大菩薩-大マテイ山-鶴寝山-奈良倉山 (2005.4.22-23)


☆期日/山行形式:
2005.4.22-23

☆地形図(2万5千分1): 大菩薩峠(甲府2号-4)、丹波(甲府2号-1)、
                                       七保(甲府2号-2)、猪丸(東京14号-4)
☆まえがき
    早春の山登りは季節の旅だ。
山里では春の盛りに向かって浅緑の木の芽が出揃い、色とりどりの花が競いあっているが、山に入り、頂目指して登って行くと、徐々にまわりの木の芽が小さくなって行き、稜線近くでは冬とほとんど変わらない裸の枝ばかりになる。
頂稜上にはまだ厳冬の名残があって、栂の林の陰になっている山道の大半は、ザラメになった雪が覆っている
頂からまわりの山々を眺めれば、沢溝がみな雪渓になっていて谷筋がクッキリ見えている。

  頂上での休息を終えて
山を下ってくると、今度は徐々に裸の枝から芽萌き、新緑へと季節が進んで行くが、道端に目をやると木の葉に遮られずに射し込んでいる日の光で明るい林床のあちこちで山野草の群落が花盛りになっている。
谷底近くまで降りてきてあたりを見回すと、山肌一面が樹種ごとに微妙に異なる色合いの浅緑に覆われ、"自然" という名の神の手になった、としか言いようもない精妙なパッチ模様になっている。
所々に散在している、山桜の白や山ツツジの紅紫がさらに彩を添えている

狭い谷底から小広い河内に出てくると山畑の縁や道端の人家のまわりに桃、桜、ツツジ、木蓮など、さまざまな花木が花を着け、春色溢れんばかりになっている。

  今回の山行の主な目的は、大菩薩牛ノ寝通りの末端部にあたる、大ダワから大マテイ山、鶴寝山を経て松姫峠までの未踏部をトレースすることだった。
  ふた昔近くも前、大菩薩峠の介山荘に泊まった翌日、松姫峠目指して牛ノ寝通りを下ってきたのだが、大ダワ一帯を覆っている背丈より高い笹薮の中で弱気になって縦走を中断、小菅に下山してしまったためにできた宿題だった。
ここをトレースすれば、奥秩父連峰北端の小川山から延々奥秩父の主脈を経て、柳沢峠から大菩薩に至り、さらに奈良倉山、麻生山、権現山を経て百蔵山、扇山まで繋がっている長大な頂稜上の足跡が繋がり、未踏部がなくなる。

大菩薩、雷岩付近の展望。 大菩薩主稜、砥山尾根と上日川湖、その先に富士山が!
(写真をクリックすると拡大します)

  最近開設された小菅の湯への客を引くためか、村営バスが運行されるようになり、土日には午後4時半頃に鶴峠を通る便が設けられた。
早朝発での日帰りも可能なように思われたのだが、いい年をして気忙しい山歩きはしたくない。
前の日に小菅に入って泊まれば十分な時間的余裕が得られるから、大ダワから松姫峠だけでなく、さらにその先の奈良倉山まで足を伸ばせば、富士山や小金沢の展望を楽しんだあと、鶴峠まわりか、直降ルートで長作に下山し、飯尾から上野原行きバスに乗って帰れることになる。

  泊まり場の小菅も、ただ行ったのでは面白くないから、塩山を回って大菩薩を越して行くことにした。
十数年もの長い間ご無沙汰している山だから、ちょっとばかり様子見をするのも悪くない。
もし好天に恵まれればこの山の売り物の山岳展望を楽しめる。

  塩山から山越えして奥多摩の小菅に入り、また山を越して上野原に出てくるという、ささやかながらスッキリした山旅プランができた。


  実際に歩いてみたら、最後の奈良倉山東尾根以外はすべて、ハイキングコースとして整備が行き届き、とても歩きやすくなっていた。
幾らかの藪漕ぎもあるだろうと予想していた大マテイ山から鶴寝山、松姫峠の間も、綺麗な自然林の中の稜線漫歩ルートだった。
鶴寝山の頂上では、楢ノ木尾根越しの秀麗な富士山展望が得られ、隣の奈良倉山を上回る富士展望峰であることを知った。

