三浦、田浦梅園-乳頭山-畠山-木古庭 (2005.2.27)


☆期日/山行形式:
2005.2.27 日帰りミニハイク 単独

☆地形図(2万5千分1): 横須賀(横須賀1号-3、5号-1)、鎌倉(横須賀5号-3)

☆まえがき
    2月は毎週三浦半島に出かけ、面白そうな所はあらかた歩いたが、乳頭山の東南方にある畠山へはまだ行っていない。
今回は田浦から乳頭山、畠山を越して葉山の木古庭まで歩いてみることにした。
三週間前は蕾ばかりだった田浦の梅もそろそろ開いているかも知れない。


仄かに香る田浦の梅
  行動プランのアウトラインは、JR田浦駅(3)-田浦梅の里展望台(130)-田浦橋(130)-乳頭山(211)-畠山(205.2)-木古庭不動橋バス停(55)-JR衣笠駅、と言うものだったが、最後の部分は時間次第で逆向きのバスに乗って逗子に戻るのも悪くないだろうと思っていた。
そうなれば次に歩きたい仙元山から167m峰、176m峰への山の連なり方が見れるからかえって好都合だ。


☆行動記録とルートの状況
<タイムレコード>
    宮崎台[8:10]=あざみ野=横浜=[9:42]JR田浦駅(9:45)-田浦梅の里(10:10)-展望台(10:20/30)-田浦橋(10:35)-乳頭山(10:50/11:00)-海軍省第十四号石柱(11:08)-田浦泉町・上山口乗越&13号石柱(11:15)-第11号石柱(11:30)-山中町分岐(11:40)-畠山(11:45/12:00)-木古庭後山集落(12:15)-(12:20)不動橋バス停[12:38]=(\380)=JR逗子駅[13:20]=横浜=あざみ野=宮崎台


  毎週三浦に通って電車の乗り継ぎも通勤のような感覚になった。
田浦駅から梅園へは前と同じ道を歩いてもつまらないので小学校の方には行かず、直進して長善寺前から山に上がった(左)。
  そろそろ梅も咲こうかという時期の日曜日のせいか坂道の途中に露店が出たりして賑わっていた。
  梅園の花は残念な事にまだ三分咲きと言ったところだった。
3週間前には咲いていたスイセンが終わった分、かえって寂しいと感じたほどだったが、陽射しは随分と強まって明るくなり、人の数も格段に多くなっていた(下)。
  展望台で写真を撮り、スパッツを着けて山に向う。
田浦橋の手前から、乳頭山とその南のピークが形の良い双子峰になっていた(左)。
横浜横須賀道を渡り、その先の尾根からフィックスドロープの急登を登って "縦走路" に出た所で左に折れて進み、さらにロープのある露岩の急登を2箇所過ぎると金網階段の下に着く。  右下は前回迷い込んだ中尾根道だ。
  ひと登りで乳頭山の頂上に着いた。
細長い頂上の北端では横須賀港への展望が得られる。
  写真を撮っていたら背後に人の気配がしたので振り向くとほぼ同じ年格好が立っている。
山道で拾い集めたらしい空き缶を入れたレジ袋を下げていたので「地元の方ですか?」と聞いてみたら、「ええ、仙元山から来ました」と言う。
年中このあたりを歩き回っている地元マニアのひとりのようだ。
外尾根の、上下左右にコチャコチャっと折れ曲がって面白いあたりの話からひとしきり、"山オタク" のやり取りをした。
これからどっちへ行くのかと聞かれたので畠山だと答えると、木古庭に降りるとバスが不便だから山中町の方に下りたほうが良いよと教えてくれた。
確かにそこは安針塚公園のすぐ裏に当る場所だから京急の駅に近い。

