御坂峠-御坂黒岳-釈迦ヶ岳-桧峯神社 (2005.5.4-5)


☆期日/山行形式:
2005.5.4-5 前夜泊、単独

☆地形図(2万5千分1): 石和(甲府7号-1)、河口湖西部(甲府7号-2)、
                                        河口湖東部(甲府3号-4)

☆まえがき
        例年ゴールデンウイークの山は、まだ天候が安定せず、運が悪いとベトベトの新雪や霙に遭って気分良く歩けないことがある。
おまけに、山も乗り物も混雑するので、会社勤めから開放されてからは、"時差出勤" をするようにしているのだが、今年は "異常気象" で、温暖な晴天が続いた。

天気の良い日にあえて家に篭っているのは、身体にも心にも良くない。
希な好天続きをもたらした移動性高気圧の行列が去ってしまう前に、短期の山行をしようと考えた。

  行き先として選んだのは、御坂の黒岳から芦川の釈迦ヶ岳を繋いでいる尾根筋である。
この山域の "盟主" と "秀峰" の最右翼と、ふたつを一度で楽しむ贅沢プランとして、かねがね歩いてみたいと思っていたルートだった。
尾根筋のほとんどをトレースしているこの一帯で唯一、黒岳からドンベエ峠(日向坂峠)の間が未踏になっていたという事情もあった。

  日の長いこの時期だったら日帰りも十分可能だったが、暇があるのに忙しい山歩きをすることもあるまいと思ったので、前日に富士吉田まで行って駅付近で宿泊し、翌朝早く入山することにした。

黒駒釈迦ヶ岳頂上から御坂黒岳方面を望む。 左奥に三ツ峠


  行程のあらましは、まず三ツ峠入口(=御坂峠トンネル入口1015)から御坂峠(1525)に上がって、黒岳(1792.7)に登頂。
御坂と芦川を分ける稜線を辿って、芦川分岐(1490)から日向坂峠(1435)へ。 さらに府駒山(1562.4)を経て釈迦ヶ岳(1641)に登頂したあと、最短ルートのシンポチ沢ルートを下降して神座山川谷の林道(1060)へ下山。  時間があればブッポウソウの啼き声の主がコノハズクだということが確認された場所として知られている桧峯神社に立ち寄ったあと、国道の桧峰神社入口(610)まで歩き、甲府行きバスで石和温泉駅入口へ。  駅から中央線列車に乗って帰ろう、というものであった。


☆行動記録とルートの状況


月4日
<タイムレコード>

    宮崎台[16:27]=[16:49]長津田[16:55]=[17:21]八王子[17:35]=[18:18]大月[18:42]=[19:24]富士吉田

 はじめ、連休末尾の週末の、人出の山が通り過ぎる時期にしようと考えたのだが、好天は5日一杯で終わり、という週間予報が出たのでその期限に収まるよう日程を繰り上げた。
泊まり場探しでは、旧御坂トンネル近くの天下茶屋が最高だと思って問い合わせてみたが、宿泊の営業は止めているという残念な返事だった。
サァテ困ったぞということになったが、祝祭日はビジネスホテルが空いていることに気が着いたので富士吉田駅付近のホテルをチェックしてみたら空室があって問題解決。
料金もリーズナブルだし、胃弱者の手に余る食事の押し付けがないのがありがたい。
翌朝の早起きに備えて早寝できる時間に着けばよいので午後半ば過ぎまで家に居てノンビリ準備をした。

  いつものように大月で中央線から富士急線に乗り継いで行ったのだが、乗り継ぎの待ち時間が長かったので駅のファストフードカフェテリアでカレーを食べた。
富士吉田駅に着いて分かったことは、駅の周りにいろいろ食べられる所がって、そちらの方がむしろベターだということだった。
ホテルは駅から歩いて3分ほど、別段どうということもない中級ビジネスホテルだったが部屋は綺麗で十分な広さがあり、快適だった。


