多摩よこやまの道から川崎最高点 丸山城へ (2005.1.28)

☆期日/山行形式: 2005.1.28 単独ミニハイク
☆地形図(2万5千分1): 武蔵府中(11号-1)
☆まえがき
    1月中旬に川崎市最高峰の探検に行ったとき、その付近の尾根続きに遊歩道が整備されていることを知った。
"多摩よこやまの道" と名付けて、独立行政法人都市再生機構東日本支社多摩事業本部(042-373-8107) が推進している事業で、ルートマップも頒布されている事が分かったので早速電話で問い合わせ、指定された金額の切手を送ったら、折り返し送られて来た。
封筒を開けると、30×85cm ほどの用紙の両面に印刷された美麗な絵地図が出てきた。

  この尾根続きは相模と武蔵の国境になっていた所で、問題の "川崎市最高峰" は、万葉時代の古東海道の物見や烽火台だったと考えられ、"丸山城" と呼ばれてもいると言う。

  これによって一段と興味をそそられたが、もうひとつ、前回、"最高点" が黒川配水場の水道施設に占領されている事を確認はしたものの、最高点には本当に到達できないのかどうか、敷地の裏側まで廻ってしっかりとは確かめ損ねていることも気になるという事もあった。

  そろそろ梅も咲いているだろうし、先週の高尾山行のアフターケヤ・ウオーキングとしても適当と思ったので、もう一度出かけてみることにした。

川崎最高点(丸山城)北肩の展望広場から望む多摩ニュータウンのパノラマ。
丹沢/御坂と富士山から "南" の塩見/農鳥、小金沢/大菩薩、奥秩父の国師/金峰、近郊の高尾山/奥多摩、
という豪華な山岳パノラマ図が掲げてあったが、スモッグと雲でほとんどが隠されていたのが残念だった。

(写真をクリックすると拡大します)

  手に入ったルートマップを参照して組み立てた行程は、小田急多摩線終点の唐木田駅を起点として、"よこやまの道" を西から東へトレースし、"裏側" から川崎市最高峰にアプローチし、前回見つけた "瓜生黒川往還" を通って汁守神社/鶴川街道に下って黒川駅に戻ると言う物だった。
全長約10Km、僅かながら登降があるから所要時間は約3時間ほどだろうと見積った。

<行動計画>
    宮崎台[10:22]=[10:25]溝の口[10:31]=[10:39]登戸[10:43]=[11:02]唐木田駅(0.7Km)大妻学院(2.5Km)中坂公園(1.0Km)一本杉公園(0.8Km)多摩車庫前/鎌倉街道(1.7Km)展望広場/川崎最高点・丸山城(1.8Km)鶴川街道(1Km)黒川駅[14:50]=[14:56]新百合ヶ丘[14:59]=[15:05]登戸[15:13]=[15:21]溝の口[15:32]=[15:35]宮崎台


☆行動記録とルートの状況

    途中の休憩時間や行き帰りの時間を合わせると全部で5時間ほど。
半日行程だが、朝早くからでは寒いし、そうかといって昼からでは遅すぎる。
日が上って朝の寒気が緩む時分に出発し、途中で休憩がてら軽い飲み食いをしたあと、前回味をしめた鶴川街道の "キツネ蕎麦" で遅い昼食をして帰る事にした。
いくらか土地勘もできたので、登戸で多摩急行列車に乗り継ぎ、効率よく、唐木田へ直行。

  唐木田は大妻学院のキャンパスのある閑静な住宅街だった。
瀟洒な建物が並ぶキャンパス正門階段の下を通り過ぎてゆくと手作りの道標が立っていた(11:20)。

  車道と山の境の道に上がって100m ほど進んだ所で車道を横切ると左のような遊歩道が始まる。
"これはなかなか良いんじゃないの" と嬉しくなって歩き始めたのだが、300m ほど行った所で "ナンジャコリャ?" という事になった。

