直線上に配置

浅草岳・守門岳、蒲生岳、志津倉山
(2000.6.4-8)

☆期日/山行形式: 2000.6.4-8  民宿、旅館利用 単独
☆まえがき
    昨年の6月初めに七ヶ岳を縦走した時、南会津の山々の膨大な重畳を目の当たりにした。 その夏に息子を連れて越後駒ヶ岳から中ノ岳へ歩いたが、明け方近くまで荒れ狂った台風の名残りの雲が渦巻く下に並び立っている守門岳、浅草岳など、只見西端部の山々の雄姿が印象的だった。
 梅雨前でまだ豊富な残雪が残っている時期に出掛け、只見線沿線のいくつかの山に登る山旅を計画した。  距離的には近いのだが交通の便が悪くて行き帰りに時間が掛かる。 折角出かけるのだったら体力(と資金)の続く限り長く現地に留まり、できるだけ多くの山に登って帰るようにしたい。 取り敢えず四泊五日の日程とし、二日目から最終日までの間に四つの山に登頂する計画とした。
 個性豊かな山々の宝庫とも言えるこの地域への初山行ゆえ、四つの山の選定では目移りしたが最終的には浅草岳、守門岳、蒲生岳と志津倉山を選び出した。 泊まり場捜しではそれぞれの山の地元の役場に電話を掛けて問い合わせた。 何れも親切な応対で、良さそうな感じの民宿や旅館を推薦して呉れた。

☆概況
6月4日: アプローチ -JR在来線を乗り継いで越後須原駅まで行き、駅近くにある豪農目黒邱を見学。 茶席にも参加したあと駅に戻り、大白川の民宿に向った。
<コースタイム> 宮崎台=上野=高崎=水上=小出[13:06]=[13:28]越後須原(駅近くにある豪農目黒邱を見学し、茶席に参加)[16:31]=[17:02]大白川駅=[送迎車]=大白川{民宿泊}

6月5日: 浅草岳
<コースタイム> 大白川=[送迎車約12Km]=六十里越登山口(7:30/40)-旧六十里越峠(8:10)-アンテナのピーク(9:55)-南岳(9:50/10:00)-鬼が面山(10:30/40)-狢沢カッチ(11:40/50)-前岳肩(12:30/35)-浅草岳(12:50/13:55)-尾根中間点の雪田(14:45/15:00)-崩壊した痩尾根(15:55/16:05)-ヤジマナ沢(16:20/雪融け増水で危険な渡渉/40)-大自然館ホテル(17:10/30)=[送迎車]=大白川民宿
旧六十里越峠からアンテナのピーク、南岳を経て鬼が面山に登ると残雪を纏った浅草岳が堂堂とした姿を現した。
さらに北岳から狢沢カッチまで、いくつもの小ピークを含んで鋸状に起伏する尾根の絶壁の縁を伝わって行くルートには高度感とともに周囲への素晴らしい山岳展望がある。 金峰山の五丈岩に御室小屋から直登したとき以来、久し振りに豪快感のある尾根登りの醍醐味を味わった。 これほどの登高ルートを持っている山なのに百名山どころか二百名山にさえ入っていないのは一体どう言う事なのかと思いながら頂上に向かって登り続けた。


頂上真近かとなった前岳で後を振り返ると会津から上越国境にかけての広大な展望が広がっていた。 左は視界の右半分で、辿って来た鬼ヵ面山の稜線の向うに毛猛山から未丈ヶ岳、さらにその先の方には越後駒から中ノ岳を経て大水上山へと連なる上越国境稜線の山々が見えていた。
頂上では二人の地元登山者と遭った。 北面の林道から桜曽根ルートを登ってきたと言う。 南面とは対照的に緩やかな地形と豊富な残雪とに誘われて二人とともに北面へ下った。
尾根の中間点で二人と別れて尾根上を下り続け、末端までは順調だったが好天日の気温上昇で雪融けが進んだため、尾根から離れる所にあるヤジマナ沢が激流となっていて少々危険な徒渉を強いられた。 翌朝聞いた所では、ほぼ同じ時間に山菜取りに来ていた人が近くの沢で遭難して行方不明になったと言う。 30年ぶりの大量残雪だと宿の主人が言っていたが、このあと二週間ほどして地元の山菜取りが雪崩に遭う事故があり、その救出作業をしていた人達がヘリコプターの振動に誘発されたブロック雪崩に巻き込まれるという二重遭難があった。



6月6日: 守門岳
<コースタイム> 大白川宿=[送迎車 ca4Km]=取り付き(8:00/05)大原登山口-大滝ルート合流点(8:45)-展望台上(8:50/9:00)-三の芝(10:20/40)-守門岳(11:20/12:10)-三の芝下の雪田(13:00/10)-見晴台(13:20)-登山口(14:10/20)=[送迎車]=大白川民宿=大白川駅[17:02]=[17:50]只見駅{旅館泊}