月5日
<タイムレコード>
    富士吉田駅[6:30]=(甲府行バス)=[6:54]三ツ峠入口(6:55)-小休止(7:30/35)-御坂峠(8:25/30)-黒岳(9:25/35)-芦川分岐(10:05)-日向坂峠/ドンベエ峠(10:20)-1530m中間峰(10:45/55)-府駒山(11:10)-釈迦ヶ岳(11:40/12:00)-桧峯神社下降点(12:25/30)-桧峯神社林道(13:10)-桧峯神社(13:20/14:20)-(15:25)桧峯神社入口バス停[15:35+5]=(\560)=(富士急バス甲府行)=[15:56+4]石和温泉入口-(16:10)石和駅[16:15]=(カイジ116号)=[17:14]八王子=長津田=宮崎台

◆ 前夜仕掛けておいたモーニングコールで5時に起床。
窓の外には今年のゴールデンウイーク最後の青空が広がっていた。
コーヒーを淹れ、テルモスを満たしたあとの余りでカレーパンと燻製卵を食べ、パッキングを済ませて駅前のバスターミナルに行く。
正面には、真近かな富士が大きく聳えていた。
6時30分発の甲府行き一番バスはまだ発車には間があったが既に入口を開けて乗り場に停まっていた。
休日の早朝のせいか、ほかに客はなく、貸切状態で発車したが、途中で立ち寄った河口湖駅で熟年ハイカーが一人乗った。

  新御坂トンネル入口手前の三ツ峠入口バス停で下車。
道路を渡った所から林道に入るとすぐの左手に旧峠道の入口がある。
河口湖駅の熟年ハイカーも随いて来た。

  杉林の中をひと登りして自然林に入ると明るい新緑に囲まれる。
かつて多くの人と物資が通過していた峠道は均一で程よい傾斜になっていて歩きやすい。

  40分ほど歩いた所で小休止。
河口湖男は先に歩いていった。

  丁寧にジグザグを繰り返しつつ高度を上げて行くと、所々で河口湖方面の集落が見えた。

  高度が上がるとまわりに姫笹が見立つようになる。
富士桜が咲いている小広場を過ぎると右手に向かって緩やかに斜上するようになり、やがて傾斜が緩んで峠の広場に出た(左)。

  峠の鞍部一帯は地形が不自然で、妙な具合に段差があったり平らになっていたりする。
戦国時代には北条の山城があって壕や土塁が築かれていた名残りらしい。
  以前からある小屋は営業しなくなって久しいが次第に荒廃が進んでいるようだ。

  小屋の裏にある祠の前を通ってトイレの横を過ぎると尾根道に乗る。
一段登る所にジャージーの老ハイカーがいた。
何かと思いながら進んで行ったらカタクリの群落があって、数十輪の花が咲いていた(左)。
もう少し小さい群落が一段上った所にあってこちらでも咲いていた。

  御坂でカタクリの花が見られるとは期待していなかったので、思わぬ褒美を貰ったような気分になった。

  1640m 台の中間ピークに上がると前方に黒岳が見えてきた(左)。

  大きくゆったり穏やかな山容で、この山域の主峰に相応しい貫禄を備えている。
  前衛の小ピークを越すと尾根が狭まり、露岩が増えてくる。
一部手を使いたくなるような場所もあるがまもなく尾根の幅が広がり、ついで傾斜が緩んでくると釈迦ヶ岳/上芦川への分岐がある。
そこは既に頂上広場の一角だ。

  南北に細長い広場の中ほどに三角点標石と山名標がある。
まわりは樹木に囲まれて展望はないが、落ち着いた雰囲気が漂う良い休み場だ。

  行程の出だしの部分を無難に乗り切れた。目論見どおりに歩けそうな予感がし、ゆったり気分で休憩を楽しんだ。

  釈迦ヶ岳方面への入口には左のように大きな道標が立っている。
  ひと昔前にははかばかしい道標もない藪ルートの入口だったような記憶があるのだが今は大違いの状態になっている。

  踏み込んでみたら左のような立派な道になっていて随所に親切な道標が設置してあった。
ポピュラーなルートの登山道と同じ状態になっていて明らかに大勢の人に踏まれている。

  日向坂峠まで車で上って登れば、僅か1時間半ほどで登頂できるという訳で、今はこちらがメインルートになっているらしい。

  ひと下りした所で左に急な斜面を下って主稜から離れ、日向坂峠への支稜に移る。
ルート不明瞭と古い案内書に記されていた部分だが、いまは明瞭なジグザグ道が刻まれている。