  ルート図によれば、ここで左に折れて山を下り、東京ガス多摩整圧所の裏から多摩市総合福祉センター沿いの車道を進み、ゴルフ場のクラブハウスとKDDIの塔の間を通ることになっているのだが、工事中と言う事で柵が立てられ、進入できない。
  仕方なく、小山田緑地へと指示されている方へ直進した。
この道は、この一帯を占領している東京国際カントリークラブ(昔プレーしたことがある?)のホールの間を摺り抜けてゆくので、いつ何処から球が飛んでくるかヒヤヒヤするような道だ。
  要所に立っている道標の "(小山田緑地?)管理センターへ" と指示された道筋を辿ってゴルフ場裏手の谷戸に降り着いた(左)。
  冬枯れだったがなかなか感じの良い所だ。
いろいろな施設と道標があったがこちらとしては市境の尾根筋を辿りたいので谷戸の詰めの尾根に向った。
  尾根近くで道なりに右手に登って行ったらゴルフ場の脇から車道の縁に出た。
車道を進むと広い道路とT字に交わる。
道標が立ち、身障者/健常者共用のトイレがあって本来のルートに復帰したことが確認できた(左)。
  尾根筋を占領しているゴルフ場を交わすための廻り道で余計な時間が掛かったが、小山田緑地を見るという余禄はあった。

  テニスクラブの横から住宅街の中の道を進んで行くと中坂公園に着き、グルッと廻って車道に降りた所に南野ニ丁目のバス停があった(12:30)。
  車道の向い側の住宅と山の境に立っている道標/ルート看板(左)の脇から歩道に入ると、いくらか山道っぽい雰囲気になる。

  唐木田口からゴルフ場の中や街路を歩かされて少々興ざめしていたが、ようやく真っ当な歩道になったので気を取り直す。

  向うから歩いてきた同世代のウオーカと擦れ違う。
顔の日焼け具合、ザックの背負い方から "山屋" さんかな、と思った。

  間もなく、一本杉公園の端に立つ "スダジイ" の大木が見えてきた。
丸みを帯びた黒々とした葉の茂みで、見え始めたときには小山ではないかと錯覚したほどだった。
すぐ脇に立つ、紅白ツートーンの南野給水塔も良い目印になる(左)。

  一本杉公園が終わろうとする所で階段を登って右手の山に入る。

  階段の横の標柱に、ここは通称鎌倉裏街道と呼ばれていた道の遺跡で、新撰組の土方歳三や沖田総司も出稽古のときに通ったと記してある(12:40)。

  石畳を踏んで杉の古木の横から鉄のジグザグ階段を下ると炭焼き小屋のある谷戸に降り着く。


  炭焼き小屋の前の梅林では紅梅が咲き始めていた。

  向い側の山に上がると、二棟の古民家と、大きな池のある奇麗な園地があった(左)。

唐木田駅から歩き通しているのでここで休憩する事にした(12:50/13:10)。

  三分咲きの紅梅が目の前の石段に腰を下ろし、持ってきたケーキを食べ、ペット瓶のジュースを飲む。

  天気予報では3月頃の陽気になるということだったが雲が出て日を遮り、薄ら寒い。

  民家の先には大きな池があって広広とした園地になっていた(左)。
板橋を渡って林間に入ると右下が恵泉女学園のキャンパスになっていて、いかにも女子大らしい小奇麗な建物が並んでいた。

  キャンパスの表に回り、正門の前を歩き過ぎてゆくと鎌倉古道とされている広い道に出た。

  筋向いの妙桜寺の手前に立っている道標に従って山に入って行くと墓地越しに女学園キャンパスの屋根が見え、その先に給水塔とスダジイが見渡せる場所があった(左)。

  右下に古紙回収業者の作業場があったがそのすぐ先の尾根上からは、谷底を通る現代の鎌倉街道と行く手の山並みを望むことができた(左)。

  送電線の通り具合、移動電話アンテナ塔の立ち具合で、目的地が近くなって来た事が分かる。

  古道五又路と言われている地点(左)を過ぎ、古東海道沿いと推定されている林間の道に入る。

すぐに国士舘大学のキャンパスに掛かり、運動場の間を抜けて行くと、左手に多摩ニュータウン方面への視界が開けてくる。

  擬似丸太の柵に沿って進んでゆくと間もなく展望広場に出る(左 14:00)。
  展望広場は、野外ベンチのあるちょっとした広場で、詳細な山岳展望写真を貼った看板がある。  富士を背景に丹沢から道志、御坂、高尾から遠く、南の塩見/農鳥あたりまで見えると記されていたが、この日はスモッグと雲とで高尾がウッスラと見えるだけだった。

