大平宿-南木曽岳-恵那山-神坂峠 (2001.5.23-28)


☆期日/山行形式:
2001.5.23-28 山小屋/民宿/ホテル泊単独(恵那山のみ旧友同伴)

☆地形図(2万5千分1): 飯田(飯田3号−4)、兀岳(飯田7号−2)、妻篭(飯田7号−4)、
                        南木曽岳(飯田7号−1)、三留野(飯田7号−3)、中津川(飯田8号−3)、
                        伊那駒場(飯田8号−1)
☆まえがき
    中ア南端の名峰、恵那山は昨年の十月に黒井沢ルートから登頂しようとしたが、直前に降った大雨でルートが至る所で崩壊しているのを知らずに出掛けてあえなく敗退した。
 その悔しさを忘れないうちにリベンジしようと、ポピュラーな神坂峠ルートでの登頂を計画していたが、たまたま、かつての "綱友達"、 S君と電話で話す機会があり、ウン十年振りに一緒に登ろうと言う相談がまとまった。








    妻篭から望む南木曽岳












      神坂峠萬岳荘から望む恵那山




 中京地区自動車メーカの関係会社に単身で勤務しているので便利が良い。 神坂峠にある山小屋、萬岳荘で落ち合って一晩泊まりその翌日に登頂する事にしたが、こちらとしてはせっかく神奈川から遠路はるばる出掛けて恵那山ひとつでは効率が良くない。
 40年振りに会社勤めの時間的束縛から解放されたのだから、時間をふんだんに使ってこの辺り一帯の山と峠を探ってみようと考え、飯田−大平宿−摺古木山/兀岳−妻篭−南木曽岳−中津川−神坂峠−恵那山−園原−飯田という5泊6日のデラックス周回山旅計画を組み立てた。
 泊り場としては安上がりで面白そうな所を選び、古い民家の大平宿、昔の宿場の家並を保存している妻篭の民宿、物資補給に便利な中津川駅前通りのビジネスホテル、それに新装改築成ったばかりの神坂峠萬岳荘(2泊)と設定した。


☆行動記録とルートの状況

月23日
<タイムレコード>

新宿バスセンター7:20=高速バス=11:40飯田バスセンター(アルススポーツ)-飯田駅12:30=タクシー
    (\3370)=12:50市ノ瀬橋55-13:35勝負平40-14:45飯田峠-15:15大平宿{民家 \2300}


・ウイークデイ早朝の高速バスは車内も道路も空いていて快適そのものだ。 ただ天気の方は芳しくなくて、楽しみにしていた中央道沿いの山岳展望は雲の蔭。 旅程上、大平宿民家の鍵を利用した翌日に返せないのをどうするかが問題だったが飯田市アルス スポーツのお神さんの手配で、宿の建物の保守管理を担当している人に開けておいて貰うこととなった。

・飯田駅前から乗ったタクシーのドライバーは大平で生まれ育った人で、昭和45年の集団離村の前の大平の状況を聞く事ができた。 飯田から大平宿を通って三留野に行く道は伊那と木曽とをつなぐ最短ルートで、昔の無舗装道路の時代には飯田と三留野との間を通う定期バスが通っていた。 大平にあった小学校分校は生徒が全部で9人で、下級生と上級生とふたクラスに分かれて勉強していたが、運動会の日には市のジープが本校へ運んで呉れていたと言う。 集団離村のきっかけのひとつに、集落唯一の商店が火事で焼けてしまい日用品の入手が不便になった事があった。 市の方から金銭的な補助を条件として移住を薦められたのだが、各家族の移住先は各地にバラバラに分散する結果となった事など、観光パンフレットには記されていない事情を幾つか聞かせてくれた。

・かつて武田の関所が置かれていたと言う市ノ瀬橋で車から降りて歩き出す。 梅雨のはしりの霧ション状態だったが峠道を登って行くに連れて徐々に本降りになってきた。 雨の中の車道歩きは、傘を差していることで姿勢を制約される上に良い休み場が得にくいため長時間歩き続けてしまう事が多く疲れを溜め込み易い。












