下新田-蓬田岳-小野温泉-高柴山-門沢(2005.11.13-14)


☆期日/山行形式:
2005.11.13-14 温泉旅館利用一泊二日、単独。

☆地形図(2万5千分1): 田母上(白河5号-3)、上蓬田(白河5号-4)、船引(福島8号-3)、
                                    柳橋(福島8号-4)

☆まえがき
    秋のお付き合いシーズンの外出続きで疲れて引いた風邪を拗らせ、ひと月ほどの間山にご無沙汰したら、たちまち足腰が錆付いてしまった。
ちょっとその辺を歩いても足腰が痛くなる惨状となったのは、歳のせいとはいえ、情けないことだった。
こんな状態で見栄を張ってまともな山に登ろうとすれば、年寄りの冷や水を地で行く愚行になりかねない、と思ったので、阿武隈あたりの小さな山に登って、足腰の錆取りをすることにした。

  阿武隈は、4年ほど前からつまみ食いを始めた山域だ。
中通りの福島・郡山・白河あたりから、浜通りの相馬・いわき・高萩あたりに挟まれた広大な領域に、沢山の小な山がパラパラと散在している。
地域が広く、地質もさまざまに異なっているためか、山それぞれの個性があって、変化に富んでいる。
至るところに素朴な温泉宿があって、リーズナブルな宿料で泊れるのが、年寄り山屋にとってありがたい。

  せっかく阿武隈まで行くのなら、数日滞在してあちこち登りまわりたい所だったが、今の体調ではそれも無理かもと思ったので、一泊二日のミニ版山旅プランにした。
目標としては、比較的手近で景色が良さそうな、蓬田岳と高柴山を選び、途中の泊まり場は、小野小町ゆかりの小野温泉にした。

  初日は蓬田岳で、東北新幹線郡山から福島交通蓬田行きバスで下新田(500)へ。
登山口のジュピアランドひらた(590)を経て蓬田岳(952.2)にピストンしたあと、小野新町駅近くの小野温泉まで行く方法にはひと工夫必要だった。
平日なら下新田から500m ほど東の曲山を通るJRバスの午後の便が利用できるのだが、日曜祝日は運休のため、タクシーを利用することにした。

二日目の高柴山へは小野駅と郡山駅の間に運行されている福島交通バスが利用できる。
浮金小学校(515)バス停から登山口(700)までアプローチして、高柴山(884.4)に登頂。
そのあとは、 北山麓の門沢(455)に下山し、福島交通バスで船引駅に出たあと、郡山駅で新幹線に乗り継いで帰ろうと言う計画だった。


下新田国道からの蓬田岳    (クリックで拡大します)

  初日の蓬田岳は稀な快晴に助けられて気分よく登頂できた。
大滝根山、矢大臣山、常葉鎌倉岳から郡山市街などへの展望を楽んだ。
ただ、この日は日曜だったため、近県からバスで来た大グループをはじめ、大勢のハイカーが来ていて頂上が大混雑になっていた。
山の紅葉は、既に終わっていたが山麓の集落のまわりはまだ綺麗に彩られていた。

  爽やかな良い日で、時間もまだ早かったため、小野温泉まで歩けるだけ歩いて足腰を鍛えてみようと考えた。
蓬田岳頂上からほとんど休まずに歩き続けているうちに、疲れが出てきて、あちこちの筋肉が入れ代り立ち代り痛みを訴えるようになり、あわや頚痙しそうな状態となったので途中休憩。
そのあとは身体と相談しながら歩き続け、とうとう小野温泉まで歩きとおした。
ややオーバーワーク気味となったが、温泉で疲れを癒すことができた。

  高柴山に行く二日目は、日本海側から寒気が流入してきた。
朝から徐々に雲が増え、頂上に上がった時には大滝根山の上部は雲の中、蓬田岳もやっと見えるくらいになっていた。
この山を有名にしている頂上部一帯のツツジはすでに枯れ木の林になっていたが、眺めの良い展望台、十分宿泊に耐える小屋があって、水場も遠くないなど、好条件が揃っている。
花の時期を狙ってまた登ってみたいと思った。

  雲行きが良くないので長居は無用と早々に下山し、門沢に出たが、登山口からバス停まで、3Km ほどのアプローチ道に沿った集落の風情が印象に残った。

  朝のうちは昨日までの暖気が残っていたが、昼をまわる頃から冷え込んできて、手袋をザックから引っ張り出したい程となった。
門沢でバスを待っているうちに冷たい雨が降り出した。
船引駅に着く頃には本降りになり、駅前で降りるときの挨拶で、「今日は雪になるかも」、とドライバーが言った。

