田浦梅の里-二子山-東逗子 (2005.2.6)

☆期日/山行形式: 2005.2.6 単独 日帰りミニハイク
☆地形図(2万5千分1): 横須賀(横須賀1号-3、5号-1)、鎌倉(横須賀5号-3)
☆まえがき
        "横浜、川崎両市の最高峰探訪プロジェクト" が一段落したので、去年の冬に始めた三浦半島の山歩きの続きを再開した。
三浦の主なピークはあらかた登ったが、一帯を歩いているうちに、山々を繋ぐ尾根筋を辿るルートがいろいろ "開発" されていて、手軽な "縦走ハイキング" が楽しめる事が分かった。
今シーズンは主にこれを歩いてみようと考えたが、その手始めとして選んだのは、JR田浦駅から逗子へ抜ける半島横断ルートだった。

  田浦梅林で花見をしたあと主脈の中ほどに上がり、北に向って1Km ほど進んだ所で西に分岐している尾根を伝わって二子山まで行ってみようと言う訳である。
行動計画のあらましは、JR田浦駅(3m)-田浦梅の里展望台(130m)-田浦橋(130m)-東逗子駅分岐(166m)-森戸川分岐(135m)-二子山(207.9m)-森戸川分岐(135m)-こがね橋(30m)-長柄交差点バス停(13m)=逗子駅というものだったが、結果的には下山ルートを変更。  東逗子駅に下山して帰った。


田浦梅の里展望台の眺め。 花はまだだったが色付いた梅の木が春の兆しを告げていた。
(パノラマ合成の歪で水平線が凸凹しています!)

タイムレコード
   宮崎台[7:47]=あざみ野=横浜=[9:27]JR田浦駅(9:30)-田浦梅の里(10:00/10)-展望台(10:20/30)-田浦橋(10:35)-沢尾根分岐点(11:50/55)-東逗子駅分岐(11:35/40)-森戸川分岐(11:55)-二子山(12:05/30)-森戸川分岐(12:40)-東逗子駅分岐(12:50)-(13:30)東逗子駅[14:01]逗子駅=横浜=あざみ野=[15:30]宮崎台

☆行動記録とルートの状況
       厳冬期の山は早朝に出発するのが、眠いし寒いしで、なかなか辛いのだが、三浦半島程度の近い低山なら会社勤めの早出程度で間に合うから大分楽だ。

  あざみ野、横浜で順調に乗り継ぎ、予定通りの時間にJR横須賀線田浦駅に着いた。
山歩きにしては遅いが花見には早過ぎるという中途半端な時間だったせいか、ほかに降りる人もなく、一人でポツポツ歩き始めた。

  市街地が混み入っていて道が分かり難くそうだったが曲がり角には案内看板が立ててあり、道筋の所々に "梅祭り" の幟が立ってあったお蔭で、ほとんど地図も見ずに登り口まで行けた。
谷間の道の両側には、3,40年前までは各地で見られたお店屋さん風の個人商店が並び、まるでタイムスリップしたような気分になる雰囲気が漂っていた。

  集落の奥から コンクリート階段を上がって行くと、"田浦梅林発祥の地" と記した標柱と石祠があった。

  階段を上がり切った所は台地状の緩斜面で、一面梅林になっていた。
まだ時期が早かった様で、花はほんのチラホラだったが林床のスイセンは満開だった。

  もう一段上の台地は、フィールドアスレチックの設備などもある広い芝生になっていて、幾組かの家族連れが来ていた。
来た方を振り返って見ると、蕾が膨らんで色付いた梅林の先に横須賀湾の海面が広がっていた。
 一番奥の高みにある展望台に上がると、広大な視界が開け、遠くに横浜の”みなとみらい" の建物も見えていた(冒頭パノラマ写真)。

  太陽のある方の空に雲が多く、冷たい風も吹いていて思ったより寒い。
  ザックからフリースの手袋を出し、ローカット布靴の上にゲーターを着けて山道歩きの準備をする。
  展望台の後から山に入るとすぐに三つ角があり、左に進めば畠山/仙元山大楠山/二子山方面に行けると記した道標が立っていた。

  林の向うから伝わってくる車の走行音が高くなって来ると間もなく横浜横須賀道路の上に懸かる田浦橋の袂に出た。

橋を渡って向い側の山に入り、尾根筋を辿って行くと、フィックスドロープを取り付けた急登になる。
ロープの助けを借りながら50m あまりも登ると主脈上の縦走路とT字に交わる。