  地形と、鉄塔の立ち具合から展望広場の後の高みが川崎市最高点であることは確実なのだが、どうしたらそっちに行けるかちょっと思案。
  遊歩道は山の北斜面の中腹を捲いて通り過ぎ、瓜生黒川往還が乗越している鞍部に向かっているようだ。
あたりを見回し、頂上に向う方向の笹薮に切れ間を見つけたのでそこに入ったら、畑地に出たのでビックリ。
何とか畑を横断しようと進んでみたが柵に阻まれてやむなく後退。
展望広場に戻り、さらに50m ほど西に戻った所で笹薮の隙間に入ってみたら、うまい具合に畑地の裏側の柵に沿う道に入れた(左)。

  畑地から離れると間もなく、鉄柵を見上げる所に着いた。
配水場の裏側の北西コーナにあたる場所だがこちら側も厳重にガードされていてとても入れない。
"最高地点" を踏む事はやはり不可能なことを再確認した結果に終わったが、せめてもと言う事で、柵に近寄り、隙間にデジカメのレンズを突っ込んで内部の写真を撮った。

  それが左の写真だ。
画面左手が頂上を占領している配水場の水槽で、右奥が前回黒川から登ってきたときに突き当たった門だ。

前回来てから僅か2週間あまりしか経っていないのだが、その間に柵の周りの笹薮が奇麗に刈り払われていた。
お蔭で柵沿いに楽に歩け、水槽の大きさや外観を良く確かめる事ができた。

  前回見落として気になっていた事が確認でき、気分がスッキリした。

  前回通った藪斜面を直下降して瓜生黒川往還が乗越している鞍部に下り、黒川駅に向った。
この往還は、途中に "海道(=街道)" という地名が残っているほどで、交易路/生活道として重要だったらしい。
雑木の間に続く緩傾斜で幅広の歩きやすい道が残っている(左)。

  途中の道の左側では宅地造成工事が行なわれていたりしたが、残された山林には "黒川海道緑地保全地区" と記した川崎市の標柱が立てられ、これ以上の破壊を防いでいるようだった。


  鶴川街道が見える台地上の新興住宅街の横を過ぎると間もなく汁守神社の境内に入った。
こじんまりした社だが "平成御大典記念植樹" と記した看板のある樹木や、"天皇陛下在位六十年記念" と刻んだ石碑などが目につき、大切に維持されている様子が窺われた(14:30)。

  僅かながら賽銭を上げて鈴を鳴らし、曲がりなりにも、楽しく歩かせてもらえたことを感謝した。


  楽しみにしていた鶴川街道 "かごや" のキツネ蕎麦だったが生憎材料を切らせてしまったと言うことで、代わりに "タヌキ" でどうですか、と言われた。
何となくいいですよ、と返事をしたのは失敗だった。
揚げ玉の油で消化器官に負担が掛かり、黒川駅(15:00/10)で電車を待っている間にダンピング症が現われ、気分が悪くなった。
せめて "鴨セイロ" あたりにすれば良かったのに、と後悔したがあとの祭りだった。


☆おわりに
    2回のハーフデーウオークで川崎市の最高点(丸山城/黒川配水場、標高148m)を確認し、その周辺の尾根を繋ぐ多摩よこやまの道の全区間をトレースした。
山行と言うほどのものではなかったが寒中にアウトドアモードを維持するのに役立ったし、随所に広大な山岳展望が得られる地点があることを知るという収穫があった。

  この遊歩道ルートは、西端の唐木田口から南野あたりまでは、稜線部を占領しているゴルフ場を迂回するために、無理やり通したような感じがあって、歩き心地良好とは言えないが、一本杉公園の大スダジイのあたりから東は一転して周りの雰囲気が良くなり、楽しく歩ける。

  全ルートを歩く冗長を避けて美味しい所だけを楽しみ、あわせて川崎市最高点とそこにある水道施設を見学すると言うのであれば、多摩センター駅から一本杉公園バス停までバス(毎時約3便)で行って、大スダジイ付近から東端の多摩東公園まで歩くと良いだろう。
歩き終えたあとは、鶴川街道の蕎麦や永山駅付近のショッピングセンターに拘らない限り、南へ1Km あまり歩けば、京王相模原線の若葉台駅に出られる。