今回の山行で、足腰の "錆取り" ができたばかりでなく、抜けきれないでいた風邪の名残りも消えた。



☆行動記録とルートの状況

11月13日
<タイムレコード>

    宮崎台[6:29]=大手町=東京[7:36]=(MAXヤマビコ#103)=[8:58]郡山[9:10]=(バス)=下新田(10:00)-ジュピアランドひらた/古民家(10:20/35)-蓬田岳(11:45/12:30)-上新田(13:25)-曲山(13:35)-雁股田(14:10)-塩庭(14:40/50)-小野新町駅(16:00/10)-(16:15)小野温泉{O太屋旅館}


新幹線を使えば郡山は近い。
ちょっと早起きをしただけで8時台に着いてしまった。
駅前のバスターミナルは、この前、霊山から奥久慈にまわった時に偵察して様子が分かっていた。
待ち時間の間に案内所に行き、最新版の時刻表を貰った。
最近はインターネットで各地のバス情報が入手できるようになったが、ポケットブックの時刻表は地域一帯の概況を頭に入れるのに役立つ。

  田母神から下蓬田まで、国道に沿って運行されているバスは、地方の路線バスの例に漏れず客が少なく、途中から貸切になった。
ドライバーは山好きらしく、四方山話をしながらのアプローチとなった。
田母神集落の背後にある山は一盃山と言い、僅か1時間ほどで登れるのにとても景色がよいそうだ。

  下新田の正規のバス停よりちょっと手前でバスが停まった。
"そこの角から行けば近いよ" と、ドライバーに言われて下車。
山に向かって歩き出すと、行く手に蓬田岳が綺麗なスカイラインを描いていた。(冒頭パノラマ写真)

  歩き出して10分ほどの十字路は、左筋向がオートキャンプ場、右の角には登山道と記した看板が立っていた。
大木の松並木の間の道は、もともと山岳信仰の参道だったようだ。

  すぐ先に大きな古民家があった。
前庭で休憩し、トイレで身体を軽くした。

  参道に戻って僅か進むと舗装路を横切る。
右手はビジュアランドひらたで、管理棟、園地、駐車場などがある。

  道路の向かい側の自然林の中をひと登りした所に、左のような旗竿立てと石鳥居があり、そのすぐ後ろに菅船神社遥拝所の祠が置かれていた。

そのすぐ先で水場の沢を渡り、谷の右岸の登山道を登る。

  林の中のややゴツゴツした道で、途中はかなり傾斜が急だ。

  左のようにスラブ状の大岩が露出したりして歩きにくい所には、フィックスドロープがある。
登りではあまり必要なかったが、下って来たときには助けになった。


   しばらく我慢して登り続け、笹の間の溝状の所に張ったロープを登りきると稜線に上がる。
三又路になっていて、尾根の裏側へ降りて行けば、沢又の下蓬田登山口へ、右手に尾根を辿れば頂上へ行ける。

  頂上に向かう道は木の葉が落ちて明るくなった林床の笹の間を通っている。

  時々人と擦れ違うようになった。
久し振りの好天の日曜日で、登りに来ている人が多いようだ。


  頂上の手前に大岩があった。
その裾に据えられた石祠には "飯豊神社" と刻まれていた。


  大岩のすぐ先に菅布禰(舟)神社の社殿があり、後ろ脇には大きな宝剣が立っている。
さらにその後ろに立っているアンテナの根方で数人が休憩していた。
その脇をすり抜けて先に進むと三角点標石のある頂上がある。
行ってみたらザッと30人ほどもが休んでいたのでビックリした。
折角だから岩の上に登り、まわりの山の展望写真を撮った。(下の写真)
眺めは良かったが落ち着いて飲み食いができる状態ではないので早々に退散。
神社の前の平らな石の上にザックを下ろした。


蓬田岳頂上から大滝根山、矢大臣山方面を望む  
(クリックで拡大します)