  旧大平宿、三河屋





・泊り場としてあてがわれた "三河屋" は集落の一番手前の家だった。 あと10年は保つまいとと思われる位、荒廃が進んでいたばかりでなく、利用者のマナーが悪くて誰も掃除をしないため、座敷に埃とゴミが積もっていた。 備え付けの箒で家中を掃除し、洗濯ロープに奇麗に洗ったハンガーやフックを仕掛けて物干しを整備したりして居住性を改善した。

・夕食は飯田駅で買って来たミニ弁当で済ます。 山行初日によくある事だが突然早起きをして身体のリズムが崩れ、ウイークポイントの胃腸の調子が狂う。 今回も食欲がなく無理をして少し食べたらすぐに胃がむかついて気分が悪くなって来た。 手持ちの薬を色々飲んで見たがもうひとつパッとしない。

月24日
<タイムレコード>

    大平宿8:20-9:10大平キャンプ場東屋15-9:40大平峠-10:10木曽見茶屋30-11:35幸助11:50-12:00赤坂宅13:10=バス=13:43南木曽駅14:45=バス=14:52妻篭{\8500}

・夜中から大雨となり、雨の音で目が覚めた。 条件が良ければ摺古木山、最低でも兀岳に登りたい所だったが、この状態では山登りは止めた方が良いと考え、大平峠から幸助に直行してそのまま妻篭に行く事にする。 峠の手前にある大平キャンプ場は奇麗に整備されていて、降り続く雨の中で東屋の屋根の下に入ってゆっくり休憩できたのは実にありがたかった。 峠のトンネルを抜けた先に兀岳へのルートの道標があった。 峠からひと下りした所に木曽見茶屋がある。 ミルクの様に濃い霧が立ち込めている所に斎藤茂吉の大きな歌碑が立っていた。 戸締めになっている茶屋の軒下に入って暫く休憩する。 長い休みを終えてザックを背負おうとしていた所へ茶屋の主人の車が上がって来たが挨拶しただけで歩き出す。










  大平峠のトンネル












                                        兀岳登山口





・大きくジグザグを繰り返して幸助に下り着く。 バス停ポストの時刻表を見たら次の南木曽行きまで1時間半以上も待たなければならないことが分かった。 どうやらバスの時間を勘違いしていたらい。 幸助は良い感じの山間集落なのだが普通の民家のほかは何も無さそうなので谷の下手に向かって歩き出す。 小一時間も歩けば尾越まで行け、蕎麦屋の一軒くらいはありそうだ。 集落を出外れようとする所でエプロンを着た初老の女性が歩いて来た。 挨拶を交わしたついでに、「この先にどこか蕎麦なんかを食べられる所がありますか?」と聞いたら、「それなら家に寄って行きなさいよ」と、道端の家の玄関に招かれた。 見も知らぬ人の家にいきなり上がり込むのは憚られたが「どうぞどうぞ」と強く勧められて居るうちに、断るのはかえって失礼なような気がして来た。 玄関で靴を脱いで座敷に上がると七十歳ほどのご主人がいた。 挨拶の後、世間話をする。 二人は東京足立区に住んでいるのだがここが奥さんの実家で、ゴールデンウイークに来てからズゥーッと滞在しているのだそうだ。 親御さん達が亡くなり、無住になって傷んで来た家の壁や畳を直しながら長逗留をしていたのだがようやく一段落したので明後日東京へ帰る事になった。 ちょうど後片付けを始めようとしていた所なので、沢山作ってある山菜料理などを片付けるのをいくらかでも手伝って貰えればありがたいので誘ったのだと言う。 胃袋が半分サイズのため、あまりお役に立てないのを謝って奥さんの手料理をご馳走になる。 何種類かの山菜料理は特別に美味しかった。

