外秩父、竹沢-官ノ倉山-臼入山-奥沢神社
 (2006.12.31)

☆期日/山行形式:
 2006.12.31 単独、日帰り 

☆地形図(2万5千分1): 安戸(宇都宮16号-2)

☆まえがき
        不用品の整理やら年賀状作りやら、年末の雑用が捗って時間が空けられたのと、正月の週間予報があまり芳しくなかったのとで、大晦日に年の締めくくりの山行をやろうと考えた。
行き先は外秩父、官ノ倉山。
今冬の低山シーズンは房総鋸山で幕を開けたが、本番の一番手は昨冬から行きはじめた奥武蔵・外秩父山域にしようと思っていた。
ただし、この位の山を単純に登り降りするとあっという間に終わってしまい、面白くない。
案内マップに官ノ倉頂上から北西2Km あまりの臼入山まで、点線が記入されているのに目を着け、超ミニ縦走をしてみようと考えた。

  あらましの行程プランは、池袋から東武東上線で小川町を経て竹沢駅(135)まで行って歩き出し、天王沼(160)から官ノ倉山(344)に登頂したあと、官ノ倉峠から破線ルートの尾根に入り、烏森山(370)を経て臼入山(421.1)まで歩き、阿夫利神社(315)、奥沢神社(185)を経て小川町役場入口バス停(160)に下山し、東武バスで小川町駅に出て池袋経由で帰ると言うものにした。

官ノ倉山頂上から外秩父主脈: 大霧山、笠山、堂平山

  当日の天気はマズマズで楽しく順調に歩く事ができた。
ただ、前日吹いた風が残した埃で大気が濁り、関東平野の北縁を区切る雪山の連なりがもうひとつ定かでなかったのは残念だった。

☆行動記録とルートの状況
<タイム記録>
宮崎台[7:21]=渋谷=池袋[8:18]=(東武東上線)=小川町=[9:36]東武竹沢(9:45)-天王沼(10:15/20)-官ノ倉山(10:50/11:00)-烏森山(11:35)-臼入山(12:10/20)-奥沢神社(12:40)-役場入口バス停(12:45/13:00)-在家[13:36]=(川越観光自動車バス)=[13:38]小川町駅[13:59]=朝霞台/北朝霞=府中本町=溝の口=[16:11]宮崎台

◆山が小さいのでほどほどの時間に出かけ、朝夕の冷え込みを避けることができる。
東武東上線小川町で乗り継ぎ、次の竹沢駅で下車した。

  ほかに誰も降りた者が居なかった。
大晦日にこんな所に遊びに来るのはよほどの変わり者と言う事なのかなぁ、と思いながら歩き出した。

  ルートの始まりは駅舎の庇の左端から線路の下を潜ってゆくトンネルだった。

  JR八高線の踏切を渡って国道254号線を横断し、広く平らな谷間の集落の中を進む。
10分ほど歩くとまわりが開け、前方に今日歩く山が見えてきた。
至って穏やかな形ながら立派な双子峰になっているのが嬉しい。

  尾根の端に突き当たって左右に分かれる所に三光神社があった。
鳥居の脇に、鎌倉時代にこのあたりを根城にしていた児玉党の竹沢氏が創建したと記した看板が立っていた。

  道標に従って左の道に入った。

  僅か歩くと集落の橋に差し掛かり、左の山に向かう道に導く道標がある。
山影のすぐ手前の道端にザックを下ろして足拵えをした。
久し振りに布のローカット山靴を履いてきたのでその弱点を補うためゲーターを穿いていたら老ハイカーが降りてきた。
朝早くから登ってもう終わりらしい。

支度ができて歩き出したらすぐ天王沼だった。

  沼の横手から谷間を進み、詰めの急な斜面を5、6回折れ登ると官ノ倉峠だった。
薄暗い杉林の中の小平地だが、大勢の人に踏み固められている。

  十字路を左に入って官ノ倉山に向った。
すぐに尾根が痩せ、岩っぽくなってきた。
山の名に "倉" が入っているのが納得できた。

  最後はちょっと手を突きたくなるほどの急登があったがそこを抜けると広濶な頂上広場だった。(左)


  登ってきた尾根のほかの三方の木が伐り払われ、広大な展望が得られる。
南は谷向かいの大霧山から定峰峠あたりと、手前側に笠山と堂平山が並んでいた。(冒頭パノラマ)

  北の方は大気が霞んではっきりしないが西上州の端山の先に赤城と榛名、さらにその先に日光、尾瀬、武尊あたりかと思われる白い影が仄かに浮かんでいた。
(下)

  写真を撮ったり飲み物を飲んだりしていたら熟年カップルが登ってきた。
こんな日に夫婦で来るのは、こちらよりもう一段変わっているよな、と思いながらもにこやかに挨拶し、十分楽しんだ頂上を明け渡して峠に向かった。


