桑西-鳥屋ノ丸(-送電鉄塔)-ゴゼの頭-馬立峠-大丸-上真木
(2005.11.26)



☆期日/山行形式:
2005.11.26 [太陽=6:27−16:29; 月=13.2]

☆地形図(2万5千分1): 大月(甲府3号-1)

☆まえがき
     10月の阿武隈山行で足腰の錆落としができたようなので、雁ガ腹摺山南尾根(吹切尾根、1180m 峰以南)のトレースに出かけてみた。
  昨年の5月、雁ガ腹摺山から南下を試み、吹切峰、野分ノ峰からその南方1Km あまりの1180m 圏ピークまで進んだのだが、時季が遅かったせいで尾根の下部では木の葉が茂って視界が妨げられ、進路の目標となる送電線鉄塔が見えなくてルートの判断に苦しみ、ついに林道にエスケープ、敗退した藪尾根ルートだ。

  今回は桑西(720)から鳥屋ノ丸(1205)に直登したあと稜線を北上し、最低限、送電線鉄塔(1175)まで行って前回の失敗がなぜだったのか視察したのち反転、尾根筋を辿って、ゴゼの頭(958.2)、馬立峠(715)、大丸(815)を経て橋倉峠林道(710)まで縦走。
上真木(500)に下山して大月から帰る、と言うプランにした。



鳥屋ノ丸北、送電線鉄塔広場の展望。 左端、滝子山からハマイバ丸、黒岳を経て大菩薩。  右端は野分ノ峰(1450)


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☆行動記録とルートの状況


<タイムレコード>  (ルートファインディングや道迷いによるタイムロスが含まれている)
    宮崎台[6:53]=長津田=八王子[8:01]=(アズサ3号)=[8:31]大月[8:35]=(ハマイバ行バス)=[9:00]桑西(9:05)-鳥屋ノ丸入り口(9:15)-テレビ受信アンテナ(9:35)-(迷)-尾根上(9:55/10:10)-鳥屋ノ丸(10:45)-送電線鉄塔(11:05/20)-鳥屋ノ丸(11:35)-巻道終了して尾根上に戻る(12:15)-ゴゼノ頭(12:40/12:50)-馬立峠(13:25/30)-大丸北峰(14:05)-(西奥山に降りかけ戻る)-大丸三角点峰(14:15/25)-橋倉峠林道(14:40)-(15:00)上真木バス停[15:01+5]=(バス)=[15:20]大月[15:25]=(東京行快速)=[16:18]八王子=長津田=宮崎台

◆ 山行予定の週末は小春日和との予報がでた。
八王子駅には大勢のハイカーが出ていたが、特急あずさは僅かながら空席があった。
車窓の風景をオカズに、チーズパン・ゆで卵・ヨーグルトの朝食を食べた。
  大月では大勢のハイカーが降りたが、ほとんど富士急線ホームの方に行き、改札口を出たのはほんの一握りだった。

  ハマイバ行きバスの乗客は全部で3人で、ほかにザックを持つ乗客はなし。
それも途中で降り、そのあとは "貸切バス" になった。
桑西で下車。 手短に山支度を済ませて歩き出す。
バス停から100m あまり進んだ所で右に分岐している舗装道がある。(左)
  その道に入り、これから登る尾根の末端を目指して進む。
まもなく最奥の家で、そこを歩き過ぎると舗装が終わる。
すぐの所の道の右側の立ち木に、"鳥屋ノ丸登山口" と記したプレートが取り付けてあった。(左)
バス停からゆっくり歩いて10分ほどの所だ。


  薄暗い杉林の中に入り、あまり踏まれていない踏跡を進んで行くと右手から上がってきた尾根に乗る。
この尾根は少し下手の集落の奥にある赤谷権現社から登ってきたものだ。

 左に曲がって尾根登りが始まったが、直登はせず、ほどほどの傾斜で右側の斜面を登るようになる。

  ひと登りで樹木が伐り払われた所に出た。
左上にテレビ共同視聴のアンテナが立っている。
明るく開けているが、バラ藪が多くて歩き難い。

  ふたたび林の中に入り、尾根側面の斜上を続けるが、次第に斜面が急になり、踏跡が薄れてきた。

  このままヒヤヒヤしながら進んで行っても見通しが暗いように思われたので尾根に上がってみることにした。
  折り返すように斜上している獣道のような踏跡があったので、それを辿っていったのだが途中消えた。
潅木を手掛かりに最短距離と思われる方向へ直登しって行った。