  景色をオカズにゆっく飲み食いをしていると、バスのグループが降りて行った。
さらにもう少し、間合いを計ったあと、下山を開始。

  登路を戻る登り方は、冬の雪山以外ではあまりやらないことなのだが、さっき登ってきたばかりで様子が分かっているため至極気楽な下山となる。

  山が小さいのであっという間に麓に下った。
ビジュアランドひらたの管理事務所に立ち寄ってみたら、神社の由緒や村のパンフレットなど、幾つかの資料が貰えた。
5月連休頃のシバザクラが綺麗だという。
  バスで来た国道まで、ブラブラ歩いて戻ったが、思ったほど疲れていなかったし、まだ時間も早かったので、タクシーを呼ばず、小野温泉に向って歩けるだけ歩いてみることにした。
途中で嫌になったら携帯で車を呼べばよいと割り切った。

  まず低い丘陵を越して曲山に行く。
小野に向う道路を歩き始めた所では刈田の先の方に蓬田岳が良く見えた。(左)
朝方とは違って大分雲が出ている。

 低い峠を越して雁股田(カリマンダ)集落へ。
酒屋の前の角を鋭角に右に曲がって十石川谷の道を東に進む。
  谷が広がり、人家が増えてきた所が塩庭で、鋭角に左に曲がると小野の町外れに当たる赤沼に出られる。
下新田から7Km あまり、さすがに疲れが出てきて足腰の筋があちこち痛くなった。

  蓬田岳頂上からほとんど休まずに歩いてきて疲れたので曲がり角の草地に腰をを下ろした。
飲み食いをしながら休んだあと、もうひと頑張りだからと自分に言い聞かせながら立ち上がった。

  また、低い峠を越すと黒森川谷の赤沼の上手に出て、谷の出口を横切っている高速道が見える。
  先の方には、矢大臣山が立っていた。(上)

高速道の先で幅広の車道を渡り、少し右手に寄った所から先に進んで行くとまもなく小野町の市街に沿って流れている夏井川を渡る。

  小野町は割と大きな町で、大通りに沿って商店が連なっていた。

  町を出外れる所に小野新町駅があった。(左)

駅舎に入って小休止したあと、高柴山方面行きのバス停の位置と時間を確認した上で小野温泉に行った。
  ここは、山裾にあるひっそりした田舎旅館だ。
小野小町の出身地だと言うことで、建物の前の小園地にその謂れを刻んだ石碑がある。
小野皇の郷だったと言うから、まんざらこじ付けでもなさそうだ。
美人の誉れ高い小町のお蔭で、時々マスコミの取材が入るらしく、廊下には出演した現代の美人達の入浴中の写真が沢山飾ってある。

  こちらはもはや色気とは縁遠く、お肌への興味もなくなっているが、その中側の筋肉の血行改善に利かせたかったので、湯の中で丁寧にマッサージをした。
  この宿は団体客が泊まるような宿ではないため夜は至って静かで、早くから寝床に入って熟睡した。

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11月14日
<タイムレコード>

    小野温泉(8:20)-(8:25)小野駅前[8:50]=(バス)=[9:12]浮金小学校(9:15)-浮金登山口(10:00)-林道終点(10:05/10)-物見石分岐(10:30)-高柴山(10:45/11:05)-門沢登山口(11:40)-棚田脇で休憩(12:00/05)-(12:45)門沢バス停[13:28]=[13:48]船引駅[14:21]=[14:48]郡山[15:01]=(MAXヤマビコ#116)=[16:18]上野=三越前=宮崎台

◆ 朝起きて空を見たらまだ青空が広がっていたが、テレビの天気予報は寒気の流入が始まっているので天気は下り坂、昼過ぎからは小雨も降るだろうといっていた。
高柴山登山口のある浮金へのバスは、そのまま乗り続けていれば郡山駅に着く。
もし予報より早く天気が悪化し、登山口まで行った時の状況が芳しくなかったら、登らずにそのまま帰ればよい。

  田舎のバスの例で5分ほど遅れてきた。
小野駅前で乗り込んだ時には、ほかに誰も乗って居ない。
また貸切かと思ったが町を出外れる前に3人ほど乗ってきた。
郡山から新幹線で出かける人なども、たまには利用するようだ。

  浮金の高柴山登山口は、左の写真のような所だった。
車で来た人が間違えぬよう大きな看板が立っている。
2車線幅の舗装路を進んで行くと道端に石屋が目立つ。

  高柴山の東隣の黒岩山の頂上付近は採石場になっているようで、道端で見る石から、御影石が採れるようだと思った。

  観音像やお坊さんの像など、芸術作品を並べている石屋があった。
腕自慢の石工の工房らしい。

  45分ほど歩いたかなり高い所に、紅葉の綺麗な集落があった。

  右に分かれる道の角に道標が立っていたのでそれにしたがって山に向かった。


   ひと登りした所に御影石の野外テーブルのある見晴台や駐車場があった。
テーブルに座ると正面に黒石山が高かった。

登山道は、駐車場の脇から始まる。(左)