乳頭山頂上から横須賀港を望む。 左端遠くにミナトみらい(クリックで拡大します)
  頂上南端の三角点標石から金網階段を降りて数十m 進んだ所に畠山分岐があって角に小さな金属道標が立っている。
前回確認している分岐点なので迷うことなく進入する。
  頂上から東に派生している尾根の背に向かうトラバースだが、二箇所道形が崩れかかっていた。
間もなく尾根の背に乗るのだが、そこには"海軍省" と刻んだ25cm角で高さ1m 程の石柱が立っていた。
上面にマジックで "畠山→" 書いてあったのでその矢印に従って右寄りに進む。
気分の良い尾根道を進んで行くと尾根を乗越す道と十字に交わる。
田浦泉町と上山口との交点であることを示す道標があり(下右)向かい側にまた海軍省の石柱が立っている(下左)。
  石柱には "東京湾要塞第一地区... 第十四号" と刻んであり、かつてあった軍港: 横須賀の名残りだと言う事が分かった。

  この地域の自然が保たれている一因は要塞地帯として地元民の立ち入りが制限されていた事によるのかも知れない。

  まわりが濃密な暖地林の山になり、道の脇の笹薮も深くなって来た。
近くを通っている横横道の車の音が伝わって来なければまさに深山の雰囲気だ。


  こぶをふたつ越し、尾根の向きが右に回ると畠山への登りになる。


  山中町から上がってくる道を合わせると急に道が広く、歩きやすくなる(左)。
横須賀インターチェンジが近いので、ここを上がってくる人は多いようだ。


  畠山頂上は東北の一方が僅かに開けているだけで藪と林に囲まれていたが、広広として明るく、好ましい雰囲気が漂っていた(左)。


  広場の中ほどに三角点標石と観音像が立っている(下左)。

  新緑の時期には最高の昼寝場になるだろう。
暫くの間草原に座り込み、ボヤーッと空を見上げて時間を過ごした。

  熟年ハイカーが来たがこちらの放心状態に呆れてか、声もかけず早々に立ち去った。

  存分に早春の山の頂きの休息を楽しんだあと下山のため立ち上がった。

漸く正午になった所だからまだ時間はタップリある。
衣笠駅行きバスの時刻表を見ると一時間に2、3本の便がある。
逗子行きも同じくらいの頻度だろうから適当に下って行ってどちらかに乗ればよい、と考えた。


  下山路は至って道が良かった。
途中、空身で登ってきた中年夫婦に遭った。
緩からずきつからず、最高に歩きやすい坂道を下って行くとポンと舗装路に飛び出した。

  出口には捗々しい道標も立っていない。
少し進んだ所で振り返ると今降りてきた尾根が家の屋根の上で穏やかな曲線を描いていた。

  車道が通っている谷底の向こう側は大楠山を乗せた大きな台地になっている(左)。

  間もなく葉山と横須賀をつなぐ国道に出た。
下山川に架かる橋の袂で道路を渡った所に不動橋バス停があった。
逗子行きのポストの時刻表を見るとあと15分あまりで来る。
待ち時間を利用して山支度を解き、身体を冷さぬようフリースのジャケットを着た。

  逗子へ向って走るバスの窓から外尾根の山の繋がり具合を注意深く観察する。
結構入り組んでいるから気を着けて歩かないと変な所にでてしまうだろう。

  バスに乗っていて面白かったのは、木古庭のあたりはド田舎だったのが、海岸沿いの道に出ると途端に都会の雰囲気に変わった事だった。


☆おわりに
  畠山は静かで良い所だった。
この山は、源頼朝の忠臣、畠山重忠が衣笠城に拠る三浦義明と戦った時、城を築いた場所だと言う。
バス停の不動橋も、近くにある木古庭不動に因んでいるようだ。
重忠が三浦氏との戦いに戦勝を祈願した、身代わり不動だそうだ。

奥多摩、御岳山の神社の境内に畠山重忠の騎馬像があったのを思い出した。

  インターネットで探り当てたサイト "坂東武士!畠山重忠" を覗いてみると、秩父・奥多摩から八王字、府中、川崎、横浜を経て鎌倉、そして三浦へと、日頃なじみ深い地域で活躍した武将だという事を知った。

昨年来、何度となく三浦半島に通い、漸くこの小半島の全般的な地理が頭に入ったような気持になって来た。

次は、仙元山から外尾根の未踏部、それに中尾根あたりを歩くことにしよう。