  歩き出しから早速シゴかれ、ひと汗かくことになったが、登りあげた尾根の背はほどほどの傾斜で、道らしいものも通っていた。
道の左側には、"恩" が記された標柱、右側には番号数字(八四)が記された標柱が立っていた。(左)

  八五の標柱を見たあたりでは尾根が平になり、至って穏やかな地形になった。
この先、尾根通しに登り上げるだけで良さそうなので、平らな地面にザックを置き、キジ打ちをしたり、喉を潤したりしながら小休止。
  この先、右側が桧・杉の植林、左側が自然林になっている尾根の背を進んで行くと傾斜が急になる。
踏跡が不明瞭に、足場も悪くなるがひたすら高い所を目指して登り続けていると傾斜が緩む。
まわりに笹薮が現れると頂稜は真近かで、まもなく鳥屋ノ丸頂上に着いた。

  鳥屋ノ丸の頂上は雑木と藪の中に下のふた駒の写真のような古びた山名プレートがふたつあって場所の確認はできるものの、腰を下ろせるほどの切り開きもない、至ってむさくるしい所だ。
  とりあえず送電線鉄塔に向かったが、藪がひどいので用意してきた赤ビニールテープで要所に目印をしながら進んだ。
鉄塔は鳥屋ノ丸頂上の北、500m ほどの所に立っていた。
その付近は巡視路が整備され、合成樹脂製の階段などもあって歩きやすい。
鉄塔の周囲は大きく切り開かれて視界が開け、南西から北に掛けてはページ冒頭のような大菩薩の山並みが眺められた。
北に高く聳え立っている野分ノ頭の右手には楢の木尾根の泣き坂ノ頭と大峰が見え(下左)、さらにその右手の方には、大垈山からセーメーバンの尾根とその先に、三ッ森・麻生山・権現山の連なりが一望だ。(下右)
時期折々に姿を変え、何度も何度も楽しく遊ばせて貰った山々だ。

  コンクリートの鉄塔台座に座り、目と鼻の先になっている去年ポシャったピークを眺めながら、どうしてやり損なったのか考えた。

  すでに5月中旬にかかっていたため、木の葉が茂り始めていた上に、ここだけ常緑樹が多くて見通しを妨げている。
鉄塔が視認できなくて確信がもてないまま、二手に分岐している尾根の右手に引っ張り込まれたせいらしい。

  分岐の左手の尾根に入り、やや暗い急な所を下ればすぐに鞍部に降りつき、ここまで一投足だったのだ。

  一年前の道迷いの原因が分かってスッキリしたので鳥屋ノ丸に戻り、南尾根のトレースを始めた。

  指導標のようなものはなくコースサインも希なので地形図と磁石が頼りだ。
鳥屋ノ丸頂上の南側には藪はなく、だだっ広い斜面をひと下りすると穏やかな尾根に乗った。

  所々に短い急降下があるが、標高1000m 付近からの高距20m ほどの急峻な細尾根の下りは、要注意で、潅木を頼りに慎重に下った。
引き続き、尾根の右側の斜面に入り、桧・杉に覆われた急斜面を左手にトラバースする。

  針葉樹に視界を妨げられ、周囲の状況が分からないので少々不安だったが、やがて左上から稜線が下降してきて、その上に復帰した。

  ヤレヤレという気分で踏跡定かでない尾根の背を辿り、少し登り返した所で後ろを振り返ると、今降りてきた鳥屋ノ丸が高く大きく聳ていた。

  ゴゼ(御前)の頭の登路は踏跡が落ち葉に覆われてほとんど分からない程になっていた。
尾根の背の歩きやすそうな所を適当に選んで登ってゆくとやがて傾斜が緩み、左のような道標が立っていた。
直角に取り付けてある腕木には、"鳥屋ノ丸" と "ゴゼの頭" と記され、立てた者は山歩クラブだという事が記されていた。

  角を曲がって100m あまりでゴゼの頭に着いた。
なんとなく藪っぽい小ピークだが四等三角点標石がある小広場の西側は木が伐られて景色が良い。


   ここは隠れた展望秀峰のひとつだ。
手前は名残の紅葉の谷と間明野の集落。
遠くには鶴ヶ鳥屋山、本社ヶ丸と三ツ峠山。
さらにその先の雲間に富士山。

  逆光で色彩は乏しいが奥行きのある綺麗な富士ビューは、このあたりのトップクラスで、好天の早朝に、カメラを持って再訪してみたいと思った。






  三角点峰から僅か南に行くと、ピークの先が切れ落ちて行き止まりになる。
下右のように、"通行止め+?" を描いた標識板が立っているが、その少し手前にも眺めの良い所があって、滝子山が真近かに見えた。