  久し振りに二日にわたって正味6時間半を上回る行動をしたが、天気が安定していたため、随時休みながらゆっくり歩けたお陰で、頚痙や筋肉痛にも悩まされず、余裕を持って楽しく計画を完遂した。
しかし、何もかもがうまく行くということあまりないもので、一度登った経験で下降路としても問題なく利用できるだろうと思い込んでいた奈良倉山東尾根の最後の部分でルートミスをやらかした。
視界の利かない杉林の中でふたつに分かれる尾根を踏み違えたのが原因で、何とか誤魔化して長作に這い出しはしたが、藪ルートの登りと下りの難度の違いの大きさを、改めて思い知らされる事となった。


☆行動記録とルートの状況

月22日
<タイムレコード>
    宮崎台[6:57]=長津田=八王子[8:03]=(アズサ#3)=[8:53]塩山[8:55]=(タクシー\4820)=上日川峠(9:35/45)-福ちゃん荘(10:10/15)-雷岩(11:20)-大菩薩嶺(11:30/40)-賽ノ河原(12:05/10)-介山荘(12:20/40)-フルコンバ(13:10/15)-ノーメダワ分岐(13:45/50)-日向沢/赤沢分岐(14:20/35)-小菅登山口(15:00)-東京都水道局の車(15:20)=橋立(15:30)-(16:00)小菅池の尻{かどや旅館\8400}

◆  一昨年の6月、日川尾根ルートのトレースで来た時の上日川峠は濃霧の中だったが今度はからりと晴れ上がっていた(左)。
通り過ぎて言った低気圧のあとへ大陸の寒気が張り出してきて風が冷たい。
4月も下旬になっているのにどうかと思いながら厚手の毛のシャツを着て、手袋まで用意してきたのだが、大正解だった。

  公衆トイレで身体を軽くしたあと、山道に入る。
福チャン荘までは林道が並行していてそれと近づいたり離れたりしながら進む。


   小屋の前のベンチでひと息入れたあと、唐松尾根ルートに入った。
唐松林の下の笹の中を行く、穏やかな登路だ。

  ひと登りして小ピークに上がると林の上に大菩薩の稜線が見えてきた(左)。
緩く下ってふたつ目の小ピークを乗越して行った先から稜線下の斜面に取り付き、やや急な登りが始まる。

  林が切れ、まわりが笹原に変わって視界が開けてくると稜線は近い。
後ろを振り返ると、今登っている唐松尾根と日川尾根がひと繋がりの長い稜線になっていることが良く分かる(左)。
その尾根の先の方で、右手に分岐して延びているのは、源次郎岳から恩若ノ峰への尾根に違いない。

  傾斜が緩んでくるとまもなく稜線の縦走路に突き当たった。
場所は、雷岩の北脇だった。


  そのまま左折して大菩薩嶺に向かう。
黒檜の間の道はあらかた残雪に覆われている。
2000m ほどの高さのあるこの頂稜には、まだ冬が居座っている。

久し振りに来た大菩薩嶺の頂上は、以前はなかった "山梨百名山" の標柱が加わっているだけで、昔と同じ雰囲気だった。

  樹木に遮られて展望はないが、冷たい風が来ないのがありがたいのでザックを下ろして小休止した。

  小菅への下降点がある介山荘に向かう。
雷岩では7、8人が休んでいたが吹き曝しのため皆寒そうにしていた。

  雷岩から介山荘までの頂稜は笹原になっているためめっぽう展望が良い。

以前は荒廃していた賽ノ河原の避難小屋は建て直され、小さいながらしっかりしたログハウス風になっていた。
皇太子が来られた時に行われたルート整備が遺したのだろう。
  昔はなかった上日川ダム湖が小金沢側の主脈と日川尾根の間に挟まって風景のアクセントになり、その先の方に富士山が立っている。
ページ冒頭合成パノラマ写真のようになかなか悪くない美景だ。

  介山荘は以前と同じだった。
管理人が代替わりしたような話もチラッと聞いたような気していたが、暫くして出てきたのは見覚えのある親父さんだった。
挨拶をしたあと、"長峰" の様子を聞いてみた。
入口は笹が切り開かれて分かりやすくなっているがその先は藪が大変で、ハイキング気分ではとても歩けないよ、いう返事だった。

  フルコンバへの入口では、奥多摩(左)や牛ノ寝通り方面(下左)への展望が得られた。

  奥多摩主脈の手前に丹波と小菅を区切る尾根が延び、その手前の谷間に小菅の人家が見えている。

  右手には牛ノ寝通りが穏やかな起伏を描いている。
奈良倉山は、もともと地味なピークだが、ここから見ると一層目立たない存在で、稜線上のささやかな盛り上がりに過ぎない。