  林の隙間から頭の尖がった釈迦ヶ岳が見えてきた。
時々人に会うようになった。
やはりこちらのルートから登る人が多いようだ。

  上芦川への道が分岐した先でひとつコブを越し、さらにもうひとつ小ピークを越すと峠は近い。



   峠の直前に右下が崩壊している所があって擬似木の柵が設けてある。

柵越しに綺麗な新緑の山肌が見渡せた。
近くでは山桜の大木が満開になっていた(左)。

  昔の日向坂峠は、砂利道が通っているだけの寂しい所だったが今は拡幅された舗装路が乗越し、何台もの車が来ていたので驚いた。

  ゴールデンウイークだからということもあるだろうが釈迦ヶ岳への登山口を頻繁に人が出入りしていて、賑わっていると表現できる程だった。

  釈迦ヶ岳は遠くからも目立つ形の良い尖峰だし、頂上の展望も優れている。
道路が改良されて登り易くなれば、人気が出て当然だと思うが、もはや以前のように静かな隠れた名山ではなくなった。

  峠では落ち着けそうもないので休憩をしないでそのまま歩き過ぎた。
釈迦ヶ岳ルートに入ってひと登りすると南斜面が伐採されている所があって御坂主脈方面への視界が広がっていた。
うしろの正面は黒岳と今降りてきた尾根だ(左)。

  ふたつ目のコブにちょうど良い露岩があったのでそこにザックを置いて腰を下ろす。

  歩き出すとまもなく、上芦川谷上部にあるスズラン自生地から上がってきた道が合流した。


  さらにひと登りして行った所に "府駒山" の看板が立っていた。
おばさん達が賑やかな10人ほどの熟年パーティとすれ違う。

  このあたりは小刻みに上下しながら徐々に高度を上げて行くので大登りはないのだが、黒岳を越してきた疲れが溜まってきて結構つらい。

  小ピークから少し下った鞍部から釈迦ヶ岳本峰の登りが始まる。
かなり急な岩尾根で、直径3cm 程もある太いロープが取り付けてある所が2箇所あった。

  最後の急登から抜け出し、ゴツゴツした岩の間を縫って行くと新旧二体の地蔵像がある頂上に着く。

  空は晴れ渡っているのだが天気が続いたため霞が濃くて真近かな富士山さえほとんど見えないほどになっている。
甲府盆地もすく近くの部分しか見えていないが御坂連山だけは何とか視界の中に納まっていて、左手にはページトップのような黒岳から三ツ峠方面、うっすら富士山の中腹が見えているあたりから右の方には十二ヶ岳、節刀ヶ岳から王岳、西釈迦ヶ岳あたりまでの連なりが見えている(下)。


  景色を前に飲み食いをしながら長休みをする。
西から低気圧が接近している時によく出現する温和な空模様で、登った山の頂でノンビリ長休みするには最適だ。

  少々疲れはしたが、時間的には思っていたより順調に歩いて来られたのでゆっくり下山しても早い時間のバスで帰れそうになった。
余裕があるから銘水のある桧峯神社に立ち寄って行こうと考えた。

  山の西側の鞍部への下降は登ってきたルートより一段と急峻だ。
降り口に立つと足の下に鞍部の林の梢が見えていて恐ろしい位だが、実際に立ち入ってみると岩棚を巧みに縫ってルートが設定されており、手近に潅木の手掛かりも得られるので余所見はできなくても、緊張するほどではない。

  途中の2箇所、足場の遠い所には登路と同じような太い固定ロープが取り付けてあった(左)。


  やがて傾斜が緩んできて普通の土の道になるとまもなく、シンポチ沢ルートの分岐点に着いた。
"桧峯神社方面、この下山道は急なため初心者はこの先→(15分)の下山道を利用するとよい" と注意喚起を記した看板が立っている。

  地形図から浅い沢窪の底のゴーロのような所を下るのかと想像していたが実際は違っていて、僅かな距離を斜降してすぐに急な小尾根に乗った。


   岩塊が積み重なった斜面に潅木が生えている所を細かく折れ曲がりながら高度を下げてゆくのだが、ほとんど途切れなしと言っても良いくらいに虎ロープが張り巡らしてある。
下降を助けるだけでなく、ルートミスをさせないためでもあるような感じだ(左)。

