南会津、駒止湿原-駒止峠-南郷村東 (2005.7.6-7)


☆期日/山行形式:
2005.7.6-7 前夜泊、単独

☆地形図(2万5千分1): 田島(日光1号-4)、針生(日光5号-2)、会津山口(日光5号-4)

☆まえがき
    例年、6月下旬は梅雨の晴れ間を狙ってちょっとした山に登ることにしている。
虻や蚋が多く、場所によっては蛭がいたりするが、うまく行けば高みを吹きわたる爽かな風に当たりながら残雪豊かな山の展望を楽しむことができる。

  去年は南八ヶ岳の西岳に登ったあと青年小屋で中継宿泊して、権現岳、三ッ頭から天女山を目指した。
初日は好天に恵まれ、初めて登った西岳頂上の展望を楽しんだのだが二日目は霧と冷風の悪天になった。  やむなく後半の計画をギブアップ、観音平から信玄棒道を歩いて帰った。

  今年はこの歩き残しをトレースしようと準備を整え、晴れ間を待ったのだが、もひとつ天気図のパターンが芳しくならないうちに長雨模様になってしまった。
仕方なく一旦計画をキャンセル、数日の雨の無聊を、冬の間に買ったままほったらかしていた CPU とマザーボードでテスト用のパソコンを組み立てたり、シニアグループのプレゼン資料を作ったりしながら慰めていたのだが、このまま家に篭り続けていると、足腰が錆付いてしまう心配が出てきた。

  そこでいくらか降られるのを覚悟の、"雨中山行" に出ることにした。
いい年をしているのだから、雨の中を長い急登をしたり岩稜歩きをしたりするのは避け、綺麗な湿原や静かな森を訪ねてみたい。
これまで行き損ねている良さそうな所、ふたつ三つの候補地へのプランを立てたが、そのうちでまず、南会津の駒止湿原に行ってみることにした。

(クリックで拡大します)
ワタスゲの白とニッコウキスゲの黄金色が綾なす駒止湿原大谷地

  これは、田島町、昭和町、南郷村にまたがる山の中にあって、南会津山域のほぼ真ん中に位置している。
このあたりの山に登る度に広大な台地状の山が見え、以前から非常に気になっていた。
会津田島から山口を通って只見に抜ける国道289号線の旧道が、湿原のすぐ脇を通っているお陰で、入口のすぐ近くまで車で上がれる。
  尾瀬のように有名観光地になってはいないけれど、"山登りの労苦なしに見られる綺麗な湿原" ということで、週末はかなり混雑するようだ。
まぁ、梅雨時の週日なら来る人もそんなに多くはないだろう。

  組み立てた行程は至って楽なもので、田島(550)からタクシーで駒止湿原駐車場(1105)まで上がって歩き出し、大谷地(1105)、農道(1115)、白樺谷地(1115)、ブナ林(1115)、水無谷地(1115)を経て湿原終端(1110)まで行って戻るだけだ。
  往復ともタクシーを使えば、日帰りも可能で、そうした方がむしろ安上がりなように思われたが、せっかく久し振りに南会津まで行くのだからゆっくり山旅をしたいということで、前夜泊とし翌朝早くから湿原歩きをすることにした。
湿原だけでは
物足りないだろうし、時間の余裕もあるだろうから、帰りは車道を歩いて針生のバス停(750)まで下り、田島から電車で帰ることにする。
前の日は、いつも素通りしている田島の町中を見物して見ようと考えた。


  幸いニッコウキスゲの花期にぴったり合ったため美しい景色を楽しめた。
天気は不安定だったが、際どいところで土砂降りの雨をかわすことができた。
下山はもと来た針生ではなく、西側の南郷村へ駒止峠を越して下降した。
南郷村東バス停からは山口車庫を経て内川へ。 そこで桧枝岐から田島へのバスに乗り継いで、松戸ヶ原、湯の花、舘岩、会津高原と、南会津周回バスドライブを楽しんで帰った。


☆行動記録とルートの状況


月6日
<タイムレコード>

    宮崎台[9:06]=表参道=北千住[10:21]=(急行ユノサト#273)=[12:32]新藤原[12:35]=(快速)=[13:26]会津田島-(旧南会津郡役場-祇園会館-田出宇賀神社/熊野神社)-田島グリーンホテル ミナト{泊}

◆会津田島は山の行き帰りに何度となく通っている。
昔会津西街道の宿場として栄えた所で、豊かな歴史遺産があると聞いていたが、僅かに七ヶ岳から下山したときに通りかかった機会に見た歴史民族博物館のほかは、いつも素通りで何も見ていない

  朝寝坊をしたため、出発が一時間遅れになったが、東武線の有料急行がいくらかの時間を取り戻してくれたお陰で、午後の程よい時間に田島に着いた。
駅前のホテルに荷物を置くとすぐ外に出た。