・旧中山道筋の木曽側最奥の集落にあたるこの辺りでは、庭先に雉が巣を作ったり、家の前の車道に猿の群れが出て来たりすると言う事で、奥さんの方はここで老後を過ごしたいと思っている様子だが都会人のご主人の方は山の中ではする事がなくて時間を持て余し、東京に住み続けたいと考えている様だ。 山歩きの趣味を持っているのを羨ましがった一方で、もし熊に遭ったらどうするのかとか、道に迷う様な事はないのかなど、良く聞かれる質問をされる。 山住まいに興味があるならこの辺りは空き家だらけだから廉く買えますよと、奥さんが言う。 高度成長時代に子供達が都会に出て行って過疎化が進んだあと、残された親達が次第に年老い、ひとりまたひとりと亡くなって、山村集落の空洞化が進んでいる現状を実感した。 山の事、老後の生活の事など、色々な話をしているうちにバスの時間が近付いた。 雨のお蔭で山登りは出来なかったが、その代わりに思いがけない楽しい出遭いと食事に恵まれた。 ご夫婦のご厚意にお礼を言い、手製の顔写真入り名刺を渡して外に出る。 玄関先でバスを待つ間、見送りに出て来た二人と話の続きをする。 この家は奥さんの父親が手作りで建てたのだと言う事だ。 やや小振りだが、均整の取れた骨組みの上に緩傾斜の切妻屋根が乗っていて、簡素ながら均整感のある建物だ。

・時間が早いのでいったん南木曽駅まで行き、駅の近所の喫茶店に入ってコーヒーを飲む。 木曽川に望む窓の向うに見える風格あるデザインの桃介橋の上を川向こうの学校から帰る高校生達が歩いている。 暫く寛いだあと駅に戻り、馬篭行きのバスに乗って今夜泊まる民宿のある妻篭に向かう。 バスが走りだすとすぐ激しい夕立雨になった。 妻篭バス停に着いてもまだ降っているので小降りになるまで待合室で雨宿りをしてから宿に行く。 去年の十月に泊まった民宿大吉は、半年の間にオーナーが変り、建物もリフォームされていた。 内部も一新されて近代化され、居住性は良くなったが古い旅篭宿の雰囲気は失われた。
















    桃介橋


月25日
<タイムレコード>

    妻篭7:51=バス=8:01南木曽駅8:05-8:35上野原登山口-9:00第1の鉄塔05-9:10第二の鉄塔-10:15巨大樹の森入り口25-11:15ヒノキ大木の根元20-11:40笹の間の小平地11:45-12:05避難小屋前の女岩分岐点-12:15南木曽岳13:05-14:15巨大樹の森入り口14:30-15:00第2の鉄塔-15:30上野原登山口-15:57南木曽駅16:04=JR線=16:22中津川駅{中津川グリーンホテル BT付 \5600}


・去年の秋、妻篭宿の通りから眺めた南木曽岳の形の良さに惹かれた。 今回また妻篭に来たのはこの山に登るためだ。 この山は大平峠の方へ少し入った蘭(アララギ)部落から林道を利用して登降するのが最もアルバイトが少ないのだが、下山後に南木曽駅へ出るバスの本数が少ないので行動に時間的な制約が強い。 駅から歩いて30分ほどの上野原から登降する尾根道は、登り4時間下り3時間を見込む必要のあるロングルートなのだが尾根の上部からの展望や途中の巨大樹の森などで変化があるし、頂上往復に必要のない物を駅に預かってもらえ、下山したらそのまま南木曽駅から列車に乗って中津川に行ける便利もある。














   民宿大吉と南木曽岳


・南木曽駅にはコインロッカーがなく、昔風に駅の窓口で料金を払って事務室に置かせて貰うようになっている。 駅前通りから右手に曲がって線路を渡り、読書(ヨンタリ)小学校の石段下から等覚寺の山門前を通り過ぎ、山裾を歩いて行くと南木曽岳への入口を示す道標が道端に立っている。 畑と民家の間を通って檜林の中に入った所から尾根の登りが始まる。 緩急を繰り返す尾根道を登って行くと頂上につながる主尾根に乗ってルートが右に折れる。 この先は濶葉樹の大木が林立する原生林になっていて、その中には圧倒されるほどの巨樹が混じっている。
一時間ほど登り続けて巨木林から抜け出すと尾根が痩せて来て視界が広がった。
り、左手に雲を纏った中央アルプス連峰が望まれるようになった。 近くで緩やかに起伏している所が摺古木山や兀岳の辺りだと思われた。


中央アルプス南部の展望

・南木曽岳の頂上付近は地形が複雑で、どこに頂上があるのかよく分からない。 避難小屋の横手から笹の間の道に入る。 誰かが通ったばかりらしく新しい靴跡がある。 小さなコルから唐檜の間へ登って行くと大石に "南木曽山大神" と刻んである(下)。