  小尾根が尽きそうになるとなるとガラ場を横断して左手の小尾根に移り、また同じように下降して高度を下げる。
右手から本谷のゴーロが押し出している所では、それを避けるようにもうひとつ左の小尾根に移る。

  やがて周りが桧林に変わり、明瞭な山道になった。
何かがいるような気配がしたので注意しながら近づいていったら老夫婦が道に座り込んでお昼を食べていた。
山菜取りだと言ったがどこから来たのかねと聞かれ富士吉田からだと答えたら呆れられた。

  まもなくコンクリートで簡易舗装した林道に出た。
出口の木にには桧峯神社ルートを示す赤丸札が掛けられ、"景信トレッキングクラブ" と墨書きした道標があった(左)。










  コンクリート道を100m 余り歩くと桧峰神社と御坂十郎部落とを繋いでいる幅広の舗装林道に出た。
  出口の向かい側はちょっとした駐車広場になっていて、脇の山桜が花盛りだった(下左)。


  谷の上手に向かって左手に進む。
極く緩い登りなのだが疲れが溜まった足腰にはきつかった。

  5分あまりで桧峯神社に着いた。
たっぷり1時間近くも休める時間の余裕がある。

  神殿の下にホースで引き水がしてあって "薬王水" と刻んだ石柱が立っている。
銘水で喉を潤し、顔や首筋の汗を漱いでさっぱりしたあと、境内の外れにある公衆トイレに行って身体を軽くした。

  水場に戻り、空になっていたジュースのペット瓶にポカリスエットと粉末レモンの混合飲料を作って水分と "イオン" を補給した。
飲んで暫くしだらスゥーッと吐き気が消えた。

  歩き終えて乗り物に乗ったあとで気がついたことだが、吐き気だけでなく、ここ数回の山行で悩まされていた頚痙も起こらなかった。
これらはいずれも歳のせいかと思っていたがそうではなく、発汗による "イオン抜け" が主因だったようだ。

  食欲が出てきたので、かき餅とピーナッツを食べたり、りんごをむいて食べたりしているとトビス峠の方から5、6人の熟年パーティが降りてきた。
  釈迦ヶ岳では見なかった顔ぶれだから多分大栃山に登って来たのだろう。


  3時半に桧峯神社入口を通る甲府行きバスがある。
バス停まで1時間あまりと踏んで、ザックをまとめ、歩き出した。

  長休みで身体が冷えて足腰がこわ張り、はじめは歩き難かったがソロソロ歩いているうちに徐々に毛細血管が開いてくると、"イオン" が補充された血液が組織に沁みこんでゆき、それにつれスルスルという感じで足腰が軽くなった。

  神座川林道は沿道のあちこちにある "マメ桜" の並木が満開だった(左)。
若葉と一緒に開いている小振りの花で、ソメイヨシノのように派手ではないが、山中に相応しい落ち着きのある良い桜だった。


  始めのノロノロ歩きでできた遅れを取り戻そうと、行程の後半はかなりのハイペースで歩いたが何も問題はなく、予想時刻の5分前と言うドンピシャなタイミングでバス停に着いた。
3:31と思っていたバスの定刻が3:35だった所へ、さらに5分余り遅れてきたため、結構な待ち時間があった。
バスは乗って20分ほどで石和温泉駅入口に着いた。
10分ほど歩いて駅に行き、5分後の特急 "かいじ" に乗って帰った。


☆おわりに
    前回の大マテイ山/鶴寝山と同じ様な未踏部トレースが主な目的の山行で、やや長めのルートだったが前夜泊による時間的な余裕と、好天に助けられて快適な山歩きができた。

  穏やかな尾根を進んで行くと次第に険しくなり、最後は急峻な岩尾根を手足を動員して登り上げるとようやく頂上に達する釈迦ヶ岳の登路の様相変化が、大峰の釈迦ヶ岳のルートとよく似ているように思ったので、両者の写真を引っ張り出して比べてみたら、稜線の輪郭がそっくりだった。

  高速道も、新幹線もない古代に、紀伊半島のど真ん中と、甲斐の国と、遠く離れた場所にあるふたつの山の類似性に気が着いて同じ名を付けたスーパーマンのような凄い行者がいたのだろう。 (詳しいお話はこちら)