  まず行ってみたのは、旧南会津郡役場だった。(下左)
明治の半ばに建てられた洋風建築で、今は地方史資料展示館になっている。
石器と縄文土器、中世の長尾氏居城跡からの出土品、江戸時代の蔵入り百姓一揆の記録と御蔵入三十三観音、郡役場建設の経緯と野岩鉄道敷設の史料などが主な展示物だった。

  野岩鉄道が、会津西街道の復活を願う南会津の人たちの長年にわたる粘り強い努力の結果、ようやく開通したのだと言うことを知った。


   次に祇園会館に行って見た。
こちらは三大祇園祭のひとつとして国の重要無形文化財に指定され、毎年7月下旬に行われている祇園祭の常設展示館だ。
展示ホールに置いてあった屋台の大きさに驚いた。(上右)
もとともとは喧嘩屋台だったそうだが、今は "平和行進" になっていて、
神社までひいて行く途中、所々で止まり、車上の舞台で子供歌舞伎が演じられる
引き綱なしで大きな屋台を引き回すのは大変だろうな、と思った。


  祇園会館のすぐ東に田出宇賀神社がある。
この一帯の氏神のようで、祇園祭の屋台もここに奉納される。
鳥居を潜った所に熊野神社の篭り堂があった。
七ツヶ岳などを行場とする山岳信仰活動と関係があるようだ。

  目ぼしい所をひと通り見られ、満足してホテルに戻ったが、部屋に戻る前に一階の "よろず屋" で買った蜜豆の美味に負けて胃袋をオーバーフローさせ、腹具合をおかしくしてしまった。

  最悪、夕飯抜きを覚悟したが、持ち合わせの薬で何とか復調に成功、駅前の蕎麦屋に軽い食事をしに行ける位になった。
僅かに甘口の汁で数種の山菜が入った鴨南蛮は、とても美味しかった。
胃袋のご機嫌を損ねぬよう、そろりそろりと、長い時間をかけて食べた。

  昼間の観光と腹壊しとで疲れたし、ビジネスホテルの狭い部屋で起きていても面白くもないので、眠り薬の錠剤を半分に割って服み、早い時間に寝た。




<タイムレコード>

    会津田島[7:50]=(Taxi \4920)=[8:10]駒止湿原駐車場(8:20)-大谷地入口(8:25)-農道(8:40)-白樺谷地(8:52)-ブナ林(9:05)-湿原終端(9:20)-大芦口林道(9:25/35)-湿原終端(9:43)-白樺谷地(10:05/10)-車道(10:20)-駐車場茶屋(10:30/55)-駒止峠(11:10)-水場(12:25/30)-南郷村国道#289(12:35)-(13:00)東バス停[13:00+02]=[13:35]内川[13:40+2]=[14:40]会津高原[14:55]=(快速)=[17:52]北千住=宮崎台

◆前夜の早寝のお陰で5時過ぎに目が覚めた。
カーテンを引いて外を見たらなんと朝霧の上に青空が広がっている!
雨の積もりで出てきたのにこれほどの好天に巡り合うとは、なんと運の良いことか。

   上空に寒気が流入しているので昼から俄か雨があるだろうと、テレビの6時の天気予報が報じた。
いつでも雨具を出せるよう、パッキングを行う。

  ホテルの朝食を食べてひと休みしたあと、駅前のタクシー乗り場に行く。
昨日は沢山出ていたのに今朝は一台も居ないのでアレレという感じになったが、暫く待っているうちに駅の売店のオバサンが出てきたので電話番号を教えてもらい、車を呼んだ。

  どの土地に行っても、タクシードライバーは "地元情報の生き字引" だ。
雨で歩き損ねている裏那須の流石山から大倉山をへて音金へのアプローチとして利用できるかどうかなど、色々聞いているうちに石柱の立つ湿原入口に着いた。(左)

  すぐ先の駐車場にはもう4、5台の車が来ていた。
近在の人達が青空を見て飛び出してきたらしい。
まだ店を開いていない茶屋の前から坂を上がった所に左のような入口がある。

  湿原内の歩道を歩く上の注意事項を記した看板と、小さな石標とがあるだけの、至って簡素な好ましい入口だ。

  笹と潅木の間の道を進んで行くとまわりが開けてきて大谷地の一角に出た。(下)
ワタスゲとニッコウキスゲの大群落が交互に広がっている様子に息を飲んだ。(下)


  ニッコウキスゲは八九分咲きかという状態になっていて、黄金色が鮮やかだった。
  大谷地湿原が尽きて林に入るとすぐにその裏側を通っている農道に出る。
混雑した時、狭い木道でのすれ違いをなくすためか、駐車場への帰りは農道からと記した看板が立っている所から左へ2、300m 歩いて右手に入ると白樺谷地だった。


  湿原の規模はやや小さいがキスゲの群落の大きさと咲いている花の密度では勝り、一段と綺麗だった。(下)


  木道沿いの草叢の中を良く見るといろいろな花が咲いていた。
下は手っ取り早くデジカメに収めた物だが、丁寧に観察すればもっと多くの種類が見付かったに違いない。
コケモモ