 向かい側に "展望台" と記した道標があったので木の階段を登って大岩の上に出た。 足元を木曽谷が横切っている。 正面は御嶽山の様だが雲が多くて確認出来ない。 周りの樹木は新芽が出揃った所で新緑が奇麗だ。 独り占めの頂上で穏やかな日を浴びながら暫く寛いでいると、人の気配がして初老の男が登って来た。 大岩の上に並んで座り込み、山談義をする。 あと一年で定年と言う豊田の住人で、数年前に始めた山登りが面白くて夢中になっていると言う。 話をしていると時間の経つのが早い。 時計を見るともう1時を過ぎようとしている所だ。 慌てて立ち上がってあたりの景色をカメラに収め、男に別れの挨拶をして岩頭から下りる。


・登って来た尾根道は丁度よい加減の傾斜で、至って歩き易い。 巨大樹の森から支尾根の下りに入る曲がり角で一度休んだだけで登山口まで下ってしまった。 山の水があるのではないかと期待して寺の境内に入って見たが当てが外れた。 適当な水場がないままに駅前通りに出てしまったので道端の自販機からペット瓶のジュースを買った。
 四時前に駅に着いたのでトイレに入って顔や首筋の汗を洗い流す。 切符売場に行って見ると間もなく16:04の中津川行きが来る所だ。 敢えてロングルートを選んだお蔭で、計画よりひとつ早い列車に乗れ、早い時間に中津川に着いた。

・予約してあったホテルは中津川駅前通りに面し、大きなショッピングセンターに近い便利な場所だった。 部屋は狭い所にむりやりふたつのベッドを押し込んだため非常に窮屈だった。 仕方なく使わない方のベッドの上でパッキングをする。 出発直前に萬岳荘で使う食料品を宅急便で送ってあった。 中津川で調達した果物や魚肉類とで荷物が大分増え、大形ザックにも収まりにくくなったのでこのあと必要がない寝袋は宅急便で家に送り返す。

月26日
<タイムレコード>

        中津川駅8:55=バス=9:25馬篭10:00=タクシー(\3390)=10:25強清水10:35-11:25小休止11:30-11:45水又木-12:05神坂峠10-12:20萬岳荘(S君と合流)14:00-14:40富士見台高原15:00-15:30萬岳荘{自炊泊 \3000+300(ガス)}

・去年の秋に運行されていた朝の霧が丘行きバスの便は廃止されていた。 峠の下の馬篭まではフリークエントサービスがあるのでそこまではバスで行ってタクシーに乗り継ぎ、霧が丘かもう少し先まで行く事にした。 時間的にはゆっくりなのでホテルで朝食を食べたあとひと休みしてから駅前に行く。
8:55の馬篭行きバスは去年乗ったのとは違って大久手経由だ。 通った道の様子ではむしろこちらの方が昔の街道筋らしい。 九時半前に馬篭に着いたが観光街は朝が遅く、ようやくバス停まわりの店が開店準備を始めている所だった。 タクシー会社に電話を掛けたがこちらも二十分ほど待ってくれと言う。 四つ角に面したベンチ近くの自販機でコーヒーを買って飲んだあと筋向かいの農協の売店で非常食兼手土産として "ゲンコツ飴" を買う。

・タクシー ドライバーの勧めもあって幅広の車道が終わる強清水まで車で上がった。 途中の霧が丘は蓼科高原と似通った雰囲気のある感じの良い場所だった。 強清水は引き水の脇に東屋が建ち、"タクシー乗り場" と記したポストが立っている。 道標に従って旧道に入る。 所々車道を歩く所もあるが緩傾斜の谷の底をほぼ真っ直ぐに登って行く。 水叉木で喉を潤し、谷の詰めの急傾斜部を葛篭に登り上げると古代の遺跡がある旧峠だ。 峠の裏側を横切っている車道に降りて10分ほど歩くと谷の窪の向こう側に萬岳荘が見えて来る。