  その背後には貫禄のある形をした三頭山、さらにその先に御前山(と御岳山か?)が見えている。

  小菅への下降路の初めの部分は、所々に吹き溜まりの残雪があった。
歩き難いというほどではなかったが、雪が溜まっているところは決まって道の上下が裸の急斜面になっているので注意を要した。

  雪上に残されていたトレースがら、通った人数は精々5、6人までと思われた。
荷渡し場跡の小広場を過ぎ、さらにひと下りでフルコンバに着いた(左)。
一帯の樹木が伐り払われ、視界が開けているが、昔通った時は林の中だった。

  尾根の南斜面に入って小菅川谷への下降を始める。
高度が下がるにつれて周りの樹木の芽萌きが進んでゆく。
谷向かいの牛の寝通りの山腹を覆っている浅緑のパッチ模様の微妙な色違が美しい。

   所々に山ツツジの赤紫と山桜の白が散在している。

  ノーメダワへの分岐を示す道標から檜林に入り、さらにひと下りしたところに "赤沢" と "日向沢" とふたつのルートの分岐を示す道標があった。

  ツツジが綺麗だったのでザックを下ろし、花見をしながらどちらに行くか考える。

  ここまで降りてきた道の整備状況から、どちらを行っても大丈夫だろうとは思ったが、ガイドマップや地形図から日向沢の方がメインらしいと思われたのでそちらを下ることにした。
左手の斜面に入って下ってゆくとすぐに谷底の車道が見えてきた。
2回ほどジグザグをして沢に架かる橋を渡るとすぐに車道に出た。

   出口には "大菩薩登山口" と記した角柱が立っている。

  車道を歩いてゆくと所々に東京都の水源林だということを記したサインが出ていて、久し振りに奥多摩に来ていることを実感した。
この車道も "都道" の一種であるらしい。

  次第に開けてきた谷の奥に見えてきた大菩薩の稜線を眺めたり、周りの斜面の新緑を愛でたりしながら歩いていたら後ろから来た小型車が脇で止まった。

  助手席の男が窓から顔を出し、"大菩薩の道はどうでした" と聞く。
"上の方には幾らか雪があってあまり踏まれていないみたいですけど別に問題なかったですよ" と答えた。
良かったら乗りませんかと誘われ、一人歩きで幾らか退屈していたところだったので人家の近くまで乗せてもらうことにした。

  車の中で話の続きをした。
運転の若者と二人、東京都水道局の職員で最近小菅地区の担当になって赴任したばかりだという。

  杉林の間に畑が見えてきたあたりで車から降ろしてもらった。

  歩いてゆく道沿いの畑の縁や民家の前庭には、さまざまな花木や草花が花を咲かせている。
他所の国の山村をあまり見ていないから自信のない比較だが、春の日本の山村は世界で一番美しいと思った。

  のんびり歩いていたため予定より遅れ気味だったが車のお陰で "カンニング" ができ、ほぼ予告通りの時間に小菅の宿に着けた。


  思っていたより遥かに大きな建物の旅館だった。
やたら愛想の良いオバァサンが出てきて案内してくれたのは、2階の大きな部屋の三間続きで、目をパチクリするほどの豪勢な待遇だ。

  床の間のある部屋でお茶を飲みながら一休みしたあと風呂で汗を流す。
風呂から出たあと日暮れまでにはまだ間があるので、大ダワへの登り口を確かめに行ってみた。

  あらかじめ地形図で見当を付けていた通りで、大丹波峠への車道の分岐の向かい側の車道に入り、"渡茶ァ橋" で小菅川を渡って、対岸の養魚場の裏まで行くと山に上がる道があってその入口に "大菩薩方面、モロクボ平" と記した道標が立っていた。

  夕食はあまりにも沢山のものが出てとても食べきれない。
手を付けるものとそうでないものを区別して、食べられるだけの分を食べきるようににした。
大きな三間続きの部屋を使わせてもらって二食付きで8400円だから安い泊りではあったが、多過ぎる食べ物だけは迷惑だった。