  曇ってきてあたりが暗いのと、誰も人がいないのとで、昨日とは対照的な寂しい雰囲気だったが、落ち葉で覆われた山道は、なかなか雰囲気が良い。

  15分あまりの所に太鼓石分岐を示す石標があった。(左)
黒石山産か、豪華な黒御影石で作られている。


  左に回りこみ、やや急な斜面を登ってゆくと、登山者カードポストと "御神水" と記した水場のサインがあった。
  やや右に回り、ひと登りで頂上の一角に上がった。

  意外に広くて平らな地形で、一面ツツジに覆われ、入口近くにトイレの建物、先の方には展望台が立っている。(左)

  展望台に上がってみた。
谷向かいは大滝根山の筈だが高い所は雲に隠れて判然としない。
右手の方を良く見ると昨日登った蓬田岳らしい山影がウッスラと見えている。

  北側の一段下がった広場には小屋の屋根が見え、その先の方に角沢への下降路が通っている谷がある。(下)

(クリックで拡大します)

  門沢への下降点を確認したあと、小屋に立ち寄って、内部の様子を見た。
左は全体の三分の一程を示す写真だが、幅50cm ほどのベンチが壁沿いに繋がっていて、その上で寝ることができそうだ。

  御神水の水場が使えれば往復10分程度だから花の時期に来て、一晩泊まっても良いな、と思った。

  門沢下降点に戻って下山を開始。
水石と呼ばれる大きな露岩の脇から右下の山腹に入り、頂上西側の小ピークとのコルまで斜めに下る。

  コルから谷に入り、ひと下りすると水流が現れ、最初の水場がある。
第二、第三の水場を過ぎると傾斜が緩み、またやや急になった所にある擬似木の階段を下ったら、舗装車道に降りついた。


  緩やかな下り坂の車道だったが、錆付きがひどかった所を、昨日から急に酷使された足腰の筋肉が代わる代わる抗議の声を上げ始め、ちょっとした弾みで頚痙しそうな雰囲気になった。

まわりの紅葉が綺麗だったので、それを眺めながらペースを落として歩いた。

  尾根の上で道がUターンする所で見た谷間の紅葉は、今年見たうちで最高だった。


  棚田が現れた所で道端にザックを下ろし、頚痙止めにバッファリンを一錠服んだ。

そのあと、ミニパンなどを食べて休んでいると、正午を知らせる有線放送のチャイムが聞こえてきた。

  人家は近いなと思いながらザックを担ぎ上げ、歩いてゆくとまもなく深山集落最奥の人家が見えてきた。

  緋鯉のいる道端の池に "ドラエモンの小便小僧" が立っていた。
孫を呼び寄せたい一心でお爺さんが作ったものだろうか、思わぬ傑作に出会って独りニンマリした。



  進むにつれ谷が開けてきた。
この谷の伝統的な人家の作りはかなり特徴がある。

  もともとは茅葺だったようだが、二重になっている棟の中ほどにもうひとつ、煙抜きの小屋根が乗っている。

  堂山王子神社がある谷の出会い付近では、そのような作りの人家と、まわりの紅葉の山が調和し、日本の原風景のひとつともいえる情景を呈していた。
  朝方から流入している寒気はかなり厳しいようで、昼過ぎにかえって冷え込んできた。
門沢に着いてバス停のありかを探し出したあと、30分あまり待った。
ザックから手袋を引っ張り出したくなるくらい寒くなった所へ、パラパラッと雨が降ってきた。

  船引駅行きのバスは、4km 弱離れた堀越から運行されていて、下校の小学生が乗っていた。
雨は船引の町に近づいたあたりから本降りになった。

  船引駅は2年振りだった。
駅舎は建て直され、モダンな建物になっていた。
町村合併でできた田村市の案内所、垢抜けて小綺麗な売店ができ、二階には集会ホールなども設けられていた。
仕事場が綺麗になって嬉しそうなオバサンが店番をしている売店で土産のゆべしを買った。


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☆おわりに
    久し振りに山に登ってやはり良いな、と思った。
錆付いた足腰に活を入れ、しぶとい風邪にもオサラバをすることができた。

山の紅葉には間に合わなかったが、阿武隈の里の紅葉には間に合った。
日本の山村の美しい原風景を見た。