  古代遺跡のある神坂峠




・萬岳荘は昨春から昼神村と中津川市が協同で改築して4月末にオープンしたばかりだが、林道を歩いて行ったら想像を遥かに上まわる立派な建物が現れたのでビックリする。
宿泊手続きで入った管理人室には品の良い老夫妻がいた。 地元山岳会メンバーが交代で小屋番をする事になっているのだが、予定していた者が都合が悪くなって来られなくなり、急遽代役を勤めに来たのだと言う。 年格好から見て山岳会の長老ではないかと思われた。

・峠付近に沢山の車が停めてあったし、小屋のまわりにも人が多かったので混雑が心配だったが、聞いて見ると今夜は三人しか宿泊予約がないと言う。 強清水から大形ザックを担ぎ上げた疲れを取るためひと休みしたあと、小屋の内部の様子を見る。 三階にある五つの宿泊室は十畳ほどの総桧造りで木の香りが充満していた。 一階は車庫になっているが広広したテラスのある二階には期間外に無人開放となるストーブ付きの部屋と広い休憩室兼食堂、および2組の業務用調理設備と調理台を備えた台所がある。 管理人事務室は横手の別棟の二階で、一階は水洗トイレになっている。 建物だけでなく設備の面でも "超デラックス" で、山上の自炊小屋でこれ程贅沢な小屋は見た事がない。 風呂はないが食材を運び込んで長逗留を楽しむ事もできそうだ














超デラックス山小屋、萬岳荘




・テラスのテーブルでお昼を食べていると富士見台にハイキングで来た近在の幼稚園生とその親御さん達が降りて来た。 小さな子供達が可愛い。 新藤君は六時までには着く様にすると言っていたのでまだ大分時間がある。 散歩がてら富士見台に行って来ようとカメラを持ってテラスに戻ったら丁度到着した所だった。 思いがけなく早い時間に着いたのは、高速道を一時間半ほどで薗原に着いたのでヘブンスそのはらのゴンドラとリフトを乗り継ぎ、展望台から一時間足らず歩いてここまで来たせいだと言う。 あらためて部屋に戻ってひと休みして貰い、落ち着いて来た所で富士見台に向かう。 笹原の中の窪を登るとすぐに頂稜のコルに出る。 富士見台の頂上はコルの北側の緩やかな盛り上がりだ。 二棟並んでいる小さな小屋の前を通って高みに登ると展望説明看板のある頂上広場に着く。 富士山は雲の蔭だが北の方に中央アルプスが縦観される。 遠くの方は雲が掛かっていて分別出来ないが、近くの摺古木山や南木曽岳のそれらしい高まりは見分ける事ができた。 すぐ先は上清内路へのルートが通っている横沢山から南沢山への連なりで、緩やかでフラットな高原状の笹原となっており、積雪量が充分になれば絶好の山スキーエリヤになりそうだ。

・二人が二重投資した結果、夕食の材料はあり余る量と種類となった。 すき焼き、煮物、漬物に五目飯と、食べ切れないほどのご馳走で、年甲斐も無く食べ過ぎをして下痢が始まり、何度もトイレに通う羽目となった。

・開放宿泊室に泊まった中年の単独者のほか、午後に着いた熟女二人組、間違った林道に迷い込んで脱出に手間取った言う暗くなってからの六人組、さらにその後からやって来たカップルで思っていたより賑やかな泊まりとなったが、広広した部屋に敷いた清潔な布団で熟睡した。

月27日
<タイムレコード>

万岳荘6:30-6:40神坂峠-6:55枯れ木のピーク7:00-鳥越峠-8:03大判山10-9:05天狗
    ナギのピーク上10-10:00旧道分岐点05-10:20恵那山避難小屋-10:30恵那山頂上
    10:35-10:45恵那山避難小屋11:30-11:50旧道分岐55-12:20天狗ナギのピーク30-
    13:10大判山15-13:55鳥越峠-14:10枯れ木ピーク登りの中断20-14:50神坂峠-
    15:00万岳荘{自炊泊 \3000+300+500(ストーブ)}

・五時前に起き出し昨夜の残り物を食べる。 新藤君は最終便が4時半のゴンドラで帰らなければならないのでそれに間に合うよう六時頃には出発しようと話し合っていたのだが、小雨模様でもうひとつ気が引き立たなかったったりして30分ほど遅い出発となった。 空は何となく明るいし、雲も高くて遠くの山も見えているのだが、弱めの雨が降ったり止んだりしている。 まさに梅雨の走りだ。 峠の近くの駐車スペースには三台の中型バスと十数台の自家用車が来ていた。 日曜日だから早朝のタクシーで中津川から来た人達もいる筈で、こんな天気でも山はかなり混雑している様だ。