月22日
<タイムレコード>

小菅池の尻(7:00)-登山口(7:10)-ワサビ田上端(7:40/45)-檜林(8:00)自然林-モロクボ平(8:25/35)-道標(8:49)-大ダワ(棚倉9:40/55)-大マテイ山(10:10/15)-巻道分岐(10:45/55)-鶴寝山(11:05/10)-松姫峠(11:30/35)-奈良倉山(12:25/13:07)-十文字峠(13:25)-(尾根末端部でルートミス)-寺子屋自然塾(14:25)-飯尾(15:15)-一宮神社/花の里蕎麦(15:40/16:10)-一宮神社前[16:24]=(バス\900)=[17:15]上野原[17:25]=八王子=長津田=[19:03]宮崎台


◆ 前夜の早寝のお陰で朝早く目が覚めた。
窓を開けてみるとまるで晩秋のように真っ青な空が広がっている。
昨日吹いていた冷涼な風のあと甲武の国境一帯は完全に寒気圏に入ったようだ。

  目覚ましのコーヒでミニパンと燻製卵を食べて朝食にした。
早出をするからという理由で宿の朝食は握飯のパックにしてもらったが、それは山の上で空腹になったら食べることにして、ザックに収めた

  正味行動時間に休憩時間を合わせると8時間ほど掛かるだろうと予測し、飯尾を16時20分に出るバスに乗るのに、十分な余裕を見込んで7時に宿を出た。
昨日確認した登山口まで、宿から10分ほど掛かった。
山に入ると左下にワサビ田をみてすぐに杉林の中を右手に斜上する。
奥多摩一帯は谷底から尾根の上に出るまでが急なため、歩き出しでしごかれるのだが、ここは大きなジグザグを描いて程よい傾斜で登るようにしたあるため歩きやすい。
30分ほどでワサビ田の上端に着いた。
岩の間から湧き出した清水がワサビ田に流れ込んでいるのを見ながら小休止。

  清水の上を通って沢窪の向い側の斜面に移り、檜林と自然林の境を斜上する。
渓谷崖から抜け出して尾根の上に上がった所で右に回って行くとゆったりした自然林の中の道になる(左)。

緩やかな登りを続け、清水から30分ほどの平らな道の縁にザックを下ろして小休止。
気温はむしろ低目なのだが、風がないため昨日よりかなり暖かいように感じる。
少し汗ばんでいたのでシャツを一枚脱いで、網シャツと厚手のウールと2枚にした。

  休憩地点から僅か4分ほどの所で小菅の湯・田元の方から登ってきた道が合流し、道標が立っていた。

  モロクボ平まで上がってしまえばその先は稜線の大ダワまで、大登りはなく、いたって楽な登りになる。


  昨日歩いた大菩薩でも同じだったが、整備された登山道の歩きやすさを実感した。

  高度が上がってくると林を通して視界が利くようになる。
右手に大菩薩から丸川峠あたりの稜線が穏やかなカーブを描いている。

  林床の所々で山野草の群落が花盛りになっていた。
気温は上がってきたがまだ樹木の葉が日を遮るようにはなってはいない僅かな期間に種族保存のライフサイクルをやり遂げようと咲いている花には痛々しい美しさがある。

  右手の牛の寝の稜線が近づいてくると道は大マテイ山の肩を巻くようになる。
今日の山歩きに必要な高度差の消化が、意外なほど楽にできてしまったことに嬉しくなって進んで行くと、小さな小屋掛けが見えてきた。
  小屋掛けのすぐ先が牛の寝の縦走路との合流点で、"松姫峠--石丸峠" と記した道標が立っていた。
  道標の柱には "棚倉"と記されていた。
地元ではそのように呼ばれているのかと思った。
前回(と言ってもふた昔近くも前のことだが)、来たときは、背丈ほどの笹の隙間を狭い道が通っている "藪峠" だった。
今は切り開かれ、広々した草原になっていて、林の梢越しに、雲取から飛竜への頂稜が綺麗な曲線を描いている。

  松姫峠方面への道も幅広く、藪の氣配などまったくないのでなんとなく楽勝気分になった。



  大マテイ山へは左肩へ巻き上げる感じで登ってゆく。
暫く登り続けてソロソロかと思った所の右脇の木に赤布が付けてあった。
割りに新しいもので "哲彦" とマジックで書いてある。

  道から逸れ、藪の中を50m ほど進んだ所に赤ペイント塗りの三角点標石と "大マテイ山(山沢入)" と記した真新しい山名標とがあり、その周りが直径20m 程切り開かれていた。
一応頂上広場らしくはなっているがまだ整備途上のように思った。