尾根を登り上げ、雪庇の上からシュルンドを渡って薮に入り、熊笹の中を力任せに登り上げたら三の芝(小鳥帽子)の広大な雪田の一角だった。
正面に守門岳が優美な姿で立っている。 雪田のまん中で下山途中の地元の若者二人が休んでいた。
 緩く下ったコルからそれまで見たこともないカタクリの大群落の間を登って行くと広広とした頂上広場に出た。 360度の大展望を楽しみながら来合わせた地元の単独行者と埼玉の熟年夫婦と四人で暫く山談義をする。
下山は 昨日と違って往路を戻ったのと増水した沢の徒渉もなかったのとで全く問題なく、車道に出て暫く歩いた所で宿の車に出遭った。 気の利く民宿の女将さんが沸しておいてくれた風呂に入って汗を流し、次の泊り場のある只見に向かった。 


6月7日: 蒲生岳
<コースタイム> 只見駅=[Taxi]=会津蒲生駅(9:30/40)-尾根上の赤松(10:30/35)-岩峰基部(10:45)-蒲生岳(11:10)-赤松(12:20/20)-二荒神社(12:45/13:15)-会津蒲生駅[13:42]=[15:39]会津宮下{旅館泊}


蒲生岳は小さいながら会津のマッターホルンと呼ばれている鋭鋒だ。 会津蒲生駅の後にある二荒神社の横手から山に取り付く。 所所に露出しているスラブにビブラムソールのフリクションを利かせて登って行くと尾根の上に出た。 数本の赤松が立っている景色の良い所から先はふたたび山の南面を登るようになるが地形は険しい。 ロープを取り付けた岩場の際どいトラバースを通過したあと左に折り返し、急登して頂上に着いた。 頂上のこじんまりした切り開きには石祠と標柱がある。







祠の後ろ側に回り込んで眺めると目の下が只見の町で、谷の奥の方には田子倉湖、その背後の空を残雪が鈍く光る会越国境稜線が横切っていた。













6月8日: [志津倉山]
<コースタイム> 会津宮下=[Taxi約11Km]=登山口(8:00/15)-二子岩分岐(8:40)-尾根取付の水場(9:03/10)-三本松(9:35)-ブナ平(9:50)-志津倉山(10:00/25)-細ヒドコース入口(10:40)-スノーブリッジの下(11:10/15)-登山口(11:25/12:10)-棚倉山北面の清水(13:00/05)-大辺峠(13:20)-二階の清水(13:40/45)-上平(14:55)-(15:30)下中津川[16:11]=[17:10]会津田島[17:15]=(21:03)浅草=三越前=宮崎台
三日の好天続きに恵まれて浅草岳、守門岳、蒲生岳と三つの山を順調に登ってきた。 この山行の最終日は志津倉山に登ったあと山の裏側に下山し、バスで会津田島駅に出て野岩鉄道・東武鉄道を乗り継いで家に帰ろうという計画だ。
志津倉山は只見と会津の境の山深い所にある標高僅か1234m の小さな山ながら、豪雪が引き起こす雪崩に磨き上げられた巨大なスラブの奥壁を持つ沢を抱く特異な個性の山だ。

前夜泊まった会津宮下駅近くの旅館の主人が地元山岳会の会長だった上に直前の日曜日に山開きをしたばかりだったお蔭でルートの状況を詳しく聞けたのは幸いだった。
登山口から僅か入った所に "This incredible Mountain ...." と刻まれた御影石の遭難碑が立てられていた。
石碑の後に中型ザックをデポして沢ルートに入る。 ひと歩きで目当ての雨乞岩が姿を現した。 膨大なデブリに下部を被われた巨大なスラブの壁は、濃密な樹林の間にひっそりと突立っていた。 よその国から来た若者を命を落とす程にまで引き込んだのもあながちとは思われぬ妖しい雰囲気が漂う岩場だった。
尾根に取付いて暫くの間は痩せ尾根の急登が続くが三本松を過ぎると一転して穏やかになる。 こんもりと盛り上がった頂上は北側の樹木が伐り払われていて、浅草岳、御神楽岳から鍋倉山辺りまでの山々が望まれる。 細ヒドコースを下ってデポして置いた荷物を回収し、腹拵えをした後に会津へ通じる大辺峠への車道歩きを始めた。 この峠は志津倉山と西隣の棚倉山との鞍部を乗越している。 只見の三島町と会津の昭和村とをつないでいる舗装道路は、たまに車が通るだけの静かな道だった。
道端の所々に出ている清水で喉を潤しながら歩いたがどれもとても美味しかった。 なかでも峠から20分ほど下った所にある "ニケー(二階)の清水" は飛び切りの味で、ペット瓶詰めの輸入ミネラルウオータの何倍もの値段が付いてもちっともおかしくないと思った程だった。
もともとこの国の田舎に住んでいた者は皆、世界でもトップクラスの美味しい水を毎日飲んでいたのだ。
峠からの下りは長く、気温も上がってきて少々辛かったが道端の雑貨屋で地場産の瓶詰ジュンサイを入手できたのと、会津田島行きバス乗り場のすぐ近くで美味しい手打ち蕎麦にありつけたのは嬉しかった。


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