・「年寄りなんだからゆっくり行こうぜ」と言う掛け声で歩き出したのだがその割には良いペースで進む。 車道を通って峠脇のピークをスキップして尾根に上がった所で、小屋の調理設備は利用したが小屋の脇に張ったテントに泊まった京都の九人組に遭う。 さらに天狗ナギの巻き道で公募ツアーらしい大パーティに追付く。 道形がしっかりしていない所の通過で難渋しているメンバーが混じっているため何度も立ち止まって待たされる。 所在ないまましんがりの付添人らしい熟年登山者に聞いてみると夜行バスで大阪から来たと言う事だ。 不慣れな人達も混じっているだろうに強行軍なので驚く。 三々五々下山して来たパーティに出逢った。 昨夜どうしたのか聞いて見ると昨夜は頂上の避難小屋にと待ったと言う。 結局昨夜は3パーティ8人が泊まった事が分かった。 天狗ナギの上のピークを過ぎると原生林に入る。 残雪が出て来た。 登るに連れて次第に増え、部分的に凍結している場所もあった。 暫く傾斜が急な所を登るがそこを抜けると徐々に傾斜が緩み、やがて道標の立つ頂稜の一角に登り着く。

・恵那山は遠見には櫛形山と似た形をしているが、頂稜は幅が狭くて濶葉樹の潅木に覆われている。 唐檜の大木に被われた広い平坦地になっている櫛形山とはかなり様子が違う。 麓の方からロック音楽らしいリズムが聞こえて来ている。 川上の辺りで春祭りでもしているのだろうが昔からの信仰の山で所どころに祠がある山とは不似合な雰囲気だ。 大勢が雨宿りしていて混みあっている避難小屋はパスしてそのまま頂上に向かう。 頂上広場もパックツァーの大パーティが休んでいてノンビリ休める様な状態ではない。 樹木に囲まれて展望もないので小屋で休みながら物を食べようと言う事になり、登頂証拠の写真を撮っただけで戻る。 小屋はまだ混んでいたが暫くすると板敷きの部屋を占領していたパーティが出ていってガラ空きになった。 靴を脱いで部屋に上がり、ガスストーブで暖かい飲み物を造る。 昨年の秋に入手した家庭用コンロのボンベを使うガスストーブを持って来て見たが火力の点ではちょっと物足らないものの快調に燃焼し、暖かい時期には十分使い物になる事を確認した。 息子さんのだと言う布登山靴を履いて来た新藤君は濡れた靴下を交換していた。


大判山か望む恵那山

・帰路、頂稜の下の雪道は擦れっ枯らし二人組に取ってはかえって歩き易く、あっという間に後続パーティの気配が遠ざかった。 天狗ナギノ頭から大判山までは快調に下ったのでゴンドラの終わる時間の心配はなくなったが、布靴の新藤君が途中で爪を詰めてしまったようでいくらかペースが落ち、大判山の手前でいったん追付き掛かったパックツァーパーテイから徐々に引き離された。 幸い雨は止んで時々薄日まで差すようになった。 

・このルートの一番の難所は神坂峠のすぐ手前でルート上の最低地点である鳥越峠から "枯れ木のピーク" への標高差約180m を登り返さなければならない事だ。 3時頃小屋に帰り着けるよう計算をしながら歩いて来たが僅かながら時間の余裕がありそうなので鳥越峠から一段登った所にザックを下ろしてリンゴを食べる。 この小休止は非常に効果があって思っていたよりズゥーッと楽に乗っ越して神坂峠に着いた。

・峠のバスはまだ3台ともいたが1台は戻っていてストレッチングをしていたが、ほかの2台はエンジンを掛けた車の前で2人の運転手が心配そうな顔で山の方を眺めていた。 午後3時きっかりに小屋に帰り着く。 新藤君はすぐに荷物を纏めてヘブンスそのはら展望台のリフト乗り場に歩いて行った。