  峠では休憩はせずそのまま "縦走路" に踏み込んだ。
竹沢ルート合流点を通り過ぎるとき、下から登ってきた中年カップルの姿を見た。

点線ルートの方は道幅が狭く、歩く者の数も格段に少ないようで、踏み固まめられていなかった。
檜と杉の植林の中で薄暗く視界も得られないが藪はないが、 倒木で通り難い所もあった。



  峠から30分ほどの高みに石祠があった。
脇に烏森山と記した小さな標識が立っていた。
地図の上では峠と臼入山との丁度真中あたりということになる。

祠の前で左に曲がって先に進んだ。

  次のピークに上がった所から竹薮に入った。
尾根の南面から背まで孟宗竹の密林になっている。
しっかりした切り明けがあって通過にまったく支障はないのだが、ルートの手入れを怠ればすぐに通過困難になってしまうだろう。

  竹薮の外れをやや急に下って行った鞍部のあたりは右側の谷が伐採されて視界が広がった。
官ノ倉頂上からまだ1時間足らずだが大気がいくらか澄んできて、日光連山から尾瀬、武尊と赤城、榛名と上信越国境あたりまでがそれと分かる程度に見えるようになっていた。

  雪を被った日光奥白根は、いつもカイラス山を連想させる。

  小ピークにあがると臼入山まであと5分と記した道標が立っていた。

  道標の前から左に下り、薄暗い鞍部をわたってひと登りで臼入山頂上に上がった。(左)

   軽い布ローカットシューズだったせいか、意外に手早く歩け、心積りより1時間早いバスに大楽勝のタイミングとなった。


  この頂上はまわりが疎らな自然林のためグルリの視界が開け、遠近の山々が良く見える。
  皇鈴山から登谷山、放牧場のある二本木峠付近から大霧山あたりが谷向かいに穏やかな起伏を描いている。


  日光方面の雪山もさらにはっきり見えるようになって来て、何とかデジカメのCCDに痕跡が残るほどとなった。


  1時半のバスに乗って帰る積りで時間を逆算し、長休みをしていたが流石に12月末の山、吹く風が冷たく、寒くなってきた。
このまま座りこんで居ると体が冷えてしまうと思ったので、ユックリペースで山を下る事にした。

  下山路入口には奥沢バス停まで20分と記されていた。
ノンビリ下ってもまだ早すぎるだろうが蕎麦屋でも見付ければよい、と考えた。

  下降路のまわりは始め自然林だったがひと下りでふたたび檜・杉の間に入った。
  途中、老人と出遭った。
古びたザックを担いでいる。
こちらと同様、すれっからしの山屋らしい。
  道は傾斜の急な所を巧みに迂回してうまく歩けるようになっていた。
積み重なった落ち葉のクッションが気持ち良いところもあった。
足が疲れる前に奥沢神社の社殿脇に降り着いた。
今年最後の山の神様なので賽銭を奮発し、山の安全、自身と家族の健康を祈った。

  神社の急な石段を下りきった所に立っている鳥居には新しい注連縄が張り渡してあった


  最寄のバス停は奥沢ではなく "役場入口" で、道向かいに町役場の立派な建物が見えた。
蕎麦屋などのような店はありそうもなかったので、ベンチにザックを下ろして山支度を解き、バナナ一本とテルモスのコーヒを飲み食いした。

  やる事がひと通り済んだがまだバスまで30分以上もある。
山の下は風もなく暖かい。
ベンチで日向ボッコをしていてもよかったのだが、なんとなく退屈だし、もうひとつ歩き足りないような気持ちもあったので、少し小川町に向って歩いて見ることにした。
  10分ほど歩いた所に摩利支天の祠があった。
脇に、十返舎一九が書き残した秩父巡礼の中にある "小川より安戸、それより坂本 粥新田峠にいたって難路なり これより山のはじめなり" という文を記した看板が立っていた。

  さらに20分ほど歩いた所に蕎麦屋があったがもうバスの時間が近づき、食べる暇がない。
そのまま、所どころでバス停の時刻表を見ながら歩き続け、官ノ倉峠から降りてくる道の出口近くの都沢入口バス停でストップした。
タイミングはピッタリで、ザックに縛りつけてあったフリースジャケットを着たらすぐにバスが来て、歩きで温まった身体のままバスに乗り込んだ。

  この前、定峰峠から経塚に下山して乗ったときのバスは超満員で、通路まで一杯だったが今日は日曜なのにガラガラ。
大晦日に山に行くほどの連中はみな、暮れから正月に掛けてもっと大きな山に行ってしまうのだろう。

                                                                                                             ページ先頭


☆おわりに
  年の暮れの僅かな空き日と好天を利用したミニ山行だったが気持ちよく歩け、いくらかの展望も楽しめた。
奥武蔵・外秩父は昨シーズンから冬の定番に加えた山域だった。
ひとシーズンで目ぼしい所はカバーしてしまったような気がしていたが、あらためて歩いてみると細かい所にはまだ沢山未踏ルートが残っていることに気が着いた。
この冬の間にまだ何度か来ることになるだろうが、まだ数年の間は、未知の道と展望を楽しめるだろう。