  交差点の角に、左は畠山、仙元山方面、右は二子山、沼間五丁目六丁目商店街に行けると記した道標が立っている。
すぐ横に小高いコブがあって見晴らしが良い。
南に見える尖がったピークは乳頭山(211m)のようだ。


  三浦半島の背骨になっている主脈稜線は小刻みに屈曲上下を繰り返しているがその割にはルートは穏やかだ。
6分ほど進んだ所にある小ピークからは頂上付近のアンテナ鉄塔が特長の二子山が見えた。
直線距離は短いが、森戸川源流地帯を囲んでいる尾根をグルッとまわって行かなければならない。
濃密な杉林が多く、山の周りの様子は良く分からない

  沼間五、六丁目への道を分けて左に進み、送電線の下を潜って進路が西に向いだした所に三又路があった。
左は沢道、右は尾根道だが横手の笹の間に馬頭観音像(?)を刻んだ石塔が立っていた。
観音像の右横に ”牛馬安全” と文字が刻んである。
かつてここを越えて物資を輸送する交易路があったのだろう。


  主脈と二子山を繋ぐ道に入ると暖地性の自然林が増えてくる。
林立する大木の間を歩いていると、住宅地のすぐ近くの、標高200m にも満たない山にいるとは思えない(下左)。

  日曜日で天気予報も良かったせいか、時々人とすれ違う。
10人を越す熟年パーティもあった。
 

  東逗子駅への道の分岐点でひと息入れながらジックリ主脈の地形を観察する。
次回は主脈の所謂、”大山・鷹取やまなみルート” をトレースしたいと思っているのでその参考にするためなのだが、逗子インターの先のあたりは山が低まって住宅街の間に沈み込み、尾根の繋がりかたがよく分からない。

  西に向って進み二、三度上下していった所で森戸川から登ってきた道と合流した。
ひと登りで砂利の車道に出て左に進み、暫く行った所で鋭角的に右に折れ曲がってひと登りすると二子山頂上直下のアンテナ鉄塔に突き当たった。
左手の、土が流失して "ハードル" になってしまった階段を上がると一等三角点(下右)のある頂上広場に出る。
見晴台(下左)に上がり、南方の大楠山や房総の鋸山を眺めたあと南向きの草原に腰を下ろし、飲み食いをしながら休んだ。


  下山路は、もと来た道を分岐点まで戻り、東逗子に降りることにした。
このルートは、次に予定している主脈縦走時のアプローチ、ないしは下山ルートとして有用かも知れないので、この機会に様子を見ておこうと思ったからである。

  分岐点まで、山を三つ越さなければならず、思ったより遠かったが、少し下った所に見晴らしの良い広場があり、真近かに主脈の様子を眺める事ができた(下)。

  幅広く坦々とした道を進んでゆくと突然住宅街の上に出てビックリ。
屋並みの先には二子山のアンテナが高かった(左)。


  道はまたすぐに山の裏側に入り、周りが山になって落ち着くがやがて左手の谷間に電車が走っているのが見えたりするようになる。


途中に一箇所、台風の強風によってか、倒木で道形が崩れ、通り難くなっている所があった。
  そのせいなのか、山道から住宅街の道への出口の車止めの脇に ”登山道立ち入り禁止” と記した看板が立っていた。
あちこちの山でよく見る手の "行政の免罪符掲示" の典型的な例だ。
看板を立てる金と時間があるのだったらロープの一本も張り渡せばよいのに、そういう風には頭が働かないらしい。

  住宅街の石垣の脇から車道に出る所には左のように "双子山登山口" と記した立派な道標が立っていた。

  間もなく沼間小学校の正門前で右折、歩道橋と信号のある交差点を渡ると東逗子駅だった。

  目の前を上り電車が走っていった。
すぐには電車が来ない駅に行っても面白くないので、駅前広場のまわりを見回したら良さそうな蕎麦屋があった。
入口脇の "お品書き" に好物の鴨セイロがあったので迷わずに店に入って早速注文。
出てきた鴨セイロは、今後の三浦山行のプランニングに影響を及ぼしかねない美味だった。

☆おわりに
  山林の濃密さと、地形の複雑さとのため、三浦半島主脈の地形偵察と言う観点では、十分な成果は得られなかったが、比較的良い道が通っていて、道標も整備されている事が分かり、よより実感を持って一帯の縦走プランを立てることが可能になった。
三浦半島は、都会と田舎が入り混じった興味深い土地だ。