岩櫃山、瀧峩山 (2000.12.2)


☆期日/山行形式: 2000.12.2 日帰り 単独

☆地形図(2万5千分1): 群馬原町(長野1号−4)

☆まえがき
    渋川吾妻渓谷に入って万座・鹿沢口方面に行く途中には変わった形をした山が幾つかある。
岩櫃山はその中でもっと目立つ存在で、中之条を過ぎると間もなく進路の右上に圧し掛かるような大岩壁をめぐらせている。
  ここを通る度に目を惹かれ、ウン十年もの間、気になる山のひとつだったが、やや遠いのと山が小振りなため足が向かないままになっていた。
 最近、岩櫃山の隣にもうひとつ瀧峩山と言う小さな岩山がある事を知った。 一度の日帰り山行で面白そうな岩山ふたつに登れるなら、少々遠くても行ってみる価値がある。

  行動のあらましは、JR吾妻線郷原駅(415)から歩き出し、赤岩コース登山口(510)から沢ルート合流点、櫃ノ口、九合目岩場を経て岩櫃山頂上(802.6)に登ったあと、沢ルートを下降。 原町駅分岐から登山口休憩所(465)を通って瀧峩山麓の不動尊(415)へ行った。
  瀧峩山の方は金堀跡から東山(瀧峩山)頂上(597.4)へ登ったら東見晴し、東大岩窟、象の鼻岩を通って不動尊に下山。 群馬原町駅まで歩いてJR線列車に乗り、新前橋、高崎経由で帰った。


☆記録と写真
<タイムレコード>
    宮崎台[5:08 \410]=[5:32]表参道[5:34]=[5:59]上野[6:14 アサヒ#301 \2520+E2200]=[6:59]高崎[7:26]=[8:27]郷原駅(8:45)-赤岩コース登山口(9:10)-尾根上(9:35/40)-合流点(9:45)-櫃ノ口-頂上(10:10/30)-原町駅分岐(10:45)-登山口休憩所(11:00/15)-不動尊(11:45/50)-東山頂上(12:15/45)-象の鼻岩(12:55)-不動尊(13:00)-(13:15)群馬原町[13:35 \2520]=[14:22]新前橋[14:42]=[16:371]上野=三越前=宮崎台



郷原駅から歩いて行くと集落の家の屋根の上に覆い被さるような岩櫃山の岩壁が近付いてきた。
集落の中に立っている道標にしたがって進み、赤岩コースに入る。
こんな岩山を一体どこを通って登るのだろうか案じながら進んでいったがさしたる崖もなく、鎖のついた赤土の溝を登りきるとアッサリ山の裏斜面へ乗越した。








巨岩の間を摺り抜けたり鎖場を登ったりして頂稜に出ると岩尾根歩きになる。
足許が切れ落ちている所もあるが手掛り足掛かりは十分ある。
板状の痩せ尾根の先にポールの立つ頂上が見えてきた。
高度感のある鎖場を登り切ると畳二枚ほどの頂上だった。
危険防止のためまわりを手すりで囲んである。







360度、遮る物のない展望が得られ、吾妻側沿いに広がる中之条の市街(左)から、志賀方面の山々(下左)、雪雲が纏わりついている上越国境などが良く見えた。


















ただ陽に暖められてできた上昇気流に乗って "蚊柱" が立ち、どちらを向いても虫ばかりの状態となり、撮った写真の殆どに虫が写り込んでいたのには参った。


















瀧峩山に行くため沢ルートを下った。
岩がゴロゴロしている涸れ沢を下ってゆくとすぐに杉の植林に入り、間もなく休憩舎のある登山口に着いた。
道端に岩櫃山の登山ルート図と昔ここにあった真田の城の歴史を記した看板が立っていた。
日当たりの良い林檎畑、桑畑の間に出た所で振り返ると表側とはまったく違う穏やかな姿の岩櫃山が立っていた(左)。







暫く進むと谷間に入る。
道の脇に立っている道標の角を左に折り返し、橋を渡った所に不動尊のお堂があった。




















お堂の手前から山に入る。
細いながら手入れのよい登山道がある。

桟道で崖を横切ったり岩室の下を通ったりしてゆくと東山(瀧峩山)の頂上に着いた(左)。
















樹木が多くて視界は限られるが中之条の町とその先のに立つ小野小山の眺めが良かった(左)。

上空では北風が強まっているようで埃か水蒸気の霞が山の風下側に棚引いている。















下山ルートの途中に象岩があった。
鼻こそ短いがその名の通り象の頭そっくりで登山道の上に迫り出して"通行妨害" をしている。

山が小さいので下山はあっという間に終わった。

不動尊から群馬原町駅へ出てJR列車に乗り、新前橋で上野行き電車に乗り継いで早い時間に帰宅した。