ヒメツルコケモモ

サワラン

トキソウ


  白樺谷地の中ほどには水流があり、ヒメオウギアヤメが花の行列を作っていた。(下)

  ブナ林に入り、左に折れて進むと水無谷地に入る。
細長く、潅木の茂みがあって、やや藪っぽい。
数箇所に石楠花の群落があった。
枝の先に小さな白花が集まって咲いていて、地味な感じだった。
図鑑によれば、このあたりの固有種で、ネモトシャクナゲというらしい。


  まもなく林に入って短い坂を上がる。
左に曲がって林の中に向かう角に下のような看板が立っていた。
その旨記されてはいなかったが、ここが湿原の末端だった。
熊に注意と記した "顔写真入り" のポスターもあった。
  緩く登って低い尾根を乗越し、泥濘った沢窪を横切ってひと登りしたら、砂利の林道に出た。
昭和村大芦から登ってきた道のようで、出口には "駒止湿原入口" と記した標識が立ち、30m ほど奥に6、7台ほど車を停められる広場がある。

  広場の脇に立っている地図看板の蔭に入って休憩。
飲み食いをしながら空を見上げると少々雲行きが変だ。
乗り物の時間には早すぎるのだが早々に戻ることにした。

  写真を撮りながら歩いていると白樺谷地に中ほどでポツリポツリと来た。
農道に出た所ではっきり雨模様になったので折り畳み傘をさし歩いていたらザァッと降ってきた。
まだ青空も見えていてるから長く続く雨ではなさそうだ。



  農道の両側は放棄された農地で、広々した草原になっている。(下)
  坂を下って入口の茶屋に着いた所でザァッと降ってきた。
慌てて軒下に飛び込み、雨宿りをする。
暫くすると小降りになって止むかと思ったら、またすぐに激しく降りだし、雨粒がトタン板にあたる音で話もできないくらいになった。
この状態では車道歩きも厳しいから、雨が落ち着くまで待つことにし、休憩料金の代わりに水槽に浸けてあった冷やしトマトを買った。

  トマトはとても美味しかった。
都会のスーパーで売っているのと違って畑で完熟したもだからだろうか?
  駐車場の車の数が増えていて、かなりの人数が湿原に入っている筈だが東屋ひとつないから、こんな強い雨に遭ったら大変だろうなと思った。

  トマトを食べ終わって暫くすると雨が弱くなり、空が明るくなって、遠くの山も見えてきた。
茶屋の主人がこれなら雨は長くない、と言い出したのでザックを担ぎ上げた。
  この時間から針生に降りて行くと14時半過ぎの田島行きバスを2時間近くも待つことになってしまう。
長時間ぼんやりしていても面白くない。
逆向きのバスなら13時近くに通るから、終点の内川で桧枝岐から来るバスに乗り継げば会津高原にまわるラウンドトリップが可能となる。

  下山の車道も、旧国道駒止峠を越して西側の南郷村へ歩いてみることにした。
石塔の出口から右へ、5分あまり緩く登った所に廃業した峠の茶屋があった。
ドライブイン風の大きな建物だが、荒廃が進んでいるようで、雪に押し潰された屋根の一部にビニールシートが被せてあった。
さらに5分あまり、緩やかに登って行った所が峠の頂上(下左)で、下り口の脇には石地蔵が立っていた(下右)。


  南郷村側の下降路はブナや楢の大木が林立している中を何度もヘヤピンカーブを繰り返して高度を下げてゆく。

  少し下った所で唐倉山が見えた。
かつて、修験道の行場だったと聞く。
頂上まで樹木に覆われていて、さして大きくもない山なのだが何となく迫力がある。
急峻な岩場を秘めているからだろうか?

  谷底の新国道を走る車の音が近づき、そろそろ終わりかと思う所に水場があった。
会津の峠道の水場は例外なく美味しい。
喉を潤し、ペット瓶に汲んだあと、顔と腕の汗を漱いだ。

  国道を通るバスの正確な時間が分からなかったので少々焦ったが、東部落のバス停に着いて時刻表を見たら、ほとんどドンピシャで13時ということが分かった。
道端に立って待つほどもなく、バスが走ってきた。

  ドライバーが無線で連絡している話から、田島付近では土砂降りだったことを知った。
峠の東側と西側と、ほんの僅かな違いだったのに、大した降りに遭わずにすんだのは本当に幸運だった。
内川で乗り継いだバスもガラ空きだったが松戸ヶ原から右に折れて寄り道をした湯の花温泉で5、6人の熟年ハイカーが乗った。
話し振りから帝釈山に登ってきた "百名山屋" さん達らしいと分かった。
回り道のおかげで沿線のあちこちの景色が見れたし、会津高原からはひとつ早い電車で帰ることができた。


☆おわりに
    久し振りの南会津だった。
山も人も優しく、よい所だと思った。
唐倉山、大博多山、御前ヶ岳、それに昨年登り損ねた窓明山など、この辺りにはまだいくつかの未踏峰がある。
少し土地勘も戻ったので、この秋にでもまた行ってみたいと思っている。