  どのあたりが桧平だったかなど考えながら見ていたら、フィッと北穂の登路から見た前穂北尾根を思い出した。
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  ゴゼ(御前)の頭の頂上の北側に左のような "直交道標" が立って進路を教えている。
東側の急斜面を、潅木を頼りに降りて尾根に乗る。


  高度が下がったせいか、何となく里山の雰囲気が漂い、道端にアセビの緑が目立つようになった。
この辺まで来ればどのようにルートをミスっても簡単に里に出られる。

  かなり気楽になって歩いていると、馬立峠に着いた。(左)
こじんまりした鞍部だが、落葉樹が少ないせいで灰色の地面が露出していた。
左手から上がってきた道が合流し、"火の用心" のプレートと "間明野" と記した道標が立っている。

  久し振りの "山" だった上に道に迷ったりしたためやや疲れた。
馬立峠から間明野に下山しても、という考えもチラリと頭に浮かんだが思い直して、もうひと頑張りすることにした。

  大丸までは大した登りはなさそうだし、小さな山ひとつだけという半端な残り物を作るとまた出直すのが億劫だ。

  峠の鞍部の先の登りに入り、あるかなきかの踏跡を拾いながら落ち葉の上を歩いてゆくと進路と直交するような形の高みに着いた。

  ここは大丸北峰の頂上の一角で、左のように3方を指示する道標が立っていて、それぞれの指示板が "馬立峠"、"西奥山"、"真木" を指している。

  疲れて頭がぼやけていたせいで何となく歩き過ぎ、西奥山の方に降り掛かったが100m あまり進んだ所で気が着いて反転、あらためて "真木" の方向に進んだ。

  100m ほど歩くと大丸の三角点峰(南峰)だった。
樹木に囲まれて展望はないが、いい感じの広々した頂上広場で、今日歩いた中では最も居心地の良い所だった。

  あらかたの木が葉を落としている中で楓が一本だけ、真紅の葉を着けていた。

  道迷いによるタイムロスもあったが、腹の具合がもうひとつで、たいした物が食べられず、食休みをする必要がなかったことで "埋め合わせ" ができ、結果的には結構良いペースで歩き切ったことになった。

  3時台に2本あるバスのいずれかに間に合うだろうという計算が立ったのでしばらくの間、ノンビリ休憩した。

  大丸からの下山路はかなり不明瞭だった。
古い歩道らしきものはあるのだが、水流に深く掘り込まれた溝になって藪に埋もれ、ほとんど歩けない状態になっている。

切れ切れの踏跡は道形にこだわらず、歩きやすそうな所を適当に拾っているようだ。
地形図を見る限り、大丸三角点峰から南に延びている尾根の背を外さぬよう進んでゆけば、問題なく林道に降りつくだろうと思われた。
そのように歩いてゆくとやがて、下の方に林道が見えてきた。
尾根の突端は擁壁になっていて降り難いので真木側に少しトラバースして道に下り立った。

  上真木から杉沼に通じている道で、たまには車が通るらしく、その轍跡が見える。
左手に向かって5分ほど歩くと福祉関係の作業所があり、その下に老人保養センターがあった。

  保養センターの下に回りこむと、前方に高川山を眺めながら進むようになる。
上真木集落に入るとすぐに国道に突き当たる。
角は小さな園地になっていて、この一帯の田畑を潤している灌漑用水の落成記念碑が立っている。(左)

  石碑の脇の説明看板によれば、明治の初め、中央政府の支援が得られない状況のなかで、水不足に苦しむ住民のため、土地の長が資金を工面して用水路を作ったという。

  バス停のポストは園地のすぐ脇に立っていた。
定刻ギリギリに着いたのだったが、田舎のバスの例で5分ほど遅れて来て、ちょうど良いタイミングになった。

  もともとの予定よりひとつ早いバスに乗れた上に、大月駅に着いたあと数分で東京行き快速電車が発車し、お蔭で早い時間に家に帰りついた。

☆おわりに
    切れ切れの踏跡は落ち葉に埋もれているが、まだ葉が落ちきっていないため、見通しもあまり良くなく最良のコンディションではなかったが、吹切尾根下半部のトレースという、一年半越しの宿題にケリをつけることができた。

  全体として楢の木尾根や三ッ森付近より一段難度が高く、誰でもが安易に立ち入ってよいとは思われない。
濃密な藪はないが踏跡は薄くて途切れがち、山林の密度が高くて視界が制限される。
ルートの大部分は温和だが、所々に短いながら急峻な地形があって要注意だ。
地形図を読む力は不可欠だ。
不慣れな者が混じったパーティは補助ロープくらいは持参したほうが良い。