  大ダワで十分休んでからいくらも経っていないのでザァッとまわりを見回してまた藪の中に入り、縦走路に戻った。

  大マテイ山の肩を巻き終えると頂稜沿いの道になる。
自然林の中の笹の下生えの間を行く道は美しく、至って歩きやすい。
まさに稜線漫歩だ。
オーバーユースの気配がなく、厚く積もった落ち葉に覆われている道はクッションが効いて気持ちが良い。

  広々した鞍部に鶴寝山を巻いて行く道と頂上を越してゆく道の分岐を示す道標が立っていた。
巻き道に入りかかったがすぐに思い直して頂上への道に戻った。

  結果的にこれは正解で、大して骨を折らずに上がった鶴寝山の頂上では秀逸な富士展望に接することができた。

下の写真がそれで、楢ノ木尾根の最低鞍部の先に富士山が来る形となるので、"藪山屋" にとっては最高の富士ビューである。

  思いがけない展望に見とれていた所へ、松姫峠の方から10人ほどの熟年パーティが上がってきた。
いささかの藪漕ぎを覚悟してきたのに、稜線漫歩から思いがけない展望峰に巡り合ったばかりでなく、大パーティに出遭うという、"想定外" の事態に出遭ったのでびっくりした。
グループは、時々書店で見掛ける "山の本" という雑誌関係のグループだということで、年かさの一人から綺麗な絵葉書を貰った。

  ひと息入れた所でまたザックを担ぎ上げ、松姫峠へ向かった。
穏やかな下りを進んで行くとすぐに車のエンジン音が聞こえてきて、やがて峠の駐車場が見えてきた。
峠の駐車場の柵からは、楢ノ木尾根の末端部の先の方に御坂、道志から丹沢に掛けての連なりが遠望できた(下)。


  峠の車道を横切って奈良倉山への山道に入ろうとしていたところへ多摩ナンバーの車が上がってきた。停まった車の中から外人カップルが出てきたので声を掛けてみたら、なんとプエルトリコから来たのだという。
新緑と富士山の景色目当てでドライブに来たらしい。

  松姫峠から奈良倉山へのルートは一年前に通って、よく整備されていることが分かっているので気楽に歩いた。
頂上に上がる最後の部分は西肩を巻いて行って北側から登り上げるルートを使った。
鶴峠から登ってくる北西尾根の道が合わさる所までは未踏だったのでこの機会に通っておきたかったし、途中で小菅方面への展望もあるのではないかとも期待した。

  巻き道は森が綺麗だったが展望はあまりなかった。
鶴峠からの道を合わせたあとは覚えがあって、去年の4月初めに大雪が降った翌日、苦労して通り抜けた栂の木の隙間もそれと分かった。

  北肩まで回って行った所に立つ道標で直角に右折して頂上に向かう。
一見緩そうだが歩いてみると結構傾斜がきつくて辛い。
今日最後の登りなのだからと自分に言い聞かせ、暫く耐えているとようやく平になってきて足腰が楽になり、やがて頂上広場の一角に出た。

  今度で四度目の頂上だが特に変わったところはなく、相変わらずパッとしない。
20m ほど先の富士展望地では熟年男がひとりいてお昼を食べていた。
鶴寝山で綺麗な富士を見てきたし、雲が増えて眺めが悪くなっているようなのでそちらに行くのは止め、山名標近くの木の根方にザックを下ろした。


  1時半頃までここに居てもバスに間に合うと計算をし、飲み食いをしたあと引き続きノンビリ休んでいるうちに熟年男が下山していったがそれと入れ代わるように中年夫婦が上がってきた。
何もしないでいると手持ち無沙汰でだんだん退屈してくる。
ちょっと富士展望地まで行って、石丸峠から深城に降りる長峰の尾根の様子を観察したあと下山に掛かった。
  登ってくる時右折した十字路を直進して長作へ直降する尾根に乗り、朽ちかけた大きな倒木とその脇に立つ木に掛かっている "十文字峠" の標識を確認して下降を続けた。

