直線上に配置

会津朝日岳、御神楽岳[2]
(2001.6.9-13)


6月12日 御神楽岳 (登頂後、御神楽岳避難小屋に宿泊)
<コースタイム> 会津川口=[Taxi]=御神楽橋(6:25)-八乙女ノ滝(7:00)-枝沢(7:40/50)-尾根取付き(8:00)-尾根上部(8:35/45)-杉山ガ崎(9:00)-御神楽岳管理舎(9:50/10:40)-本名御神楽岳(11:00/15)-御神楽岳(11:50/12:25)-本名御神楽岳(13:00/05)-(13:20)御神楽岳管理舎{泊}


近所で葬儀があるので早朝にしてくれというタクシーの都合に合わせて6時に出発する。 谷の中には濃い霧が立ち込めていた。 登山口となっている御神楽橋から歩き出し、八乙女ノ滝を越して行くと道端に "八丁洗板" と記した道標が立っている。 沢に出て見ると川幅一杯が平坦な岩盤になっていて音もなく水が流れていた。 これほどの幅と長さのナメは見た記憶はない。 左岸から流れ込む枝沢を渡ると間もなく杉山ヶ崎に向って小尾根に取り着く。日が登るにつれて霧が上がって行き、まわりが見えて来た。
左の谷の向う側は本名御神楽岳から日尊ノ倉山を経て貉ヶ森山へ連なる稜線で所所に雪崩に磨かれたスラブを擁する険しい地形になっている。



主稜に到達した所で左折、痩せた尾根を登って行き、鎖場を乗越した先のブナ林の中にひっそりと御神楽岳管理舎が立っていた。 こじんまりした小屋だが豪雪に耐えられるよう頑丈な鉄骨構造になっている。 引き戸を開けて入った土間には薪ストーブが据えてあり、横手が中二階式の板敷になっている。
飲み食いをしながら暫く休み、サブザックを背負って頂上に向かった。 








ひと登りで本名御神楽岳の頂上に着いた。
畳四枚ほどの小さな頂上で見晴らしは良いが北から西の方は浅いコルを隔てて真近かになった御神楽岳本峰が視界を妨げている。
痩せ尾根を辿って本峰に行く。 傾斜の緩い左側にびっしり茂っている藪が被っているためとかく急傾斜の右斜面に押し出されそうになるので気持ちが悪い。 際どい所は敢えて薮の中に入って進む。 山名を刻んだ石柱と三角点標石がある御神楽岳の頂上は本峰に相応しい広さを持った広場で、360度の展望が得られた。






山の裏側を覗き込むとこの山のトレードマークになっている水晶尾根上部の大スラブがあった。 その先の方は湧き出した雲のせいで個々のピークの判別は出来なかったが阿賀野川谷の向こう側に飯豊の山々が所々に残雪を擁して連なっていた。
登って来た方を振り返ると本名御神楽岳は低く、至って目立たないピークだ。今朝遡って来た霧来沢が延々と延びていた。 右手の方には貉ヶ森山、さらにその先に見えている山は浅草岳のようだ。 風に乗って切れ切れの人声が流れてきた。 雨乞峰の方を覗き込むと雪渓の脇に三人の人影が見えた。 杉山ヶ先ルートには先行者の形跡はなかったから裏側の室谷コースから登ったに違いない。 一足先に登頂したあと、お昼でも食べているようだった。 今日は避難小屋に戻って食事をして寝るだけだからあり余る程の時間がある。 今回の山行で初めて好天に恵まれた頂上だ。 苦労して辿りついたこの頂上を大事しようとノンビリ周りを眺めながら飲み食いをしたり、写真を撮ったりしながら居座っていたがソロソロ飽きてきたなぁと思いだした時に熟年夫婦が登って来た。 地元の新潟に住んでいて室谷から登ってきたがルートの下部が雪融けで泥濘っていて歩き難かったと言う。 暫く話をしたあとで別れを告げ、頂上を後にした。
小屋に戻り、ひと息いれたあとで水汲みに行った。 笹の間を100m 程下った沢溝に湧水があった。 置いてあったビニールチューブを使って18リッターポリタンクに半分ほど汲む。 10Kg 近くのポリタンを片手に下げて小屋まで登り返すのはなかなか骨の折れる仕事だった。 潤沢な水を使って味噌雑煮などを作って食べ、明るいうちから寝袋に入って本を読んだりハンドヘルドPCに記録を入力したりして時間を過ごし、早い時間に寝た。


6月13日 会津川口駅へ下山。 鉄道を乗り継いで会津若松経由、帰宅
<コースタイム> 御神楽岳管理舎(5:30)-杉山ガ崎(6:05)-尾根中間点(6:25/35)-尾根取付き(6:50)-枝沢(6:55)-御神楽橋(8:15)-管理人のトラックに便乗(8:45)=(9:15)会津川口駅[12:40]=会津若松=[20:03]浅草=宮崎台

寝る時にストーブに太い丸太をくべておいたので明け方まで暖かく、快適に熟睡した。 そろそろ明るくなろうかと言う時間に薪が燃え尽き冷えてきて目が覚めた。 ゆっくりコーヒを淹れて目覚ましをしたあと簡単な朝食を食べて下山の準備をする。
尾根を下り始めた所で前方を見ると長々と延びている霧来沢からその先の只見川まで霧が谷底を埋めていた。 その先の方には、幾重にも重なる南会津の山並みがあった。
尾根を下っているうちに暑くなってきたの昨夜寝る前に重ねた下着を脱いだ。 登山口に戻った後ブラブラ林道歩きをしていたら小型トラックと擦れ違った。 トラックは山の方に走っていったがしばらくすると戻ってきて脇に停まり、運転席の五十男に良かったら乗らないかと声を掛けられた。 予定より早い時間に山を降りて来たのに列車は昼過ぎにならなければ来ない。 車に乗せてもらうと一層長い待ち時間をもてあますことになると思ったのだがやはり楽な方が良いので誘いに乗る事にした。 ドライバーは役場に委嘱されてこの辺りの登山道や小屋の整備をしている人だった。 遠くからよく来てくれたと歓迎され、登山口付近から右手の尾根を登る尾根ルートも整備したから紅葉の季節にでもまた登りに来るよう誘われた。
昼前早くに会津川口駅に戻ったので駅の周りで長い時間をつぶす事になった。 午後早くの只見線列車に乗り、会津鉄道線、野岩鉄道・会津鬼怒川泉、東武鉄道線と延々乗り継いで帰宅した。




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