だたる山が鮮明に写っていた。
  泊り客のほとんどは種池と同じメンバーだった。
手近の入口の脇は浦和の御仁。
右隣は昨夜近くに居てチョッと話した三重から来た熟年者だった。
静かな口を利くおとなしい人だったがかなり歩きこんでいて、紀伊半島や鈴鹿の山を熟知していた。
11月に計画している雲取越えをはじめ、鈴鹿や大峰の様子を色々聞くことができたのは有難かった。
この間行った秋田岩手県境稜線のことを話したら強い関心を示し、是非行きたいと思っていると言った。

  昼から午後に掛けては霧に展望を妨げられはしたが、念願の名峰に意外に順調に登れた事が嬉しかった。
食欲も回復して夕食は全部平らげ、気持ちのよい満腹感が得られた。
薬の助けは用いたが、この夜も熟睡した。

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