直線上に配置

飯豊主脈縦走[1] (2000.8.16-19)

☆期日/山行形式: 2000.8.16-19  山小屋利用 単独
☆はじめに
     厳冬期を除き月2回のペースで南アルプスに通った時期があった。 小屋での山談義で南と飯豊は体力的に厳しいから今のうちに登って置くのだとよく年嵩の登山者達が言っていた。
積雪期も含めて"南" の一般ルートはあらかたトレースし、さてこれから飯豊の方へと言う所で胃癌で手術を受ける事になった。 一時は平地を歩くのさえ辛いほど衰えてしまったのだが家の近所のエクササイズウオーキングから、相模川の土手歩き、さらに道志、山中湖周辺のハイキングへと徐々にステップアップし、そこそこの山には行けるようになった。 しかし、胃袋の三分の二を切り取られてバランスを失ったた消化器官はちょっとした負荷で失調する。 アルバイトの大きい縦走を敢行する自信は持てず、飯豊に足を向けるのはためらっていた。
 今年の五月に安倍川東山稜縦走を試みた。 青笹南方の笹薮に阻まれ、途中から下山して終わったが普通の登山道ならテント、寝袋、食料と水を背負って歩ける事が分かった。 これならば飯豊も何とか歩けるのではないかと思ったので具体的な山行計画に取り掛かった。 最も高い大日岳でも標高2128m しかないのだが取り付きの標高が低いため、どちらから登っても稜線に到達するのに1400から1500m の標高差を消化しなければならない。 しっかりした造りの山小屋が稜線上の要所に配置され、水場も豊富だが、食料、燃料と寝具一式は担ぎ上げなければならない。 石転び沢の雪渓から稜線に上がるルートに気を引かれたが、この山域への始めての山行であるから、なるべく端から端まで縦走して全般的なイメージを掴むべきだと思い直し、西会津の弥平四郎から疣岩山を経て山脈南端の三国岳に上がる事にした。
切合(キリアワセ)小屋から飯豊本山、御西岳、梅花皮(カイラギ)小屋、北股岳、門内岳と、稜線上に二泊して、山形県南西端に当たる天狗平に下山する計画だ。 夏山シーズン中は磐越西線徳沢駅から弥平四郎までと、天狗平から米坂線小国駅まで、臨時バスが運行される。 お盆休みが終わった時期に入山し、バスの運行が終わる直前に下山するような日程にすれば混雑のピークを避けられるだろう。 食料をはじめ、カメラやハンドヘルドPCなど、装備一式を揃えると五月の安倍川東稜線縦走の装備からテントを外しただけとなり、久し振りに大型ザックを担ぎ出すこととなった。


                                梶川峰手前の草原は色とりどりの高嶺の花の絨毯だった。

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