  踏跡が薄い。
一昨年の秋、ここを登ってきたときは別に迷うようなこともなかったが、尾根の下部の杉林に入って暫く経った所で、ルート不明になった。
藪ルートの下りはルートファインディングが結構難しい。
あとで分かったことだが、下部でふたつに分かれている尾根の南側を下るべきところを北側に乗ってしまったためだった。  
  林の隙間から下の道路が見えているので、まぁ何とかなるだろうと騙し騙し急な斜面を降りていったら左のような廃屋の下でかなりな急斜面の上に出てしまった。
少しでも下りやすいところはないかと右往左往してたら右手の谷溝がワサビ田になっているのが見えた。
ワサビ田なら人が登降しているに違いないと思い、急な斜面を強引に下りる。
沢溝は狭くて崩れやすく、歩き難かったが少し下がったところから踏跡が始まり、徐々に明瞭になっていった。
左から本谷らしい沢が合流するとまもなく "寺子屋自然塾" への道標が立っていて、すぐに観音堂の境内に出た。

  観音堂下の自然塾の出口で谷の下手を眺めると坪山が正面に良い形で立っていた。

  以前長作の守重青菓店で買ったワサビ漬が美味しかった。
今度も土産にしようと思って店に立ち寄り、尋ねたら今はないという。
同じ4月だから時期外れだということはなさそうだ。
ワサビは収穫のある年とない年があるのかもしれない。

  尾根の下部でトラブリはしたが、たいした時間ロスにはならかったため、飯尾発16時20分のバスまでには有り余るほどの時間がある。
二日続きで結構な距離を歩いて来て足腰に疲れが溜まっても居るので意識的にペースを落として歩き続けた。

  小菅と同様、道路沿いの家の庭にさまざまな花が咲いてとても綺麗だ。
前方の坪山の山肌の芽萌きの色も見飽きない。

  尾根の端を大きく回りこんでゆくと飯尾の集落が見えてきた(下)。
芽萌きと花の山腹に人家が散在している様がとても良い感じだ。
いつか、 "景色は金にならない" という話を聞かされたことがあるが、こんな素晴らしい景色は、いかほどの金より価値があると思った。
どこの山里も若い者が出て行って過疎化が進んでいるのだが、ささやかな金を得るのと引き換えにこんな美しい眺めを捨ててしまうのは、とても引き合わない取引のように思える。

  飯尾のバス終点に着いたのは15時20分で、バスが出るまで1時間もあった。
下の方に行くと蕎麦などが食べられそうな看板を見たので、そのまま歩き続けた。
坪山の入口を過ぎ、原の集落に入る道の角に "花の里" という看板を立てた蕎麦屋があった。
山から下ってきた時の食べ物として蕎麦が一番胃袋との馴染みが良い。
迷わずに店に入った。

店の中では熟年ハイカーが蕎麦を食べていた。
何となく見覚えがあるように思ったので声を掛けて見たら、奈良倉山の頂上で見た男だった。
どうやら同じ尾根を下り、下部では似たような迷い方をして苦労したらしい。

ざる蕎麦は、地物の蕎麦粉を使っているせいか、とても美味しかった。
少し下手にある "ビリュウ荘" の蕎麦よりこちらのほうが美味しいかも知れない。
ゆっくり蕎麦を食べ、十分な食休みをしたあと店を出てすぐ近くの "一宮神社(イチミヤジンジャ)前" バス停でバスを待つ。
鳥居の脇の石碑に刻んだ文字で、この神社は出羽三山の系統だということが分かった。
少し時間があったので社に行き、賽銭を上げてこの山行への感謝と今後の安全を祈った。

  定刻からあまり遅れずに来たバスは空車だったが僅か先にあるビリュウ荘入口で5人ほどのハイカーが乗った。
いずれも坪山に来た人達だったようだ。

上野原からの電車は好天の土曜日で出てきたハイカーが大勢乗って混んでいたがそうかといって立ちん棒になるほどでもなかった。
空いていた座に座り、残り物を飲み食いしたりしながらのんびり帰った。


☆おわりに
  年が明けて以来初めての泊まり山行だった。
日帰りと違って時間的な余裕があるし、山に居る時間が長くなるのが良い。
良く整備されたハイキングコースの歩きやすさを実感した反面、藪尾根下りでは慎重なルートファインディングが必要なことを知らされた。

これで、奥秩父の小川山から金峰、国師、甲武信、雁峠、柳沢峠を経て大菩薩に至り、さらに石丸峠から奈良倉山、権現山を経て百蔵山、扇山に至る長大な稜線を切れ目なしにトレースしたことになる。
年を代え、季節を代え、長い間楽しませてくれたこれらの山々に感謝!