・小屋の管理人が交代していた。 明日歩く計画の横川山、南沢山を経て上清内路へ下るのルートの様子を聞いて見る。 明日も雨になる可能性があるし、笹も被っているだろうからあまり勧められない、むしろ見所が多い旧東山道を歩いて園原に下った方が面白いのではないかと言う事で、携帯電話で飯田へのバスの便も確かめ、午前午後の2便だけだが園原インターチェンジ近くのバス停から乗れると教えてくれた。 富士見台は昨日登って景色を見た訳だし、旧東山道を歩いて神坂峠越えを完成するのも悪くないと思って計画を変更し、園原バス停の正確な場所とバスの時刻を管理人に教えて貰う。

・夕食は中津川で調達して来た茶蕎麦だ。 潤沢に水を使ってゆで上げ、中津川で買って来た油揚げの煮付けと焼き豚を千切りにして小皿に山盛りにする。 非常に美味かったが五日間の山旅の疲れが溜まった胃袋を壊さぬよう、途中からスローダウンする。 それでも少々食べ過ぎ気味になったので、お腹を暖かいお茶で温めてご機嫌を取り、消化薬を服んで活を入れた。

月28日
<タイムレコード>

    万岳荘5:30-6:30東山道新道分岐点35-7:00車道-7:30神坂神社50-8:15月見堂25-8:55園原バス停9:25=バス(\740)=9:58飯田駅-飯田BC11:00=高速バス=15:00新宿

・目が覚めるほどの強い大雨が夜中に降ったがトイレで夜中に起きた時には満天の星空だった。 そろそろ空が明るくなって来ようかと言う頃に目が覚める。 一週間近くも山にいると体内時計が自然のサイクルに合って来て寝付きと目覚めが早まるものらしい。
まだ暗い部屋の中を明るくするため入り口のドアを明けてパッキングをする。
  日が上がると奇麗な青空が戸口の先に広がった。 入山以来最高の空だ。 下山日に天気が良くなって来るというのは天気の回り合わせの悪い山行で良くあるパターンだ。 上清内路ルートの方にもちょっと気を惹かれたが、今度旧東山道を歩いて置かなかったら次に来ても歩くチャンスがないような気がするし、上清内路ルートは秋の散歩や春の山スキーでも楽しめそうなのであとの楽しみに残して置くのも悪くない。 昨夜の決心通り園原に下る事にする。

・午前のバスは9:25だから "朝飯前" に下ってしまおうと考え、殆ど何も食べずに小屋を出た。
ルートは要所に新しい道標が立てられ、笹が被り気味の所が一二ヶ所あるだけで良く整備されていて至って歩き易い。 園原への下降路が通っている尾根まで山腹を横断して行く途中に伊那谷への視界が広がる所があり、谷を埋める雲海の上に並び立つ南アルプス連峰が望まれた。














園原から望む神坂峠周辺の山並み












日本武尊ゆかりの神坂神社




・園原のバス停は高速道の下を潜って橋を渡り、郵便局の先に進んて行った所で、"東山道" と言う土産物店の前だった。
時間が早過ぎて店が開かずバスが来る前に土産の漬物を買っただけに終わった。 飯田に居たのも10時から11時までだったため、気の利いた食べ物屋は開いていず、辛うじてバスセンターのファストフードスタンドの蕎麦にありつけただけだった。











     伝教大師最澄ゆかりの月見堂




☆あとがき
○ 二十代の後半から三十台にかけての山とスキーの仲間で、鹿島槍東尾根や槍の北鎌尾根など、大きな山行を共にした旧友S君と三十数年振りで山を歩けたのが何より嬉しい事だった。 旧交を温めるとともにお互いの健在を確かめることが出来た。

○ 仲間と話をしながらの山歩きは、ただひとり自然に没入する事で山との濃密な交信が行われる単独行は別種の楽しみで、実社会の利害をから離れた別空間に身を置く事で純粋にパーソナルなコミュニケーションが可能となり、周囲の自然への感興を素直に共感できる。

○ 大形ザックを背負っての長期縦走は加齢と胃袋のハンデとで辛くなって来たが、今回のように拠点を移しながら近くの山の頂上へピストンをする半定着式の山行ならばかなり長期にわたっても疲労をため込まずにエンジョイできる事がわかった。